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寝袋を買いに
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ルドミラ王国で、『共食い』の呪詛をまき散らしていた大蛇型の核を破却してから、早五日。
今日は、週に一度の休息日だ。
一年前からひとり暮らしをしている王都郊外の別邸で、ダラダラと自堕落に過ごすつもりだったレオナルドは、朝から突撃してきた幼い弟妹たちから質問攻めに遭っていた。
「レオ兄さま! 水使いさまって、どんな方なのですか?」
「すっごく強くて、とってもキレイな青色の瞳をした方なのでしょ?」
「この間ルドミラ王国で発動した呪詛って、レオ兄さまと水使いさまがやっつけたのですよね?」
「ねえねえ、レオ兄さまってば! 早く教えてくださいな!」
今年十一歳になる双子の弟妹は、どうやら先日この国に現れた水使いについて、随分と興味津々らしい。
二卵性の、しかも男女の双子だというのに、髪の長さ以外では区別ができないほどよく似たふたりは、男児がアレン、女児がシェリルという名である。
ふたりとも父親譲りの褐色の髪に、母親譲りの新緑の瞳の、とても非常に大変可愛らしい子どもたちなのだが、それぞれの魔力適性については少々珍しいことになっていた。
アレンが異常なほど高い魔力適性を備えているのに対し、シェリルは一切魔力適性を備えていないのである。まるで、シェリルが備えているべき魔力適性を、そのままそっくりアレンが備えてしまったようだと、両親はよく笑って言っていた。
そのせいなのか、アレンは幼いながらもしっかり者の兄としてシェリルに接しているし、シェリルは非常に甘え上手な末っ子姫となっている。
(そのうちアレンが声変わりをしたら、区別がつくようになるんだろうが……。今はこうして連続トークをされると、どっちが言った言葉なんだか、まるでさっぱりわからんな)
ひとり暮らしといっても、レオナルドはアシュクロフト伯爵家の嫡男だ。
通いの使用人たちが、身の回りのことはすべてしてくれているし、食事の質も本邸のそれとなんら変わらない。
今朝も、突然現れた双子の好物、バニラアイスとフルーツソースの添えられたクレープが、指示するでもなくすぐに出てきた。気の利く使用人たちで、とても嬉しい。
せめて、自分の朝食が終わるまでは素敵なスイーツに夢中になっていてほしかったのだが、どうやらそれは叶わぬ願いだったようだ。
レオナルドは、香り高いパンをちぎりながら、そっと息を吐いた。
(水使い、なあ……)
たしかに双子たちの言う通り、水使いのギル・レノックスの強さは紛れもなく本物だし、その瞳の美しさについては誰もが認めるところである。
だがしかし、だ。
(性格が! キッツいんだよ! 基本的に無表情だし、口を開いても最低限の言葉しか返ってこねェし! そういやこの間の合同任務のとき、『あ、こいつイラついたらちょっと口数増えるのな』ってことに気付いたりしたけども! マジで全然嬉しくねェわ!)
いっそ、水使いではなく氷使いと名乗ったほうが正しいのではないかと思うほど、ギルの同僚――特に、レオナルドやユージィンに対する態度は冷ややかだった。
キャロラインの執務室でのやりとりで、その頑なな態度にも少し軟化の兆しが見えたように感じたのだが、残念なことにどうやらそれは気のせいであったらしい。その直後のルドミラ王国での合同任務以来、ギルのマスターたちに向ける眼差しときたら、ブリザードもかくやという冷たさだ。
合同訓練だけは、毎日時間を合わせて実施しているけれど、それも和やかな雰囲気とはほど遠い。
「まあ……うん。水使いは、強いぞ。対人格闘でも剣術でも、オレやユージィンとほぼ互角にやり合えているからな」
「そうなんですか!?」
「レオ兄さまやユージィン兄さまと同じくらいなんて、とってもすごいです!」
双子たちにとって、マスターであるレオナルドとユージィンは、彼らが知っている人間の中で『一番強い人』という位置づけになっている。
『一番強い人』がふたりいるというのはどうなんだ、と少々首を捻りもする。だが、実際自分たちが手加減抜きでやり合ったなら、周囲にとんでもない被害が出た挙げ句に相打ちという、無意味なうえに迷惑極まりない結果になるだろう。
双子たちが楽しそうにしているのなら、それが正義なのだ。
(実際のとこ、アイツが水の魔術抜きでもあれだけ戦えるってのは、ちょっと意外だったんだよなあ)
レオナルドもユージィンも、対呪詛戦闘においては最高戦力と言われるマスターではあるけれど、風の魔術と炎の魔術というのは、使用に制限が掛かることが多いものだった。
風の魔術であれば、自然風の入らない屋内ではほとんど使用できなくなる。
また炎の魔術は攻撃力が強すぎて、周囲に保護対象の何か――人間や貴重な建造物の存在がある場合、全力で使うことはほぼ不可能だ。
そのためふたりは、自然魔術を使えない状況に陥ったとしても、身体強化魔術と魔導剣だけである程度のことには対処できるよう、日々鍛錬を欠かしていない。
しかし、ギルは水使い。
彼との共闘を経てはじめて知ったが、あれほど汎用性の高い力もないと思う。
ギルの魔力探知圏内の水分を集めれば、それがそのまま膨大な質量を持つ武器にも、彼自身を守る盾にもなってしまう。
それを呪詛にぶつければ、魔導武器の攻撃にも引けを取らないほどの威力で弱体化させられるし、同時に呪詛の穢れも浄化できる。
被呪者に対しては――。
(……いや、うん。やらせておいてなんだけど、アレはさすがにキツかったな……)
先日のルドミラ王国で破却した呪詛は、感染拡大型の『共食い』だった。
その影響を受けてしまった民間人に対し、ギルはレオナルドに指示されるまま、彼の魔力を孕んだ水を大量にぶちまけたのだ。
――絶叫して、悶絶して、のたうちまわる。どうやらおれの魔力を通した水は、呪詛や被呪者にとっては猛毒のようなものらしい。
そう説明した彼の言葉は、正しかった。
誇張でもなんでもなく、ギルの水を受けた人々はみな、耐えがたい苦悶の表情を浮かべて絶叫し、致死性の猛毒を喰らわされたかのように悶絶し、のたうちまわった。
彼らはすでに呪詛に呑まれ、互いの肉体を喰らい合ったあとだったのだろう。
もがき続ける彼らはみな、口元を黒ずんだ血で汚し、肉体のあちこちから血を流していた。
ギルに対し、その様子を地獄絵図だと評したのはレオナルド自身だ。
それでも――。
(アイツのお陰で、被呪者たちはそれ以上共食いなんてしなくて済んだ)
どんな地獄を経験しようと、生きてさえいればいつかは救われる日がくるかもしれない。
たとえ手の届かない夢幻のようなものであったとしても、そんな希望を抱き続けていなければ、今まで戦い続けることなんてできなかった。
だから、レオナルドはギルに望んだ。
自分たちと同じように、信じてほしかった。
人が生きているのは、それだけで尊いことなのだと。命というのはたとえどんな状況であっても、最優先に守られねばならないものなのだと。
同じマスターとして戦う以上、そう、覚悟を決めてほしかったのだ。
けれど彼は、拒絶した。
彼が操る水の力は、人々に生き地獄を与えるものでしかないのだ、と。
まるで絶望しか知らないような目をして、言っていた。
(……なんでだよ。バカ野郎)
水使いの力は元来、呪詛によって穢れた土地を浄化するために使われてきたものだ。
実際、ギルの操る水が、呪詛の影響を受けた街全体を洗い流したためだろう。ルドミラ王国の復興作業は非常に順調で、人々が呪詛の残滓に悩まされることもないと聞く。
その事実は、たしかに希望と言えるものであるはずなのに。
なぜ彼は頑なに、自分自身の価値を認めようとしないのか。
わからない。
そして、腹立たしい。
呪詛を破却するため、全身の力を振り絞るような戦いをしていた彼が、なぜその先に一切の希望を見ようとしないのか。
誇ればいいだろう。
現在、この大陸に十人といないマスターのひとりであることを。
その力を自在に操り、恐ろしい呪詛を破却できる存在であることを。
彼の行動は、目の前の凄惨な結果はどうであれ、それよりも遙かに多くの人々を救うものであったのだ、と。
なのにギルは、いっそ卑屈なほどに自分の力を認めていない。
……本当に、腹が立つ。
(ウチの可愛い可愛いアレンとシェリルに、『この国の水使いさまは、何考えてんのかさっぱりわからんうえに、おまえたちの兄貴を氷のような眼差しで見てくるんだぜー』なんて、言えるわけがねェだろうが!)
ついでに、ものすごく個人的な恨み節を抱いてしまったりもしているが、これは可愛らしすぎる弟妹を持った兄の、当然の権利なのである。
「ところで、レオ兄さま! わたくし、寝袋がほしいのです!」
「……なんて?」
可愛い妹の可愛いおねだり――ではなく、ちょっと想定外のおねだりに、レオナルドは首を傾げた。
そんな彼に、シェリルはふんす、と胸を張った。
「恐ろしい呪詛がいつどこで発生するのかわからない以上、防災にはどれほど念を入れても入れすぎということはありませんもの。万が一、我が家が破壊されてしまったときに備えて、屋外でも心地よく眠れるという寝袋を用意しておきたいのですわ!」
「……いや、ウチの本邸はオレが常に風の結界で守ってるから、呪詛が入り込んでくる可能性はほぼゼロだぞ?」
これは、風使いの特権というものだ。
ちなみに、レオの知る限り最も呪詛に対する守りが堅牢なのは、土使いの令嬢が住まう屋敷である。彼女の魔力を受けて育った植物たちが、とんでもなくえげつないトラップと化して、ありとあらゆる悪意の侵入を阻止しているらしい。ちょっと、一度見てみたい。
ユージィンの炎による結界は、住宅街で常時展開するのは危険すぎるため、検討する以前に諦めたと聞いている。よかった。
そんなことを考えつつ、レオナルドは妹に向き直る。
「その心構えは、立派だと思うけどなあ。今後、おまえが寝袋で地面で寝るような事態になるってのは、さすがにちょっと考えにくいぞ」
「……レオ兄さま」
シェリルが、両手の指を組んでにっこりとほほえんだ。
「お願いします。素敵な寝袋を、わたくしに買ってくださいな」
「わかった。外出の準備をしてくるから、ちょっと待ってろ」
そのときアレンが、「うちの長男がチョロすぎる」という目をしていたことには、とりあえず気がつかなかったことにした。
シェリルのおねだりがなくとも、今日はこれから双子をどこかへ遊びに連れていってやるつもりだったのだ。結果が同じである以上、何も気にすることはないはずだったのだが――。
「……なんで、寝袋?」
ほんの小一時間ほど前に妹に対して抱いた疑問を、先日同僚になったばかりの水使いに向けることになるとは、想定外にもほどがある。
サバイバル関連用品の店で、ちょうど安売りされていた高性能の寝袋を抱えていたのは、なんの飾り気もない黒の上下を着たギルだった。
その鮮やかな青の瞳も、額から左の頬へ刻まれた呪詛の爪痕も頓着なく晒したままだ。彼に関する基礎情報は、すでに国中に周知されている。彼の正確な容姿を記録した静止画や動画がいまだ外部に公表されていないとはいえ、この無防備な状態で人々から取り囲まれていないのが不思議なくらいだ。
双子の弟妹に両腕を確保されたまま、思わず口にした問いかけに振り返ったギルは、軽く首を傾げたあと「ああ」と声を零した。
「レオナルドか」
「おい」
レオナルドは、プライベートで外出する際には、必ず髪の色を元の褐色に変える腕輪型の魔導具を装備している。
それだけでかなり印象が変わるのはたしかだろうが、まだ数日の付き合いとはいえ毎日顔を合わせている同僚を、なぜ一目で認識できないのか。
憮然としたレオナルドを無視し、ギルは寝袋を抱えたままアレンとシェリルに視線を向けた。
その途端、兄の左手を握っていたシェリルが、ぴょんと跳ねる。
いったいどうした、と思って見下ろすと、妹の小さな顔が真っ赤に染まっていた。大きな目は熱っぽく潤んでいるし、左手を握ってくる細い指にぎゅっと強い力がこもる。
「どうした? シェリル。気分が――」
悪いのか、と問いかけるより先に、シェリルがひどく混乱したような上擦った声で口を開いた。
「おおおお兄さま!? こちらの素敵な殿方はどなたですの!? レオ兄さまの、お知り合いの方ですか!?」
(……は?)
今まで見たことがない妹の様子に驚いたレオナルドが固まっていると、両手で頬を押さえたシェリルがギルをひたと見つめて言う。
「あのあのあの、はじめまして! わたくし、シェリル・アシュクロフトと申します!」
「……はじめまして。ギル・レノックスです」
勢いに押されたように挨拶を返したギルに、シェリルが大きく目を見開く。
「ア……っ」
おそらく、「水使いさまですか!?」と絶叫しかけたであろう妹の口を、いつの間にか彼女のそばに移動していたアレンが黙って塞いだ。
そのままギルを見上げた弟は、ひどく複雑な表情を浮かべてぺこりと頭を下げる。
「妹がお騒せしてしまい、申し訳ありません。ぼくは、アレン・アシュクロフトと申します。えぇと……兄の、同僚の方、でいらっしゃいますか?」
幼いなりに懸命に考えたのであろう無難な問いかけに、ギルは困惑したように瞬きをしたあと頷いた。
その顔に、柔らかな微笑が浮かぶ。
レオナルドは、硬直した。
(………………は?)
「はい。きみたちのお兄さんと、同じところで働いています」
穏やかな、優しい声だった。
いつもとはまるで別人のような笑顔と声に、レオナルドは唖然として立ち尽くす。
(は……え? 誰コイツ?)
今日は、週に一度の休息日だ。
一年前からひとり暮らしをしている王都郊外の別邸で、ダラダラと自堕落に過ごすつもりだったレオナルドは、朝から突撃してきた幼い弟妹たちから質問攻めに遭っていた。
「レオ兄さま! 水使いさまって、どんな方なのですか?」
「すっごく強くて、とってもキレイな青色の瞳をした方なのでしょ?」
「この間ルドミラ王国で発動した呪詛って、レオ兄さまと水使いさまがやっつけたのですよね?」
「ねえねえ、レオ兄さまってば! 早く教えてくださいな!」
今年十一歳になる双子の弟妹は、どうやら先日この国に現れた水使いについて、随分と興味津々らしい。
二卵性の、しかも男女の双子だというのに、髪の長さ以外では区別ができないほどよく似たふたりは、男児がアレン、女児がシェリルという名である。
ふたりとも父親譲りの褐色の髪に、母親譲りの新緑の瞳の、とても非常に大変可愛らしい子どもたちなのだが、それぞれの魔力適性については少々珍しいことになっていた。
アレンが異常なほど高い魔力適性を備えているのに対し、シェリルは一切魔力適性を備えていないのである。まるで、シェリルが備えているべき魔力適性を、そのままそっくりアレンが備えてしまったようだと、両親はよく笑って言っていた。
そのせいなのか、アレンは幼いながらもしっかり者の兄としてシェリルに接しているし、シェリルは非常に甘え上手な末っ子姫となっている。
(そのうちアレンが声変わりをしたら、区別がつくようになるんだろうが……。今はこうして連続トークをされると、どっちが言った言葉なんだか、まるでさっぱりわからんな)
ひとり暮らしといっても、レオナルドはアシュクロフト伯爵家の嫡男だ。
通いの使用人たちが、身の回りのことはすべてしてくれているし、食事の質も本邸のそれとなんら変わらない。
今朝も、突然現れた双子の好物、バニラアイスとフルーツソースの添えられたクレープが、指示するでもなくすぐに出てきた。気の利く使用人たちで、とても嬉しい。
せめて、自分の朝食が終わるまでは素敵なスイーツに夢中になっていてほしかったのだが、どうやらそれは叶わぬ願いだったようだ。
レオナルドは、香り高いパンをちぎりながら、そっと息を吐いた。
(水使い、なあ……)
たしかに双子たちの言う通り、水使いのギル・レノックスの強さは紛れもなく本物だし、その瞳の美しさについては誰もが認めるところである。
だがしかし、だ。
(性格が! キッツいんだよ! 基本的に無表情だし、口を開いても最低限の言葉しか返ってこねェし! そういやこの間の合同任務のとき、『あ、こいつイラついたらちょっと口数増えるのな』ってことに気付いたりしたけども! マジで全然嬉しくねェわ!)
いっそ、水使いではなく氷使いと名乗ったほうが正しいのではないかと思うほど、ギルの同僚――特に、レオナルドやユージィンに対する態度は冷ややかだった。
キャロラインの執務室でのやりとりで、その頑なな態度にも少し軟化の兆しが見えたように感じたのだが、残念なことにどうやらそれは気のせいであったらしい。その直後のルドミラ王国での合同任務以来、ギルのマスターたちに向ける眼差しときたら、ブリザードもかくやという冷たさだ。
合同訓練だけは、毎日時間を合わせて実施しているけれど、それも和やかな雰囲気とはほど遠い。
「まあ……うん。水使いは、強いぞ。対人格闘でも剣術でも、オレやユージィンとほぼ互角にやり合えているからな」
「そうなんですか!?」
「レオ兄さまやユージィン兄さまと同じくらいなんて、とってもすごいです!」
双子たちにとって、マスターであるレオナルドとユージィンは、彼らが知っている人間の中で『一番強い人』という位置づけになっている。
『一番強い人』がふたりいるというのはどうなんだ、と少々首を捻りもする。だが、実際自分たちが手加減抜きでやり合ったなら、周囲にとんでもない被害が出た挙げ句に相打ちという、無意味なうえに迷惑極まりない結果になるだろう。
双子たちが楽しそうにしているのなら、それが正義なのだ。
(実際のとこ、アイツが水の魔術抜きでもあれだけ戦えるってのは、ちょっと意外だったんだよなあ)
レオナルドもユージィンも、対呪詛戦闘においては最高戦力と言われるマスターではあるけれど、風の魔術と炎の魔術というのは、使用に制限が掛かることが多いものだった。
風の魔術であれば、自然風の入らない屋内ではほとんど使用できなくなる。
また炎の魔術は攻撃力が強すぎて、周囲に保護対象の何か――人間や貴重な建造物の存在がある場合、全力で使うことはほぼ不可能だ。
そのためふたりは、自然魔術を使えない状況に陥ったとしても、身体強化魔術と魔導剣だけである程度のことには対処できるよう、日々鍛錬を欠かしていない。
しかし、ギルは水使い。
彼との共闘を経てはじめて知ったが、あれほど汎用性の高い力もないと思う。
ギルの魔力探知圏内の水分を集めれば、それがそのまま膨大な質量を持つ武器にも、彼自身を守る盾にもなってしまう。
それを呪詛にぶつければ、魔導武器の攻撃にも引けを取らないほどの威力で弱体化させられるし、同時に呪詛の穢れも浄化できる。
被呪者に対しては――。
(……いや、うん。やらせておいてなんだけど、アレはさすがにキツかったな……)
先日のルドミラ王国で破却した呪詛は、感染拡大型の『共食い』だった。
その影響を受けてしまった民間人に対し、ギルはレオナルドに指示されるまま、彼の魔力を孕んだ水を大量にぶちまけたのだ。
――絶叫して、悶絶して、のたうちまわる。どうやらおれの魔力を通した水は、呪詛や被呪者にとっては猛毒のようなものらしい。
そう説明した彼の言葉は、正しかった。
誇張でもなんでもなく、ギルの水を受けた人々はみな、耐えがたい苦悶の表情を浮かべて絶叫し、致死性の猛毒を喰らわされたかのように悶絶し、のたうちまわった。
彼らはすでに呪詛に呑まれ、互いの肉体を喰らい合ったあとだったのだろう。
もがき続ける彼らはみな、口元を黒ずんだ血で汚し、肉体のあちこちから血を流していた。
ギルに対し、その様子を地獄絵図だと評したのはレオナルド自身だ。
それでも――。
(アイツのお陰で、被呪者たちはそれ以上共食いなんてしなくて済んだ)
どんな地獄を経験しようと、生きてさえいればいつかは救われる日がくるかもしれない。
たとえ手の届かない夢幻のようなものであったとしても、そんな希望を抱き続けていなければ、今まで戦い続けることなんてできなかった。
だから、レオナルドはギルに望んだ。
自分たちと同じように、信じてほしかった。
人が生きているのは、それだけで尊いことなのだと。命というのはたとえどんな状況であっても、最優先に守られねばならないものなのだと。
同じマスターとして戦う以上、そう、覚悟を決めてほしかったのだ。
けれど彼は、拒絶した。
彼が操る水の力は、人々に生き地獄を与えるものでしかないのだ、と。
まるで絶望しか知らないような目をして、言っていた。
(……なんでだよ。バカ野郎)
水使いの力は元来、呪詛によって穢れた土地を浄化するために使われてきたものだ。
実際、ギルの操る水が、呪詛の影響を受けた街全体を洗い流したためだろう。ルドミラ王国の復興作業は非常に順調で、人々が呪詛の残滓に悩まされることもないと聞く。
その事実は、たしかに希望と言えるものであるはずなのに。
なぜ彼は頑なに、自分自身の価値を認めようとしないのか。
わからない。
そして、腹立たしい。
呪詛を破却するため、全身の力を振り絞るような戦いをしていた彼が、なぜその先に一切の希望を見ようとしないのか。
誇ればいいだろう。
現在、この大陸に十人といないマスターのひとりであることを。
その力を自在に操り、恐ろしい呪詛を破却できる存在であることを。
彼の行動は、目の前の凄惨な結果はどうであれ、それよりも遙かに多くの人々を救うものであったのだ、と。
なのにギルは、いっそ卑屈なほどに自分の力を認めていない。
……本当に、腹が立つ。
(ウチの可愛い可愛いアレンとシェリルに、『この国の水使いさまは、何考えてんのかさっぱりわからんうえに、おまえたちの兄貴を氷のような眼差しで見てくるんだぜー』なんて、言えるわけがねェだろうが!)
ついでに、ものすごく個人的な恨み節を抱いてしまったりもしているが、これは可愛らしすぎる弟妹を持った兄の、当然の権利なのである。
「ところで、レオ兄さま! わたくし、寝袋がほしいのです!」
「……なんて?」
可愛い妹の可愛いおねだり――ではなく、ちょっと想定外のおねだりに、レオナルドは首を傾げた。
そんな彼に、シェリルはふんす、と胸を張った。
「恐ろしい呪詛がいつどこで発生するのかわからない以上、防災にはどれほど念を入れても入れすぎということはありませんもの。万が一、我が家が破壊されてしまったときに備えて、屋外でも心地よく眠れるという寝袋を用意しておきたいのですわ!」
「……いや、ウチの本邸はオレが常に風の結界で守ってるから、呪詛が入り込んでくる可能性はほぼゼロだぞ?」
これは、風使いの特権というものだ。
ちなみに、レオの知る限り最も呪詛に対する守りが堅牢なのは、土使いの令嬢が住まう屋敷である。彼女の魔力を受けて育った植物たちが、とんでもなくえげつないトラップと化して、ありとあらゆる悪意の侵入を阻止しているらしい。ちょっと、一度見てみたい。
ユージィンの炎による結界は、住宅街で常時展開するのは危険すぎるため、検討する以前に諦めたと聞いている。よかった。
そんなことを考えつつ、レオナルドは妹に向き直る。
「その心構えは、立派だと思うけどなあ。今後、おまえが寝袋で地面で寝るような事態になるってのは、さすがにちょっと考えにくいぞ」
「……レオ兄さま」
シェリルが、両手の指を組んでにっこりとほほえんだ。
「お願いします。素敵な寝袋を、わたくしに買ってくださいな」
「わかった。外出の準備をしてくるから、ちょっと待ってろ」
そのときアレンが、「うちの長男がチョロすぎる」という目をしていたことには、とりあえず気がつかなかったことにした。
シェリルのおねだりがなくとも、今日はこれから双子をどこかへ遊びに連れていってやるつもりだったのだ。結果が同じである以上、何も気にすることはないはずだったのだが――。
「……なんで、寝袋?」
ほんの小一時間ほど前に妹に対して抱いた疑問を、先日同僚になったばかりの水使いに向けることになるとは、想定外にもほどがある。
サバイバル関連用品の店で、ちょうど安売りされていた高性能の寝袋を抱えていたのは、なんの飾り気もない黒の上下を着たギルだった。
その鮮やかな青の瞳も、額から左の頬へ刻まれた呪詛の爪痕も頓着なく晒したままだ。彼に関する基礎情報は、すでに国中に周知されている。彼の正確な容姿を記録した静止画や動画がいまだ外部に公表されていないとはいえ、この無防備な状態で人々から取り囲まれていないのが不思議なくらいだ。
双子の弟妹に両腕を確保されたまま、思わず口にした問いかけに振り返ったギルは、軽く首を傾げたあと「ああ」と声を零した。
「レオナルドか」
「おい」
レオナルドは、プライベートで外出する際には、必ず髪の色を元の褐色に変える腕輪型の魔導具を装備している。
それだけでかなり印象が変わるのはたしかだろうが、まだ数日の付き合いとはいえ毎日顔を合わせている同僚を、なぜ一目で認識できないのか。
憮然としたレオナルドを無視し、ギルは寝袋を抱えたままアレンとシェリルに視線を向けた。
その途端、兄の左手を握っていたシェリルが、ぴょんと跳ねる。
いったいどうした、と思って見下ろすと、妹の小さな顔が真っ赤に染まっていた。大きな目は熱っぽく潤んでいるし、左手を握ってくる細い指にぎゅっと強い力がこもる。
「どうした? シェリル。気分が――」
悪いのか、と問いかけるより先に、シェリルがひどく混乱したような上擦った声で口を開いた。
「おおおお兄さま!? こちらの素敵な殿方はどなたですの!? レオ兄さまの、お知り合いの方ですか!?」
(……は?)
今まで見たことがない妹の様子に驚いたレオナルドが固まっていると、両手で頬を押さえたシェリルがギルをひたと見つめて言う。
「あのあのあの、はじめまして! わたくし、シェリル・アシュクロフトと申します!」
「……はじめまして。ギル・レノックスです」
勢いに押されたように挨拶を返したギルに、シェリルが大きく目を見開く。
「ア……っ」
おそらく、「水使いさまですか!?」と絶叫しかけたであろう妹の口を、いつの間にか彼女のそばに移動していたアレンが黙って塞いだ。
そのままギルを見上げた弟は、ひどく複雑な表情を浮かべてぺこりと頭を下げる。
「妹がお騒せしてしまい、申し訳ありません。ぼくは、アレン・アシュクロフトと申します。えぇと……兄の、同僚の方、でいらっしゃいますか?」
幼いなりに懸命に考えたのであろう無難な問いかけに、ギルは困惑したように瞬きをしたあと頷いた。
その顔に、柔らかな微笑が浮かぶ。
レオナルドは、硬直した。
(………………は?)
「はい。きみたちのお兄さんと、同じところで働いています」
穏やかな、優しい声だった。
いつもとはまるで別人のような笑顔と声に、レオナルドは唖然として立ち尽くす。
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きぬがやあきら
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