白銀の風使いと呪詛の爪痕

灯乃

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服従の理由

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裏返しリバース』のエサイアスと名乗るヒトガタの呪詛と接敵した、翌日の朝。
 レオナルドは若干の緊張をもって、ユージィンとともに呪詛対策機関の司令官執務室を訪れていた。
 彼らを呼び出した、相変わらず年齢不詳の迫力美女――ここのトップであるキャロラインが、難しい顔をして執務机についている。
 ふたりに対し、椅子に腰掛けるよう促した彼女は、軽く書類を整えながら口を開いた。

「ユージィン。レオナルド。今日はギルの状況に関することで、きみたちに意見を聞きたいと思って来てもらった。その前に、いろいろと説明しておきたいことがあるのだが――」

 一度手元の書類に視線を落としたキャロラインが、軽く眉根を寄せる。

「ギルの経歴について、我々のほうで調べを進めていたことは知っているな。その結果、レノックス伯爵家から提示された彼の過去について、一切裏付けを取ることができなかった」

 え、と目を瞠ったふたりに、キャロラインは皮肉げに口元を歪めて言った。

「書類だけは、それはもう完璧に作り上げられているのだがな。彼が過ごしていたという孤児院、在籍していたという自警団で、ギルについて『黒髪に青い瞳の、今年十八歳になる男性』という以上のことを語れる人間は、誰ひとりいなかったそうだ」

 レオナルドは、ぐっと膝の上で両手を握りしめる。
 ――昨日、そんな可能性に思い至っていたとはいえ、実際に目の前に突きつけられると、その裏に隠されているだろう現実の重さに、息が詰まった。
 ユージィンが、低く抑えた声でキャロラインに言う。

「呪詛の爪痕が見えていようがなかろうが、あんな目立つ容姿のやつが、誰の記憶にも残っていないなんてありえない。何より、アイツの対呪詛戦闘における反応速度は、俺たちと同等……もしかしたら、それ以上です。相当の実戦経験がなければ、できることじゃない」
「ああ。私も、そう思う。そこで、きみたちに聞きたい。――きみたちマスターは、どんな理由があれば、おぞましい呪詛と戦う人生を強要する人物に、唯々諾々と従い続けるだろうか?」

 その問いかけに、レオナルドは思わず目を瞠る。
 キャロラインは、重ねて言った。

「きみたちの……マスターたちの能力というのは、忌憚ない言い方をしてしまえば、呪詛以上の化け物のそれだ。きみたちがその気になれば、街のひとつやふたつ、あっという間に灰燼に帰すことができるだろう」
(あ、ひでェ)

 さすがに化け物呼ばわりは言葉が過ぎないだろうか、とも思うけれど、自分たちには実際にそれが可能だと知っているので、おとなしく半目になっておくだけにする。
 レオナルドの、どんなものでも切り裂く風も。ユージィンの、すべてを焼き尽くす炎も。クローディアのあらゆる願いに応じる植物も。そして、ギルの意のままに従う水も。
 どれかひとつだけでも、人々にとってはとてつもない脅威になり得るだろう。

「ユージィン。レオナルド。きみたちは迷うことなく自分の意思で、その力を人々のために使う道を選んでくれた。本当に、感謝している。だがその選択は、きみたちが貴族の生まれであるからこそだ。きみたちは――我々は、生まれたときから民を守り助けることを、己の矜持とすべく叩きこまれてきた」

 だが、とキャロラインの声が低くなる。

「ギルは、違う。彼は本来、守られる側の子どもだったはずなんだ。もちろん、ご両親の死を契機に、彼が自ら戦う道を選んだ可能性もあるだろう。しかし、ここ数カ月の彼の様子を見ていると、とてもそうは思えない。もし彼が、ご両親の復讐のために戦う力を求めたのであれば、ここに配属されたときから、目的の呪詛に関する情報を貪欲に集めていたはずだ」

『仕事だから』、『任務だから』。
 ギルが呪詛と戦うとき、いつも口にしていた言葉。
 そこにはなんの熱も個人的な感情もなく、ただひたすらに己に課された責務として、彼は戦場に立っていた。

「ギルはレオナルドに、レノックス伯爵からの養子縁組の要請を断れなかった、と言ったそうだな。そして彼は、レノックス伯爵家の名に恥じない働きをするよう、命じられていた。年若く世間を知らないうちは、周囲の意向に黙って従うしかないのかもしれん、とも思ったが……」

 ――おれが命じられているのは、レノックス伯爵家の名に恥じない働きをすることだけです。

 思い出す。
 ちょうどこの執務室で、ギルはたしかにそう言っていた。
 キャロラインが、困ったように眉を下げる。

「ギルはおそらく、レノックス伯爵が水使いアクアマスターである彼をいいように利用している事実を理解したうえで、それを受け入れている。そして、彼が抱いている貴族への忌避感からして、その事実を嫌悪してもいるのだろう」

 ――自分以外のマスター及び護衛魔導兵士ガーディアンは、全員貴族だと聞いています。自分との馴れ合いは不要です。
 ――貴族は、平民には謝らないものだと思っていた。
 ――身寄りのない孤児が、領主の要請に抗えると思うのか?

 ギルが『貴族』について語るとき、必ず透けて見えていた嫌悪感。

 ――苦労知らずのお貴族さまは、言うことが違うな。
 ――少し、残念だ。レオナルド。
 ――おれは今までおまえのことを、簡単に他人に暴力を振るうような貴族連中とは、違うやつだと思っていた。

 何があろうと決して自らの非を認めることなく、傲慢で苦労知らずで、簡単に他人に対して暴力を振るう。
 ギルにとって、『貴族』とはそういう存在なのだ。

「きみたちの上官である私が言うのもなんだが……。きみたちマスターの社会的価値は、王族のそれに匹敵する。多少、王宮での発言権を持っていようと、伯爵家の人間如きがいいようにしていい存在ではない」

 その通りだ。
 現在の大陸において、マスター以上に人々からの支持を得ている者などいない。
 だからこそ、この国の貴族として生まれた自分たちは、王家との対立構造など絶対に作らないよう、常に自身を律するよう心がけている。

 なのに、レノックス伯爵のやりようは、まるでその逆だ。
 彼は水使いアクアマスターの養父であるという事実を振りかざし、すでに第二王子が立太子しているにも関わらず、穏健派揃いだった第一王子の派閥に与し、王宮内でよけいな騒ぎを起こそうとしている。
 きつく眉根を寄せたレオナルドとユージィンに、キャロラインが重ねて問うた。

「だからこそ、彼と同じマスターであるきみたちに問いたい。……少し、言い方を変えるか。きみたちは、どんなふうに脅迫されていれば、自分の心を押し殺してでも、気に入らない相手に黙って従おうとする?」

 ゆっくりと言葉を切りながらの問いかけに、レオナルドは両手の指を握りしめる。
 少しの間のあと、ユージィンが口を開いた。

「……そう、ですね。俺なら、家族の安全を盾に脅されたなら、たとえどんな相手であろうと、黙って従うしかないと思います」
「オレも、です。ただ……ギルは、天涯孤独の孤児でしょう。アイツには、当てはまらない」

 そうだな、とキャロラインが頷く。

「ギルのご家族は、件の呪詛に食い殺されている。普通に考えるなら、親しい友人の安全を盾にされている、という可能性が高いだろうが……。残念ながら、今のところそういった人物の存在は確認できていない」

 ユージィンが、へにょりと眉を下げる。

「あー……。アイツ、友達いなそうだもんなあ」
「まったくもって同意だが、そうなるとアイツがレノックス伯爵家の言いなりになっている理由が、さっぱりわからんって話になるぞ」

 ぼそぼそと言い合うふたりを見て、キャロラインが苛立たしげに指先で机を叩いた。

「おまえたち、ふざけている場合か。我々がギル本人に事情を確認できずにいるのは、どう控えめに表現しても、彼が我々のことを全然、まったく、これっぽっちも信頼してくれていないからなんだぞ」
「……司令。自分で言ってて、悲しくなりませんか?」

 思わずツッコんだレオナルドに、ユージィンが半目になってぼやく。

「レオ。こう言っちゃなんだが、俺たちだっていまだにギルから、仲間だとも思われてねーんだぞ?」
「あー……。こっちが仲間だと思ってるっつったら、頭オカシイとまで言われたもんな……」

 なんだか、虚しくなってきた。
 いっそのこと、ギルのことをただの同僚と割り切って、彼がどんな辛い状況にあろうと見ないふりをできれば、どんなに楽だろう。
 実際、彼自身がこちらからの関与を拒絶している以上、そうすればきっとお互い、表面上は平和な時間を過ごせるはずだ。

 けれど、どうにも放っておけない。
 常に無表情を崩さないギルが、ほんの時折見せる、妙に幼い驚き方。何より、彼がコンラッドとはじめて会ったときの、まるで怯えきった子どものような姿が、幼い弟妹の姿に重なってしまえば、もう見捨てることなどできるわけがない。

(……あ、れ?)

 違和感。唐突な――そして、強烈な。
 今、自分は何を考えただろうか。
 ギルの、滅多に感情を映さない青い瞳。
 無邪気に自分を慕う、弟妹たち。

 似ているところなど欠片もない彼らの姿を、なぜ自分は重ね合わせたのか。
 いくらギルが、自分より一歳年下の青年とは思えないほど、細身で華奢な体つきをしているからといって――。

「……ッ!」

 突然、音を立てて立ち上がったレオナルドを、キャロラインとユージィンが驚いた顔で見上げてくる。
 まさか、と思う。
 空転しかける思考を、懸命に巡らせる。
 ギルに爪痕を刻んだエサイアスは、彼とはじめて出会ったとき、『とても小さかった』と言っていた。

 通常、マスターたちがその能力に覚醒するのは、早ければ十二歳から、その多くが十五歳のとき。
 今までの歴史の中で、十六歳以上で――十八歳でその力に目覚めたのは、ギルだけだ。
 けれど。
 レノックス伯爵家から提示された情報が、すべて偽りだというのなら。

「……司令。ギルは……本当に、十八歳なのか?」

 震える声での問いかけに、キャロラインが虚を突かれた顔になる。
 そして、彼女もまたその可能性に思い至ったのだろう。
 瞬時に蒼白になったキャロラインが、震える指先で額に触れる。
 そんな彼女に、レオナルドは告げた。

「三年くらい前から、レノックス伯爵領で呪詛の討伐数が激増してるよな。たぶん、ギルはその頃から、対呪詛戦闘に投入されていたんだと思う。……両親を亡くして、レノックス伯爵家で戦闘訓練を施されて。アイツの格闘センスなら、一年もあれば……たとえガキでも、かなり戦えるように、なっていたんじゃないか」

 敬語を使うことも忘れ、もし、と言う自分の声が、ひどく掠れている。

「もし――今のギルが、十四、五歳なんだとしたら。アイツの両親が殺されたのが、ギルが十歳か十一歳くらいのときだったとしたら。エサイアスが、爪痕を刻んだときのアイツを、『とても小さかった』と言っていたこととも……矛盾しないと、思う」

 もし、ギルが水使いアクアマスターとして覚醒したのが、歴代のマスターたちと同様の、十五歳より前のことなのだとしたら。
 今の彼は、成人年齢に遠く及ばない子どもだということだ。
 ――沈黙が、落ちた。
 非常に重苦しいそれを、ややあってキャロラインの押し殺した声が破る。

「……レオナルド。ユージィン。今、レオナルドが口にした推察については、私の許可があるまで一切外部に漏らすな。至急、レノックス伯爵領における呪詛討伐に関する、すべての情報を洗い直す」

 こんなにも怒りを孕んだ彼女の声を、レオナルドは今まで聞いたことがなかった。

「結果次第では、ギル本人にも事情を聞くことになる。それまで、決して彼に悟られるな。この件について事実確認ができるまで、ギルは一切対呪詛戦闘に参加させない」

 了解、と答えたふたりに向けて語るでもなく、彼女は言う。

「レノックス伯爵め……。私が今まで、どれほど過酷な任務を彼に命じたと思っている。……ああ、連中には、どんな地獄を見せてやったものか。子どもを食いものにする外道どもに、生きている価値などないものな」

 瞬きもせずにぶつぶつとそんなことを呟き続けるキャロラインが、怖い。
 そんな彼女に向けて、恐る恐る挙手したユージィンが口を開く。

「あの……司令。あとで、なんで黙っていたんだってキレられるほうが怖いんで、今のうちに言っておきますけど。――ギルのやつ、十四歳の頃から、セクハラ被害を受けてます。あと、訓練とは関係のない虐待も、です」
(……うわぁ)

 そのときレオナルドは、ユージィンのことを心の底から尊敬した。
 よくもまあ、今のブチギレモードのキャロラインに対し、火に油を注ぐようなことを言えたものだ。
 案の定、額に青筋を立てた彼女が、地の底から響くような声で口を開いた。

「ほう……? それは、また。……ふむ。なるほど、なるほど」

 キャロラインの周囲で、ぶわりと熱量が上がる。
 炎使いフレイムマスターであるユージィンほどではないが、彼女もまた炎の自然魔力に高い適性を備えている。しかし、呪詛対策機関のトップという地位にあるキャロラインが、こんなふうに魔力の制御を揺るがせたところを、レオナルドははじめて見た。
 それはすぐに落ち着いたけれど、よほど腹に据えかねているのだろう。
 深々と息を吐いたキャロラインが、据わりきった目つきでふたりを見る。

「朝から時間を取らせて、すまなかったな。きみたちは、待機任務に戻りたまえ」

 ユージィンともども、即座にその命令に従ったレオナルドは、キャロラインの執務室を出るなりその場にしゃがみこみたくなった。

「自分で言っておいて、なんだけどよ。アイツがマジで十四、五歳だったら、オレはルイスと同い年くらいのガキを、護衛もなしで戦場に連れ回してたってことなんだよな……」

 レオナルドの四歳年下の弟であるルイスは、今年十五歳になったばかりだが、とても穏やかで温和な気質の少年である。幼い頃から読書や植物の世話を好んでおり、いつも彼の周囲だけ時間が緩やかに流れているように見えた。
 末の双子の弟妹たちも、風使いウィンドマスターとして日々訓練に明け暮れているレオナルドより、子どもたちの喜ぶ知識が豊富で、ともに過ごす時間の多いルイスによく懐いている。

(ありえねェ……。つうか、アレンやシェリルと手を繋いで、にこにこ笑いながら植物の豆知識を教えてる完全癒し系のルイスと、グロテスクな戦場で、無表情に呪詛の核を叩き切ってる歴戦の兵士のギルが、同い年の子どもかもしれないなんて、考えたくねェ……)

 どんよりと肩を落としているレオナルドに、死んだ魚のような目をしたユージィンが言う。

「俺なんか、トリスタンより年下かもしれないガキを、手加減抜きでぶん殴りにいったんだぞ? アイツが寄宿学校で阿呆なことをやらかしまくったときだって、そんなことしたことねーってのに……」
「あー……」

 ユージィンの末の弟トリスタンは今年十六歳になるが、とんでもなくやんちゃで無鉄砲な少年なのだ。
 幼い頃から可愛い末っ子として甘やかされていたせいか、天真爛漫――といえば聞こえはいいけれど、考えなしに思いつくまま行動するところがある。
 たとえば昨年の夏に、彼が寄宿学校の寮から、友人たちとコッソリ夜釣りに出かけたまでは、若気の至りで許されたかもしれない。

 しかし、調子に乗って魚を釣りまくったはいいものの、その釣果の処理までは考えていなかったのだろう。「一日くらい、部屋に隠しておいても大丈夫!」と、放置した結果――彼らの寮部屋は、しばらくの間とんでもない腐敗臭に悩まされることになったらしい。
 ……真夏に生魚を冷房の入っていない室内に放置して、なぜ大丈夫だと思ったのか。

 ユージィンの両親は、こっぴどくトリスタンを叱り飛ばしたそうだが、たまに顔を合わせる彼は、いつも飄々と楽しそうに過ごしている。
 そんなふうに人生を自由に謳歌している末弟と、ろくに笑うこともなく鍛錬と実戦ばかりの日々を過ごしているギルの違いに、ユージィンは本当に頭が痛くなってきたらしい。

「……うん。とりあえず、レノックス伯爵家の調査結果次第では、全力でギルのフォローをさせてもらうわ」

 遠いところを見ながら呟いたユージィンに、レオナルドも深々とため息を吐いて言う。

「マスター特権、使いまくるかぁ……」

 普段は忘れているようなものではあるが、マスターには万が一にも国外への移住などされないよう、国からさまざまな特権が与えられている。
 王室との軋轢や、民衆からの反感を避けるために、一生それらを使うことなどないと思っていたけれど、さすがにこの状況だ。多少の無茶は、覚悟しておくべきだろう。
 レオナルドは、ふと開け放たれたままだった窓の外を見る。
 夏の終わりのぬるい風が、湿ったにおいを運んできた。

(嵐が、来るかもしれないな……)

 あまりにも、胸が塞ぐようなことばかりを考えていたからだろうか。
 なんだか、いやな予感がした。
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