追放された最強令嬢は、新たな人生を自由に生きる

灯乃

文字の大きさ
54 / 60
第四章

嵐のようなご婦人

しおりを挟む
 新学期がはじまって、最初の休息日を明日に控えた夕刻のこと。
 現在の拠点としている、ブリュンヒルデから譲り受けた屋敷に戻ったアレクシアは――。

「お帰りなさいませ、アレクシアさま」
「……おまえは、誰だ? うちの連中に、何をした?」

 玄関ホールを開いた途端、ウィルフレッドともども困惑してしまった。
 なぜなら、ごくありふれた平民階級の中年女性にしか見えない人物の周囲に、スウィングラー辺境伯家の本邸から連れてきた執事にメイド頭、そして従僕たちが、揃って汗だくになって転がっているのである。
 同じく汗だくになりながらもどうにか立っているのは、元は諜報部の若手エースだったという青年だけだ。
 レオという名の彼が、ぜいぜいと肩で息をしながらアレクシアを見る。

「あ……。お帰りなさいませ、アレクシアさま。……こちら、ブリュンヒルデさまのご紹介でいらした、ヒラリー・アボット夫人、です」
「ブリュンヒルデさまの?」

 アレクシアは、驚いた。
 たしかに、先日妊娠が発覚して祖国に帰った実母のブリュンヒルデは、アレクシアのために優秀な部下を派遣すると言っていたと思う。
 しかし、彼女と別れの挨拶をしてから、まだ十日も経っていないのだ。
 件の部下がこれほど早くやってくるとは、さすがに想定外である。
 困惑しつつ女性に目を向けると、彼女はコロコロと楽しげに笑って言った。

「はい。どうぞ、ヒラリーと呼んでくださいな。ああ、そうですわ。アレクシアさまは、こちらの玄関ホールを屋内訓練施設としてお使いになっているということでしたので、さっそく私も参加させていただきましたの」

 おっとりと穏やかに語ったヒラリーが、軽く頬に手を当てて床に転がっている者たちを見回す。

「みなさま、お若いのに随分腕が立ちますのねえ。本当に、驚きました。特にそちらの……レオさん、でよろしかったかしら? 彼など、こうして最後まで立っていらして。アレクシアさまのおそばに、これほど若手の腕利きが揃っていることをお知らせしたら、我が主もきっとご安心くださいますわ」

 部下たちの状態をざっと目で確認したアレクシアは、ヒラリーに問うた。

「……失礼、ヒラリーどの。ひょっとしてあなたは、こちらに到着そうそう、屋敷の者たちをご指導くださったのだろうか?」

 まあ、とヒラリーが楽しげに笑う。

「指導だなんて、滅相もございませんわ。ただ、少しばかり……ねえ? 我が主の大切なご息女であるアレクシアさまのおそばに、どれほどの力量を持つ方々がお仕えしていらっしゃるのか、気になってしまっただけですのよ」

 まるで他愛ない世間話のようにそう言って、スカートの裾を軽く摘まんだ彼女はアレクシアに一礼した。

「それでは、アレクシアさま。こうしてご挨拶もさせていただいたことですし、私はこれからブラジェナ王国に行ってまいります」

 瞬間、ウィルフレッドのまとう空気がひりついた。
 屋敷の者たちに、彼の素性はいまだ共有していない。
 困惑した様子のレオたちをちらりと見たヒラリーは、アレクシアに視線を戻すと、どこまでもにこやかに続けた。

「夫と子どもたちは、すでにあちらへ向かっておりますの。今年の夏は、いろいろと忙しかったものですから……。ようやく、夫婦揃ってまとまった休みを取ることができました」

 ブラジェナ王国は、さまざまな観光名所を抱える観光立国としても有名な国だ。
 季節を問わず、大陸中から数多くの観光客が訪れる。
 だが今、ランヒルド王国の南東方面の国境はどこも緊張状態にあるため、東方のブラジェナ王国へ赴くとなるとかなり面倒なルートを選ぶ必要があるはずだ。
 そんな苦労を微塵も感じさせないヒラリーの様子を見るに、彼女とその『家族』はきっとそういった任務にも長けているのだろう。

 ――ブリュンヒルデが、自身の誇る優秀な部下であるヒラリーたちに、ブラジェナ行きを命じた。
 それはきっと、彼女がその必要があると判断したからだ。ならば、こちらから言うべきことは何もない。
 元々、七カ国連合からの宣戦布告がなければ、いずれウィルフレッドとともにブラジェナ王国を訪れてみようと思っていたのだ。ブリュンヒルデの信頼する部下が、自分たちの代わりに行ってくれるのであれば、願ってもない話である。
 なるほど、とアレクシアは頷いた。

「あちらは、この国よりもかなり暑さが厳しいと聞いている。夏の盛りを避けられて、かえってよかったのではないか?」
「ええ、本当に。それでは、アレクシアさま。失礼いたします」

 さらりと辞去の挨拶をしたヒラリーは、玄関先に置いてあった小さな旅行鞄を手に取ると、そのままのんびりとした足取りで出ていった。
 その背中を見送ったアレクシアは、ぼそりと呟く。

「本当に、どこからどう見ても、一般的な平民のご婦人としか思えんな……。ブリュンヒルデさまがおっしゃっていた通り、とんでもなく優秀な御仁のようだ」

 誰に向けたわけでもないその言葉に、真っ先に反応したのは、それまで床にへたり込んでいた執事のクライドだ。

「……アレクシアさま。ご帰宅早々、このような醜態を晒して申し訳ございません。ですが――」

 滅多なことでは動揺を見せることがないはずの執事が、まるで恐ろしいものを見るような目を、ヒラリーが去っていった方向に向ける。

「あの、アボット夫人という方は……。忌憚のない言い方をしてよろしければ、得体の知れない化け物です」
「ほほう?」

 クライドは、スウィングラー辺境伯家の本邸で優秀な執事補として働いていた青年だ。それなりの戦闘訓練は受けているし、新兵の若者程度であればまず問題なく制圧できる。
 その彼の口から『化け物』などという言葉が出てくるとは、ヒラリーはいったい彼らに何をしたのだろうか。
 好奇心を刺激されたアレクシアに、袖で乱暴に額の汗を拭ったレオが言う。

「いや、本当に意味がわからなかったですよ。あんなごく普通のご婦人のようなお姿で、にこにこ笑って立っているだけのように見えるのに、どれだけ俺たちが向かっていってもいつの間にか床に転がされているんです」
「ふむ。さすがは、ブリュンヒルデさまご自慢の部下といったところか。あと少し早く戻ってこられなかったのは、非常に残念ではあるが……。まあ、いずれまたご挨拶することもあるだろう」

 平民のご婦人の姿をした嵐は、決してアレクシアの元には留まらない。
 ヒラリーが主と定めた相手は、あくまでもブリュンヒルデだ。いつか必ず、彼女は敬愛する主の元へ帰っていく。
 まだまだ未熟な今のアレクシアにできるのは、経験豊かな大人たちの厚意に、素直に甘えておくことだけだ。
 さっさと意識を切り替えたアレクシアは、ウィルフレッドを見上げて言った。

「ウィル。おまえは、おまえにできることをすればいい。今日は、セフィードとベネディクトもこちらに来るのだからな。わたしがベネディクトの魔力制御訓練をしている間、おまえはセフィードの様子をよく見ておいてくれ」

 何しろセフィードは、これまでまるで無縁だった『貴族のお坊ちゃまとその従者たち』がひしめく聖ゴルトベルガー学園に、閉じこめられていたようなものなのだ。
 いくら彼が図太い性格をしていても、まるでストレスを感じないということはありえない。
 ひとつ深呼吸をしたウィルフレッドが、いつも通りの穏やかな声で応じる。

「了解いたしました、アレクシアさま。それでは、セフィードの魔導剣ソード使用許可をいただけますか?」
「ああ、構わんぞ」

 セフィードのために特注した魔導剣はまだ納品されていないけれど、訓練用のものであればそれこそブリュンヒルデが置いていってくれたものが山ほどある。
 ……ストレス解消のために危険な武器を振り回すというのは、青少年の健全な育成という点では、正直どうかと思う。しかし、セフィード本人が現在もっとも興味を持っているのが、ウィルフレッドの剣技なのだ。

 細かいことにはひとまず目を瞑っておくことにして、アレクシアはいまだ床にへたりこんだままのメイド頭を助け起こした。クライドの妻でもある彼女――キャロルは、ヒラリーに言いように転がされ続けたのが、よほど悔しかったのだろうか。
 アレクシアに礼を言って立ち上がったあと、据わりきった目つきで「打倒、アボット夫人です……!」とぶつぶつ呟いていたのが、ちょっと怖かった。
しおりを挟む
感想 146

あなたにおすすめの小説

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』

放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。 「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」 身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。 冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。 「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」 得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。 これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。

婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています

由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、 悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。 王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。 だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、 冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。 再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。 広場で語られる真実。 そして、無自覚に人を惹きつけてしまう リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。 これは、 悪役令嬢として断罪された少女が、 「誰かの物語の脇役」ではなく、 自分自身の人生を取り戻す物語。 過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、 彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。

【完結】「神様、辞めました〜竜神の愛し子に冤罪を着せ投獄するような人間なんてもう知らない」

まほりろ
恋愛
王太子アビー・シュトースと聖女カーラ・ノルデン公爵令嬢の結婚式当日。二人が教会での誓いの儀式を終え、教会の扉を開け外に一歩踏み出したとき、国中の壁や窓に不吉な文字が浮かび上がった。 【本日付けで神を辞めることにした】 フラワーシャワーを巻き王太子と王太子妃の結婚を祝おうとしていた参列者は、突然現れた文字に驚きを隠せず固まっている。 国境に壁を築きモンスターの侵入を防ぎ、結界を張り国内にいるモンスターは弱体化させ、雨を降らせ大地を潤し、土地を豊かにし豊作をもたらし、人間の体を強化し、生活が便利になるように魔法の力を授けた、竜神ウィルペアトが消えた。 人々は三カ月前に冤罪を着せ、|罵詈雑言《ばりぞうごん》を浴びせ、石を投げつけ投獄した少女が、本物の【竜の愛し子】だと分かり|戦慄《せんりつ》した。 「Copyright(C)2021-九頭竜坂まほろん」 アルファポリスに先行投稿しています。 表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 2021/12/13、HOTランキング3位、12/14総合ランキング4位、恋愛3位に入りました! ありがとうございます!

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。