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第一章 旅の途中
前触れ①
村を囲む山の樹々が朱や黄色に色付き、今年も豊穣の季節がやってきたことを実感する。
心地よい朝の風に吹かれながら、ヤンは干草の上に寝転んでいた。目の前では昨夜連れ帰った食肉用のギニアが、自分の命が明日までのものとも知らずに呑気に眠りこけている。
昨夜、無事に村に戻ったヤンとラウルは、その足で村長の家に挨拶に出向き、例年通り仕入れたギニアを引き渡した。仕入れたギニアは、祭りの当日まで村の農家に世話を任せることになっているからだ。
道中で出会った青年――ゼノのことを紹介すると、久しぶりの来客に村長は大喜びした。せっかくだから祭りの夜まで滞在してもらおうなどと浮かれて騒ぐものだから、近所の大人達がやってきて、ゼノの存在は一夜にして村中に知れ渡ってしまった。
ヤンとラウルは、ゼノが野盗に襲われていたことに関して、村の皆には伝えなかった。皆に余計な心配をかけたくなかったというのも嘘ではないけれど、それよりも、厄介ごとを村に持ち込んだと非難されることを恐れた為だ。
ゼノの話が本当なら、野盗のせいで村に問題が起こることはおそらくないが、いかんせん村の人々は自分らに害が及ぶことを極端に嫌う。
祭りの日が近いのに、わざわざ彼らを不安にさせる必要はない。
(そういえば、ゼノの姿を見てないな……)
ふと思い立ち、ヤンが干草の上で身を起こしたときだった。
視界を遮るギニアの向こうから、聞き慣れた若い女の声がした。何度もヤンの名前を呼んでいるあたり、どうやらヤンを捜しているようだ。
「よう、レナ!」
ヤンは立ち上がり、声の主である少女――レナに声をかけた。
栗色の長い髪に翠色の瞳の細身で小柄な少女は、ヤンの姿を目にすると、つかつかと早足で歩み寄ってきた。
「おはよう、ヤン。起きてるなら少しは祭りの準備を手伝ったらどうなの?」
腰に手を当ててヤンを見上げ、レナが目を細める。毎朝ギニアの搾乳をするのがレナの日課だが、片手に提げた木製のバケツにはまだ何も入っていなかった。
「なんだよ、寝坊でもしたのか?」
目を丸くしてヤンが尋ねると、レナは大きく溜息をつき、ヤンをジロリと睨みつけた。
「あなたが連れて来たお客様のお世話を仰せつかったものですから!」
つっけんどんに返されて、ヤンは気まずい思いで視線を泳がせた。
レナはヤンの幼馴染だ。村の農家のひとり娘で、ギニアの乳やそれで作ったチーズを売って暮らしている。
祭りの際に食肉用のギニアを仕入れるのがヤンの家に与えられた仕事であるように、仕入れたギニアを祭りの夜まで管理するのがレナの家の仕事だ。そのため、昨夜、仕入れたギニアの話をしにレナの家を訪れたついでに、同行していたゼノを紹介した。ヤンは紹介だけのつもりだったが、家に女手がないことを理由に、図々しくもラウルがレナにゼノの世話を頼み込んだ、もとい、押し付けたのだった。
さすがに申し訳ないと思っていたこともあり、ヤンは今朝早くからレナの家に来ていたものの、なんとなく頭を下げる気にもなれず、結局、今までギニアと寝転んでいた。
「そ、そういえば、ゼノはどこに行ったんだ?」
話を逸らそうとヤンが問いかけると、レナは訝しげに首を傾げて答えた。
「ヤンのところに行ったんじゃなかったの?」
レナの返事にヤンは唖然とした。
ゼノが朝からひとりで出掛けたことが意外だったのだ。
昨日の様子から、彼はそれほど行動力のあるタイプには見えなかった。昨夜この村に来たばかりなのだから、普通なら多少なりとも知った仲のヤンを頼るか、世話を任されたレナの傍についていそうなものなのに。
祭りを前に、村全体が浮き足立っている時期だ。彼も子供ではなく、ひとり旅をしているくらいなのだから、珍しいものでも発見してフラフラと出かけたのかもしれない。日暮れまでに帰ってこないようであれば探しに行けばいい。そう考えて、ヤンは再び干草の上に腰を下ろした。
座り込んだヤンを見て首を傾げると、レナは溜息に似た息を洩らした。それ以上は何も言わず、近くに寄ってきていたギニアに優しく声をかけ、てきぱきと乳を搾り始めた。
しばらくのあいだ、レナの後ろ姿をぼーっと眺めていたヤンは、やがて、忙しなく手を動かし続けるレナに向かって気怠げに声を掛けた。
「なぁ、今年も精霊の舞やるのか?」
「やるわよ。ちゃんと練習もしてるんだから」
振り返りもせず、レナが即答する。その言葉を聞いて、ヤンは顔を綻ばせた。
精霊の舞というのは、ギニアの肉料理と並んで豊穣の祭で村人が心待ちにしているもののひとつだ。村の若い娘が火の精霊に扮して舞う豊穣の女神を讃えるための踊りのことで、豊穣の女神が火の精霊を使役するという伝承になぞらえて、舞人は火の粉を纏って舞を踊る。
村の若い娘ならば参加資格はあるものの、実際に舞を習得するには大変な練習が必要であり、ここ数年で舞人を務めた娘はレナを含めて数人しかいなかった。
レナは今年で十七になるが、村の娘の中では最も美しく精霊の舞を踊ることができる。ヤンは毎年、心密かにレナの舞を楽しみにしていた。
普段のレナは、地味で洒落っ気など微塵も感じられない田舎の村娘そのものだが、豊穣の女神を称え、炎の明かりを背に舞を踊る彼女の姿は、どんな生き物よりも生命力に満ち溢れていて美しい。
村の若い男は皆、祭りのたびに舞いを踊る彼女の姿に憧れに似た感情を抱いていた。例に漏れず、ヤンもその一人だったが、幼馴染という立場から、未だその想いを本人に伝えることができずにいた。
それでもよかった。毎年、祭りのたびに美しく舞う彼女の姿を眺めていられれば、それだけでヤンは充分幸せだった。
今年もレナの舞を拝めることを豊穣の女神に感謝しつつ、しばらくのあいだ、彼は空を仰いで物思いに耽った。
心地よい朝の風に吹かれながら、ヤンは干草の上に寝転んでいた。目の前では昨夜連れ帰った食肉用のギニアが、自分の命が明日までのものとも知らずに呑気に眠りこけている。
昨夜、無事に村に戻ったヤンとラウルは、その足で村長の家に挨拶に出向き、例年通り仕入れたギニアを引き渡した。仕入れたギニアは、祭りの当日まで村の農家に世話を任せることになっているからだ。
道中で出会った青年――ゼノのことを紹介すると、久しぶりの来客に村長は大喜びした。せっかくだから祭りの夜まで滞在してもらおうなどと浮かれて騒ぐものだから、近所の大人達がやってきて、ゼノの存在は一夜にして村中に知れ渡ってしまった。
ヤンとラウルは、ゼノが野盗に襲われていたことに関して、村の皆には伝えなかった。皆に余計な心配をかけたくなかったというのも嘘ではないけれど、それよりも、厄介ごとを村に持ち込んだと非難されることを恐れた為だ。
ゼノの話が本当なら、野盗のせいで村に問題が起こることはおそらくないが、いかんせん村の人々は自分らに害が及ぶことを極端に嫌う。
祭りの日が近いのに、わざわざ彼らを不安にさせる必要はない。
(そういえば、ゼノの姿を見てないな……)
ふと思い立ち、ヤンが干草の上で身を起こしたときだった。
視界を遮るギニアの向こうから、聞き慣れた若い女の声がした。何度もヤンの名前を呼んでいるあたり、どうやらヤンを捜しているようだ。
「よう、レナ!」
ヤンは立ち上がり、声の主である少女――レナに声をかけた。
栗色の長い髪に翠色の瞳の細身で小柄な少女は、ヤンの姿を目にすると、つかつかと早足で歩み寄ってきた。
「おはよう、ヤン。起きてるなら少しは祭りの準備を手伝ったらどうなの?」
腰に手を当ててヤンを見上げ、レナが目を細める。毎朝ギニアの搾乳をするのがレナの日課だが、片手に提げた木製のバケツにはまだ何も入っていなかった。
「なんだよ、寝坊でもしたのか?」
目を丸くしてヤンが尋ねると、レナは大きく溜息をつき、ヤンをジロリと睨みつけた。
「あなたが連れて来たお客様のお世話を仰せつかったものですから!」
つっけんどんに返されて、ヤンは気まずい思いで視線を泳がせた。
レナはヤンの幼馴染だ。村の農家のひとり娘で、ギニアの乳やそれで作ったチーズを売って暮らしている。
祭りの際に食肉用のギニアを仕入れるのがヤンの家に与えられた仕事であるように、仕入れたギニアを祭りの夜まで管理するのがレナの家の仕事だ。そのため、昨夜、仕入れたギニアの話をしにレナの家を訪れたついでに、同行していたゼノを紹介した。ヤンは紹介だけのつもりだったが、家に女手がないことを理由に、図々しくもラウルがレナにゼノの世話を頼み込んだ、もとい、押し付けたのだった。
さすがに申し訳ないと思っていたこともあり、ヤンは今朝早くからレナの家に来ていたものの、なんとなく頭を下げる気にもなれず、結局、今までギニアと寝転んでいた。
「そ、そういえば、ゼノはどこに行ったんだ?」
話を逸らそうとヤンが問いかけると、レナは訝しげに首を傾げて答えた。
「ヤンのところに行ったんじゃなかったの?」
レナの返事にヤンは唖然とした。
ゼノが朝からひとりで出掛けたことが意外だったのだ。
昨日の様子から、彼はそれほど行動力のあるタイプには見えなかった。昨夜この村に来たばかりなのだから、普通なら多少なりとも知った仲のヤンを頼るか、世話を任されたレナの傍についていそうなものなのに。
祭りを前に、村全体が浮き足立っている時期だ。彼も子供ではなく、ひとり旅をしているくらいなのだから、珍しいものでも発見してフラフラと出かけたのかもしれない。日暮れまでに帰ってこないようであれば探しに行けばいい。そう考えて、ヤンは再び干草の上に腰を下ろした。
座り込んだヤンを見て首を傾げると、レナは溜息に似た息を洩らした。それ以上は何も言わず、近くに寄ってきていたギニアに優しく声をかけ、てきぱきと乳を搾り始めた。
しばらくのあいだ、レナの後ろ姿をぼーっと眺めていたヤンは、やがて、忙しなく手を動かし続けるレナに向かって気怠げに声を掛けた。
「なぁ、今年も精霊の舞やるのか?」
「やるわよ。ちゃんと練習もしてるんだから」
振り返りもせず、レナが即答する。その言葉を聞いて、ヤンは顔を綻ばせた。
精霊の舞というのは、ギニアの肉料理と並んで豊穣の祭で村人が心待ちにしているもののひとつだ。村の若い娘が火の精霊に扮して舞う豊穣の女神を讃えるための踊りのことで、豊穣の女神が火の精霊を使役するという伝承になぞらえて、舞人は火の粉を纏って舞を踊る。
村の若い娘ならば参加資格はあるものの、実際に舞を習得するには大変な練習が必要であり、ここ数年で舞人を務めた娘はレナを含めて数人しかいなかった。
レナは今年で十七になるが、村の娘の中では最も美しく精霊の舞を踊ることができる。ヤンは毎年、心密かにレナの舞を楽しみにしていた。
普段のレナは、地味で洒落っ気など微塵も感じられない田舎の村娘そのものだが、豊穣の女神を称え、炎の明かりを背に舞を踊る彼女の姿は、どんな生き物よりも生命力に満ち溢れていて美しい。
村の若い男は皆、祭りのたびに舞いを踊る彼女の姿に憧れに似た感情を抱いていた。例に漏れず、ヤンもその一人だったが、幼馴染という立場から、未だその想いを本人に伝えることができずにいた。
それでもよかった。毎年、祭りのたびに美しく舞う彼女の姿を眺めていられれば、それだけでヤンは充分幸せだった。
今年もレナの舞を拝めることを豊穣の女神に感謝しつつ、しばらくのあいだ、彼は空を仰いで物思いに耽った。
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