滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第一章 旅の途中

精霊の舞①

 仄暗い貯蔵庫の中で熟成中のチーズの手入れを一通り終えると、レナは天井から降ろされた梯子を昇り、小屋に戻った。

 レナの両親が管理する農場は、ギニアの新鮮な乳を使って自家製のチーズを製造している。
 数年前、ラウルと街に出掛けたレナの父アルドは、市場で見かけた見慣れない乳製品に一目で惚れ込んだ。その製造の仕方や調理について行商人から情報を得たアルドは、村中に借金をしてチーズ製造のための機械を仕入れた。
 農場でギニアの乳を売るだけだったレナの家族は日々の暮らしも貧しいものだったが、アルドがチーズ作りに成功してからというもの、その生活は激変した。
 レナの家のチーズは村中で美味しいと評判になり、思い切って街での販売に踏み切ると、これもまた飛ぶように売れた。物珍しさからの流行はすぐに終わったけれど、借金の返済には充分すぎる収入を得ることができたし、今でもレナの家の自家製チーズを好んで買ってくれる客は多く、商用で出掛けるラウルに頼んで、街でチーズの卸売りをしてもらっている。
 村の名物のひとつになったレナの家の自家製チーズは、豊穣の祭の夜に酒の肴として振舞われる。二ヶ月の熟成期間を経て手間暇かけて作った自慢のチーズは、父親のアルドだけでなくレナの誇りでもあった。
 
 レナが梯子を昇って室内を見渡すと、チーズを燻製にし終えたアルドがレナを手招いていた。

「ひと段落ついたから、昼食にしよう」

 穏やかに微笑んだ父の顔を見ると、彼がどれだけこの仕事を愛しているかがよくわかる。父の幸せそうな笑顔を見るたびに、自分もやがてはこの仕事を継ぐのだろうとレナは考える。
 大人になっても地下の貯蔵庫でチーズの手入れをする自身の姿を思い浮かべ、つくづく自分は村の外に縁がないものだと、レナは苦笑した。

 昼の休憩を終えると、父は再び農場に戻る。
 普段ならレナも一緒に農場に戻り、父の手伝いをするのだが、豊穣の祭が迫っていることもあり、最近は昼過ぎから山の麓の湖畔で精霊の舞の稽古をしていた。
 父に出掛けることを告げ、稽古着に着替えて上着を羽織ると、レナは村の中央通りに向かって早足に歩いた。
 結局昼になっても戻って来なかったヤンとゼノのことを考えて、小さな溜め息が漏れる。
 
 ヤンに関しては心配する必要はない。いつものようにどこかをほっつき歩いているのだろう。
 問題はゼノのほうだ。仮にも世話を任されているのだから、せめて居場所くらいは把握しておきたい。
 どこかその辺りを歩いていないものかとレナが周囲を見渡すと、通りの先に村では珍しい黒づくめの姿が見えた。

「ゼノさん!」

 声をあげて駆け寄ると、ゼノはゆっくりとレナの方に目を向けた。が、すぐに視線を元に戻した。

「あらレナ、これからお稽古?」
「え? あ、はい」

 ゼノと話していたと思われる村の女性に声を掛けられ、レナは慌てて返事をする。女性から紙の袋を受け取ると、ゼノは軽く頭を下げた。

「ありがとうございます」

 抑揚のない口調で礼を言って、彼は村の中央広場に向かって歩き出した。

「何を貰ったの?」

 悠然と歩みを進めるゼノに並んでレナが尋ねると、ゼノはレナに向き直り、袋の中身を見せた。
 嗅ぎ慣れた食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。袋の中には様々なポタモ料理が入っていた。
 
 ポタモというのはこの地方で採れる芋の一種で、薄切りにして揚げたあと味をつけたチップス、蒸かして潰したものにチーズをのせて焼いたグラタンなど、色々な調理法で多彩な料理に使われる。栽培も簡単なため、村の主食として重宝されている作物だ。
 どうやらゼノは、明日の祭りで振舞われるポタモ料理の一部を、こっそり分けてもらったようだった。

「私の故郷でも芋を栽培していましたが、せいぜい蒸かして食べるだけでした。同じ芋でもたくさん調理の仕方があるんですね」

 表情ひとつ変えることなく淡々とゼノが語る。
 昨夜、初めてヤンに紹介されたときも思ったけれど、この男は本当に無表情で、話し方も無感情で考えが読めない。
 見た目だけなら、村では珍しい闇色の髪と紅玉のような瞳が特徴的で人目を惹くし、彼が着ている品の良い黒いコートは街で優雅に暮らす貴族のようで、それだけでレナのような田舎の娘達は憧れに似た感情を抱いてしまいそうになるというのに、その無愛想っぷりで全てが台無しになっている。 
 本当に勿体無い。

 そんなことを考えながらレナが袋の中を凝視していると、不意に目の前にポタモチップスが差し出された。

「……え?」
「食べたいのでしたら、おひとつどうぞ」

 真顔で言われ、レナは頬を真っ赤に染め上げた。
 そんなに物欲しそうな顔に見えたのかと、恥ずかしさで逃げ出したくなる。

「い、いらないから!」

 レナが慌てて首を振ると、相変わらずの無表情でレナを見据え、ゼノは首を傾げた。

「そうですか。てっきりレナさんもこの料理に興味があるのかと……。何か別の用事がありましたか?」

 不可解だと言いたげなその様子に、レナは慌てて言葉を探した。
 特に用事があったわけではなく、ただ世話を任されたから気になって捜していたのだけれど、ゼノからすれば、そんな監視のような真似をされては迷惑なだけだろう。

 何か納得のいく理由を答えなければ……。
 そう考えたレナが咄嗟に思いついたのは、精霊の舞の稽古のことだった。

「お祭りで踊る舞の稽古をしようと思って裏山に向かっていたら、偶然あなたを見かけたから、つい声をかけちゃったっていうか……」

 その場凌ぎにしては上出来だと思った。
 しかし、その言葉を聞いた途端、それまではつまらなそうにレナを見ていたゼノが瞳を爛々と輝かせた。

「舞ですか? とても興味があります。是非、見学させてください」
「え? あ、はい」

 有無を言わさぬ勢いで詰め寄られ、レナは思わず首を縦に振ってしまった。
 精霊の舞は確かに豊穣の祭の目玉ではあるけれど、余所者のゼノにこんなに食いつかれるとは思ってもみなかった。
 レナもそれなりに場数は踏んでいる。本番では大勢の前で披露する舞だ。本番間近でほぼ完成されている状態だし、見られても問題はない気がした。
 初めて舞を披露する舞台でなくて本当に良かった、と胸を撫で下ろしながら、レナはゼノを連れて村外れの湖畔へと向かった。


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