滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第一章 旅の途中

腐った林檎①

 暗闇の中で何者かが蠢く気配を感じ、少年は重い瞼を開いた。
 これが夢ではなく現実ならば、記憶を辿る限り、ここは憲兵隊宿舎の三階の一室だ。昨夜任務を終え、休息のために部屋へ戻ったことを、少年の脳が覚えていた。
 カーテンの隙間から射し込んでいた月明かりはいつの間にか消え失せて、しんと静まり返った部屋の中で、衣擦れの音だけが耳に届く。
 少年が寝返りを打って、カチャカチャと音を立てる黒い影に目を向けると、黒い影が少年を振り返って言った。

「起きろ、テオ。出動要請だ」

 テオと呼ばれた少年は、数回まばたきを繰り返すと、仰向けに寝転がり、大きく伸びをした。半分眠ったままの身体を引き摺るようにして起き上がり、黒い人影に向き直る。
 同室で生活を送る仲間は四人。かれこれ半年の付き合いになることもあり、声を聞けば相手が誰であるかはすぐに判った。この声の主は、テオの教育係を任されている先輩のジルドだ。

「……朝、じゃ、ないですよね? こんな時間に?」

 疑問を口にしながらも、ろうそくの儚げな明かりを頼りに身支度を始める。着崩れた制服の上からベルトを締め、愛用の剣を腰に携えると、テオは自室をあとにした。

「眠そうだな」

 閉じかけた瞼をこすり、制服を正しながら自室に鍵をかけたところで、先に部屋を出ていたジルドに声を掛けられた。曖昧に笑んではぐらかし、テオは部隊の集合場所へと急ぐ。
 眠たいのは当然だ。先の任務を終えて深夜に宿舎に戻り、ようやく眠りについたところで起こされたのだから。
 ベッドに入る前に美しい月明かりに照らされていた窓の外は、いつの間にか闇に覆われており、夜明けがまだ遠いことが窺える。こんな深夜に出動要請とは馬鹿げていると言いたいが、人手の少ない憲兵隊に所属する彼らにとって、このような事態は日常茶飯事だった。

 レジオルド憲兵隊。法と秩序の国を名乗るレジオルディネ王国の、軍の規律と国内の治安維持を任務とする組織である。
 この国の憲兵隊は内部で大きく二つの組織に別かれており、王都と主要都市の警備を任される王都憲兵隊は、組織内で『金の林檎』と呼ばれていた。王都憲兵隊に所属する者の多くは、王都の有力な貴族か軍の上層部に親をもつ、いわゆる特権階級のエリートだ。
 この国では軍隊こそが国の最高機関であり、国の為に戦地へ赴くのは誇り高い行為だと讃えられる。
 しかしその反面、特権階級のお偉方には、危険な戦場に可愛い我が子を送り出すなど以ての外と考えるお優しい親も多い。そういった金と権力のある地位の者が体裁を保つ為に、危険な任務が少ないうえに手っ取り早く民衆から信頼を得ることが可能な王都憲兵隊に、大切な跡取りを入隊させるのである。
 彼らの任務は王都を守護し軍の規律を正すという大役ではある。だが、王都周辺は元々犯罪率が低いため、実際の任務は巡回と称した散歩程度のものでしかない。
 国民の多くが知る、国内の治安維持の為に昼夜各地を駆け回る憲兵隊は、組織内では『腐った林檎』と呼ばれ、『金の』者達に侮蔑の対象にされていた。
 内部に不正があるわけでもなく、何処も腐ってなどいない。王都と主要都市を除く国内全ての治安維持を任されている、正真正銘の治安維持部隊だ。
 隊員の殆どが王都とその周辺地域から募った平民出の者であり、極端に貧しい家の出の者が多いことを理由に、勘違いした特権階級の者達に見下された結果、このような蔑称で呼ばれているのだ。

 組織が二分化する以前であれば、このような時間に出動要請がかかることもなかっただろう。だが、以前にも増した広大な土地で、日夜増え続ける事件や犯罪を相手に、憲兵が休んでいる暇などない。
 組織の拡大を訴える声も大きいが、憲兵隊の維持費が国民の血税に賄われている以上その実現も難しく、平民出の隊員が使い捨てにされているのが現状だった。

 しかし、内情を知らない一般国民にとって、有事の際に国の為に命を賭け、国王とその民を守る憲兵隊は、騎士のように名誉ある立場であり、幼い子供達の憧れでもあった。
 テオも例に漏れず、幼い頃から憲兵隊に憧れて、努力の末に正規隊員に任命された一人だ。入隊してから今日までのあいだ、日々の厳しい訓練と苛酷な任務を懸命にこなす日々を送ってきた。

 「それにしたって、こんな深夜に出動要請だなんて、どれだけ緊急事態なんですかね」

 先を行くジルドの背にテオが不満交じりに問いかけると、ジルドは振り返りもせずに淡々と答えた。

「伝書鳩が来たのは昨日の昼前だそうだ。最東のエストフィーネからの要請だったようだが、は十二隊とも出払っていたからな。連中があんな村まで出向くわけもない。大方、俺達に声が掛かるまで忘れられていたんだろう」
「それが本当なら、酷い話ですね」

 ジルドの答えを聞き、テオは大きく溜め息をついた。


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