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第一章 旅の途中
紅蓮の魔女①
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『この世界には人間と姿かたちの異なる異種族が存在する。彼らの多くは特殊な能力を持ち、人間とは異なる文明の元で暮らしている』
幼少期に街の教会で異種族について教えられた。
ある種族は人間と関わることを嫌い、またある種族は大昔から人間と共存してきた。
しかし、長い時を経てその数は激減し、今では純血の異種族と出会う機会は殆どない。
世界律に捉われず異種族間の婚姻を認めてきたレジオルディネでも、異種族を先祖に持つ者が少数暮らしているのみで、外見的特徴はさておき、異種族たる能力を身に宿す者はごく僅かな存在でしかない。ましてや、このような炎を無から生み出す人間の存在など、オルランドの知る常識から考えれば、到底あり得ないことだった。
これほどの強力なちからを身に宿す者がいるならば、その者は紛れもなく――
(純血の異種族……!)
燃え盛る炎は火の粉を散らし、瞬く間にオルランドを取り囲んだ。遠方に残してきた部下のどよめきが微かに聞こえたが、その声もすぐに炎の勢いに掻き消された。
胸の高さまで燃え上がる炎の壁。それを隔てた向こう側で、朱紅い髪の女がオルランドを睨みつけている。けれど不思議なことに、翡翠に似たその瞳からは憎悪や怒りと言った感情が感じられなかった。
どちらかと言うならば、これは威嚇だ。野生の動物が天敵を警戒する行動に似ている。
とはいえ、この状態が長く続けばオルランド自身もただでは済まない。いずれ酸素が欠乏し、炎がその身を焦がすだろう。
こちらの意思を伝えることさえできれば、和解も有り得る。
そう考えたオルランドは、手にしていた剣を鞘に納め、女のほうへ投げやった。手慣れた手付きで剣を受け取め、女が眉を顰める。
「すまなかった。東方で悪名高い野盗の一味が先のきみのようにフードを目深に被り、顔を隠しているという情報が寄せられていたもので、勘違いしてしまった。この火を消してもらえないか」
持ち前のよく通る声を張り上げ、冷静に交渉を試みるものの、女は眉間に皺を寄せてオルランドを睨みつけたまま微動だにしない。
オルランドを取り囲む炎はじりじりと衣服を熱し、今にも火が燃え移りかねない。額に滲む汗が熱さだけのせいでないことは、彼自身が一番良く理解していた。
(野盗か不審者のほうが、まだマシだったかもしれないな……)
息苦しさと熱さで眩暈がする。遠退いていく意識の底で、オルランドは自身の迂闊な行動を省みた。自虐的な笑みが、その顔に浮かぶ。
いずれこの炎は水と酸素を奪い尽くし、オルランドの全てを焦がすだろう。
まさかこのような最期を迎えることになろうとは、想像だにしていなかった。
朦朧とする意識に呑まれていくように、オルランドは膝から崩れ落ち、地べたへと倒れ伏した。
そのとき、オルランドの周囲を覆っていた炎が風に巻かれて掻き消えた。まるでその役目を終えたかのように、跡形も無く。
オルランドの朧げな視界に、彼を見おろす朱紅い髪の女が映っていた。
一歩、また一歩と歩み寄ると、彼女はオルランドの傍に膝をつき、その顔を覗き込んだ。
「******」
彼女が口にした言葉はレジオルディネのものではなかった。それは、異国の言葉を数多く知るオルランドですら聞いたことのない言葉。
(そうか、異種族……)
純血の異種族と初めて遭遇したことで、相当気が動転していたことに、オルランドは今更気が付いた。おそらく彼女は始めから、オルランドの言葉を理解できていなかったのだろう。
苦々しく口の端を吊り上げて、オルランドは瞼を閉じた。二、三度深呼吸を繰り返し、ゆっくりと身を起こす。
「******?」
女がオルランドに問いかける。その口調は柔らかく、オルランドの身を案じているようでもあった。
「レジオルド憲兵隊、第十七隊隊長……オルランド=ベルニだ。エストフィーネ村の出動要請を受け、現地に向っている。……先の非礼、申し訳なかった」
咳き込んだあと、オルランドはなんとか謝罪の言葉を口にした。けれど喉が焼けたのか、その声は酷く掠れてしまっていた。
女は小首を傾げると、オルランドの瞳をじっと覗き込み、その手を取った。
(言葉が通じないというのは不便で適わないな)
突如として脳の奥に響いた聞き慣れない声に、オルランドの心臓が跳ね上がる。
女が頭を垂れると、その不思議な声は謝罪の言葉を発した。
(すまない、少しやりすぎた。反省しているよ)
顔を上げ、女がふたたびオルランドの瞳を覗き込む。だが、オルランドには女の謝罪の言葉など聞こえていなかった。
生まれて初めて遭遇した純血の異種族の能力を前に、オルランドは只々呆然としていた。そして一言、やっとの思いで口にした。
「驚いた。言葉を使わなくても、直接意思を伝えることができるのか?」
精神感応能力――言葉を使わずに意思疎通を図ることができる、特殊なちから。
稀に人間でもその能力を有する者がいるが、先の炎のような『魔法』と同じく滅多にお目に掛かれるものではない。
驚きを隠すことなく童心に返り、無邪気に笑うオルランドに、朱紅い髪の女は困ったように微笑んだ。
幼少期に街の教会で異種族について教えられた。
ある種族は人間と関わることを嫌い、またある種族は大昔から人間と共存してきた。
しかし、長い時を経てその数は激減し、今では純血の異種族と出会う機会は殆どない。
世界律に捉われず異種族間の婚姻を認めてきたレジオルディネでも、異種族を先祖に持つ者が少数暮らしているのみで、外見的特徴はさておき、異種族たる能力を身に宿す者はごく僅かな存在でしかない。ましてや、このような炎を無から生み出す人間の存在など、オルランドの知る常識から考えれば、到底あり得ないことだった。
これほどの強力なちからを身に宿す者がいるならば、その者は紛れもなく――
(純血の異種族……!)
燃え盛る炎は火の粉を散らし、瞬く間にオルランドを取り囲んだ。遠方に残してきた部下のどよめきが微かに聞こえたが、その声もすぐに炎の勢いに掻き消された。
胸の高さまで燃え上がる炎の壁。それを隔てた向こう側で、朱紅い髪の女がオルランドを睨みつけている。けれど不思議なことに、翡翠に似たその瞳からは憎悪や怒りと言った感情が感じられなかった。
どちらかと言うならば、これは威嚇だ。野生の動物が天敵を警戒する行動に似ている。
とはいえ、この状態が長く続けばオルランド自身もただでは済まない。いずれ酸素が欠乏し、炎がその身を焦がすだろう。
こちらの意思を伝えることさえできれば、和解も有り得る。
そう考えたオルランドは、手にしていた剣を鞘に納め、女のほうへ投げやった。手慣れた手付きで剣を受け取め、女が眉を顰める。
「すまなかった。東方で悪名高い野盗の一味が先のきみのようにフードを目深に被り、顔を隠しているという情報が寄せられていたもので、勘違いしてしまった。この火を消してもらえないか」
持ち前のよく通る声を張り上げ、冷静に交渉を試みるものの、女は眉間に皺を寄せてオルランドを睨みつけたまま微動だにしない。
オルランドを取り囲む炎はじりじりと衣服を熱し、今にも火が燃え移りかねない。額に滲む汗が熱さだけのせいでないことは、彼自身が一番良く理解していた。
(野盗か不審者のほうが、まだマシだったかもしれないな……)
息苦しさと熱さで眩暈がする。遠退いていく意識の底で、オルランドは自身の迂闊な行動を省みた。自虐的な笑みが、その顔に浮かぶ。
いずれこの炎は水と酸素を奪い尽くし、オルランドの全てを焦がすだろう。
まさかこのような最期を迎えることになろうとは、想像だにしていなかった。
朦朧とする意識に呑まれていくように、オルランドは膝から崩れ落ち、地べたへと倒れ伏した。
そのとき、オルランドの周囲を覆っていた炎が風に巻かれて掻き消えた。まるでその役目を終えたかのように、跡形も無く。
オルランドの朧げな視界に、彼を見おろす朱紅い髪の女が映っていた。
一歩、また一歩と歩み寄ると、彼女はオルランドの傍に膝をつき、その顔を覗き込んだ。
「******」
彼女が口にした言葉はレジオルディネのものではなかった。それは、異国の言葉を数多く知るオルランドですら聞いたことのない言葉。
(そうか、異種族……)
純血の異種族と初めて遭遇したことで、相当気が動転していたことに、オルランドは今更気が付いた。おそらく彼女は始めから、オルランドの言葉を理解できていなかったのだろう。
苦々しく口の端を吊り上げて、オルランドは瞼を閉じた。二、三度深呼吸を繰り返し、ゆっくりと身を起こす。
「******?」
女がオルランドに問いかける。その口調は柔らかく、オルランドの身を案じているようでもあった。
「レジオルド憲兵隊、第十七隊隊長……オルランド=ベルニだ。エストフィーネ村の出動要請を受け、現地に向っている。……先の非礼、申し訳なかった」
咳き込んだあと、オルランドはなんとか謝罪の言葉を口にした。けれど喉が焼けたのか、その声は酷く掠れてしまっていた。
女は小首を傾げると、オルランドの瞳をじっと覗き込み、その手を取った。
(言葉が通じないというのは不便で適わないな)
突如として脳の奥に響いた聞き慣れない声に、オルランドの心臓が跳ね上がる。
女が頭を垂れると、その不思議な声は謝罪の言葉を発した。
(すまない、少しやりすぎた。反省しているよ)
顔を上げ、女がふたたびオルランドの瞳を覗き込む。だが、オルランドには女の謝罪の言葉など聞こえていなかった。
生まれて初めて遭遇した純血の異種族の能力を前に、オルランドは只々呆然としていた。そして一言、やっとの思いで口にした。
「驚いた。言葉を使わなくても、直接意思を伝えることができるのか?」
精神感応能力――言葉を使わずに意思疎通を図ることができる、特殊なちから。
稀に人間でもその能力を有する者がいるが、先の炎のような『魔法』と同じく滅多にお目に掛かれるものではない。
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