滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第一章 旅の途中

逃亡者②

 あれからどれくらい経っただろう。
 夜明け前に森を出て、逃げるように街道を馬で駆けた。焼け落ちた故郷を目にするのが恐ろしくて振り返ることすらできず、ただただ硬く目を閉じ続けた。休むことなく馬を駆るヤンの背中を、縋るように抱きしめながら。

 気がつけばすっかり陽は昇り、辺りは明るくなっていた。街道の先を行くヤンの父も徐々に馬の速度を落とし、いつしか二頭の馬は並足で街道を進んでいた。

「見えてきたよ、ほら」

 気遣うような優しい声に促され、レナは顔を上げた。ヤンの指が指し示す先に、真っ白な外壁と規則正しく立ち並ぶ樹々が見える。
 これが『街』なのだ、とレナは思った。

 レナが生まれ育った村から外へ出たのは、これが初めてのことだった。
 色々な街に出掛けてみたいと考えたことは何度もあったけれど、こんなかたちでその願いが叶うなんて。運命とはなんて残酷なものなのだろう。
 生まれて初めて見る『街』の外壁に目を向けたまま、レナは首に懸けた闇色のペンダントを握りしめた。


「ここでお別れです。お気をつけて」

 夜明け前の薄闇に覆われた森の境界で、ゼノはレナに別れを告げた。旅の目的を果たすために、これ以上の同行はできないと言って。
 既に話はついていたのか、ヤンとラウルは何も言わなかった。

「渡しそびれていましたが……」

 そう言ってゼノがレナに手渡したのは、小さく折り畳まれた紙切れだった。
 今後のためにラウルに渡して欲しいと言って、彼は闇色のペンダントをレナに託した。
 掛ける言葉もみつけられず、彼の赤い瞳をただみつめるだけのレナに、彼はそれ以上何も言わず、ひとりで街道を歩き出した。振り返ることのない彼の背中が道の果てに消えるまで、レナは街道に立ち尽くしていた。

 ゼノがくれた紙切れには、約束どおりカッテージチーズのつくりかたが書き綴られていた。手渡されたペンダントをラウルに見せたとき、この先の街に信用できる鑑定屋がいることを教わって、レナははじめてペンダントが金に変わることに気がついた。それならばせめて、手放すそのときまでと、ラウルに頼んでペンダントを預からせてもらった。
 闇色の石が湛える静かな光は何処か暖かく、レナの心に深い安息をもたらした。


 外壁のつくりがはっきりとわかるほど街に近づいた頃、前方から駆けてくる馬が目に入った。

「憲兵隊だ……」

 馬を駆る小豆色の髪の男がきっちりと着込んだ制服を見て、ヤンがぽつりと呟きを漏らす。
 ラウルとヤンの前で馬を止め、男は敬礼すると、その名を名乗った。

「レジオルド憲兵隊第十七隊隊長オルランド=ベルニだ。察するに、貴公等は東のエストフィーネ村の者ではないだろうか」

 エストフィーネ村。二度と戻ることのない故郷の名前。
 オルランドに言われるまで、ヤンもレナも自分達が暮らしていた村がそう呼ばれていることすら知らなかった。父親に連れられて様々な街を訪れた経験のあるヤンでさえ、生まれ育ったあの村が世界の全てだったのだ。
 村を守るためには憲兵隊のちからが必要だった。だが、ゼノに可能性を否定され、助けは来ないものだと諦めていた。
 その憲兵隊が今、目の前にいる。野盗の襲撃には間に合わなかったけれど、憲兵隊は村の要請に応えてくれたのだ。
 村は焼け討たれてしまったが、逃げ延びた人々がまだ残っているに違いない。憲兵隊は、きっと彼らの助けになってくれる。
 手綱をかたく握りしめ、ヤンは顔を上げた。

「村が野盗に襲われました。お願いです、村のみんなを助けてください」
「無論だ。出来得る限りの手を尽くそう」

 震える声で懇願するヤンに、オルランドは力強く頷いた。


 オルランドに連れられて街の外に待機している憲兵隊の元へ向かう途中、ふたりは東の地平線を振り返った。
 森を出てから馬で街道を駆けるあいだ、一度たりとも振り返ることができなかった故郷の村。あまりにも遠すぎて、その姿はもう目にすることすら叶わない。

 遥か遠方を望むふたりの眼から、理由もなく涙が溢れ出た。
 このとき初めて、ふたりは村を追われた現実を受け入れたのだった。


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