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第一章 旅の途中
野盗の森②
隠れ家までの道のりは、途中幾つか枝分かれしていた。季節柄、半日前に残された馬の蹄の痕さえも落葉に隠されてしまい、正しい道を辿るのに随分と苦労した。
幸いにも野盗の襲撃は先の一度限りだったが、オルランドは周囲の警戒を怠らぬよう、慎重に馬の蹄の痕跡を追った。
やがて周囲の木々はまばらになり、薄暗かった足元を陽の光が照らしはじめた。森が拓けたその先で、掘っ建て小屋を広げたような簡素な造りのその建物は、家主の不在を示すように静かに佇んでいた。
物陰に身を隠しつつ、野盗の隠れ家と思しき建物との距離を詰める。歪にひしゃげた扉の隙間から建物の中を覗き込み、オルランドは眉を潜めた。
半壊した扉から窺える広間には、嗅ぎ慣れた異臭が立ち込めており、目を覆うばかりの無数の屍が重なり合って倒れている。床に広がった血溜まりは赤黒く変色し、所々酸化して赤茶けていた。
「凄い数ですね……」
口元を掌で覆いつつテオが洩らした呟きに、オルランドは黙って頷いた。
確かに尋常ではない数だ。道中にオルランド達が迎え討った野盗達と同数か、それ以上――おそらく残る野盗の殆どが、この広間に遺体となって転がっているようだった。
しかし、一体どのような凶器を使えば、生きた人間をこのような惨たらしい姿に変えることができるのか。頭部が爆ぜた遺体を見下ろして、オルランドは不快に顔を曇らせた。
薄暗い広間の奥で啜り泣く女の声が響いていた。部屋の片隅に目を向ければ、全裸でうずくまる女達の姿が目に入った。憲兵隊を前にして、女達はがたがたと身を震わせていた。
これまでにも、襲撃された村や盗賊の隠れ家で同じような光景を幾度となく見てきた。略奪行為の前では『女』は物でしかなく、財宝や資源と同様に村から奪われ、慰み者にされる。そこに人としての尊厳など認められるはずもない。
羽織っていた外套を脱ぎ、オルランドが歩み寄ると、数人の部下がそれに倣って後に続いた。部屋の片隅で寄り添い合い、怯えた目を向ける女達に、憲兵隊の面々はそれぞれ外套を掛けてやった。
「もう大丈夫だ。君達は我々が保護する」
穏やかな声音でそう告げて、ジルドに後を任せると、オルランドは蹴破られた扉の奥へと単身で歩を進めた。
***
それは余りにも異様な光景だった。
煌びやかな装飾が施された室内には美しい紋様が描かれた絨毯が敷かれており、およそこの場に似つかわしくない高級な家具や調度品が並んでいた。絨毯を禍々しく染め上げた血痕は、物言わぬ主の居場所を指し示すように、点々と部屋の奥へと続いている。
さながら謁見の間の如く飾り立てられた部屋の奥で、王の玉座に似せて造られた座具に、彼は沈黙して座していた。
来訪者の存在も意に介さず、項垂れたまま身動きすら取らないその男の両腕は、肘から先を失っていた。赤黒い切断面が、部屋の明かりを不気味に照り返している。
「死期を悟り、己の死に場所を選んだのか……」
血の気を失い青ざめた顔には、覇気など欠片も残されていなかった。だが、この男が手配書で確認した野盗の頭――バルトロだという事実は一目で理解できた。
両腕を斬り落とされては相当な出血だった筈だ。おそらく彼自身では血を止める術がなかったのだろう。
森の奥の隠れ家に助けなど来ようはずも無く、村の焼き討ちを任せた部下達の帰りを待つにしても時間がかかり過ぎる。
自らが統べる者たちの王として、激痛に耐えながら身体を引き摺り、彼はこの玉座で果てたのだ。
野盗の頭目の死を確認し、憲兵隊は森を後にした。
あれだけの人数を従えていたのだ。バルトロは野盗達にとって、よほど信頼の置ける頭目だったのだろう。
彼の死と、仲間の惨たらしい死体の山。隠れ家に向かう途中に襲ってきた野盗が殺気立つ理由はこれだったのだ。
憲兵隊が野盗を討伐する際、このような残虐な殺戮行為を行うことはない。だが、彼等にとってそんなことは些細な問題でしかなかったのだろう。
何故ならば、現実は更に常識を超えている。あの凄惨な光景を造り上げた者はおそらく、たったひとりの人間なのだから。
「マリア……、きみが捜している男は……」
死神か悪魔か。
人間が忘れかけていた異種族への畏怖。その本質を、オルランドは垣間見た気がした。
目の前に続く石畳みの街道の先に、灰色の煙が立ち昇っていた。
陽が傾きかけた紅い空を背に、オルランドは馬を走らせた。
***
村の外れの湖のほとりに彼は佇んでいた。
人家が連なる一帯は焼き払われたが、ここまでは火の手が及ばなかったらしい。
穏やかに水を湛える湖畔も、水辺を取り囲む夜光性の植物も、何も変わっていなかった。
肌や髪に付着した赤茶けた血を洗い流し、一息ついて、彼は草の上に寝転んだ。
酷い気分だった。
昨夜から一睡もしていない所為か、撃たれた衝撃で後頭部から倒れた所為か。あれから度々、眩暈と吐気が襲ってくる。
表面上は無傷であっても、内部にはそれなりの損傷があったのだろうか。
目を閉じれば、砕ける瞬間の相手の顔や粉砕された肉片、鮮血の飛沫が脳裏にちらついて、胸の奥でぞわりと不快感が込み上げた。
あのときの彼は、人間の脆さにしか考えが及ばななかった。けれど、壊れた人間の身体から流れた血は、彼の身体を流れる血と同じ色をしていた。
壊したのではない。
彼は人を殺したのだ。
「気持ち悪い……」
気怠げに呟いて目を閉じると、彼は深い眠りに落ちた。
幸いにも野盗の襲撃は先の一度限りだったが、オルランドは周囲の警戒を怠らぬよう、慎重に馬の蹄の痕跡を追った。
やがて周囲の木々はまばらになり、薄暗かった足元を陽の光が照らしはじめた。森が拓けたその先で、掘っ建て小屋を広げたような簡素な造りのその建物は、家主の不在を示すように静かに佇んでいた。
物陰に身を隠しつつ、野盗の隠れ家と思しき建物との距離を詰める。歪にひしゃげた扉の隙間から建物の中を覗き込み、オルランドは眉を潜めた。
半壊した扉から窺える広間には、嗅ぎ慣れた異臭が立ち込めており、目を覆うばかりの無数の屍が重なり合って倒れている。床に広がった血溜まりは赤黒く変色し、所々酸化して赤茶けていた。
「凄い数ですね……」
口元を掌で覆いつつテオが洩らした呟きに、オルランドは黙って頷いた。
確かに尋常ではない数だ。道中にオルランド達が迎え討った野盗達と同数か、それ以上――おそらく残る野盗の殆どが、この広間に遺体となって転がっているようだった。
しかし、一体どのような凶器を使えば、生きた人間をこのような惨たらしい姿に変えることができるのか。頭部が爆ぜた遺体を見下ろして、オルランドは不快に顔を曇らせた。
薄暗い広間の奥で啜り泣く女の声が響いていた。部屋の片隅に目を向ければ、全裸でうずくまる女達の姿が目に入った。憲兵隊を前にして、女達はがたがたと身を震わせていた。
これまでにも、襲撃された村や盗賊の隠れ家で同じような光景を幾度となく見てきた。略奪行為の前では『女』は物でしかなく、財宝や資源と同様に村から奪われ、慰み者にされる。そこに人としての尊厳など認められるはずもない。
羽織っていた外套を脱ぎ、オルランドが歩み寄ると、数人の部下がそれに倣って後に続いた。部屋の片隅で寄り添い合い、怯えた目を向ける女達に、憲兵隊の面々はそれぞれ外套を掛けてやった。
「もう大丈夫だ。君達は我々が保護する」
穏やかな声音でそう告げて、ジルドに後を任せると、オルランドは蹴破られた扉の奥へと単身で歩を進めた。
***
それは余りにも異様な光景だった。
煌びやかな装飾が施された室内には美しい紋様が描かれた絨毯が敷かれており、およそこの場に似つかわしくない高級な家具や調度品が並んでいた。絨毯を禍々しく染め上げた血痕は、物言わぬ主の居場所を指し示すように、点々と部屋の奥へと続いている。
さながら謁見の間の如く飾り立てられた部屋の奥で、王の玉座に似せて造られた座具に、彼は沈黙して座していた。
来訪者の存在も意に介さず、項垂れたまま身動きすら取らないその男の両腕は、肘から先を失っていた。赤黒い切断面が、部屋の明かりを不気味に照り返している。
「死期を悟り、己の死に場所を選んだのか……」
血の気を失い青ざめた顔には、覇気など欠片も残されていなかった。だが、この男が手配書で確認した野盗の頭――バルトロだという事実は一目で理解できた。
両腕を斬り落とされては相当な出血だった筈だ。おそらく彼自身では血を止める術がなかったのだろう。
森の奥の隠れ家に助けなど来ようはずも無く、村の焼き討ちを任せた部下達の帰りを待つにしても時間がかかり過ぎる。
自らが統べる者たちの王として、激痛に耐えながら身体を引き摺り、彼はこの玉座で果てたのだ。
野盗の頭目の死を確認し、憲兵隊は森を後にした。
あれだけの人数を従えていたのだ。バルトロは野盗達にとって、よほど信頼の置ける頭目だったのだろう。
彼の死と、仲間の惨たらしい死体の山。隠れ家に向かう途中に襲ってきた野盗が殺気立つ理由はこれだったのだ。
憲兵隊が野盗を討伐する際、このような残虐な殺戮行為を行うことはない。だが、彼等にとってそんなことは些細な問題でしかなかったのだろう。
何故ならば、現実は更に常識を超えている。あの凄惨な光景を造り上げた者はおそらく、たったひとりの人間なのだから。
「マリア……、きみが捜している男は……」
死神か悪魔か。
人間が忘れかけていた異種族への畏怖。その本質を、オルランドは垣間見た気がした。
目の前に続く石畳みの街道の先に、灰色の煙が立ち昇っていた。
陽が傾きかけた紅い空を背に、オルランドは馬を走らせた。
***
村の外れの湖のほとりに彼は佇んでいた。
人家が連なる一帯は焼き払われたが、ここまでは火の手が及ばなかったらしい。
穏やかに水を湛える湖畔も、水辺を取り囲む夜光性の植物も、何も変わっていなかった。
肌や髪に付着した赤茶けた血を洗い流し、一息ついて、彼は草の上に寝転んだ。
酷い気分だった。
昨夜から一睡もしていない所為か、撃たれた衝撃で後頭部から倒れた所為か。あれから度々、眩暈と吐気が襲ってくる。
表面上は無傷であっても、内部にはそれなりの損傷があったのだろうか。
目を閉じれば、砕ける瞬間の相手の顔や粉砕された肉片、鮮血の飛沫が脳裏にちらついて、胸の奥でぞわりと不快感が込み上げた。
あのときの彼は、人間の脆さにしか考えが及ばななかった。けれど、壊れた人間の身体から流れた血は、彼の身体を流れる血と同じ色をしていた。
壊したのではない。
彼は人を殺したのだ。
「気持ち悪い……」
気怠げに呟いて目を閉じると、彼は深い眠りに落ちた。
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