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第一章 旅の途中
約束②
重いまぶたを開いて、ゼノは二、三度瞬きをした。
あたりが薄暗いのは、天井から広がった布に周囲が覆われているからだろう。どうやらここは天幕の中のようで、ゼノは地べたに敷かれた厚手の布の上に寝かされていた。視線をめぐらせるが、目に見える範囲に人はいないようだ。
僅かにたゆむ布の向こう側から、人の話声が微かに聞こえていた。声の主は恐らく男性だが、相手の声は聞こえない。
大きく息を吐き、目を閉じて、ゼノはこれまでの記憶を辿った。
焼き討たれた村を歩いて周り、丘の上で死者へ花を手向けた。坂道を下り、湖のほとりで横になって――
そこから先の記憶はなかった。
熟れた果実が赤黒い汁を撒き散らし、次々に目の前で爆ぜていく夢をみていた。ただひたすら不快なだけの夢の終わりに、懐かしい声を聞いた気がする。
ふたたび閉じたまぶたの裏に、淡い光に包まれた彼女の笑顔が浮かび上がる。もう一度眼を開けようとした、そのとき、入り口を覆っていた布が勢い良く開かれて、黒い影が飛び込んできた。
逆光でその影の主の顔を確認することは出来なかった。ゼノは咄嗟に目を閉じて、眠っている振りをした。
砂利を踏みしめる音がゆっくりと近付いて、ゼノのうえに影を落とした。
眠ったふりを続けるゼノの顔を覗き込んで、彼女は言った。
「まだ、眠ってる?」
囁きに似たその声には聞き覚えがあった。記憶に残る懐かしい笑顔が鮮明に蘇り、ゼノは目を見開いた。
腰まで伸びた朱紅い髪がふわりとなびく。天幕を出ていく彼女の背中を、ゼノは呆然と見送った。
声をかけることなどできなかった。都合の良い夢をみているのではないかと思った。
彼女が里の外に居るはずなど、あり得はしないのだから。
マリアンルージュはゼノの故郷で唯一の、未婚の成人女性だった。子が生まれない竜の里で、姫か女王のように持てはやされ、何一つ不自由のない暮らしを送っていたはずだ。
ゼノが知る限り、里の住人は皆、彼女に好意的だった。男勝りで女性らしさに欠けるところもあったけれど、持って生まれた美しさと無邪気な性格で、その欠点すら彼女の魅力のひとつになっていた。
全ての者に愛されて恵まれた生活を送り、幸せな未来を約束されていた彼女が、里を降りるわけがない。
「お目覚めのようだな」
唐突に男の声が響く。素早く身を起こし、ゼノは反射的に身構えた。
考えることに夢中で、天幕に人が入ってきたことに全く気付いていなかった。きっちりと制服を着込んだ小豆色の髪の男が、出入り口を塞ぎながらゼノを見ていた。
「そう嫌な顔をしないでくれ。きみと話がしたいだけだ」
口にした言葉とは裏腹に、その声には明らかな敵意が含まれていた。
腰に携えた剣の柄に手を掛けたまま、男が数歩前に歩み出る。おそらくこの距離が彼の間合いなのだろう。
「レジオルド憲兵隊第十七隊隊長、オルランド=ベルニだ。きみの名を聞こう」
朗々とした口調で名を名乗るオルランドの声には、有無を言わさぬ気迫があった。
「……ゼノ」
低く唸るように呟くと、オルランドはゼノを見下ろしたまま、淡々と冷めた口調で話し続けた。
「珍しい名だな。……単刀直入に訊かせてもらうが、エストフィーネの村に火をつけたのはきみか?」
オルランドの問いに、ゼノは無言で首を振った。
「では、街道を隔てた森の奥で、野盗の一味を惨殺したのは?」
続けて問われ、言葉に詰まる。
鉄錆と酒の臭いに満たされたあの光景を思い出し、胸の奥から不快なものが込み上げた。
およそ人間の仕業ではあり得ない野盗の隠れ家の惨状を、そしてその犯人がゼノであることをこの男は知っている。
答えようによっては厄介なことに成り兼ねなかった。
「沈黙は肯定と同じだ。きみがやったんだな?」
問いに答えず苦い表情を浮かべるゼノに、オルランドが再度確認の言葉を突きつける。誤魔化しは効かないと判断し、ゼノは観念したように頷いた。
「……仕方がなかった」
あの状況で、捕らわれた三人を無事に救い出す方法など、ゼノには考えつかなかった。
鉄格子の牢を抜け出し、誰一人傷つけることなく逃げ果せる。そんな奇跡が起こせたら、どんなに良かっただろう。
けれど、今ここでそんな弁解をしたところで意味はない。
異種族を畏怖し、言葉の通じない猛獣と同列に扱う人間が、ゼノの言葉を信じるはずもないのだから。
(いざとなれば……)
目の前の男の頭部が、赤い飛沫を散らして弾ける様が脳裏をよぎる。
いとも容易くその光景を想像できてしまう自身の思考に、ゼノは悍ましいものを感じた。
あたりが薄暗いのは、天井から広がった布に周囲が覆われているからだろう。どうやらここは天幕の中のようで、ゼノは地べたに敷かれた厚手の布の上に寝かされていた。視線をめぐらせるが、目に見える範囲に人はいないようだ。
僅かにたゆむ布の向こう側から、人の話声が微かに聞こえていた。声の主は恐らく男性だが、相手の声は聞こえない。
大きく息を吐き、目を閉じて、ゼノはこれまでの記憶を辿った。
焼き討たれた村を歩いて周り、丘の上で死者へ花を手向けた。坂道を下り、湖のほとりで横になって――
そこから先の記憶はなかった。
熟れた果実が赤黒い汁を撒き散らし、次々に目の前で爆ぜていく夢をみていた。ただひたすら不快なだけの夢の終わりに、懐かしい声を聞いた気がする。
ふたたび閉じたまぶたの裏に、淡い光に包まれた彼女の笑顔が浮かび上がる。もう一度眼を開けようとした、そのとき、入り口を覆っていた布が勢い良く開かれて、黒い影が飛び込んできた。
逆光でその影の主の顔を確認することは出来なかった。ゼノは咄嗟に目を閉じて、眠っている振りをした。
砂利を踏みしめる音がゆっくりと近付いて、ゼノのうえに影を落とした。
眠ったふりを続けるゼノの顔を覗き込んで、彼女は言った。
「まだ、眠ってる?」
囁きに似たその声には聞き覚えがあった。記憶に残る懐かしい笑顔が鮮明に蘇り、ゼノは目を見開いた。
腰まで伸びた朱紅い髪がふわりとなびく。天幕を出ていく彼女の背中を、ゼノは呆然と見送った。
声をかけることなどできなかった。都合の良い夢をみているのではないかと思った。
彼女が里の外に居るはずなど、あり得はしないのだから。
マリアンルージュはゼノの故郷で唯一の、未婚の成人女性だった。子が生まれない竜の里で、姫か女王のように持てはやされ、何一つ不自由のない暮らしを送っていたはずだ。
ゼノが知る限り、里の住人は皆、彼女に好意的だった。男勝りで女性らしさに欠けるところもあったけれど、持って生まれた美しさと無邪気な性格で、その欠点すら彼女の魅力のひとつになっていた。
全ての者に愛されて恵まれた生活を送り、幸せな未来を約束されていた彼女が、里を降りるわけがない。
「お目覚めのようだな」
唐突に男の声が響く。素早く身を起こし、ゼノは反射的に身構えた。
考えることに夢中で、天幕に人が入ってきたことに全く気付いていなかった。きっちりと制服を着込んだ小豆色の髪の男が、出入り口を塞ぎながらゼノを見ていた。
「そう嫌な顔をしないでくれ。きみと話がしたいだけだ」
口にした言葉とは裏腹に、その声には明らかな敵意が含まれていた。
腰に携えた剣の柄に手を掛けたまま、男が数歩前に歩み出る。おそらくこの距離が彼の間合いなのだろう。
「レジオルド憲兵隊第十七隊隊長、オルランド=ベルニだ。きみの名を聞こう」
朗々とした口調で名を名乗るオルランドの声には、有無を言わさぬ気迫があった。
「……ゼノ」
低く唸るように呟くと、オルランドはゼノを見下ろしたまま、淡々と冷めた口調で話し続けた。
「珍しい名だな。……単刀直入に訊かせてもらうが、エストフィーネの村に火をつけたのはきみか?」
オルランドの問いに、ゼノは無言で首を振った。
「では、街道を隔てた森の奥で、野盗の一味を惨殺したのは?」
続けて問われ、言葉に詰まる。
鉄錆と酒の臭いに満たされたあの光景を思い出し、胸の奥から不快なものが込み上げた。
およそ人間の仕業ではあり得ない野盗の隠れ家の惨状を、そしてその犯人がゼノであることをこの男は知っている。
答えようによっては厄介なことに成り兼ねなかった。
「沈黙は肯定と同じだ。きみがやったんだな?」
問いに答えず苦い表情を浮かべるゼノに、オルランドが再度確認の言葉を突きつける。誤魔化しは効かないと判断し、ゼノは観念したように頷いた。
「……仕方がなかった」
あの状況で、捕らわれた三人を無事に救い出す方法など、ゼノには考えつかなかった。
鉄格子の牢を抜け出し、誰一人傷つけることなく逃げ果せる。そんな奇跡が起こせたら、どんなに良かっただろう。
けれど、今ここでそんな弁解をしたところで意味はない。
異種族を畏怖し、言葉の通じない猛獣と同列に扱う人間が、ゼノの言葉を信じるはずもないのだから。
(いざとなれば……)
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