滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

狩り③

 流石に里の男衆に紛れて狩りに出ていただけはある。
 足場の悪さに四苦八苦しながら後に続くゼノとは違い、マリアンルージュは軽々と道の先を進む。急な坂をしばらく登り、ふたりは微かに耳に届く川のせせらぎから現在地と川までの距離を確認した。
 大小の石や地表を這う木の根で歩き難かった獣道はいつの間にかなだらかになり、周囲の茂みは枝葉がられて拓けた道になっていた。それらの状況からは、何か大きな動物がこの辺りに住み着いていることが容易に想像できた。
 大樹の根元にしゃがみ込み、草のあいだを確認すると、マリアンルージュは顔を上げてゼノを手招いた。

「……これを見て。岩豚だよ。この辺りに生息してるんだ」

 マリアンルージュが指し示す草むらをゼノが覗き込むと、そこには異様な存在感を放つ動物の糞がこんもりと落ちていた。眉を顰めて息を詰めるゼノに、マリアンルージュが期待を込めた眼差しを送る。彼女は勢い良く立ち上がり、瞳を輝かせてゼノに詰め寄った。

「狩ろう!」
「狩ろう……って、道具はあるんですか? そんな大きな手荷物には見えませんが……」
「流石に弓は持って来れなかったけどね。でも、こんなときのことを考えて……」

 弾んだ声でそう言うと、マリアンルージュは背負っていた袋を下ろし、中から長い紐を取り出した。動物の毛を編んで作った丈夫な紐は中央が幅広くなっており、片側の先端が輪になっていた。

「なるほど、投石紐スリングですか」

 呟いたゼノに、マリアンルージュは大きく頷いた。

 スリング――片手で握れる程度の大きさの石や金属の塊等を遠くへ投げ飛ばす道具だ。
 射程距離が長く、鉄のやじりを必要とする弓矢に比べて弾の補給が容易なため、鳥や小動物の狩りの際に用いられる。だが、狙いどおりの距離・方向に投石するためには紐を放すタイミングを正確に見極める必要があり、実用できるほどの技を修得するのは難しく、暇を持て余した竜人族の中でも実用している者はまれだった。

 スリングの片端を手首に掛けてくるくると回してみせると、マリアンルージュは鼻歌を歌いながら、足元に転がる石を物色しはじめた。手頃なものを幾つか拾い上げ、岩豚の通った形跡を辿りながら、彼女は森の奥へと進む。
 延々と続くかに思われた木々の切れ目、陽の光の射す拓けた場所で、は悠々と草を食んでいた。ゼノの胸の高さほどあるその身体は、頭部のごく一部を除き、岩のような鱗で覆われていた。

 本来、岩豚の捕獲は非常に難易度が高い。
 頑強なその鎧を飛び道具で貫くのは非常に困難であり、竜の里の男衆は竜気を纏わせた近接武器で直接傷を負わせる狩猟法を用いていた。
 狩り人自身が危険に晒されるためか、率先して岩豚猟に出るものは少なく、岩豚の肉は非常に希少な食材とされていた。当然ながら、ゼノがその肉を口にできた試しは一度もない。

「すごく美味しいんだよ」

 ゼノを振り返って嬉しそうに告げると、マリアンルージュはひらりと茂みを飛び越えて、岩豚の前に躍り出た。
 唐突な自殺行為を目の当たりにして、ゼノの顔が一瞬にして青ざめた。

 大抵の草食動物は天敵を前にすると逃げ出すものだ。けれど、その身に強固な鎧を纏う岩豚はそこらの被食獣とは違う。狩猟者と対峙した際、真っ先に臨戦態勢に移るのである。
 案の定、マリアンルージュに気付いた岩豚は草むらから顔をあげ、鼻息を荒げながら蹄で地表を掻き毟りはじめた。力強く地面を蹴って勢いに乗り、前方のマリアンルージュへ向かって突進する。
 空回りする頭では何の対策もできず、ゼノは目を見開いたまま全身を強張らせた。対するマリアンルージュの表情は涼しいもので、迫り来る岩豚を前に余裕の笑みを浮かべている。
 片手でスリングを回転させながら、彼女は悠然と構えを取った。

 ――ひゅっ。

 空を裂く鋭い音と共に、放たれた石が岩豚の眉間に直撃する。猛進していた岩豚は身を仰け反らせ、空回りする足に踊らされるまま前方の大樹へと激突した。
 岩豚の突進をかわしたマリアンルージュは倒れ込んだ巨体に駆け寄ると、岩豚が気絶していることを確認し、呆然と立ち尽くすゼノを晴れやかな笑顔で手招いた。

「なんと言うか……、お見事でした」

 ひとこと口にするのがやっとだった。まさか彼女が、男でも苦労する岩豚狩りをいとも容易く成し遂げてしまうとは。
 ゼノが想像していたよりも遙かに、マリアンルージュは逞しかったようだ。
 岩豚の傍で手を振るマリアンルージュの元へ向かおうと一歩踏み出した、その刹那、ゼノは何者かの気配を察した。

 ――後方の茂みの奥に、誰かが居る。

 素知らぬ顔でマリアンルージュの側へと駆け寄ると、ゼノは彼女の傍らに膝をつき、こっそり耳打ちした。

「振り返らずに聞いてください。後方の茂みに何者かが潜んでいます」

 袋から取り出した縄で岩豚の前脚を括っていたマリアンルージュは、振り返ることなく平然とゼノの言葉に頷いた。

「うん。悪意は感じないけど、ずっとつけられてる」
「ずっと……ですか?」
「朝から何度か気付いてはいたんだ」
「朝から……」

 マリアンルージュの言葉に眉を顰めると、ゼノは足元の石を拾い上げた。そのまま上体を捻って大きく振り被り、後方の茂みに向けて思い切り石を投げつける。
 直線を描くように突き進んだその石は、茂みの中へと姿を消した。その直後、小さな悲鳴がふたりの耳に届いた。


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