滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

狼と花と肉①

 茂みの裏側へと素早く回り込んだゼノは、目の前の光景に目を丸くした。
 頭のてっぺんを押さえ、涙目でゼノを見上げていたのは、まだ年端もいかない少年だった。

いってぇ! いきなりなにすんだこの野郎! いたいけな子供相手に飛び道具なんて大人のやることじゃねーだろ! 恥を知れ、恥を!」

 少年はゼノと顔を合わせるや否や、怒涛の勢いで文句をまくし立ててきた。
 赤墨色の髪の毛と同じ色のふさふさの尻尾を逆立て、怒りを露わにゼノを睨み付ける。髪のあいだから覗く丸みを帯びた三角形の獣の耳は肉厚で、イヌ科の動物のそれだとわかった。

人狼ヒトオオカミ……ですか?」

 呆気にとられたままゼノが溢すと、頭のてっぺんをを押さえたまま、少年は一瞬にして顔を青褪めた。ふらふらと目を泳がせて、「え、あー、ん……?」などと声を洩らしている。

「人の後をつけるような真似をして、一体何を企んでいたんです?」

 口籠る少年にゼノは詰め寄った。
 尾行していただけではない。朝からずっと見られていたのだとすれば、当然この少年はを見ている。

 冷たい光を湛えた紅玉の瞳を、ゼノがすっと細める。
 蛇に睨まれた蛙のように少年が縮こまった、そのとき。

「なんだ、子供じゃないか」

 茂みの向こうからマリアンルージュがひょっこりと姿を現した。

「終わったよ。早く川原に戻ろう?」

 片手で紐をくるくると弄びながらにっこりと微笑んで、マリアンルージュがゼノを急かす。
 少年を見下ろす瞳はそのままに、ゼノは言った。

「マリア、今大事な話をしているので、少しだけ向こうで待っていていただけませんか?」
「それは構わないけど、はやく絞めないと岩豚が目を覚ましてしまうよ?」
「えっ……」

 茂みの向こう側、締め上げた岩豚を指差してマリアンルージュが肩を竦める。岩豚と少年のあいだで何度か視線を行き来させたあと、口を開きかけたゼノの言葉を遮るように珍妙な音が鳴り響いた。
 足元で顔を背けてぷるぷると震える少年の腹が、なんとも情けない悲鳴をあげていた。

「その少年にも手伝ってもらって、……ね?」

 くすりと笑んで、マリアンルージュがゼノを促す。
 やれやれと肩を竦め、ゼノは少年へ手を差し伸べた。



***


 岩豚の四肢を括った紐を握り、三人はその巨体を引き摺って獣道を降った。川原まではそう遠くはなかったけれど、それでも岩豚を運び終えるころには三人とも汗だくになっていた。
 川縁に岩豚を寝かせ、砂利の上に座り込んで小休憩を取っていたところで、マリアンルージュがゼノに尋ねた。
 
「それ、借りてもいいかな?」

 マリアンルージュが指差したのは、ゼノの腰ベルトに提げられた護身用のナイフだった。
 目を丸くしてゼノが動きを止めると、マリアンルージュは軽く謝るような仕草を取り、茶目っ気たっぷりに笑って言った。

「ごめん、解体するのに肝心の刃物を持ってきてなくて」
「あぁ、そういうことでしたら……どうぞ」
「ありがとう」

 ベルトから鞘ごと取り外したナイフを手渡すと、マリアンルージュは一言礼を述べて立ち上がり、ひとりで岩豚の元へと向かった。離れていく後ろ姿と岩豚の巨体を見比べて、ゼノが慌ててマリアンルージュを呼び止める。
 
「手伝いましょうか?」
「ひとりで大丈夫だよ」

 くるりと振り返ってそう言うと、マリアンルージュはゼノの隣で肩を上下させている人狼の少年を指差した。

「それよりも、ふたりで焚き木を集めておいてくれる? 火の準備もしておいてもらえると助かるな」



***


 再び森の中へと戻ったゼノと少年は、足元に散らばる枝木と落ち葉を拾い集め、川原と森を何度か行き来した。それが終わると、ゼノは少年に、川原に転がる石のなかから大きめのものを選んで集めるように指示を出した。

「そういえば、きみの名前をまだ聞いていませんでした。毎回少年と呼ぶのもどうかと思うので名前を教えてもらえますか?」

 石を拾い集めながらゼノが少年に尋ねると、少年はそっぽを向いたまま名を名乗った。

「リュックだよ」
「では、リュック。集めた石でかまどを作りますから手伝ってください」

 空腹で肉を食べたい気持ちからか、本来素直な性格なのか、少年は従順な姿勢でゼノの指示に従い、石の組み上げを手伝った。
 行動を共にしたのは僅かな時間ではあったものの、少年に対してゼノが抱いていた不信感はすぐに消えた。むしろ人間の支配が強いこの世界では、異種族というだけで近しい立場の存在に感じられた。

 ゼノは少年に細かいことを尋ねようとはしなかった。ただひとつだけ、気に掛かることがあった。
 どう切り出そうかと考えていた、ちょうどそのとき、かまどに目を向けたままリュックが話しかけてきた。
 
「さっきの、ねえちゃんさ」
「マリアのことですか?」

 ゼノが確認すると、リュックはこくりと頷いて話を続けた。

「……言葉遣いは女らしくないし、岩豚とタイマン張ったりしてとんでもないヤツだなって思って見てたけど……優しいよな」

 呟いて、その表情を綻ばせる。先程までの不貞腐れた様子は欠片もない、穏やかな笑顔だった。

「そうですね」
「美人だし」
「……そう。それに良い身体をしていたでしょう?」
「良いっつーか、あれは相当の上物じょうものだね。オイラが見てきた中ではトップクラスだ。出るとこはちゃんと出てるし、腰回りも程よく筋肉が付いて引き締まって――」

 そこまで言って、リュックは慌てて口を塞いだ。怯える視線が向かう先には、ゆっくりと頷くゼノの笑顔がある。顔に貼りついたその笑みは、背筋が凍りつくほど冷ややかだ。
「嵌められた」と後悔するも時すでに遅く、リュックは朝方抱いた出来心をちょっとばかり後悔することになったのだった。


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