滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

狼と花と肉②

 石造りの簡便なかまどが組み上がり、焚き火の準備が整ったころ、岩豚の解体を終えたマリアンルージュが新鮮な肉を両手に戻ってきた。
 上機嫌でゼノとリュックに肉の塊を差し出した彼女は、ふたりの微妙な空気に首を傾げると、リュックの頭頂の大きなコブに目を見張った。

「これ、どうしたの? どこかにぶつけた?」

 心配して説明を求めるものの、当の本人であるリュックは気まずそうに視線を逸らすだけだ。

「なんでもありませんよ、ね?」

 何事もなかったかのように冷静に、ゼノがリュックに頷いてみせる。
 不自然な笑みを浮かべるふたりの様子に、マリアンルージュは只々首を傾げていた。


 ゼノとリュックが組み上げた石のかまどは、マリアンルージュの想像を遥かに上回る出来だった。
 気不味そうに顔を背けるリュックの手を取って礼を言うと、マリアンルージュは大きめの木の葉を川で洗い、その上で肉の塊を丁寧に切り分けた。

「それは、どこの部位にあたるんですか?」
「お腹から背中にかけた、脂ののってる柔らかい部位だよ。調理器具さえ揃っていれば、どの部位でも食べられたんだけどね」

 隣で手元を覗き込んでいたゼノに、マリアンルージュは上機嫌で答えた。
 一般に、岩豚の柔らかく脂ののった肉は、街の高級料理店でしかお目に掛かれない一級品だと言われている。本来ならば、多彩な香辛料で味付けをしたステーキや、香草を使った煮込み料理などの本格的な調理法が望ましいものの、材料も道具も揃わない森の中では精々肉そのものの素材の味を愉しむしかないだろう。
 ゼノとリュックが集めた枝の中から手頃なものを串代わりにして、マリアンルージュがかまどの上に肉を並べようとしたときだった。

「ちょっと待ったぁぁぁぁ!」

 張り上げられたその声に、マリアンルージュは目を丸くした。慌てて手を止め、リュックのほうを振り返る。

「目の前の高級食材がただの焼いた肉になるのをみすみす見逃すわけにはいかない! どうせ人間じゃないのはバレてるんだ! オイラが一肌脱いでやるよ!」

 希少な食材に目を眩ませ、自棄やけになったリュックが勢い良く立ち上がって叫ぶ。
 空腹に荒ぶる人狼の少年を見上げ、ゼノは胸の内で呟いた。

 ――高級食材恐るべし。



***


 ゼノとマリアンルージュを追い立てるように川原に座らせると、リュックは手のひらを上にして両手を合わせ、祈るように目を閉じた。
 僅かな沈黙が訪れ、木の葉が掠れ合う音と川のせせらぎが耳に届く。

 リュックが何をしようとしているのか、ゼノとマリアンルージュには見当もつかなかった。おとなしく並んで座ったまま、ふたりはじっとリュックの様子を眺めていた。

 異変はすぐに起きた。
 リュックの手のひらにぼんやりと光が灯る。と同時に、瞬く間に様々な植物が光の中から溢れ出した。
 多種多様な植物が薫り高い花を咲かせ、次々とその実を実らせていく。

「すごい! これ、全部香草だよ!」

 感嘆の声をあげ、マリアンルージュがリュックの周りに広がる小さな繁みへと駆け寄った。

「村の外では使うなって言われてる能力ちからなんだ。オイラ達は他の人狼ヒトオオカミと違って少し特殊でね。自然に育った植物に触れることで、自在にその植物を生み出すことができるんだ」

 マリアンルージュが予想外に喜ぶので気を良くしたのだろう。リュックが得意げに自身の特殊な能力について説明する。
 けれど、マリアンルージュはそれどころではなかったらしい。興奮して大はしゃぎしながら、彼女は次々に香草の香りを嗅いでいた。

「ちょっと、話聞いてる?!」
「聞いてますよ、一応」

 ちょっぴり涙目のリュックの肩に手を置いて、憐れむようにゼノが囁いた。



***


 不貞腐れながらもマリアンルージュの要求に応え、リュックは様々な草花を咲かせた。
 料理に使用する香草や草葉が揃うと、マリアンルージュは再びリュックの手を取って、上機嫌で礼を述べた。

「ありがとう! こんなに良い素材が揃うとは思いもしなかったよ!」

 直接好意を向けられることに慣れていないのか、リュックは僅かにたじろいでいたが、ほんのりと頬を染めるその様子から満更でもないことが窺い知れた。

「べ、別に礼なんていらねぇよ。せっかくの高級食材なんだから。さっさと調理して食べようぜ」

 特殊能力を使ったことで余計空腹感が増したのだろう。リュックはマリアンルージュに調理を促した。だが――

「ごめん、もう限界だ。取り敢えずお昼は串焼きにしよう」

 真上に位置する太陽を指差して、マリアンルージュ平謝りしてみせる。
 ゼノとリュックも限界だったのだろう。反論もなくその提案に頷いた。


 かまどとは別に焚き火をおこし、三人は火を囲んで串に刺した肉を焼いた。
 脂ののった岩豚の肉は火で炙るとたちまち肉汁を滴らせ、度々火の粉を舞い上がらせた。
 
「もう焼けたんじゃないですか?」
「まだダメだよ。我慢だよ我慢!」
「ちゃんと火を通さないと腹くだすぞ」

 口々にお互いを牽制しながらも、三人の胃袋は既に我慢の限界だった。
 暫しの沈黙をおいて、零れ落ちた肉汁で火の粉が跳ねた、その瞬間。三人は同時に串へと手を延ばし、程よく焼き色が付いた岩豚の肉へとかぶりついた。
 芳ばしい薫りが三人の鼻腔を擽り、口内を満たしていく。咀嚼するたびに溢れ出す肉汁で火傷しそうになりながらも、まだ熱さの残る肉片を競うように喉の奥へと流し込んだ。
 せきを切ったように両手に握った串焼きを貪るリュックを横目で眺め、感動と興奮で熱くなった目頭を押さえながら、ゼノは幸せを噛み締めた。

 切り分けた分の岩豚の肉があらかた片付いた頃には、ゼノの胃袋はすっかり満たされていた。腹をさすりながら川原に寝転がるリュックの顔も満足そうだ。
 早々に食事を切り上げたふたりを他所に、マリアンルージュは焚き火の傍にしゃがみ込み、残りの肉を焼いていた。一口肉を頬張るたびに満面の笑みを浮かべる彼女の様子は、まさに幸福を体現している。

「よく食べますね」

 あぐらに頬杖をつきながらゼノが呟くと、マリアンルージュがはたと動きを止めた。ぎこちなくゼノのほうへ目を向けたその顔が、みるみるうちに紅く染まる。

「……いた?」

 消え入りそうなか細い声がゼノの耳に届く。数回瞬きを繰り返し、ゼノは特に表情を変えるでもなく、その問いに答えた。

「いえ、本当に美味しそうに食べるひとだなぁと思っただけです。貴女の顔を見ていると、こちらも幸せな気分になりますよ」
「……っ!」

 真っ赤に茹で上がった顔を両手で覆い隠し、マリアンルージュは勢い良くゼノに背を向けた。

「い、嫌味じゃありませんよ!? 本当に、無邪気と言うか、ずっと見ていて飽きないと言うか、食べてる姿も愛らしいと――」
「もういい! わかったから! きみが嫌味を言うような人じゃないのは知ってるから……!」

 必死に顔を背けながら、マリアンルージュが後退あとずさる。けれど、誤解を解きたい一心のゼノは、更にマリアンルージュに詰め寄ると、真剣な表情で赤面ものの台詞を怒涛の如く言い連ねた。
 焚き火を囲んで大騒ぎするふたりの珍妙なやり取りを冷めた目で傍観していたリュックは、ゆっくりと川原に身体を横たえて、やれやれと溜め息を吐くのだった。


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