滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

触れる①

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 不気味な静けさの中で男は目を覚ました。

 その部屋は闇に閉ざされていた。微かな息遣いと、囁きに似た声が耳に届く他、音という音はない。
 両手両足が冷たく硬い何かに拘束されているようで、逃れようともがくと軽い金属音が暗闇に鳴り響いた。音の反響具合から、男が居るこの部屋が相当広いことが窺えた。
 ここは何処なのか。自分は何故捕らえられているのか。
 考えようとするものの、男の心を恐怖が駆り立て、それ以上の思考を許さなかった。

 ――光……光が欲しい。この闇を、恐怖を掻き消すような、希望の光が。

 男は願った。
 そのとき、眼前に広がる暗闇の奥に、淡い光が現れた。
 ふわふわと宙を揺蕩たゆたいながら、光は男の周囲を泳ぐ。幻想的で美しいその光景に男は目を奪われ、待ち望んだ光の出現に安堵の息を洩らした。
 だが、その安らぎは長くは続かなかった。

 突然、耳を劈く轟音が闇に鳴り響き、男の脇腹に衝撃がはしった。
 淡い光の中で、男は自身の脇腹へ視線を向けた。抉るように割かれた傷口が燃えるように熱い。溢れ出す鮮血が半身を染めあげていく。
 激痛にもがきながら、男は顔を上げた。

 ――それは、鮮血のような朱紅あか

 ぼんやりと闇を照らしていた淡い光の群れが、次々と色を変えていく。変色と共に勢いを増した光が、闇に隠されていたその部屋の全貌を暴いた。
 そこは劇場のようだった。飾り立てられた観客席が周囲を取り囲み、大勢の人間がこの余興の主役である男に狂気を孕んだ視線を向けていた。

「なっ……! なんだこれは!」

 不気味な視線から逃れようと、男が身を捩る。だが、両手両足に食い込んだ鉄の拘束具は、鎖と擦れ合い軽い金属音を響かせるだけだ。
 怒りと焦りと恐怖から、男は観客席に座る大勢に向け、罵詈雑言を投げつけた。だが、観客達は男に視線を向けたまま、その顔に満足気な笑みを湛えている。
 男の叫びが虚しく反響する場内で、せせら笑いが微かに響いた。
 激痛と出血で朦朧としながらも、男は自身の身体に視線を落とし、そして驚愕した。
 いつの間にか、朱紅い光が男の脇腹に群がっていた。透き通った半球状の身体と糸のような触手を持つその生物は、幾筋もの触手を男の傷口へと伸ばし、鮮血に塗れた肉片を毟り取っていく。

「うわああああ! やめろ! 来るなぁぁぁっ!」

 泣き喚く声も虚しく、男の身体が淡い光に浸食されていく。観客席からくすくすと笑い声があがり、やがて場内は拍手喝采に包まれた。



***


「反吐が出るな」

 巨大な鉄の扉を睨み付け、ジルドが吐き捨てる。扉の向こうから漏れてくる品のない笑い声が、殊更にジルドの嫌悪感を煽っていた。
 同行するテオは耳を塞ぎ、隣にしゃがみ込んでいる。

 王都レジオルドの地下に造られたこの施設は、軍法会議で有罪判決を受けた異種族の処刑場だ。人間に害を為した異種族は、その罪の大小に関わらず、この施設へ送られ、処刑される。
 この国は表向き異種族との共存をうたってはいるが、その本質は異種族差別を唱える他の国と大差ない。実刑判決を受けた異種族は、悪趣味な金持ちの余興のために公開処刑される運命だ。そして、その悪趣味な金持ち達に最も人気のある余興こそが、今宵催された『肉食海月の捕食劇』だった。

「こんなところに長居したくありませんよ。隊長はまだなんですか?」

 扉の向こうで反響する断末魔の叫びに耳を塞ぎながら、テオが涙声で呟いた。
 ふたりがこのような場所にいる目的は、施設に併設された憲兵隊の取り調べ室に抑留された、上官のオルランドに会うことだった。
 エストフィーネ村の襲撃事件と野盗の惨殺事件。そのふたつの事件に関わった『人間に害を為す異種族』を見逃したことを罪に問われ、オルランドは懲罰を受けることになったのだ。

「こうなることは判っていた筈なのに、隊長は何を考えてるんだろう……」

 テオがぼやくと、ジルドは取り調べ室の廊下に目を向けたまま、淡々と応えた。

「青年の件に関しては同意だが、マリアのことを考えれば隊長の行動も理解できる。誤って攻撃を受けたとはいえ、惚れた女が自分のために見世物にされて殺されるなんて、胸糞悪いどころの話じゃないだろう」
「まぁ……、そうなんですけど」

 ゼノとマリアを護送し、ありのままを報告すれば、野盗を惨殺したゼノは勿論のこと、オルランドに攻撃したマリアも軍法会議で有罪になる。
 オルランドはこのレジオルディネでも有数の名のある貴族であるベルニ家の嫡男だ。与えられる罰の重さも知れている。
 自身の出自を考慮した上で、彼はふたりを逃がし、自ら罪を問われることを選んだのだ。

 ジルドに窘められて、テオが渋々頷いた矢先、取り調べ室の扉が開かれた。廊下に姿を現した小豆色の髪の男は、テオとジルドに気が付くと、その表情を和らげた。

「待たせたな」
「いえ、隊長こそお疲れ様です」
 
 頭を下げたオルランドに、テオとジルドは略式の敬礼をして見せた。軽く頷きを返し、オルランドが歩調を速める。

「一ヶ月間の謹慎処分だ。その間、隊の指揮はアルバーノに任せることになる」

 事務的に告げ、乾いた靴音を響かせながら、オルランドは廊下を進んでいく。ふたりは顔を見合わせて、先を行く上官のあとを追った。

「個人的な感情で全隊員に苦労をかけることになる。すまない」

 振り返るでもなく、オルランドが謝罪の言葉を口にした。彼にしては珍しい、自信を喪失した声だった。

「残虐性こそ高いものの、男のほうは捕まった村人を助けるために行動したわけですし、死んだのは犯罪者だけです。マリアに至っては自衛の為に能力の片鱗を見せただけで、あとは貴方の言いつけをしっかり守っていました」
「それに、俺たちの仕事を手伝ってくれましたからね。他の奴らだって、彼女があんな胸糞悪い見世物にされるのはごめんですよ」

 弱気なオルランドを励ますように、ジルドとテオは口々に言葉をかけた。オルランドが足を止めて振り返ると、後に続くふたりも釣られて足を止めた。
 向かい合ったオルランドの表情かおはいつもと変わらない、テオが尊敬する、レジオルド憲兵隊第十七隊隊長そのものだった。

「全く、上官思いな部下を持ったものだ」

 やれやれと肩を竦め、オルランドが息を吐く。その表情には微かな笑みが浮かべられていた。

「ついでに、任務続きのお前達に朗報だ。俺が拘束されている間に、次に着任予定だった案件を第三隊が引き受けたそうだ」
「それは……随分と珍しいですね」

 書類の束を手渡され、ジルドが訝しげに呟いた。
 同じ憲兵隊に所属しているとはいえ、第三隊は王都憲兵隊――通称『金の林檎』に所属する部隊だ。滅多なことでは王都の外に出向かない彼等が第十七隊の任務を引き受けたとなれば、何か裏があるのではと疑いたくもなるものだ。
 ジルドの言葉に敢えて応えず、曖昧な笑みを浮かべたオルランドは、素早く踵を返すと、

「久々の休暇だ。存分に羽を休めておけ」

 背中を見送る二人の部下を労うように、声高にそう命じた。


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