滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

触れる②

 東の空が白みはじめ、静まり返った森で鳥のさえずりが夜明けを告げる。朝靄が薄らぎ、川の流れを視認できるほど視界が晴れたことを確認すると、ゼノは弱々しく火を灯す焚き火に細枝を焼べた。

 森の朝は冷える。収穫祭が終わるこの季節になれば、真冬の寒さにも劣らない。川の近くであれば尚更、早朝の冷えた空気が上流から流れ込んでくる。
 深夜に一度マリアンルージュと火の番を交代し、休息を取ることができたおかげで、幸いゼノは竜気を身に纏い続けられている。上着を着なくとも早朝の冷え込みを気にせずにいられるこの能力は、野宿が続くこのような旅には欠かせないものだった。
 口から零れる白い息が霞んで消えていくのを見届けて、ゼノは傍へと眼を向ける。
 冷たい砂利のうえで横になり、小さく身を丸めるマリアンルージュの身体には、ゼノの黒い上着が掛けられていた。
 昨夜、マリアンルージュは愛用のマントをリュックに貸して、そのまま眠りについてしまった。ゼノなりに気を利かせて毛布代わりに上着を貸したつもりではあるものの、一度血塗れになり、そのまま着用し続けていたゼノの上着は正直言ってかなり臭う。
 けれど、気温の変化を肌で感じ、寒いと口にしていたマリアンルージュを放って置くことなど、ゼノにはできなかった。

「何故、わざわざ外気の影響を受けるような真似を……」

 呟いて、眠ったままのマリアンルージュに手を伸ばす。
 指先に纏っていた竜気だけを器用に解いて、ゼノはマリアンルージュの頬に触れた。ひんやりと冷えた外気とともに、人肌の柔らかさと温かさが指先から伝わった。

 常日頃から竜気を身に纏って生活していたゼノは、これまで薄布一枚を隔てたような感覚で物に触れてきた。直接触れているようでいて、その実、対象の温度や触感を正しく認識していなかった。元々生きている存在ものに触れる機会がなどなかったし、直接他人に触れたのも、母親に甘えていた幼い頃以来のことだった。
 だからこそ、マリアンルージュの肌の感触は新鮮で、そして、懐かしい温かさがあった。

 もう一度、恐る恐るマリアンルージュに手を伸ばす。けれど、指先が肌に触れるその前に、ゼノは伸ばしかけたその手を止めた。
 安らかに寝息をたてるマリアンルージュは、ゆったりとした呼吸に合わせて身体を僅かに上下させていた。無防備なことこのうえないが、それは彼女のゼノに対する信頼の証でもあるのだろう。それなのに、そんな彼女に興味本位で手を触れてしまうとは。
 僅かばかりの後悔と罪悪感にゼノが眉を顰めた、そのとき。

「……ゼノ?」

 気怠げな、甘えるような声だった。
 触れるか触れないかの絶妙な距離で手を止めたまま、ゼノは身を強張らせた。
 目を覚ましたマリアンルージュがもぞもぞと身動ぎ、小さくあくびをしながらゆっくりと起き上がる。真近に迫っていたゼノの手に目を留めると、彼女は眠たそうに瞼をしばたかせ、小首を傾げてゼノを見た。

「おはようございます。……その、勝手に触れるような真似をしてしまい、すみませんでした」

 頭を下げるゼノの言葉に怪訝な表情で瞬きを繰り返していたマリアンルージュは、肩に掛けられた黒い上着に気が付くと、その襟元を握り、顔を綻ばせた。

「おはよう。これ、貸してくれたんだね。ありがとう」

 穏やかな微笑みを浮かべ、マリアンルージュは愛おしげに上着の端を握る。なぜだか胸が熱くなり、ゼノは思わず俯いた。
 理由など判らない。けれど、今の表情をマリアンルージュに見せるわけにはいかない気がした。

「毛布代わりになるものがなくて……、汚れた上着ですみません」
「そんなこと言わないで。おかげで良い夢がみれたよ?」

 ゼノの顔を覗き込み、マリアンルージュはにっこりと微笑んでみせる。脱いだ上着を素早く畳み、ゼノに向かって差し出した。
 間近に迫った穏やかな笑顔に、ゼノの心臓が跳ね上がる。素早く上着を受け取ると、胸を高鳴らせる衝動を抑え込むように、ゼノは慌てて話題を変えた。

「そのっ……、何故、直接外気に触れるような真似をするんですか? 竜気を纏っておけば、寒さに凍えることもないというのに……」

 物好きなマリアンルージュのことだ。季節の変わり目を肌で感じたり、様々な動植物に直接触れたり、そういうことを好むのだと、そう答えるものだと思っていた。
 だが、ゼノの問いに、マリアンルージュは驚いたように大きな眼を瞬かせた。僅かに考え込む素振りをみせたあと、不可解だと言いたげに口を開いた。

「わたしは寧ろ、きみが竜気を四六時中纏い続けていることに驚いたよ。わたしも里のみんなも、必要なときに身に纏うことはあるけれど、常にその状態を維持するなんて――」

 そこまで言いかけて、マリアンルージュはハッとしたように口を噤んだ。
 どうやら、ゼノは勘違いをしていたようだった。
 イシュナードもマリアンルージュも変わり者ではあるが、その能力は根本的には里の皆と変わらない。竜気と魔力を必要に応じ使い分けて生活してきたのだ。
 だが、ゼノは違う。魔力を持たず、その代わりであるかのように、膨大な竜気を身に宿している。常に竜気を全身に纏い、物理的にも他人との接触を避けてきた。あの里に於いて、ゼノは特別異質な存在だったのだ。多分、――おそらく。

「気にしないで。きみの一族は魔力がない代わりに竜気の扱いに長けている。それだけのことだよ」

 そう言うと、マリアンルージュはくすぶる焚き火に砂をかけ、すくっと立ち上がった。

「……マリアは、俺や俺の家族を異質だとは思いませんか? 姿かたちは似ていても、全く別の生き物なのではないのかと――」
「思わないよ」

 不安気に問うゼノに柔らかな笑みを向け、マリアンルージュははっきりとそう答える。その瞳には一遍の迷いもない。嘘偽りのない彼女の言葉に、ゼノは再び救われた気がした。


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