滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

自由都市①

「もう少しだよ」

 たびたび振り返り、後に続くゼノとマリアンルージュに声をかけながら、リュックがふたりの先を行く。歩きやすい小道を選ばずに、川沿いの繁みを掻き分けてでも真っ直ぐに北上するのは、誤って森の奥に迷い込むことを避けるためだ。
 ゼノもマリアンルージュも、繁みの小枝で互いの髪や衣類が傷つくことを気にしてはいたが、リュックが選ぶ道に文句を付けることはしなかった。
 やがてひしめき合っていた樹々が開け、平坦な山の頂きが目に入ると、リュックは川を離れ、ふたりを森の外へと導いた。
 一歩森を出れば、木の葉に遮られていた陽の光が容赦無く降り注ぐ。眩い光に照らされたその場所には、目を見張る光景が広がっていた。

 火山の噴火口と見紛う巨大な穴。強い陽の光に照らされても尚、底の見えない深い穴の中央に、それを堀に見立てるようにして造られた、城壁に囲まれた街があった。

 自由都市アルティジエ――三つの国の国境を跨ぎ、どの国にも属さない城塞都市である。
 知識人と職人の街とも呼ばれ、歴史上の重要文献を遺す図書館が存在する他、様々な道における名匠が工房を構えるこの街は、三十年前、ゼノがイシュナードと共に最後に訪れた場所でもあった。

「変わってない、何も……」

 懐かしむように目を細め、ゼノがぽつりと呟いた。
 縦穴から吹き上げる風が黒いコートをはためかせ、隣に立つマリアンルージュの長い髪を揺らした。
 今、隣に居るのが親友のイシュナードではなく、まともに口を利くようになって間も無いマリアンルージュだということが、ゼノには不思議に思えていた。

 三十年前、イシュナードは初めて訪れた森の中で、迷うことなくゼノをこの街へ導いた。
 それだけではない。どんなときでも、どんな場所でも、彼が道に迷うことは一度たりともなかった。
 里の外では常に彼と行動を共にしていたゼノにとって、それは当然のことだったけれど、おそらくそれはイシュナードに備わった特殊な能力の成せる技だったに違いないのだと、ゼノは感じていた。
 実際に自身の記憶と感覚のみで森の中を歩いてみたことで、改めて、イシュナードがあらゆる意味においてだったことを思い知ったのだ。

「すごいね! 本当に街があったよ」

 はしゃぐようなマリアンルージュの声に、ゼノはハッと我に返った。
 街を指差してゼノを見上げ、瞳を輝かせる彼女に頷いてみせる。

「それじゃあ、オイラはこれでお役御免ってことで」

 黙ってふたりの様子を眺めていたリュックは、満足気にそう言うと、ひらひらと手を振ってふたりに背を向けた。遠ざかるその背中に、マリアンルージュが慌てて声をかける。

「本当に良いの? 街まで行けばお礼もできるのに」
「岩豚の燻製が貰えただけで充分だよ。滅多に御目にかかれるモンじゃないし。ねえちゃんはもう少し物の価値を覚えたほうが良いよ!」

 困惑するマリアンルージュに手土産の岩豚を見せつけて、リュックはけらけらと笑った。

「あ、それと……」

 それから思い出したようにポンと手を打ち、再びふたりのほうへ歩み寄る。おもむろにゼノの袖を引いてマリアンルージュから離れると、怪訝な顔で首を傾げるマリアンルージュを尻目に、リュックがゼノに耳打ちをした。

「お前さ、何を躊躇ってるのか知らないけど、マリアのことが好きならハッキリ言ってやりなよ。曖昧に誤魔化してばかりだとそのうち取り返しがつかなくなるぞ」
「……は?」
「街についたら何かプレゼントしてみろよ。絶対喜ぶから」

 間抜けな声を出すゼノをちょいと小突いて、リュックはマリアンルージュに大きく手を振った。満面の笑みで、マリアンルージュが手を振り返す。呆気に取られたままのゼノに勝ち誇ったような視線を向けると、リュックは颯爽と森の中へ駆けていった。

「……好き? 俺が、マリアを……?」

 茫然と森を見つめ、ゼノは暫し立ち尽くした。

「なんの話だったの?」
「なんでもありませんよ」

 小首を傾げて訊ねるマリアンルージュに素っ気なく返事を返し、再び城壁に囲まれた街へと目を向ける。
 底の見えない深い穴の上に、街へと続く長い橋が架けられていた。



***


「これ、落ちたら死ぬかな?」
「どうでしょうね。なんなら落ちてみましょうか?」
「じゃあ、わたしも一緒に」
「やめてください」

 軽口を叩きながら、ふたりは橋の上を歩いていた。
 時折吹きつける強風に煽られて、衣類がばたばたと音を立ててたなびく。街へ近付くにつれて、風は徐々に勢いを増していった。
 目を開けていることすら困難な強風の中、ふたりが橋の中間地点に差し掛かったときだった。
 唸るような轟音と共に一陣の風が穴の底から吹き抜けて、ふたりの身体を掬い上げた。バランスを崩した身体を繋ぎ止めるように、ゼノが欄干へ手を伸ばす。咄嗟に、もう一方の手でマリアンルージュの手を掴み、欄干の側へと引き寄せた。

「大丈夫ですか?」
「うん、びっくりした」

 頬を上気させ、マリアンルージュがゼノを見上げる。驚きと興奮を隠せない、子供のような高揚した笑顔が眩しく見えて、ゼノはぐっと言葉を詰まらせた。
 欄干を握り締めたままふたりはその場にしゃがみ込み、風が止むのを待った。渦を巻くように唸りをあげた突風は、砂埃をさらうようにして上空へと吹き抜けていった。
 
 自由都市アルティジエはどの国にも属さない。それにも関わらず、大国が喉から手が出る程欲する貴重な文化遺産を保有している。
 街への出入りに使われる巨大な堀に架かる三本の橋は、外敵から攻められる可能性を考慮して造られたものだ。細い橋を渡り、軍を率いて攻め入ることは、事実上困難である。それに加え、穴底から吹き上げる風の壁が余所者の侵入を阻む防壁となるのだ。
 事実、古い文献にはアルティジエを訪れるために命を落とした者も多いと記されていた。


「ここまで来れば大丈夫そうですね」

 細心の注意を払いながら、ようやく橋を渡り終え、ゼノはほっと胸を撫で下ろした。

「途中のあれ、すごかったね。まだ胸がどきどきしてるよ」

 興奮収まらぬといった様子で、マリアンルージュは目を輝かせている。
 突然身の危険に曝され、さすがの彼女も恐怖に駆られてしまったのではないかと心配していたが、どうやらそれも杞憂に終わったようだ。
 橋を振り返り、一息つく。ふと手元に視線を向け、ゼノは思わず後ずさった。急に手を引かれたマリアンルージュが、面食らったようにゼノの顔を見上げて言った。

「どうかした?」
「い、いえ……」

 突風に煽られたあのとき、ゼノは咄嗟にマリアンルージュの手を掴んだ。振りほどくわけでもなく自然に握り返されたものだから、橋を渡り終えるまで、その手を握ったままだったことを忘れていた。マリアンルージュも同様に、ゼノの手を握ったままだと気付いていないようだった。

「もう、手を放しても大丈夫ですよ」

 ゼノが一言告げると、マリアンルージュは数回瞬きして手元に視線を落とし、慌ててゼノの手を放した。

「あっ、……ごめん」
「いえ、咄嗟に手を掴んでしまったのはこちらですから……」

 頭を下げるマリアンルージュを見て、それに倣うようにゼノも頭を下げる。やがて顔を見合わせると、ふたりは互いに表情を綻ばせた。
 橋の中央で荒れ狂っていたのが嘘のように、ふたりのあいだをそよ風が通り抜ける。アルティジエの街区へ続く市門は目の前だ。

「行きましょうか」

 マリアンルージュを促して、ゼノは閉ざされた門へと歩き出した。


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