滅びゆく竜の物語

柴咲もも

文字の大きさ
61 / 90
第二章 死する狼のための鎮魂歌

金の林檎②

 昼食時も終わりに近付き、満席だった店内に空席が目立ち始める頃、厨房で皿洗いをしていたゼノは手を止めて食堂を覗き込んだ。
 食事を終えた鉱山夫達が席を立ち、次々と勘定を済ませて店を出て行く。店内に残っているのは、食後の一服を愉しむ年配客と、昨夜ゼノに一撃をくれた若い鉱山夫の二人だけだった。
 閑散とした店内に、食器を重ねる軽い音がカチャカチャと響く。後片付けを任されたマリアンルージュがひとり、食堂と厨房を忙しなく行き来していた。

「ほらほら、休んでる暇があったら汚れた皿を運んできてちょうだい」

 ぼんやりとゼノが食堂を眺めていると、厨房に戻ってきたヴァネッサが声高に告げた。はっとして振り向いたゼノを押し退け、ヴァネッサは手早く泡に塗れた食器を濯ぎはじめる。
 濡れた手をぶら下げ、ゼノが所在無さげにしていると、厨房の入り口に置かれたカウンターテーブルの前にマリアンルージュがやって来た。絶妙なバランスで食器が積み上げられたトレイをカウンターに置き、前髪を掻き上げて一息つく。そのまま厨房に目を向けたマリアンルージュは、ゼノの視線に気がつくと、小首を傾げて言った。

「終わったの?」

 どう説明したものかと、ゼノが流し台のヴァネッサに目を向けると、ヴァネッサは茶目っ気たっぷりにゼノにウインクして見せた。くすりと笑って再び食堂へ向かおうとするマリアンルージュに、ゼノは慌てて声を掛けた。

「手伝います!」

 ダニエルもヴァネッサも可笑しな気を遣うものだ、などと思いつつ、ゼノは厨房をあとにした。


 使用済みの食器の山をゼノが厨房へ運び、マリアがテーブルを拭いて椅子を整頓していく。散らかっていた食堂は、ふたりで手分けして片付けるうちに、あっという間に開店前の姿に戻っていった。

「おつかれさま。おばさんに報告してくるね」

 食堂を見渡して満足気に頷くと、マリアンルージュはゼノに一言告げて厨房へと向かった。
 ひとり食堂に残されたゼノが壁際で手持ち無沙汰に立ち尽くしていると、長いこと煙草をくゆらせていた年配の男が、手招きしてゼノを呼んだ。懐から金の入った皮袋を取り出して勘定を済ませ、男は深々と頭を下げて店を出て行った。
 しんと静まり返った店内に、ゼノと若い鉱山夫だけが残された。
 随分前に食事を終えたにも関わらず、未だ店内に居座り続けるこの男の考えには、だいたい察しがついていた。
 目的は十中八九マリアンルージュであり、大方、厨房に戻った彼女が再び現れるのを待っているのだろう。
 妙な苛立ちを覚えながらゼノが男を観察していると、ちょうど顔をあげた男と目が合った。

「おい、お前」

 沈黙を破り、男が席を立つ。ずかずかと歩み寄られて、ゼノは咄嗟に後退った。昨日の痛みを身体がまざまざと覚えていた。

「……何か?」

 問題を起こすわけにもいかず、ゼノは平静を装って尋ねた。男は問いに答えず、無言のままゼノの顔を睨みつけてくる。
 一触即発。いつ殴られてもおかしくない。
 そう考えて、ゼノが静かに身構えたときだった。

「悪かったな」

 唐突に、男が頭を下げた。

「あんまり威勢良く出てくるもんだから、まさか喧嘩が全く駄目だなんて思わなくてよ」

 唖然として男を見上げるゼノに、ぶっきらぼうな態度で男が言った。
 てっきり因縁を付けられると思っていた相手の思いがけない行動に、ゼノは困惑した。だが、素直に謝罪するその行為を無碍にする必要など何処にもない。
 ゼノがぎこちなく頷きを返すと、男は顔をあげて表情を柔らげた。

「話がわかる奴で良かったぜ。俺はアランだ。よろしくな」

 和解の証明のつもりなのか。アランと名乗った男は、ゼノに向かって手を差し出した。
 何が「よろしく」なのか、と思いながら、ゼノが躊躇いがちに手を差し出すと、アランはその手をがっしりと両手で握った。

「いや、マジで本当に悪かったと思ってんだ。あんだけ弱いのに意を決して俺と彼女の間に入ってきた、その気持ちを考えたらよ。お前も彼女に惚れてるに決まってんのになぁ」

 握った手をぶんぶん振り回しながら、アランは更に捲し立てる。

「惚れた相手の目の前で一発殴られて倒れるなんて、俺だったら恥ずかしくて二度と彼女の顔を見れねぇ。だけどお前は仕事上それを避けるわけにもいかねぇだろ? 今日の働きぶりをみて感心したよ」

 褒めているのか貶しているのか、判断に困る言い草だが、本人の様子を見る限り悪気はないように思えた。おそらく天然の無神経なのだろう。
 溜め息をつきたくなるのを堪え、ゼノが握られた手を引くと、アランは「おっと、すまねぇ」と笑って後ろ髪を掻いた。

「俺を殴ったことに関してはもう忘れますが、彼女に変な真似をするのはやめてくださいね」

 念を押すように告げて、アランの目につかないよう、ゼノはエプロンの尻のあたりで手を拭った。
 悪い人間ではないのは理解わかったが、このアランと言う男はどうにも暑苦しい。
 ゼノが二度目の溜め息を堪えたとき、入り口の木戸が開き、来客を知らせるベルがカランカランと軽快な音を鳴らした。

 入り口を振り返ったゼノの眼に映ったのは、隊列を組んで並ぶ制服を着込んだ男達だった。人数にして三十人以上の団体のようだが、宿泊客という雰囲気ではない。何より、彼等が身に纏う制服には見覚えがあった。

「いらっしゃいませ!」

 ベルの音を聞きつけて、マリアンルージュが厨房から顔を出した。入り口を塞ぐように並ぶ人の列を見て目を丸くするマリアンルージュに、先頭に立って店内を見回していた男が声を掛けた。
 
「この街唯一の宿というのはここで間違いないだろうか?」

 輝かんばかりの金色の髪と、晴れ渡る空のように澄んだ碧い瞳を持つ秀麗な青年は、美しい外見に似合わない、どことなく不遜な口振りで尋ねた。
 男の問いに小首を傾げたマリアンルージュが厨房を振り返り、顔を覗かせていたダニエルとヴァネッサが勢い良く首を縦に振るのを確認する。

「そのとおりですが、ご宿泊のお客様ですか?」

 マリアンルージュがにこやかに微笑む。
 男は「ふむ」と納得したように頷くと、口元に薄らと笑みを浮かべ、

「なかなかどうして、美しい娘じゃないか」

そう呟いて、マリアンルージュの頬に触れた。
 男の無遠慮な行動にゼノが眼を見開くと、同時にアランが駆け出し、驚いて後退るマリアンルージュを庇うように男の前に立ちはだかった。
 一瞬のことでわからなかったが、どうやらアランはマリアンルージュの頬に触れた男の手を払い除けたらしい。男は手の甲をさすりながら、不快感を露わにアランを一瞥した。

「汚い手で触らないでいただきたいね」
「そりゃ、こっちの台詞だ」

 言うや否や、アランは得意の正拳突きを繰り出した。
 アランと男の体格差は、アランとゼノのそれと然程変わりがない。客同士の喧嘩とはいえ、この男に昨夜のゼノの二の舞になられても困る。
 相変わらず喧嘩っ早い男だと思いつつ、止めに入ろうとしたゼノだったが、対する男は余裕の表情だった。
 アランの正拳突きを華麗にかわして懐に入り込むと、腹部に勢い良く肘を埋める。「うぐっ」と低く唸り、アランはその場に崩れ落ちた。

「アラン!」
「大丈夫!?」

 うずくまったままのアランに、ゼノとマリアンルージュが駆け寄った。だが、当のアランは腹部を押さえて屈んだまま立ち上がれない。

「失礼した。急なことで手加減できなかった」

 見下すような視線を三人に向けて、冷ややかにそう告げると、男は厨房へ向き直り、顔を覗かせていたダニエルとヴァネッサにうやうやしく一礼した。

「レジオルド憲兵隊第三隊隊長ジュリアーノ=ブルーニだ。近隣の村家を脅かしていた盗賊の残党を追っている。疲弊した部下の休養のために部屋を貸して貰えないだろうか」

 ジュリアーノと名乗った男の透き通るような碧い瞳は、どこか薄ら寒い光を湛えていた。


感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

亡き姉の身代わりとして嫁いだ私ですが、離縁状を置いた翌朝、夫が私の「真実」に気づいたようです』

まさき
恋愛
「サインはもう、いただきました。あとは私がこの屋敷を出るだけです」 ​五年間の結婚生活。侯爵令嬢エルゼが演じ続けたのは、亡き姉・ロザリーの「身代わり」という配役だった。 夫であるカイル公爵が愛していたのは、かつて雪の中で自分を救ってくれた初恋の少女・ロザリー。 生き写しの妹であるエルゼを娶りながらも、彼は一度も彼女を「エルゼ」と呼ぶことはなかった。 ​冷淡な視線、姉と比較される日々。 「君はどこまでいっても、ロザリーの代わりにはなれない」 その言葉を最後に、エルゼは静かに離縁状を置き、屋敷を去る決意をする。 ​しかし、彼女が消えた翌朝。 カイルは、エルゼが大切に遺していった古い小箱を見つける。 そこにあったのは、十五年前のあの日、彼が「命の恩人」に預けたはずの片方のカフスボタン。 そして、幼いエルゼが綴った、あまりにも切ない真実の日記だった。 ​――「あの日、雪の中で貴方を抱きしめていたのは、お姉様ではなく、私だったのです」 ​真実を知り、絶望の中でエルゼを追うカイル。 だが、すべてを捨てて「自分」を取り戻したエルゼは、もう二度と、彼の隣で微笑む仮面の妻には戻らない。 ​これは、名前を奪われた女が自由を掴み、愚かな夫が真実の愛を失うまでの、静かで鮮やかな再生の物語。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…