滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

月明かりの街で①

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 追っ手に気付かれぬよう慎重に茂みを掻き分けて、少年は夜の森を進んだ。度々後方を振り返り、後をついてくる少女の様子を確認しながら。

 森の中を逃げ惑う少女を少年が見つけ、行動を共にしてからかなりの時間が経過していた。だが、少年と少女は一言も言葉を交わしていない。森のあちこちに追っ手が身を潜め、今も少女を捜しているからだ。
 夕闇に覆われていた森は、既に夜の闇に呑まれ、頭上を埋め尽くす木の葉の隙間から、月明かりが雨のように降り注いでいた。
 少年と少女は迂回に迂回を重ね、ようやく森の終わりへと辿り着いた。樹々の切れ目の向こう、平坦な剥き出しの地面のその先に、巨大な穴が見えた。月の光が届かない深い闇を湛えるその穴の向こうに、人間の街が静かに佇んでいる。
 息を呑み、茂みから顔を出して、少年は周囲を窺った。巨大な穴の周りに人影は見当たらない。追っ手はまだ森の中のようだ。
 一度森を出てしまえば、追っ手の目から身を隠すものは一切なくなる。あの人間の街に辿り着くまで、少年と少女は完全に無防備になってしまう。森に身を潜める追っ手が飛び道具を持っていれば、たちまち狙い撃ちにされかねない。
 だが、その危険性を理解していても、少年と少女に選択肢の余地はなかった。家族も仲間も殺され、帰る家もなくなった少年と少女が追っ手から逃れて平和に暮らせる場所など、おそらくもう、この世界にありはしないのだから。
 少年の村を襲撃した殺戮者は、おそらく人間だろう。村の大人達が以前から噂していた盗賊なのか、全く別の集団なのか、それすらもわからない。
 いずれにせよ、少年にとって人間は信用ならない存在になっていた。

 ――でも、あの二人なら……。

 深々と息を吐いて意を決すると、少年は少女の手を引き、月明かりの下へと飛び出した。



***


「アラン、大丈夫かな……」

 窓越しに蒼く輝く月を見上げ、マリアンルージュがぽつりと呟いた。
 部屋の入り口を塞ぐように扉の前に立ち尽くしていたゼノは、窓辺に寄りかかるマリアンルージュに目を向けた。
 昼間のいざこざのあと、なんとか立ち上がれるようになったアランは、心配するマリアンルージュを振り切って、ふらふらとした足取りで店を出て行った。それきり、夕食時になっても店に顔を出さなかった。
 アランはマリアンルージュに会うために、昼も夜も欠かさず食事を取りに店に訪れていた。そのアランが急に姿を見せなくなったのだから、マリアンルージュが心配するのも無理はないだろう。
 けれど、ゼノは特に心配する必要はないと思っていた。昼間の会話から、なんとなく今のアランの心境が想像できてしまったからだ。

 ――惚れた相手の目の前で一発殴られて倒れるなんて、俺だったら恥ずかしくて二度と顔を合わせられねぇ。

 ゼノに謝罪したとき、アランは確かにそう言っていた。マリアンルージュの目の前で醜態を晒したことを気にして自宅に閉じ籠っていても、なんら不思議ではない。

「まぁ、彼は喧嘩慣れしているようですから大丈夫でしょう。情けない姿を貴女に見られてしまって、恥ずかしくて店に来られないだけだと思いますよ」

 少し意地が悪いかと思いつつも、昨日の仕返しも込めて、ゼノがアランの現況を代弁してみせると、マリアンルージュは「そういうものかな?」と小首を傾げた。
 納得はしていないようだが、心配したところで何か状況が変わるわけでもないと思ったのだろう。マリアンルージュはそれ以上、アランの話はしなかった。
 正直ゼノも、この際アランのことはどうでも良いと思っていた。今のゼノには、もっと別の問題があったからだ。

「そんなことより、今のこの状況、もっと大きな問題があると思いませんか?」
「……何が?」

 ゼノが問題を提起すると、マリアンルージュはきょとんとしてゼノに訊き返した。
 眉間に皺を寄せ、ぐっと言葉を飲み込んで、ゼノはマリアンルージュを促すように、無言で部屋の中を見回してみせた。
『羊の安らぎ亭』の客室は全て二人部屋だ。今、ふたりが居るこの部屋は、ここで働くことが決まった際にマリアンルージュに貸し与えられた部屋であり、他の客室と同様に、二人掛けのソファが一脚とベッドが二つ置かれている。

「暖炉も灯りも付いてるし、ベッドは二つあるし、何も問題ないと思うけど?」

 一通り部屋の中を確認したマリアンルージュが、話が見えないと言いたげに首を傾げる。できれば察して欲しかったと思いつつ、ゼノは本題を口にした。

「そうではなくて、俺と貴女が同じ部屋に寝るのはおかしくないかと言っているんです」
「仕方ないじゃないか。急な団体客で客室が足りなかったわけだし、私達は住み込みってことで宿賃をおまけしてもらってる身なんだから……」

 ゼノの言葉がよほど予想外のものだったのか、マリアンルージュは驚いたように目を瞬かせると、拗ねた子供のように呟いた。

 昼間、突然訪れたレジオルド憲兵隊。
 その隊長であるジュリアーノは、この『羊の安らぎ亭』で宿をとることを、半ば強制的に決定した。
 おかげでゼノが皮を剥きすぎたポタモが役に立ったわけだが、食事はともかく、どう考えても部屋の数が客数に足りていなかった。ヴァネッサの指示のもと、ゼノとマリアンルージュが夕刻までかけて、使われていない客室を全て使用可能な状態にしたけれど、それでも客室は足りなかった。
 結果として、ゼノが使っていた部屋も清掃し、客室に回すことになってしまったのだ。

「だからって、こんな……」

 言い淀みつつ、ゼノは再び室内を見回した。
 二つ並べて置かれたベッドの間には、人が一人通れる程度の間隔がある。けれど、それは周囲が寝静まった深夜になれば充分に寝息が聞こえる距離であり、手を伸ばせば触れられる、そんな距離にも思えた。

「……貴女は嫌じゃないんですか?」
「嫌って?」
「俺と同室に泊まるんですよ?」

 ゼノが躊躇いがちに尋ねると、マリアンルージュは呆れたと言いたげに肩を竦めてみせた。

「なにを今更……、今迄だって散々隣で寝てたくせに」

 そう言ってくすりと笑うと、マリアンルージュは窓辺を離れ、扉の前のゼノに歩み寄った。

「きみと同室でも、わたしは全然構わないよ」

 にっこりと微笑んだマリアンルージュの表情からは、一切の警戒心も感じられない。

 確かに、オルランドの部隊と別れて二人旅をはじめてからの数日間、ゼノとマリアンルージュは毎晩すぐ傍で眠っていた。今更なのかもしれないと、ゼノも考えはした。
 だが、見張りの必要があり、周囲を警戒しながら火の番をする森の夜と、慣れない土地とはいえ無闇に警戒する必要のない宿屋での夜とでは、その意識もまた変わってくる。いままで考えもしなかった如何わしいことを考えてしまったとしても、なんらおかしくはないはずだ。ゼノもマリアンルージュも子供ではないのだから。

 居た堪れない気分で視線を落としたゼノの目に、マリアンルージュの身体が映る。
 仕事を終え、ヴァネッサに勧められるままに湯浴みを終えたマリアンルージュは、淡い色のナイトドレスに身を包んでいた。ヴァネッサが若い頃に使っていたらしい、くびれのないゆったりとしたワンピースだ。
 今は恰幅の良い中年女性のヴァネッサも、若い頃は細身の美人だったとダニエルが語っていたが、それは本当のようだ。その証拠に、ヴァネッサのナイトドレスはマリアンルージュにぴったりだった。
 大きく開いた襟刳えりぐりからは、薄紅く上気した肌が覗いており、まだ乾いていない朱紅い髪が糸のように首筋に張り付いていた。湯上りの湿った髪から漂う甘い花の香りがゼノの鼻腔をくすぐる。薄汚いローブや店の仕事着で普段は目に付かなかったが、くっきりと谷間をつくる柔らかな膨らみはゼノが想像していたそれよりも幾分か大きめに見える。
 ごくり、と息を呑む音が、ゼノの耳の奥に響いた。
 怪訝そうに小首を傾げたマリアンルージュが、ゼノの顔を覗き込む。目と目が合い、ゼノは思いがけず後退った。

「……すみません。頭を冷やしてきます」

 きょとんとして動きを止めたマリアンルージュに背を向けると、ゼノは部屋を飛び出した。
 心配してゼノの名を呼ぶマリアンルージュの声が、聞こえた気がした。


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