滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

秘密①

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 深い夜の闇に覆われたアルティジエの街の、その片隅に建つ『羊の安らぎ亭』の一室に、ぽつりと明かりが灯る。やがて、屋根に並んだ煙突から濃灰色の煙が一筋立ち昇った。
 静まり返った部屋で、暖炉の火にかけられた薬缶がシュンシュンと音を立てていた。
 注ぎ口から水蒸気が噴き出るのを確認すると、マリアンルージュは薬缶を手に取り、ローテーブルに並べられたふたつのカップに湯を注いだ。

「はい。熱いから気をつけてね」

 差し出されたカップに少女がおずおずと手を伸ばすと、隣に座っていた少年が躊躇いなくマリアンルージュからカップを受け取り、少女に手渡した。
 肩にかかる胡桃色の髪と黒い瞳を持つ幼い少女は、人間で言うなら十歳かそこらだろうか。二人掛けのソファに並んで座る少年と少女は、見た目は普通の人間となんら変わりがなかった。

「……耳と尻尾はどうしたんです?」

 ゼノが尋ねると、少年は怯える少女を気遣いながらその問いに答えた。

「……から逃げるには、人型になる必要があった。それだけだ」

 数日前、僅かではあるが森で行動を共にした小生意気な人狼ヒトオオカミの少年――リュック。イヌ科のそれらしい肉厚な三角耳もふさふさの尻尾も隠してはいるが、どうやら間違いないようだ。となれば、おそらく隣に座る少女も彼の同族だろう。

「それにしても驚きました。こんな時間にどうしたんです?」

 腕を組み、窓辺に寄り掛かかってゼノが問いかける。湯気の立つカップにふうふうと息を吹きかけていたリュックは、ゼノの言葉に動きを止めると、僅かに声を潜め、深刻な面持ちで語り出した。

「お前らと別れたあと、オイラ、村に帰るつもりだったんだ。……けど、帰れなかった。……村が燃えてたんだ。焼き討ちにあったみたいに」

 視線を落とし、カップの中の揺れる水面をみつめたまま、リュックは続けた。
 炎に包まれる村を目にして思わず叫声を上げそうになったものの、森に逃げ込む少女の姿を目にして我に返ったこと。追手に追われながらもふたりは合流し、森を抜け出したこと。
 ここに辿り着くまでの経緯を詳細に語るリュックの声は、普段のお調子者の彼の声とは違っていた。

「村を焼き払ったのがどんなヤツらなのか、オイラは知らない。だけど、丘の上に並んでたあの影は確かに人間のものだった。村でときどき噂されてた盗賊団だったかもしれない。……けど、とにかく人間は信用できないと思ったんだ」

 吐き捨てるようにそう告げて、リュックは顔を上げ、ゼノの方へと視線を向けた。

「でも、俺とマリアのことは信じられる、そう思ったんですね」
「……少なくとも、村を焼き払ったヤツらとは違う」
「そうですか」

 ふたりの会話の途中、ずっと縮こまっていた少女が怯えるようにリュックの腕に縋り付いた。暖炉の明かりだけの薄暗い部屋の中、ゼノもリュックも話に夢中で、少女のことには気が回っていなかった。
 ただひとり、それに気付いたマリアンルージュは、怪訝な表情で小首を傾げた。

 リュックが話を終えると、ゼノは腕を組んだまま黙り込んだ。エストフィーネ村の事件のこともあり、正直な話、これ以上厄介ごとに巻き込まれるのは御免だと思っていた。
 信用され、頼られることに関しては嬉しいような気もするが、村を焼かれ、帰る場所をなくしたリュックと少女に、ゼノがしてやれることなど何もない。追手から匿うにしても、ゼノもマリアンルージュも数日後にはこの街を発つのだ。それまでに事態が解決に向かうとは、とても考えられなかった。

「村が襲われたのは数日前なんだよね?」

 唐突に沈黙を破ったのは、黙って様子を見守っていたマリアンルージュだった。

「今、この宿にレジオルディネの憲兵隊が泊まっているんだけど、その隊長さんが盗賊団の討伐を終えて残党を追ってるって言ってたんだ。村を襲ったのが盗賊なら、もうしばらく待てば安全になると思うよ」

 マリアンルージュの言葉は、怯える少女を安心させたい気持ちからの言葉だったのだろう。だが、それを聞いても尚、少女はリュックの腕に更にきつくしがみつき、首を横に振るばかりだった。
 少女の頑なな態度に眉を顰め、ゼノは先ほどから気にかかっていたことをリュックに尋ねた。

「その子は、言葉を話せないんですか?」

 確認するようなゼノの言葉に、リュックが一瞬、目を丸くして動きを止める。怯える少女をちらりと見やり、

「オイラは村が焼かれたのを見ただけで、村のみんなが殺されるのを見たわけじゃないから、正直まだ実感が湧かない。……でもレティは違う。きっと酷い光景を見たんだと思う」

そう言って、少女の髪を優しく撫でた。

「……なるほど、心因性の失声症ですか」
「失声症?」

 ゼノの言葉に、リュックとマリアンルージュが声を揃えて言った。
 ふたりの視線に応えるように頷いて、ゼノは淡々と説明した。

「精神的なストレス――彼女の場合、目の前で多くの人が殺されたことが精神に過剰な負担をかけて、その結果、声を発することができなくなってしまったんだと思います」

 リュックと少女の表情が曇る。
 ふたりを気にしたのか、マリアンルージュが不安気にゼノに尋ねた。

「それって治るの……?」
「心理的な要因を解消できれば……おそらく」
「そっか……」

 ゼノの答えに、マリアンルージュがほっと息を吐く。具体的な治療法はわからないとはいえ、不安を抱えた三人には『治る』という言葉そのものが重要だったのだろう。リュックと少女もどことなく安心したようにみえた。

「取り敢えず、今日は休んだほうがいいよ。何日も森を走って疲れてるだろうし。明日、おばさんとおじさんに相談してみよう?」

 そう言うと、マリアンルージュは薬缶の湯を水桶に注ぎ、ぬるま湯にタオルを浸して少女の前に差し出した。リュックも少女も傷だらけで、身に纏った衣類はすっかり泥にまみれていた。

「はい、ふたりはあっち向いて!」

 湿らせた温かいタオルをリュックに手渡し、ゼノの腕を引くと、マリアンルージュは壁を向くようにふたりを促した。
 身体を拭き終えたリュックと少女に、白いシャツとブラウスを手渡して着替えさせたあと、マリアンルージュは思い出したようにリュックに尋ねた。

「そういえば、この子の名前はなんていうの?」
「レティシアだよ。村のみんなはレティって呼んでた」

 リュックの言葉に続くように、少女――レティシアが小さく頷いた。

「そう。それじゃあ、よろしく、レティ」

 優しく微笑んでマリアンルージュが手を差し出すと、レティシアは躊躇いがちにその手を握った。


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