滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

蹂躙①

 胸騒ぎと焦りを覚え、ゼノは市街区の中央へと視線を向けた。
 区画整理された家々の向こうに、天を刺す剣のように白い鐘塔がそびえ立っている。
 かつて人間の勢力が他種族のそれに圧倒的に劣っていた時代、其々の異なる種族の長が集い、種族による違いに捉われることのない共存と平和を誓った。
 アルティジエの中心に立つ白い塔は、そのとき掲げられた白銀の剣を模して造られた、自由と平和の象徴だった。
 鐘塔が市街区に落としていた長い影は、太陽が真上に位置する今、その形をすっかり潜めてしまっていた。マリアンルージュとレティシアを捜しに出てから、すでにかなりの時間が経過していることを、嫌でも思い知らされる。
 鐘楼へと続く、塔の外壁に掛かる梯子を、黒い豆粒のような人影が登っていた。じきに正午を知らせる鐘が鳴り、腹を空かせた鉱山夫たちが『羊の安らぎ亭』に押し寄せるだろう。
 鉱山があると言う街外れの岩山を一瞥し、ゼノは再び前方を走るリュックを追った。

 入り組んだ街の路地裏を縫うように走るリュックは、時折その足を止め、鼻をひくつかせては元来た道を行き来していた。途中何度か街を徘徊する憲兵隊の姿を見かけたことから、ゼノの嫌な予感が的中したことは明白だった。
 憲兵隊が追って来たのは盗賊の残党などではない。彼等が焼き討った人狼ヒトオオカミの村の、唯一の生き残りであるレティシアだったのだ。
『羊の安らぎ亭』で憲兵隊と鉢合わせたマリアンルージュとレティシアは、彼等の前から姿を消し、行方を眩ました。ふたりが街のどこに身を隠したのか、ゼノにはまるで見当が付かなかった。
 人間とは比にならないほど鼻の効くリュックの嗅覚を以ってしても、ふたりの足取りを追うのは困難なことだった。入浴の際に使用したという流行りの香油の香りが災いし、レティシア自身の匂いが辿れないのだ。

「レティは人間を恐れていますから、人の往来が少ない道を通ったはずです。人混みを避けて向かうとしたら……」

 先を行くリュックに声を掛け、ゼノは途切れた街並みの向こう側、岩肌が剥き出しになった坂道へと目を向けた。
 鉱山へ続くその坂道は、途中で二つに枝分かれしているようだった。一方はアラン達が働く鉱山へ続いているのだろう。岩山から立ち昇る黒い煙がそれを証明していた。
 それならば、もう一方の坂道の先は――

「廃坑……」

 呟いて、ゼノは思考を巡らせた。
 イシュナードが遺した本に鉱山に関する記述があった。目的の資源を掘り尽くした、又は、なんらかの問題が起き採掘を中止した鉱山は、放棄され、人が寄り付かない廃坑となる。

「月雫の……花の香りだ」

 ゼノの隣に並んで立ち、鉱山に目を向けたリュックが囁くように呟いた。
 岩山の方角からそよぐ風は、微かに甘い花の香りがした。
 どちらともなく頷き合い、ふたりは鉱山に向かって走り出した。



***


 静寂が耳に痛い。
 光苔の薄明かりの中、分岐路を視界から切り離す岩壁に身を寄せる。時折り頭上から落ちる水滴が、澄んだ音を洞穴内に響かせている。元来た道を振り返り、マリアンルージュは耳を澄ませた。

 暗闇の向こうから、追跡者の接近を知らせる微かな靴音が聞こえてくる。一定の調子を崩すことなく近付いてきた靴音は、岩壁を隔てた闇の奥で不意に途絶えた。
 理由は考えずとも理解わかる。追跡者が足を止めたのだ。
 宿を訪れた憲兵隊を率いる男の姿を思い出し、マリアンルージュは小さく息を飲んだ。他の憲兵は兎も角、あの金髪碧眼の男――ジュリアーノは危険であると、マリアンルージュの本能が警笛を鳴らしていた。

 あの男ならば、土砂の山の向こう側にレティシアが隠れていることに感付くかもしれない。
 レティシアの存在を、彼等に気取られるわけにはいかなかった。どうにかして、追手の気を引かなければ。

 焦る気持ちを抑えながら、マリアンルージュは周囲に目を凝らす。通路の隅に転がっている苔の生えた石に目を止めると、マリアンルージュは手頃な大きさの石を見繕い素早く拾い上げ、躊躇いなく岩壁に投げつけた。
 石は甲高い音を響かせて岩壁に跳ね返り、足元に転がった。僅かな間をおいて、分岐路側の通路から再び靴音が近付いてきた。
 身を翻し、弱々しい光が路を示す暗闇の中を、奥へ奥へとひた走る。
 岩肌が露出した細長い坑道は、延々と地の底まで続くかのように思えた。岩壁から足元までを覆い尽くす光苔が地中から浸み出た水分を含んでぬかるみ、時折りマリアンルージュの足を掬う。何度か転びかけながらも、マリアンルージュは足を止めることなく奥へと走り続けた。
 通路の所々に、この廃坑で使用されていたと思われる採掘道具が無造作に放り出されていた。マリアンルージュは状態の良いつるはしを拾い上げ、ふたたび坑道を走り出した。

 この通路みちが、いつ行き止まりに突き当たるかはわからない。それでも、マリアンルージュには真っ直ぐに奥へと進むしか選択肢がなかった。
 途中、何度か横道を見かけはした。けれど、目印として残せるものがない以上、地底を縦横無尽に這う廃坑の中で、無闇に入り組んだ通路を選ぶことはできなかった。道に迷ってしまえば、おそらく無事に逃げ切ることはできない。
 追手の靴音の調子は相変わらずで、走り続けるマリアンルージュから徐々に遠ざかっていた。追う側の余裕と言うべきか、無理に距離を詰める必要がないと考えてのことなのだろう。その理由には、マリアンルージュも思い当たるものがあった。

 自由都市アルティジエは巨大な穴の中心に造られた都市であるため、地中を掘り進めて造られた廃坑は、やがてはその巨大な穴へと繋がってしまう。橋を渡る際、その穴の周囲を見渡してみたが、切り立った岩壁は道具もなしによじ登れるようなものではなかった。
 つまり、この廃坑には入り口の他に出口など存在しないのだ。

 澱んでいた廃坑内の空気に変化が現れたのは、マリアンルージュがレティシアと別れてから、幾度目かの分岐路に立ったときだった。
 どこからともなく微かな風がそよぎ、マリアンルージュの頬を撫でる。風のそよぐ通路――光苔の明かりが徐々に薄れていくその先は、あの巨大な穴へと繋がっているに違いなかった。

 この通路が外に続いている可能性があるとなれば、追手は必ずそちらに向かうだろう。出口がある以上、獲物が外に逃げたかどうかを確認する必要があるのだから。
 少なくとも一人は巨大な穴へと繋がる通路へ向かうはずだ。そうなれば、二対一。勝算はなくとも逃げ切れる可能性は大幅に上がる。
 外に繋がる通路とは別の、澱んだ空気に満たされた通路へと、マリアンルージュは駆け込んだ。分岐路から突き出た岩壁の陰に身を潜め、つるはしの柄を強く握りしめた。


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