滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

鎮魂歌②

「勝機のない戦いに巻き込まぬよう女を逃す。……なかなか殊勝な心掛けだな」

 嘲笑うかのように告げ、ジュリアーノが剣を振るう。不意の一撃を受けたとはいえ、ジュリアーノの動きは傷を負った人間のものとは思えない程に素早く、正確無比なものだった。
 目の前の男の武器は刃を失った唯の棒切れのみ。ジュリアーノの剣撃を受け流すことすらままならぬはずだった。
 だが――

「何か勘違いをしていませんか?」

 冷たく言い放たれた言葉と共に、甲高い金属音がジュリアーノの耳を突いた。折れた剣先が岩壁に弾かれ、火花を散らして足元に転がった。
 思いがけず、ジュリアーノは己の手にした獲物と、対峙する男の手に握られた獲物を見比べた。その姿には先刻の余裕など微塵も感じられない。
 無理もなかった。刃を失ったただの棒切れに、鍛え抜かれた長剣の刃が圧し折られたのだから。

「俺は貴方に負ける気など露ほどにもありません。彼女を先に行かせたのは、です」

 背筋を凍らせるような、感情の篭らない声だった。

「これから俺が下す、貴方に対する仕打ちを」

 冷ややかに告げる男から弾かれるように距離を取り、ジュリアーノは首に提げた対魔術のペンダントを確認した。だが、石は黙したまま動かない。それは、この異常な事態が魔力の類を一切使わずに為されているという事実を示していた。

「俺は正義を気取るつもりはありません。ですから、貴方が人狼ヒトオオカミの里を焼き討った犯人だと知ったところで、制裁を加える気などありませんでした。ですが――」

 言い終える前に、男がシャベルの柄を振り下ろす。
 素早く攻撃をかわしたジュリアーノの足元が、柄の先に抉られたように砕け散る。同時に布を裂く感触がジュリアーノの腕に伝わった。怯むことなく突き上げたジュリアーノの折れた剣先が、男の脇腹を裂いたのだ。
 確かな手応えに、一瞬、その美麗な顔に笑みを浮かべたジュリアーノだったが、その笑みはすぐに掻き消された。

「彼女を……マリアを傷つけたことだけは許せない」

 尚も言葉を続けるその男の脇腹――裂けた衣類から覗く生身の肉体には、一切の傷もなかった。

「化け物ッ!」

 上擦った悲鳴を上げ、ジュリアーノは後退った。震える手からすり抜けるように、折れた剣が甲高い音を響かせて足元に転がった。
 岩壁に背を預けるジュリアーノと向かい合うと、男は眉ひとつ動かすことなくシャベルの柄でくうを薙いだ。

「ま、待て!」

 自身の頭部を両腕で防御したジュリアーノだったが、振り抜かれた棒切れに触れた二本の腕は奇妙な音を立ててあらぬ方向に折れ曲がった。

「――――ッ!」

 声にならない悲鳴を上げ、変わり果てた両腕を凝視する。直後に激痛が両脚を襲い、ジュリアーノはその場に崩れ落ちた。
 苦痛に顔を歪ませて首をもたげたジュリアーノの眼に映ったのは、無感情に彼を見下ろす紅玉のような瞳と、薄緑の光を受けて鈍く輝く折れた剣先だった。

「直に日が暮れます。貴方ならこの意味がわかりますね?」

 抑揚のない口調でそう告げると、男は踵を返し、先刻姿を消した女を追って、坑道へと姿を消した。



***


 どれほど時が過ぎただろうか。
 ひしゃげた両腕両脚を引きずりながら、ジュリアーノは薄緑の光が照らす坑道を這い進んでいた。呼吸は浅く乱れ、激痛に醜く歪んだ顔には、生来の美しさなど欠片も残ってはいない。

「……こ、んな……場所で……」

 ――死んでたまるか。

 これまでに踏み躙ってきた者達の死に様が、ジュリアーノの脳裏に次々に浮かんでは消える。
 無様に命乞いをし、醜態を晒して地べたに這いつくばる、奴等は無能で下賎な生き物だった。
 けれどジュリアーノは違う。地位と名誉は勿論、その頭脳と剣の才、美貌に於いても、王都の誰よりも優れている。神に愛された自分が、このような場所で、このような終わりを迎えるなど、あってはならないことなのだ。
 別の通路に向かわせた部下も、脚を負傷した部下も、戻ってくる気配はなかった。これまで散々良い思いをさせてやったにも関わらず、別行動したことを理由に逃げ出したに違いない。本当に糞の役にも立たない連中だ。

 込み上げる不快感とともに砂と血が混ざった反吐を吐き出すと、ジュリアーノは冷たい岩壁に身を預けた。
 
 坑道の先に、小さな明かりが明滅していた。光苔の薄明かりとは違う青味を帯びた光が、ふわふわとジュリアーノに近付いて来る。

 役立たずの部下か、廃坑へ足を踏み入れた街の者か、この際どちらでも構わないだろう。重要なのは、今この場所に助けが来たという事実だ。やはり自分はこのような場所で終わる器ではないのだ。

 口の端を釣り上げて自信に満ちた笑みを浮かべると、ジュリアーノは安堵の息を吐いた。だが、そんな彼が異変に気付くのに、さほど時間はかからなかった。
 光はゆっくりとに近付いているというのに、人の話し声は疎か、足音さえも聞こえてこないのだ。明かりは徐々に数を増し、坑道内を淡い光で満たしていく。その正体にジュリアーノが気付いたのと、流れ出る血液に光が反応を示したのは、ほとんど同時のことだった。

 ――直に日が暮れます。貴方ならこの意味がわかりますね?

 忌々しい紅玉のような瞳の男の言葉が脳裏に蘇り、ジュリアーノはその碧眼を大きく見開いた。
 光の正体は瞬時に理解した。王都に住まう高貴な人間であれば、見飽きたはずの生物だ。

「くそがァ……ッ!」

 掠れた声を絞り出すジュリアーノを、淡い光が包み込む。伸ばされた幾筋もの光の触手が、傷口から肉片を毟り取っていく。
 とうの昔に感じなくなっていたはずの痛みが再び脳を刺激し、ジュリアーノは声にならない悲鳴をあげた。
 声の主の命が尽きるまで延々と続いた奇声は、風の吹き込む廃坑の奥深く、闇の中へと吸い込まれていった。


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