83 / 90
第二章 死する狼のための鎮魂歌
竜の鱗③
しおりを挟む
窓辺から射す眩い光を浴びて、ゼノは重い瞼を開けた。
指先からさらさらと零れ落ちる感触に、自然と視線がそちらに向かう。腕の中のマリアンルージュの髪を無意識に撫で続ける自身の手が目に映り、思わずその身が凍りついた。
ソファの上でゼノに身を預けたまま、マリアンルージュは安らかな寝息を立てていた。か細い肩を僅かに上下させる彼女からは、昨夜の不安げな様子は感じられない。
幸せそうなその寝顔に、ゼノの表情にも笑みが浮かんだ。
昨夜、記憶が途切れるまで、ゼノはずっと考えていた。
自分が今、どうしたいのか。
この先、マリアンルージュと行動を共にする上で、彼女とどうありたいのか。
マリアンルージュは純粋にゼノに想いを寄せている。それは恐らく間違いではないだろう。
そしてゼノ自身も、そんな彼女を愛しく想っている。
けれど、ゼノが闇色の鱗の一族である以上、ふたりで里に戻り、平穏で幸せな生活を送ることは叶わない。里の者に認められる相手との婚姻こそが、彼女があの里で幸せに暮らすための唯一の条件なのだ。ゼノではその条件が満たせない。
かと言って、鱗の色だけで相手を蔑むような他の男に彼女のことを任せたくはなかった。
マリアンルージュを任せられるとすれば、相手は唯一人――誰にでも平等で、里の皆に認められる親友のイシュナードだけだ。
だからこそ、ゼノはこの想いを彼女に伝えないままイシュナードに会いたかった。会って話をして、彼の想いがゼノの想像どおりならば、潔く身を引けば良い。元を辿れば、マリアンルージュがはじめに選んだ相手は他でもない、イシュナードだったのだから。
想いを伝えるのは、彼女が幸せを手に入れた、そのあとで良い。
そう思っていた、はずだった。
「……ゼノ……?」
マリアンルージュに名を呼ばれ、ゼノは我に返った。彼女の柔らかい髪を撫でる手のひらも、小さな肩を抱き寄せた腕も、目覚めたときのままだった。
「お……はよう、ございます……」
急に離れる訳にもいかず、ゼノが言葉を詰まらせると、マリアンルージュははにかむように微笑んだ。
「おはよう。……そばにいてくれて、ありがとう」
そう口にして、恥じらうように頬を染める。マリアンルージュの笑顔は、ゼノの背中を自然と後押しした。
「マリア」
突然真顔で名前を呼ばれ、マリアンルージュが怪訝な表情で目を瞬かせる。ゼノが指先をちょいちょいと動かしてみせると、彼女はゆっくりと身を起こした。
「すみません、ちょっとここのあたり、見てもらえますか?」
「……どこ?」
「この、うなじの下……首の付け根のあたりです」
そう言って、マリアンルージュに背を向ける。
何がなんだかわからないと、首を傾げてゼノの襟元を覗き込んだマリアンルージュだったが、次の瞬間、彼女は全身を固く強張らせ、目を見開いた。
「……ゼノ、きみは今、自分が何をしてるかわかってる?」
「……はい」
「そ、それならどうして……」
マリアンルージュの瞳に映ったのは、夜の闇を思わせる、あのお気に入りの耳飾りのペンダントと同じ闇色の、竜の鱗だった。
「別に、罪悪感だの対等の関係だの、そんなものはどうでも良いんです。ただ、昨夜貴女が言ってくれたように、俺も貴女に知って欲しかった……それだけです」
冷静に、淡々と、無感情に告げるつもりだった。
けれど、急激に頬が熱を帯びていくのを、ゼノはすぐに自覚した。
「これから約束があるので出掛けます。失礼します」
ソファから立ち上がり、一瞬だけ振り返ったゼノの視界に、顔を真っ赤に染めあげて瞬きを繰り返すマリアンルージュが映る。
敢えて見なかった振りをして、ゼノは大急ぎで部屋を後にした。
本来なら、この鱗の位置を知るのは母親と出産に立ち会った者だけだ。
竜人族の男女でお互いの鱗の位置を教え合う関係といえば、恋人か夫婦の他に有り得ない。
先程のゼノの行為は、告白か、或いは求婚に値するものだと、里の者なら誰でも考えるだろう。
マリアンルージュがあの行為をどう捉えたのかはわからない。いつものように、深い意味などないものだと考えるのかもしれない。
でも、今はそれで良い。この想いを言葉にして伝えるのは、旅の目的を終えた、そのときだ。
イシュナードやリュックに話せば、遠回しだと馬鹿にされるのだろう。それでもゼノは、マリアンルージュに知っておいて欲しかった。
少なくとも今のゼノにとって、彼女は特別な存在だということを。
指先からさらさらと零れ落ちる感触に、自然と視線がそちらに向かう。腕の中のマリアンルージュの髪を無意識に撫で続ける自身の手が目に映り、思わずその身が凍りついた。
ソファの上でゼノに身を預けたまま、マリアンルージュは安らかな寝息を立てていた。か細い肩を僅かに上下させる彼女からは、昨夜の不安げな様子は感じられない。
幸せそうなその寝顔に、ゼノの表情にも笑みが浮かんだ。
昨夜、記憶が途切れるまで、ゼノはずっと考えていた。
自分が今、どうしたいのか。
この先、マリアンルージュと行動を共にする上で、彼女とどうありたいのか。
マリアンルージュは純粋にゼノに想いを寄せている。それは恐らく間違いではないだろう。
そしてゼノ自身も、そんな彼女を愛しく想っている。
けれど、ゼノが闇色の鱗の一族である以上、ふたりで里に戻り、平穏で幸せな生活を送ることは叶わない。里の者に認められる相手との婚姻こそが、彼女があの里で幸せに暮らすための唯一の条件なのだ。ゼノではその条件が満たせない。
かと言って、鱗の色だけで相手を蔑むような他の男に彼女のことを任せたくはなかった。
マリアンルージュを任せられるとすれば、相手は唯一人――誰にでも平等で、里の皆に認められる親友のイシュナードだけだ。
だからこそ、ゼノはこの想いを彼女に伝えないままイシュナードに会いたかった。会って話をして、彼の想いがゼノの想像どおりならば、潔く身を引けば良い。元を辿れば、マリアンルージュがはじめに選んだ相手は他でもない、イシュナードだったのだから。
想いを伝えるのは、彼女が幸せを手に入れた、そのあとで良い。
そう思っていた、はずだった。
「……ゼノ……?」
マリアンルージュに名を呼ばれ、ゼノは我に返った。彼女の柔らかい髪を撫でる手のひらも、小さな肩を抱き寄せた腕も、目覚めたときのままだった。
「お……はよう、ございます……」
急に離れる訳にもいかず、ゼノが言葉を詰まらせると、マリアンルージュははにかむように微笑んだ。
「おはよう。……そばにいてくれて、ありがとう」
そう口にして、恥じらうように頬を染める。マリアンルージュの笑顔は、ゼノの背中を自然と後押しした。
「マリア」
突然真顔で名前を呼ばれ、マリアンルージュが怪訝な表情で目を瞬かせる。ゼノが指先をちょいちょいと動かしてみせると、彼女はゆっくりと身を起こした。
「すみません、ちょっとここのあたり、見てもらえますか?」
「……どこ?」
「この、うなじの下……首の付け根のあたりです」
そう言って、マリアンルージュに背を向ける。
何がなんだかわからないと、首を傾げてゼノの襟元を覗き込んだマリアンルージュだったが、次の瞬間、彼女は全身を固く強張らせ、目を見開いた。
「……ゼノ、きみは今、自分が何をしてるかわかってる?」
「……はい」
「そ、それならどうして……」
マリアンルージュの瞳に映ったのは、夜の闇を思わせる、あのお気に入りの耳飾りのペンダントと同じ闇色の、竜の鱗だった。
「別に、罪悪感だの対等の関係だの、そんなものはどうでも良いんです。ただ、昨夜貴女が言ってくれたように、俺も貴女に知って欲しかった……それだけです」
冷静に、淡々と、無感情に告げるつもりだった。
けれど、急激に頬が熱を帯びていくのを、ゼノはすぐに自覚した。
「これから約束があるので出掛けます。失礼します」
ソファから立ち上がり、一瞬だけ振り返ったゼノの視界に、顔を真っ赤に染めあげて瞬きを繰り返すマリアンルージュが映る。
敢えて見なかった振りをして、ゼノは大急ぎで部屋を後にした。
本来なら、この鱗の位置を知るのは母親と出産に立ち会った者だけだ。
竜人族の男女でお互いの鱗の位置を教え合う関係といえば、恋人か夫婦の他に有り得ない。
先程のゼノの行為は、告白か、或いは求婚に値するものだと、里の者なら誰でも考えるだろう。
マリアンルージュがあの行為をどう捉えたのかはわからない。いつものように、深い意味などないものだと考えるのかもしれない。
でも、今はそれで良い。この想いを言葉にして伝えるのは、旅の目的を終えた、そのときだ。
イシュナードやリュックに話せば、遠回しだと馬鹿にされるのだろう。それでもゼノは、マリアンルージュに知っておいて欲しかった。
少なくとも今のゼノにとって、彼女は特別な存在だということを。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました
小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」
二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。
第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。
それから二十年。
第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。
なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。
不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。
これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。
※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
いや、無理。 (完結)
詩海猫(8/29書籍発売)
恋愛
細かいことは気にせずお読みください。
もはや定番となった卒業パーティー、急に冷たくなって公の場にエスコートすらしなくなった婚約者に身に覚えのない言い掛かりをつけられ、婚約破棄を突きつけられるーーからの新しい婚約者の紹介へ移るという、公式行事の私物化も甚だしい一連の行動に、私は冷めた瞳をむけていたーー目の前の男は言い訳が終わると、
「わかってくれるだろう?ミーナ」
と手を差し伸べた。
だから私はこう答えた。
「いや、無理」
と。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる