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第4話 頼もしい味方
番外編 過保護な騎士は懸念する
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図書館でディアナと別れると、ロッテは薬学書を胸に抱きかかえて、くるりとゲオルグを振り返った。
「今日はありがとうございました」
そう言ってぺこりと頭を下げて、研究室兼自室へと続く渡り廊下を歩き出す。目的の本を借りることができてよほど嬉しかったのか、その足取りはすこぶる軽く見えた。
長居をしたつもりはなかったけれど、いつのまにやら陽は傾いて、あたり一面が夕焼け色に染まっていた。テオの薬草園は、彼女の部屋までの道中にある。頼まれていた薬草の準備ができたと伝言があったのだから、彼女はついでにテオの薬草園に寄るつもりだろう。これから日も暮れるというのに、ひとりで行かせて大丈夫だろうか。
遠ざかるロッテの後ろ姿を眺めながら、ゲオルグは太い眉を顰めた。
異性との関わりが少ない森での暮らしの影響なのか、彼女は随分と異性に対してガードが緩い気がする。フリッツの件にしても、年頃の娘があのように簡単に男からのスキンシップを許すというのはいかがなものかと思う。そもそも、あんなことがあったというのにゲオルグを平気でそばに置くこと自体、普通ならあり得ないだろう。テオも異性に興味を覚える年頃だろうし、何か間違いでもあったりしたら……。
半裸に剥かれて汚されて、瞳を泣き腫らしていた彼女の姿が脳裏をよぎる。同時にゲオルグは廊下を駆け出していた。
「おい!」
廊下の角を曲がりかけた小さな後ろ姿を呼び止める。凄みのある低音にびくりと身を縮こまらせて、ロッテが怯えるように振り向いた。見開かれた琥珀色の瞳にゲオルグを映すと、彼女はほっと胸を撫でおろして微笑んだ。
「びっくりしたぁ……ゲオルグさん、どうかしましたか?」
「お前、これからテオのところに寄るのか?」
「そのつもりですけど……それがなにか?」
「じきに日が暮れる。薬草はあとで俺が届けてやるから、お前はまっすぐ部屋に戻れ」
「どうしてですか?」
ロッテがきょとんと小首を傾げる。
「どうしてって……」
危ないからだ、と言いかけて、ゲオルグははっと我に返った。
薬のせいとはいえ、現状、ロッテに手を出した前科があるのはゲオルグだけだ。ロッテにとってはフリッツよりもテオよりも、ゲオルグこそが一番信用ならない相手だろう。そのゲオルグが別の男の危険性を説いたところで説得力などないに等しい。ロッテからすれば、前科のないテオの元をこれから訪ねることよりも、日が暮れてからゲオルグに部屋を訪ねられることのほうが、よほどお断りしたい事態に違いない。なんとか適当な理由を考えて、とりあえずこの場を凌がなければ……。
慌てて思考を巡らせて、ゲオルグは閃いた。
ロッテは今、大判の薬学書を抱えている。その状態でテオから薬草を受け取ってひとりで部屋に戻るのは難しいはずだ。
努めて冷静さを装って、ゲオルグはロッテが抱えている薬学書を指差した。
「お前のことだから、どうせ大量の薬草を頼んでいるだろう。そんな大荷物を抱えていたら、部屋までひとりで持ち帰れるわけがない」
「……それもそうですね」
ぱちくりと目を瞬かせて腕の中の薬学書を確認して、ふたたびゲオルグを見上げると、ロッテはにこりと笑って言った。
「じゃあ、頼んじゃっていいですか?」
「任せておけ」
「お願いします」
ぺこりと頭を下げて、ロッテが自室への廊下を歩き出す。ほっと息を吐いたのも束の間で、ゲオルグははっと我に返った。
そうじゃない。今のやりとりでは根本的な解決になっていない。
遠ざかるロッテの背中を、ゲオルグはもう一度呼び止めた。
「お前!」
ロッテがふたたび振り返り、きょとんとゲオルグをみつめる。夕焼けに染まる人気のない廊下に、ゲオルグの野太い声が響いた。
「少しは他人を疑うことを覚えろ。そういうお人好しなところが殿下に似ていて、見ているこっちは危なっかしく思えて仕方がない」
ガードの緩さを、馬鹿正直すぎる性格を、諌めるつもりだった。それなのに。
「……ほんとうに?」
「は……?」
「ユリウス様とわたし、似てますか……?」
ぽつりとつぶやいて、ぱちくりと目を瞬かせて。それからロッテはぱっと表情を輝かせた。
「ありがとうございます!」
弾けるような笑顔でぺこりとお辞儀をしてみせると、ロッテは嬉しそうに薬学書を抱いて、くるりと踵を返し、軽やかな足取りで廊下を駆け出した。遠ざかるロッテの影を、ゲオルグはただ呆然と見送った。
——礼を言われるようなことなど言っただろうか。
なぜだか理由はわからない。けれど、胸の奥がもやもやして、その日、自室のベッドで眠りにつくまで、ゲオルグが感じたそのもやもやが晴れることはなかった。
「今日はありがとうございました」
そう言ってぺこりと頭を下げて、研究室兼自室へと続く渡り廊下を歩き出す。目的の本を借りることができてよほど嬉しかったのか、その足取りはすこぶる軽く見えた。
長居をしたつもりはなかったけれど、いつのまにやら陽は傾いて、あたり一面が夕焼け色に染まっていた。テオの薬草園は、彼女の部屋までの道中にある。頼まれていた薬草の準備ができたと伝言があったのだから、彼女はついでにテオの薬草園に寄るつもりだろう。これから日も暮れるというのに、ひとりで行かせて大丈夫だろうか。
遠ざかるロッテの後ろ姿を眺めながら、ゲオルグは太い眉を顰めた。
異性との関わりが少ない森での暮らしの影響なのか、彼女は随分と異性に対してガードが緩い気がする。フリッツの件にしても、年頃の娘があのように簡単に男からのスキンシップを許すというのはいかがなものかと思う。そもそも、あんなことがあったというのにゲオルグを平気でそばに置くこと自体、普通ならあり得ないだろう。テオも異性に興味を覚える年頃だろうし、何か間違いでもあったりしたら……。
半裸に剥かれて汚されて、瞳を泣き腫らしていた彼女の姿が脳裏をよぎる。同時にゲオルグは廊下を駆け出していた。
「おい!」
廊下の角を曲がりかけた小さな後ろ姿を呼び止める。凄みのある低音にびくりと身を縮こまらせて、ロッテが怯えるように振り向いた。見開かれた琥珀色の瞳にゲオルグを映すと、彼女はほっと胸を撫でおろして微笑んだ。
「びっくりしたぁ……ゲオルグさん、どうかしましたか?」
「お前、これからテオのところに寄るのか?」
「そのつもりですけど……それがなにか?」
「じきに日が暮れる。薬草はあとで俺が届けてやるから、お前はまっすぐ部屋に戻れ」
「どうしてですか?」
ロッテがきょとんと小首を傾げる。
「どうしてって……」
危ないからだ、と言いかけて、ゲオルグははっと我に返った。
薬のせいとはいえ、現状、ロッテに手を出した前科があるのはゲオルグだけだ。ロッテにとってはフリッツよりもテオよりも、ゲオルグこそが一番信用ならない相手だろう。そのゲオルグが別の男の危険性を説いたところで説得力などないに等しい。ロッテからすれば、前科のないテオの元をこれから訪ねることよりも、日が暮れてからゲオルグに部屋を訪ねられることのほうが、よほどお断りしたい事態に違いない。なんとか適当な理由を考えて、とりあえずこの場を凌がなければ……。
慌てて思考を巡らせて、ゲオルグは閃いた。
ロッテは今、大判の薬学書を抱えている。その状態でテオから薬草を受け取ってひとりで部屋に戻るのは難しいはずだ。
努めて冷静さを装って、ゲオルグはロッテが抱えている薬学書を指差した。
「お前のことだから、どうせ大量の薬草を頼んでいるだろう。そんな大荷物を抱えていたら、部屋までひとりで持ち帰れるわけがない」
「……それもそうですね」
ぱちくりと目を瞬かせて腕の中の薬学書を確認して、ふたたびゲオルグを見上げると、ロッテはにこりと笑って言った。
「じゃあ、頼んじゃっていいですか?」
「任せておけ」
「お願いします」
ぺこりと頭を下げて、ロッテが自室への廊下を歩き出す。ほっと息を吐いたのも束の間で、ゲオルグははっと我に返った。
そうじゃない。今のやりとりでは根本的な解決になっていない。
遠ざかるロッテの背中を、ゲオルグはもう一度呼び止めた。
「お前!」
ロッテがふたたび振り返り、きょとんとゲオルグをみつめる。夕焼けに染まる人気のない廊下に、ゲオルグの野太い声が響いた。
「少しは他人を疑うことを覚えろ。そういうお人好しなところが殿下に似ていて、見ているこっちは危なっかしく思えて仕方がない」
ガードの緩さを、馬鹿正直すぎる性格を、諌めるつもりだった。それなのに。
「……ほんとうに?」
「は……?」
「ユリウス様とわたし、似てますか……?」
ぽつりとつぶやいて、ぱちくりと目を瞬かせて。それからロッテはぱっと表情を輝かせた。
「ありがとうございます!」
弾けるような笑顔でぺこりとお辞儀をしてみせると、ロッテは嬉しそうに薬学書を抱いて、くるりと踵を返し、軽やかな足取りで廊下を駆け出した。遠ざかるロッテの影を、ゲオルグはただ呆然と見送った。
——礼を言われるようなことなど言っただろうか。
なぜだか理由はわからない。けれど、胸の奥がもやもやして、その日、自室のベッドで眠りにつくまで、ゲオルグが感じたそのもやもやが晴れることはなかった。
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