魔女見習いのロッテ

柴咲もも

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第4話 頼もしい味方

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「はい、お待ちどおさま」
 クリーム色のペーストを小瓶に詰めて蓋をして、ロッテは窓辺を振り返った。ゆったりとソファで寛いでいた若い騎士が、優雅な身のこなしで立ち上がる。ロッテから薬の小瓶を受け取ると、彼は少し癖のある金髪を掻き上げながら、涼しげな碧い瞳を細めた。
「やあ、助かったよ。俺、どうも細かい作業が苦手でさ」
「どういたしまして。一応、化膿止めは入れてありますけど、傷が酷いようだったらお医者さんに診てもらってくださいね」
「うーん、軍医の爺さん苦手なんだよね。そんなことよりロッテちゃん、今度……」
 騎士の手がさりげなくロッテの肩に触れる。ちょうどそのとき、研究室の扉が勢いよく開かれた。
「フリッツ! 見かけないと思ったら、こんな所で油を売っていたのか!」
 部屋中に響き渡る低音に、騎士の碧い眼がぎょっと見開かれる。ロッテが振り返ると、苛立ちを露わにしたゲオルグが扉の前に立っていた。そういえば、この不機嫌な顔を見るのも久しぶりかもしれない。
「げ、ゲオルグさん」
「さっさと報告書を提出して来い!」
 ゲオルグにどやされてちょっぴり肩を竦めてみせると、フリッツはひらひらと手を振りながら部屋を出ていった。つられるように、ロッテも手を振ってしまう。ゲオルグは廊下に出てフリッツの姿が消えるのを見届けると、荒々しい足取りで部屋に戻ってきた。
「大丈夫か」
「え?」
「あいつ——フリッツは剣の腕は立つんだが、とにかく女にだらしがなくてな」
「はぁ」
「お前も、迷惑だったらはっきりそう言え。放っておくとつけあがるぞ」
「迷惑……?」
 思ってもみない言葉に、ロッテは眼をぱちくりと瞬かせた。確かにフリッツは少しばかりスキンシップが多いけれど、気さくに話しかけてくれる良い人だ。
 ロッテがぼんやりしていると、ゲオルグはわずかに眉を潜めて言った。
「……迷惑じゃないのか?」
「好意的に接してもらえるのは嬉しいです」
「……そう、なのか」
 こくりとうなずくロッテを見て、ゲオルグは拍子抜けしてしまったようだった。しばらくのあいだ所在なさげに視線をさまよわせたあと、彼は躊躇いがちに口を開いた。
「ディアナが来られないから、今日は俺が監視をすることになったんだが……大丈夫か」
「なにがですか?」
「いや……なんでもない」
 ロッテが返事に困っていると、ゲオルグは小さく溜め息をついて、窓辺のカウチに腰を下ろした。
 任務明けで疲れているのだろうか。そういえば、ほんの数日前、ゲオルグはロッテのハーブティーを飲んで、疲れが癒されると褒めてくれた。
 硝子のティーカップを手に穏やかに笑っていたゲオルグの姿を思い出し、ロッテはくすりと微笑んだ。
「今、お茶淹れますね」
 ポットに水を注ぎ、簡易コンロに火を点ける。お湯が沸くのを待つあいだに、ロッテは作業台のうえを手早く片付けた。調薬器具を棚に戻し、隣の棚からお茶に使うハーブの小瓶を手に取って。どれを使おうか考えていると、不意に声をかけられた。
「その髪飾り……使っているんだな」
「えへへ、お気に入りなんです」
 ゲオルグに貰った白い花の髪飾りは、本来なら特別なときにだけ使うべきなのかもしれないけれど、可愛いからつい毎日身に付けてしまっていた。
 ロッテがへらへらと笑いながら薔薇色の髪を飾る白い花に触れると、ゲオルグはちょっぴり嬉しそうに「それは良かった」と呟いた。
「ディアナさんも可愛いって褒めてくれたんですよ」
「ディアナが? 珍しいな」
「髪飾りを、です」
「ああ、そういうことか」
 ツンと澄まして素っ気なく髪飾りを褒めるディアナの姿を思い浮かべたのだろう。ゲオルグが穏やかに笑みをこぼすものだから、ロッテも一緒になって笑ってしまった。

 淹れたてのハーブティーをテーブルに運び、ちらりと窓際のカウチを振り返る。部屋の中をしげしげと眺めていたゲオルグは、ロッテの視線に気がつくと、おもむろにカウチを立ち、テーブルの側にやってきた。スツールに腰掛けて硝子のティーカップを手に取って、ハーブティーの香りを嗅いだあと、そろりとカップに口を付ける。チンと涼やかな音をたててカップをソーサーに置くと、ゲオルグは改めて口を開いた。
「随分と盛況のようだが、疫病の特効薬の研究は進んでいるのか?」
「それが、なかなか思うように進まなくて……」
 ロッテは肩を落として俯いた。
 媚薬の件があってからというもの、思いつく限りの方法で真剣に疫病について調べてきたけれど、今のところこれといった進展はない。王宮に招聘されてからロッテがしてきたことといえば、媚薬を作ってゲオルグに迷惑をかけたことと、階下で働く人々に簡単な薬を処方することだけで、本来の役目なんて露ほどにも果たせていない。その状況を察しているであろうゲオルグも、いつもより渋い顔をしている気がする。
 ロッテが黙り込むと、ゲオルグは両腕を組み、溜め息混じりにロッテに言った。
「人の役に立とうとするのも良いが、本業が疎かになるようでは問題だろう。騎士団の連中には、俺から便利な薬屋扱いをやめるように言っておく」
 ロッテは目をまるくした。どうやらゲオルグは、ロッテの研究が捗らないのは、騎士団や階下の人々の相手をしているからだと思っているらしい。
「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です。一日じゅう本と睨めっこしてると疲れちゃいますし、簡単な調薬をしながら考え事をするのも息抜きのうちなんです」
 ロッテが笑って応えると、ゲオルグはまたしても拍子抜けしたようで、「そういうものなのか?」と困ったように呟いた。

 しばらくのあいだ、ふたりはゆったりとティータイムを過ごした。ハーブティーを飲み終えると、ゲオルグはいつものように窓辺のカウチに腰を落ち着けたので、ロッテは手早くティーセットを片付けて机に向かった。手に取った分厚い本は、ファナの森を旅立つときリーゼロッテから貰ったあの学術書だ。この本の本文は第一言語と呼ばれる古い言葉で記されている。そのため、一文一文を訳しながら読まなければならず、王宮にあがってから毎日読み進めてはいるものの、ロッテはまだ半分程度しか読み終えていなかった。
 綴られた文を指でなぞりながら現代語訳をノートに書き留めていると、不意に頭上から声が降ってきた。
「なるほど、これが魔女の言葉か」
 見上げれば、いつのまにか隣にゲオルグが立っていて、難しい顔をしてロッテの手元を覗き込んでいた。
「これですか? これはこの国の第一言語ですよ。元々この国で使われていたこの言葉が、発音のし易さだとか書き易さだとかで改良を加えられて現代語になったんです。今この国で使われているのは、正確には第三言語って呼ばれている言葉なんですよ」
 ロッテの話を聞いているのかいないのか、ゲオルグは眉間に皺を寄せたまま食い入るように本のページをみつめていた。せっかく説明したのにと、ロッテはちょっぴり頬を膨らませて、学術書のページをぱらぱらとめくって呟いた。
「本当は、薬学の専門書も読んでみたいんですよね」
 そう言ってちらりとゲオルグを見上げると、ゲオルグはちょっぴり目をまるくして、ようやくロッテに目を向けた。
「薬草学とは違うのか?」
「全ての薬が薬草から作られるわけではないですから。今回みたいな疫病だと、可能なら血清を作ったほうがはやいみたいで……って、わたしもシャルロッテ様の話を聞いて初めて知ったんですけど」
「専門書か……それなら図書館にでも行ってみるか」
「図書館……?」
 そう言われても、図書館なるものを知らないロッテには、いまいちピンとこなかった。ロッテが黙り込んでいると、急におとなしくなったロッテを気にしたのか、ゲオルグが若干慌てて付け加えた。
「王宮の図書館だ。そこらの図書館よりも蔵書は多いし、行って損はないだろう」
 蔵書が多い——魅惑的なその言葉に釣られて、ロッテが弾かれるように顔を上げる。
「行きます行きます! 案内よろしくお願いします!」
 きらきらと瞳を輝かせながら声を弾ませると、ロッテはゲオルグの手を両手でぎゅうっと握り締めた。


***


 王宮の北側にある白い石造りの渡り廊下を抜けると、図書館と書庫が併設された建物があった。
 大柄なゲオルグの二倍ほども高さのある扉をくぐると、目の前には真っ白な空間が広がっていた。中央の天井が明かり取りの硝子窓になっていて、螺旋階段が窓から洩れる光の中へと続いている。蜘蛛の巣のように張り巡らされた細い通路が、螺旋階段と壁一面に広がる書架を繋げていた。
「なんだか不思議な建物ですね」
 ゲオルグを見上げてロッテが言うと、ゲオルグは真っ直ぐに中央を見据えたまま「そうか」と素っ気なく呟いて、それから思い出したよう入り口近くのカウンターに目をやった。
「そこで待っていろ。司書に話をつけてくる」
 淡々とした口振りでそう言って、ロッテのそばからいなくなった。
 図書館へ案内すると言い出したのはゲオルグなのに、部屋を出てからこれまでのあいだ、彼はやたらと素っ気ない。何か気に障ることでもしてしまったのだろうか。ロッテが小首を傾げていると、ゲオルグがごつごつと軍靴を鳴らしながら戻ってきた。
「医学書・薬学書は西側十五番通路のあたりだそうだ」
 端的に告げてロッテの横を通り過ぎる。足早に遠ざかるゲオルグの背中を、ロッテは慌てて追いかけた。
 
 広大な館内の膨大な蔵書のなかから目的の本をみつけるには、相当な時間がかかるものだと思っていた。けれど、行き届いた管理のおかげか、ロッテは意外にもあっさりと目的の本をみつけることができた。
 ロッテの頭よりも腕一本ぶんほど高い棚に『医学・薬学』と記されたプレートが付いている。その上に、シャルロッテに勧められた薬学書があった。うんとつま先立って手を伸ばしたものの、小柄なロッテの指先はわずかに本に届かない。困り果てたロッテが本棚を見上げていると、急に目の前に影が落ちて、振り返って見上げれば、ゲオルグがロッテの真後ろに立っていた。
「この本か?」
「あ、はい、それです」
 ロッテが頷くと、ゲオルグは薬学書を手に取って、ひょいとロッテの前に差し出した。
「ありがとうございます」
 手渡された薬学書をぎゅっと胸に抱き締める。ロッテが満面の笑みで礼を言うと、ゲオルグは出会って間もない頃のように無愛想な顔で頷いて、またずかずかと歩き出した。
 どうやら行き先は壁際のカウンターらしい。司書がどうこう言っていたし、おそらく貸し出しの手続きがあるのだろう。
 ロッテもまた、小走りになってゲオルグの背中を追いかけた。

 図書館司書の説明に従ってロッテが貸し出しの手続きを終えたころ、入り口の扉が音を立てて開かれた。茜色の陽の光を背に薄暗い館内に入ってきたのは、小麦色の肌の銀髪の美女——ディアナだった。彼女はロッテに気がつくと、さも意外そうに紅玉の瞳をまるくした。
「あら、部屋にいないと思ったらこんな所にいたのね」
「読みたい本があったからゲオルグさんに案内してもらったんです」
 ロッテが抱えていた薬学書をディアナに見せると、彼女は「ふぅん」と頷いて、それからちらりとゲオルグを一瞥した。仏頂面のゲオルグの右の眉がぴくりと跳ねる。かたちの良い唇で綺麗な弧を描くと、ディアナは腕を組んでロッテに向き直った。
「最近、評判が良いようね」
「はい。なんとか皆さんのお役に立てているみたいで嬉しいです」
 なんとなく褒められた気になってロッテがにっこり笑っていると、ディアナはやれやれと肩を竦め、くびれた腰に手を当てて、手入れの行き届いた指先でロッテをぴしっと指差した。
「よそ事ばかりに気を取られてないで、本業もしっかりしなさいね。お節介を言うようだけど、以前は宮廷の医師や薬師に相談に行っていた連中がこぞって貴女の世話になっているようだから、宮廷の医師や薬師の中には貴女のことをよく思っていない連中もいるみたいよ」
 早口でそう忠告して、ディアナはついでにもう一言付け加えた。
「それから、頼まれてた薬草の準備ができたからあとで届けに行くって、テオが言ってたわ」

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