魔女見習いのロッテ

柴咲もも

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第5話 大切な人のために

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 長い廊下を歩き、剪定された樹々の立ち並ぶ庭園の一角を通り抜けて、ロッテは改めて王宮の敷地の広大さに驚いていた。
 ディアナの部屋はロッテの部屋から随分と離れた王宮の敷地内に建つ小さな塔の上階にあるという。監視という名目ではあるものの、ユリウスの言ったとおり、彼女はロッテの世話役を引き受けてくれているようなものだ。毎朝毎晩、これだけの距離を往復していてはなかなかに大変だろう。ゲオルグにしたってそうだ。フリッツに頼まれて一度だけ騎士団宿舎を訪ねたことがあったけれど、広い訓練場を迂回しての道のりはかなりの距離があった。ただでさえ魔獣の討伐任務で忙しいのに、ロッテの様子を見に来たり、テオの薬草園から荷物を運んでくれたり、彼は随分とロッテに気を遣ってくれている。
 王宮に上がってすぐの頃は監視なんて迷惑だと思っていたけれど、あれから三月みつきが過ぎた今となっては、ふたりの存在に助けられてばかりだ。先を行くディアナの背中を追いながら、ロッテはいつのまにか頬の緊張が解けていたことに気がついた。
 リーゼロッテの代わりに王宮に上がるなんて不本意だったけれど、今のロッテはそれで良かったのだと思っている。だってロッテは寂しかったのだ。リーゼロッテはいつでも側にいてくれたけれど。彼女は母であり姉であり友人でもあったけれど。それでもやっぱり、ロッテはいつか森を出て、たくさんの人と出会って話をして、仲良くなって恋をして、普通の女の子のように暮らしてみたかったのだ。
 王宮に上がってからの生活は、ロッテの望みどおりのものだった。ユリウスに恋をして、ディアナやゲオルグと仲良く話ができるようになって、シャルロッテというはじめての友達ができた。
 今、ロッテはひとりじゃない。声をあげれば、助けを求めれば、応えてくれる人がたくさんいるのだ。

「何してるの。はやく来なさい」
 小塔の扉の前でディアナがロッテを呼んでいた。ロッテは大きく頷いて、足早に庭園を駆け抜けた。


***


 こつこつと靴音が響く長い階段を上がりながら、小さな窓枠に切り取られた空を見上げる。青と紅が入り混じる不思議な空に、引き延ばした綿のような薄い雲が浮かんでいた。
 塔の中は壁に備え付けられた蝋燭の灯りで照らされてはいたけれど、日が暮れかけていることもあり、足元は暗かった。ロッテは何度か蹴躓きながら、慣れた足取りで先を行くディアナを追いかけた。
 階段の突き当たりに扉があった。ディアナの装いからロッテが想像していた煌びやかなものとはだいぶ違う、何の変哲も無い木製の小さな扉だ。
 ディアナは階段の踊り場で立ち止まると、軋んだ音を響かせる扉を開き、ロッテを部屋の中へと押し込んだ。

 月も星もない夜空みたい。
 ディアナの部屋に入って、ロッテは一番にそう思った。窓に掛けられた濃紺色のカーテンのせいか、部屋の中は真っ暗だった。けれど、小さな塔の上にあるというのに、不思議と部屋が広く感じられる。
 ロッテがぼんやりと立ち尽くしていると、後方で明かりが灯った。入り口の両脇に備え付けられた燭台に、ディアナが火を点けたようだ。もう一度前を向くと、部屋の中央に置かれた丸テーブルが目に入った。颯爽とロッテの横を通り抜けたディアナが、テーブルの上に点々と置かれた四つの燭台に火を点けていく。蝋燭に何か特殊なものが使われているのか、青や緑や紫の色鮮やかな炎が次々に燭台に灯る。テーブルの中央に置かれた台座の上に、大きめの水晶玉が載せられた。
 水晶玉に刻まれた紋様が色鮮やかな炎に照らされて壁や天井に映し出される。まるで雲ひとつない星空の中にいるようで、ロッテがうっとりと眺めていると、「はじめるわよ」とディアナが言った。
「ここに座って。それから例の姿見を思い浮かべて、そこから部屋を覗きこ込むようにイメージして」
 ロッテは促されるままに椅子に座り、リーゼロッテの部屋を思い浮かべた。呪文のような祝詞のような不思議な言葉を唱えながら、ディアナがゆっくりと撫でるように水晶玉に手をかざす。透明な玉の内側に霧のようなものが現れて、表面に刻まれた紋様が溶け消えて、霧の向こうにちらりと何かが見えたときだった。
 バチッと鋭い音がして、ディアナが素早く手を引っ込めた。
「痛ッ……!」
「ディアナさん! 大丈夫ですか?」
「……なんだ、お前か」
 慌てて腰を浮かせたロッテの耳に、聞き慣れた、懐かしい声が届く。振り向けば、不機嫌な顔で大きく欠伸をして、ニヤリとほくそ笑むリーゼロッテが水晶玉に映っていた。
「お師匠様!」
「よう、元気にしてたか」
「お師匠様こそ! あれだけ言ったのに、全然掃除してないじゃないですか」
 リーゼロッテの後ろに映し出された部屋を覗き込み、ロッテは深々と溜め息をついた。
「ばーか。お前の仕事を残してやってんだろ。さっさと王子の依頼を片付けて帰って来い」
 相変わらずの口の悪さでそう言って、リーゼロッテがぽりぽりと頭を掻く。はっとして、ロッテは水晶玉に噛り付いた。
「そんなこと言ってる場合じゃありません! お師匠様お願いです! 今すぐそこを出て王宮に来てください!」
「はあ? 何言ってんだロッテ。寝言は寝て言え」
「エリクシアの霊薬がどうしても必要なんです! でも、あの薬は魔女の薬の中でも最高難易度に認定されているものだから、わたし、作れる自信がなくて。それで、エリクシアの採取にはわたしが行くので、せめて調薬だけでもお師匠様にお願いしたくて……」
「ふーん……」
「ふーん……って、人の命がかかってるんですよ!?」
 必死になって説得を試みたものの、リーゼロッテは呑気に気の抜けた声を洩らしただけだった。シャルロッテの命を救うことができるかもしれないのに、このものぐさな魔女はあくまで無関係を決め込むつもりのようだ。
 悔しさに涙が零れる。ロッテは摑みかかるようにして水晶玉の中のリーゼロッテに詰め寄った。
「お師匠様には、人の心というものが……!」
「お前さ、あの薬作ってみたか?」
「え……?」
 ——
 ロッテは抗議することも忘れ、ぱちくりと目を瞬かせた。
「お前がこっちを出て行くとき、餞別に私の特製媚薬のレシピをやっただろう。あの薬だ」
 それはわかっているけれど、何故、今、その話が出てくるのだろう。リーゼロッテの思惑が判らないまま、ロッテは困惑して問いに答えた。
「作りました、けど……」
「へえ……それで? 成功したか?」
 リーゼロッテがニヤリと笑う。
「成功……って……」
 つぶやきながら、ロッテはあの夜を思い出した。
 アルコールランプの心許ない明かりが灯る部屋。ゲオルグの熱い眼差し。荒げた吐息。骨張った太い指。肌に触れた唇の感触。そして……
 あの夜ゲオルグに触れられた肌がみるみるうちに熱をあげ、かあっと頬が熱くなる。ロッテは慌てて首を振り、両手をばたばた動かして、しどろもどろに告げた。
「し、しました! 成功しました!」
「それなら問題ない。あの薬の調薬法はエリクシアの霊薬とほぼ同じだからな。前にも言っただろう。お前は魔法はからっきし駄目だけど、調薬技術だけなら私より上なんだって」
 したり顔のリーゼロッテはどこか誇らしげで。ロッテはなんとなく、リーゼロッテの言葉が決して出任せなんかではないのだと、そう感じ取った。
「自信を持て。お前ならできる。他でもない、この私が言っているんだからな」
 きりと眉を吊り上げて、ロッテのことを指差して、激励するようにリーゼロッテが笑う。ロッテがうっかり頷いてしまうと、リーゼロッテは更に続けた。
「ロッテ、ここが正念場だ。森の魔女リーゼロッテの一番弟子の名において——この依頼しごと、任せられるな?」
 あの傲慢なリーゼロッテが、ロッテを自分の代理として認めてくれたのだ。調薬技術に関してはロッテのほうが上だとまで言ってくれたのだ。
 これ以上の言葉なんてない。
「はい!」
 ロッテが力強く頷くと、リーゼロッテは不敵に笑い、その笑顔は水晶玉の明かりとともに、ふっと闇に掻き消えた。

「術が解かれたようね」
 ディアナが水晶玉に布を被せ、窓辺に備え付けられた燭台に火を灯す。部屋の中が明るくなり、術具の並ぶ棚や書架、天球儀が目に映った。奥に垂れた暗幕は部屋を仕切るためのものだろう。ロッテがぼんやりと部屋の中を見回していると、術具を戸棚に片付けながらディアナが言った。
「そういえば、ずっと訊きそびれてたんだけど、、あなたゲオルグに何かされた?」
 唐突な問いに、ロッテの肩がびくりと跳ねる。気まずい思いで視線を泳がせながら、ロッテはたどたどしく口を動かした。
「何も……ちょっと、きつく叱られただけ、です……」
「そう……」
 ロッテを疑っているのか、紅玉の瞳がすっと細められる。けれどもディアナはそれ以上何も言わず、さっさと術具を棚に戻して丸テーブルの上を片付けはじめた。

 出会って間もない頃、ロッテはディアナが苦手だった。恐ろしいほど整った美貌のせいか、彼女の言葉は酷く鋭利に感じられて、意地悪を言われたり冷たい態度で接されるたびにロッテはひとりで落ち込んでいた。
 けれど今は、ロッテはディアナのことが大好きだ。憎まれ口は叩いても、彼女はロッテが助けを求めれば、必ず手を差し伸べてくれるのだから。
「……ディアナさん、ありがとうございました!」
 ロッテの弾んだ声が部屋に響く。ぺこりと頭を下げて笑って見せると、ディアナは照れ臭そうに微笑んで、犬でも追い払うように「しっし」と手を振った。
 ロッテは急いで部屋を出て、長い階段を駆け下りた。

 薄闇の中、軽い靴音が反響する。儚気に揺れる燭台の灯火があの夜のアルコールランプの灯りみたいで、ロッテはちらりと燭台を見やり、ぎゅっと両腕を抱き締めた。
 ロッテが頼んだとおり、今までゲオルグはあの夜のことに触れようとしなかったから、薬でおかしくなったゲオルグに襲われたことなんて、すっかり忘れてしまっていた。
 あのときはロッテも混乱していて、酷く突き放すような真似をしてしまったけれど、よくよく思い返してみれば、あれはゲオルグに対して嫌悪感を抱いたというよりは、単純に汚れた身体が気持ち悪かっただけだ。
 ゲオルグに触れられて恥ずかしいとは思ったけれど、だからと言って彼を嫌いになったわけではなかった。

「……変なの」
 ぽつりとつぶやいて、ロッテは小窓の外に目を向けた。火照った頬が冷たい風に撫でられる。夕陽で紅かった西の空が、いつのまにか夕闇に染まっていた。

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