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第6話 エリクシアの花を求めて
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樹々の枝葉ががさがさと騒がしい音を立てていた。激しく上下に揺さぶられるなかで、ロッテは舌を噛まないように必死に歯を食いしばった。目を開けば遥か遠くに落ち葉の積もる地面が見えて、度々太い木の枝が眼下をすり抜けていった。
ロッテを捕らえた魔獣は、豚の魔獣の包囲を抜けて木を登り、枝から枝に飛び移って移動しているようだった。魔獣の生態についてロッテは詳しくないけれど、彼らはおそらく異なる種で苗床を共有したりはしない。ロッテを捕らえた魔獣は豚の魔獣達の隙を突き、彼らから獲物を奪い、仲間の元に向かっているのだろう。
このまま連れ去られてしまえば、ロッテには彼らの種の苗床になる未来しかない。そんな運命、まっぴらご免だ。ロッテは獣の腕の中で身を捩り、握り締めた短剣の柄に手を伸ばした。
指先に硬い感触が伝わった。ゲオルグから受け取ったこの短剣なら、非力なロッテでも魔獣に傷を負わせることができるかもしれない。
魔獣は相変わらず高い木の枝の上を移動している。今すぐ腕を斬りつけたとして、この高さから落ちて無傷でいられるとは思えない。怪我でもしたら、今度こそ魔獣から逃れる術を失ってしまう。
——どうすればいい? どうすれば……
ロッテが祈るように胸に短剣を抱いたとき、騒がしかった枝葉の音が途絶え、唐突に視界がひらけた。血のように朱い空が瞳に映る。ぎゅっと目を瞑ると、ふわりとした浮遊感のあと、どさ、と音がして、背中が柔らかな草の感触に包まれた。
恐る恐る目を開くと、ずんぐりとした黒い影がロッテの前に立っていた。獣の身体は硬い被毛に覆われており、ぽっこりと突き出た腹と胸や人のものに似た指の長い手の肌が露出していた。両腕が異様に長く、顔は年老いた人間のように皺くちゃで、きょろきょろと動く虚ろな瞳で怯えるロッテを見下ろしている。興奮してふごふごと鼻を鳴らす豚の魔獣とは違うけれど、人間じみた不気味な表情がより一層恐ろしい。
——逃げなきゃ。
そう思っているのに、膝が笑ってしまって立ち上がれなかった。
逃げ出さないロッテを空虚な瞳で見下ろしていた魔獣は、ロッテの前にしゃがみ込むと、ゆっくりと手を伸ばして震える膝に触れ、するりと太腿を撫であげた。長く尖った爪の先がスカートを捲り上げ、ロッテの内股をつとなぞる。白くて柔らかい肌に薄っすらと朱い線が滲んだ。傷の端に浮かんだ珠のような鮮血を爪の先で掬い取ると、魔獣は細長い舌でそれを舐め、にたりと笑った。
ぞくんと悪寒が背筋を疾る。
「いやぁあああ!」
ロッテは悲鳴をあげて魔獣に背を向けると、覚束ない足取りで逃げ出した。
気持ちに身体がついてきていないのが自分でもわかる。前のめりになって倒れかけたところで編んだ長い髪をむんずと掴まれて、頭から後方に引き戻される。白い花の髪飾りがころりと地面に転がった。
「痛ッ……!」
頭皮が剥がれるのではないかと思うほどに、めりめりと痛みが広がっていく。耳元をふしゅうふしゅうと生暖かい息が掠めた。
ロッテは無心で短剣を抜き、編んだ髪ごと魔獣の手を斬りつけた。はらりと舞う薔薇色の髪とともに鮮血が飛び散って、奇怪な声が辺りに響く。魔獣が怯んだその隙に、ロッテは震える脚で走り出した。ちらりと振り返った視界の端に、白い花の髪飾りが映る。
何故かはわからない。けれど、ロッテは咄嗟に脚を止めてしまった。その一瞬の隙を突いて、毛むくじゃらの獣の腕がロッテに伸びる。
逃げようとしても遅すぎた。獣はロッテの手首を掴むと、そのままロッテの身体を引き上げた。片腕で吊るされたロッテの手から短剣を奪い、地面にぽいと投げ捨てる。
「いやっ! 放してっ……!」
ロッテは必死になって、蹴り上げるように脚をばたつかせた。けれど、獣の腕は長く、ロッテの足は獣の身体に届かない。虚しく宙を蹴りながら、それでもロッテは必死の抵抗を続けた。
しばらくのあいだ、獣は暴れるロッテを見下ろしていた。それからにたりと不気味に笑うと、ロッテを太い樹の幹に押し付けて、ロッテの眼前に己の性器を突き出した。
あのときと同じだった。魔獣のそれは恐ろしいほど隆起しており、ぬらぬらと輝く先端が生き物のようにびくんびくんと脈打っていた。生暖かい手のひらがロッテの太腿を撫で、高く脚を持ち上げる。ロッテは泣きながら必死に首を振った。
「やだっ! やだやだ、放してっ! いやあぁぁ!」
雌を蹂躙する悦楽に、魔獣の目が嗤う。
そのとき、ざん、と音がして、魔獣がぴたりと動きを止めた。ロッテを映す虚ろな眼がぎょろりと動く。きょとと首を傾げた魔獣の頭部がそのままずるりと横に滑り、草の上に転がり落ちた。
ぴゅうぴゅうと血飛沫をあげてよろめいた獣の巨体が、ずん、と地面に崩れ落ちる。肉塊と化した獣の向こうで誰かがロッテを見下ろしていた。
強い西陽が逆光になり、姿はよく見えなかったけれど、その誰かはロッテにくるりと背を向けて、手にした剣を大きく振り払った。
続けざまにおびただしい魔獣の雄叫びがあがる。わらわらと集い来る獣を、誰かが正確無比な太刀筋で着実に斬り伏せていく。その背中を呆然と見上げ、ロッテはぽつりと呟いた。
「ユリウス様……?」
同じだった。ロッテが初めてユリウスと出会ったあのとき、魔獣の群れにひとりで立ち向かっていたユリウスの姿が、目の前の誰かの姿と重なった。
やがて動くものがなくなると、その人は長い剣を一振りして、ゆっくりとロッテを振り返った。
「期待を裏切って悪いが、殿下ではない」
押し殺すような低い声にはっとする。魔獣の返り血で全身を朱に染めて、肩で息をして、ゲオルグが悲痛な面持ちでロッテを見下ろしていた。
「大丈夫か?」
控えめな低音でロッテに問うと、彼はべっとりと頬を染める血を袖で拭った。向けられた穏やかな黒曜石の瞳に、ロッテはほっと胸をなでおろした。
全ての魔獣を斬り伏せてロッテを振り返ったゲオルグの姿は、殺気立って血塗れでおぞましいものだった。彼をよく知らなかった頃のロッテなら、きっと腰を抜かしていたと思う。けれどもロッテは知っている。確かに顔は怖いけれど、ゲオルグはとても優しいひとだということを。
「……はい」
頷いて涙を拭い、ロッテが笑うと、ゲオルグもふっと安堵の息を吐いた。
拓けた森の生い茂る草の上に、おびただしい数の魔獣が倒れていた。流れ出た多くの血が赤黒く地面を染め上げて、鉄錆に似た異臭を放つ。
ロッテを拐った魔獣を除き、目の前に折り重なる屍は元々ゲオルグが相手をしていた魔獣のもののようだった。それらを引き連れてロッテの元に駆け付けたということは、ゲオルグは魔獣を倒しきる前にロッテが拐われたことに気付いたということだ。
どうしてそんなことが出来たのだろう。ゲオルグはロッテ達からかなり離れた場所にいたはずなのに。
「どうして居場所がわかった、と言いたいようだな」
ゲオルグが淡々と言った。胸の内を言い当てられて、ロッテはぱちくりと目を瞬かせた。さくさくと草を踏みしめて数歩歩くと、ゲオルグは地面に転がっていた短剣を拾い上げた。
「こいつに術がかけてある。元は高価な魔道具の紛失を防ぐための術だが、使い方次第では、こうして離れた仲間の位置を特定することも出来るわけだ」
そう言って、改めてロッテの手に短剣を握らせた。
そういえば、魔女のまじないの中にも捜し物を見つけるものがあった。ロッテは使えないけれど、ゲオルグの武器にかけられた術はそれと似たようなものなのかもしれない。
ロッテが手渡された短剣をまじまじとみつめていると、ゲオルグはしばらく無言でロッテを見下ろして、それから躊躇いがちに口を開いた。
「……何故逃げなかった」
「え……?」
ロッテは顔を上げ、ゲオルグを見た。
「さっき、逃げようとして足を止めただろう」
指摘されて、ロッテははっとした。慌ててあたりを見回して、草むらに落ちた白い花に目を留める。大急ぎで駆け寄って髪飾りを拾いあげ、ぎゅっと胸に抱き締めた。
困惑を滲ませた複雑な表情でロッテを見下ろして、ゲオルグがぽつりと零す。
「そんなもののために……」
ロッテは俯くことしかできなかった。
ロッテが魔獣に連れ去られてしまったら、エリクシアの花はみつけられない。ゲオルグ達だけではこの任務は達成できない。そんなこと、わかっていたはずなのに、髪飾りひとつのために、ロッテは自ら危険を冒してしまったのだ。
「……ごめんなさい」
絞り出した声が震える。無言のままゲオルグが一歩足を踏み出した、そのときだった。
「ロッテちゃん!」
がさりと音がして、茂みの向こうからフリッツとカミルが顔を出した。ふたりとも髪は乱れ、頬や顎に血がついてはいるものの、大きな怪我はないようだ。ロッテがほっと頬を緩ませると、同時にゲオルグが声を凄ませた。
「お前ら……!」
「げっ、ゲオルグさん!? すみませんっ! そのっ、まさか猿型がいるとは思わなくて……!」
「まさかで済む話か! はぐれだったから良いものの、群れだったら本当に——」
「はぐれ……?」
ロッテが小首を傾げると、すぐさまゲオルグが振り返った。
「魔獣は基本群れで行動するものだ。だが、お前を拐った奴は単独で行動していた。おそらくは、お前の匂いを嗅ぎつけて群れから逸れてきたんだ」
なるほど、とロッテが頷いていると、フリッツがばたばたと駆け寄ってきて、悲痛な声で嘆いた。
「ロッテちゃん! どうしたのその髪!」
「えへへ……ちょっと、失敗しちゃって」
不揃いな薔薇色の髪に指先を絡めて、ロッテはへらへらと笑ってみせた。髪の毛なんて、放っておけばまた伸びる。
「柔らかくて良い髪だったのに、勿体ない」
そう言って、フリッツがロッテの髪を撫でる。カミルも残念そうに肩を落としてロッテを見ていた。
ゲオルグは険しい表情でしばらくフリッツを睨み付けていたものの、ロッテと目が合うと、ふうと大きく息を吐いた。
「……もういい。ここからは俺がこいつに付く。次に魔獣の群れに出会したら、お前らが相手をしろ」
やれやれと肩を竦めてそう言うと、ゲオルグはロッテに「行くぞ」と声を掛けて、茂みの向こうに回り込み、さっさと獣道を歩き出した。ロッテは慌てて立ち上がり、ゲオルグを追いかけた。
「ゲオルグさん!」
呼び止めて、振り返ったゲオルグに駆け寄って。
「ありがとうございました。ゲオルグさんがいてくれて、本当によかった」
にっこり笑ってロッテが言うと、ゲオルグは僅かに眉を顰め、躊躇いがちに手を伸ばして、不揃いなロッテの髪にそっと触れた。
「すまなかった。本当に……お前の側を離れるべきじゃなかった」
苦々しく呟かれたその声は、微かに震えていた気がした。
ロッテを捕らえた魔獣は、豚の魔獣の包囲を抜けて木を登り、枝から枝に飛び移って移動しているようだった。魔獣の生態についてロッテは詳しくないけれど、彼らはおそらく異なる種で苗床を共有したりはしない。ロッテを捕らえた魔獣は豚の魔獣達の隙を突き、彼らから獲物を奪い、仲間の元に向かっているのだろう。
このまま連れ去られてしまえば、ロッテには彼らの種の苗床になる未来しかない。そんな運命、まっぴらご免だ。ロッテは獣の腕の中で身を捩り、握り締めた短剣の柄に手を伸ばした。
指先に硬い感触が伝わった。ゲオルグから受け取ったこの短剣なら、非力なロッテでも魔獣に傷を負わせることができるかもしれない。
魔獣は相変わらず高い木の枝の上を移動している。今すぐ腕を斬りつけたとして、この高さから落ちて無傷でいられるとは思えない。怪我でもしたら、今度こそ魔獣から逃れる術を失ってしまう。
——どうすればいい? どうすれば……
ロッテが祈るように胸に短剣を抱いたとき、騒がしかった枝葉の音が途絶え、唐突に視界がひらけた。血のように朱い空が瞳に映る。ぎゅっと目を瞑ると、ふわりとした浮遊感のあと、どさ、と音がして、背中が柔らかな草の感触に包まれた。
恐る恐る目を開くと、ずんぐりとした黒い影がロッテの前に立っていた。獣の身体は硬い被毛に覆われており、ぽっこりと突き出た腹と胸や人のものに似た指の長い手の肌が露出していた。両腕が異様に長く、顔は年老いた人間のように皺くちゃで、きょろきょろと動く虚ろな瞳で怯えるロッテを見下ろしている。興奮してふごふごと鼻を鳴らす豚の魔獣とは違うけれど、人間じみた不気味な表情がより一層恐ろしい。
——逃げなきゃ。
そう思っているのに、膝が笑ってしまって立ち上がれなかった。
逃げ出さないロッテを空虚な瞳で見下ろしていた魔獣は、ロッテの前にしゃがみ込むと、ゆっくりと手を伸ばして震える膝に触れ、するりと太腿を撫であげた。長く尖った爪の先がスカートを捲り上げ、ロッテの内股をつとなぞる。白くて柔らかい肌に薄っすらと朱い線が滲んだ。傷の端に浮かんだ珠のような鮮血を爪の先で掬い取ると、魔獣は細長い舌でそれを舐め、にたりと笑った。
ぞくんと悪寒が背筋を疾る。
「いやぁあああ!」
ロッテは悲鳴をあげて魔獣に背を向けると、覚束ない足取りで逃げ出した。
気持ちに身体がついてきていないのが自分でもわかる。前のめりになって倒れかけたところで編んだ長い髪をむんずと掴まれて、頭から後方に引き戻される。白い花の髪飾りがころりと地面に転がった。
「痛ッ……!」
頭皮が剥がれるのではないかと思うほどに、めりめりと痛みが広がっていく。耳元をふしゅうふしゅうと生暖かい息が掠めた。
ロッテは無心で短剣を抜き、編んだ髪ごと魔獣の手を斬りつけた。はらりと舞う薔薇色の髪とともに鮮血が飛び散って、奇怪な声が辺りに響く。魔獣が怯んだその隙に、ロッテは震える脚で走り出した。ちらりと振り返った視界の端に、白い花の髪飾りが映る。
何故かはわからない。けれど、ロッテは咄嗟に脚を止めてしまった。その一瞬の隙を突いて、毛むくじゃらの獣の腕がロッテに伸びる。
逃げようとしても遅すぎた。獣はロッテの手首を掴むと、そのままロッテの身体を引き上げた。片腕で吊るされたロッテの手から短剣を奪い、地面にぽいと投げ捨てる。
「いやっ! 放してっ……!」
ロッテは必死になって、蹴り上げるように脚をばたつかせた。けれど、獣の腕は長く、ロッテの足は獣の身体に届かない。虚しく宙を蹴りながら、それでもロッテは必死の抵抗を続けた。
しばらくのあいだ、獣は暴れるロッテを見下ろしていた。それからにたりと不気味に笑うと、ロッテを太い樹の幹に押し付けて、ロッテの眼前に己の性器を突き出した。
あのときと同じだった。魔獣のそれは恐ろしいほど隆起しており、ぬらぬらと輝く先端が生き物のようにびくんびくんと脈打っていた。生暖かい手のひらがロッテの太腿を撫で、高く脚を持ち上げる。ロッテは泣きながら必死に首を振った。
「やだっ! やだやだ、放してっ! いやあぁぁ!」
雌を蹂躙する悦楽に、魔獣の目が嗤う。
そのとき、ざん、と音がして、魔獣がぴたりと動きを止めた。ロッテを映す虚ろな眼がぎょろりと動く。きょとと首を傾げた魔獣の頭部がそのままずるりと横に滑り、草の上に転がり落ちた。
ぴゅうぴゅうと血飛沫をあげてよろめいた獣の巨体が、ずん、と地面に崩れ落ちる。肉塊と化した獣の向こうで誰かがロッテを見下ろしていた。
強い西陽が逆光になり、姿はよく見えなかったけれど、その誰かはロッテにくるりと背を向けて、手にした剣を大きく振り払った。
続けざまにおびただしい魔獣の雄叫びがあがる。わらわらと集い来る獣を、誰かが正確無比な太刀筋で着実に斬り伏せていく。その背中を呆然と見上げ、ロッテはぽつりと呟いた。
「ユリウス様……?」
同じだった。ロッテが初めてユリウスと出会ったあのとき、魔獣の群れにひとりで立ち向かっていたユリウスの姿が、目の前の誰かの姿と重なった。
やがて動くものがなくなると、その人は長い剣を一振りして、ゆっくりとロッテを振り返った。
「期待を裏切って悪いが、殿下ではない」
押し殺すような低い声にはっとする。魔獣の返り血で全身を朱に染めて、肩で息をして、ゲオルグが悲痛な面持ちでロッテを見下ろしていた。
「大丈夫か?」
控えめな低音でロッテに問うと、彼はべっとりと頬を染める血を袖で拭った。向けられた穏やかな黒曜石の瞳に、ロッテはほっと胸をなでおろした。
全ての魔獣を斬り伏せてロッテを振り返ったゲオルグの姿は、殺気立って血塗れでおぞましいものだった。彼をよく知らなかった頃のロッテなら、きっと腰を抜かしていたと思う。けれどもロッテは知っている。確かに顔は怖いけれど、ゲオルグはとても優しいひとだということを。
「……はい」
頷いて涙を拭い、ロッテが笑うと、ゲオルグもふっと安堵の息を吐いた。
拓けた森の生い茂る草の上に、おびただしい数の魔獣が倒れていた。流れ出た多くの血が赤黒く地面を染め上げて、鉄錆に似た異臭を放つ。
ロッテを拐った魔獣を除き、目の前に折り重なる屍は元々ゲオルグが相手をしていた魔獣のもののようだった。それらを引き連れてロッテの元に駆け付けたということは、ゲオルグは魔獣を倒しきる前にロッテが拐われたことに気付いたということだ。
どうしてそんなことが出来たのだろう。ゲオルグはロッテ達からかなり離れた場所にいたはずなのに。
「どうして居場所がわかった、と言いたいようだな」
ゲオルグが淡々と言った。胸の内を言い当てられて、ロッテはぱちくりと目を瞬かせた。さくさくと草を踏みしめて数歩歩くと、ゲオルグは地面に転がっていた短剣を拾い上げた。
「こいつに術がかけてある。元は高価な魔道具の紛失を防ぐための術だが、使い方次第では、こうして離れた仲間の位置を特定することも出来るわけだ」
そう言って、改めてロッテの手に短剣を握らせた。
そういえば、魔女のまじないの中にも捜し物を見つけるものがあった。ロッテは使えないけれど、ゲオルグの武器にかけられた術はそれと似たようなものなのかもしれない。
ロッテが手渡された短剣をまじまじとみつめていると、ゲオルグはしばらく無言でロッテを見下ろして、それから躊躇いがちに口を開いた。
「……何故逃げなかった」
「え……?」
ロッテは顔を上げ、ゲオルグを見た。
「さっき、逃げようとして足を止めただろう」
指摘されて、ロッテははっとした。慌ててあたりを見回して、草むらに落ちた白い花に目を留める。大急ぎで駆け寄って髪飾りを拾いあげ、ぎゅっと胸に抱き締めた。
困惑を滲ませた複雑な表情でロッテを見下ろして、ゲオルグがぽつりと零す。
「そんなもののために……」
ロッテは俯くことしかできなかった。
ロッテが魔獣に連れ去られてしまったら、エリクシアの花はみつけられない。ゲオルグ達だけではこの任務は達成できない。そんなこと、わかっていたはずなのに、髪飾りひとつのために、ロッテは自ら危険を冒してしまったのだ。
「……ごめんなさい」
絞り出した声が震える。無言のままゲオルグが一歩足を踏み出した、そのときだった。
「ロッテちゃん!」
がさりと音がして、茂みの向こうからフリッツとカミルが顔を出した。ふたりとも髪は乱れ、頬や顎に血がついてはいるものの、大きな怪我はないようだ。ロッテがほっと頬を緩ませると、同時にゲオルグが声を凄ませた。
「お前ら……!」
「げっ、ゲオルグさん!? すみませんっ! そのっ、まさか猿型がいるとは思わなくて……!」
「まさかで済む話か! はぐれだったから良いものの、群れだったら本当に——」
「はぐれ……?」
ロッテが小首を傾げると、すぐさまゲオルグが振り返った。
「魔獣は基本群れで行動するものだ。だが、お前を拐った奴は単独で行動していた。おそらくは、お前の匂いを嗅ぎつけて群れから逸れてきたんだ」
なるほど、とロッテが頷いていると、フリッツがばたばたと駆け寄ってきて、悲痛な声で嘆いた。
「ロッテちゃん! どうしたのその髪!」
「えへへ……ちょっと、失敗しちゃって」
不揃いな薔薇色の髪に指先を絡めて、ロッテはへらへらと笑ってみせた。髪の毛なんて、放っておけばまた伸びる。
「柔らかくて良い髪だったのに、勿体ない」
そう言って、フリッツがロッテの髪を撫でる。カミルも残念そうに肩を落としてロッテを見ていた。
ゲオルグは険しい表情でしばらくフリッツを睨み付けていたものの、ロッテと目が合うと、ふうと大きく息を吐いた。
「……もういい。ここからは俺がこいつに付く。次に魔獣の群れに出会したら、お前らが相手をしろ」
やれやれと肩を竦めてそう言うと、ゲオルグはロッテに「行くぞ」と声を掛けて、茂みの向こうに回り込み、さっさと獣道を歩き出した。ロッテは慌てて立ち上がり、ゲオルグを追いかけた。
「ゲオルグさん!」
呼び止めて、振り返ったゲオルグに駆け寄って。
「ありがとうございました。ゲオルグさんがいてくれて、本当によかった」
にっこり笑ってロッテが言うと、ゲオルグは僅かに眉を顰め、躊躇いがちに手を伸ばして、不揃いなロッテの髪にそっと触れた。
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