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第6話 エリクシアの花を求めて
番外編 追憶の騎士と少女と誓い
しばらくすると、火の粉が弾ける音に混じって、すやすやと寝息が聞こえてきた。首を伸ばして燃え盛る炎の向こう側を覗き見れば、横向きになって転がって眠るフリッツとカミルと、彼らから少し離れて、身を丸めて眠るロッテが目に入った。
片手に剣を握ったままおもむろに立ち上がると、ゲオルグは足音を殺してロッテの側に腰を下ろした。小柄な身体を包むケープから薔薇色の髪が覗いている。左のこめかみの少し上のあたりで白い花の髪飾りが揺れていた。ゲオルグは躊躇いがちに手を伸ばすと、短くなったロッテの髪に指先をそっと絡ませた。
ロッテをフリッツ達に任せたのは失策だった。多少無理をしてでも自分のそばに置いておくべきだった。例え目に余るほどの残虐な光景を彼女が目の当たりにすることになったとしても、彼女の身に危険が及ぶよりかは遥かにマシだったはずだ。けれど、あのときゲオルグは一番に「見られたくない」と思ってしまった。
ゲオルグの剣は一振りで確実に狙った相手の首を落とす。正確無比なその太刀筋は、国王の近衛騎士隊長を務める父親すらも凌駕する。手負いの獣は危険であること、例え魔獣といえど、傷ついた獣が生き永らえるのは困難なこと、様々な要因を彼なりに考慮して、相手を苦しませずに終わらせるために磨き上げてきた剣の腕だ。
だが、実際に剣を振るうゲオルグを見た人々は口を揃えて言うのだ。「冷酷無比な化け物」と。
当然だと思う。人に害をなすとはいえ、魔獣は生きているのだから。
自分が非難されることで人々が魔獣に怯える生活から解放されて、負傷する仲間の数も減らすことができるなら、それで構わないとゲオルグは思っていた。
けれどもあのとき、彼女にだけは、何十もの魔獣の首を切り落とし、血に塗れた自分の姿を晒したくないと思ってしまった。嫌われることよりも、恐れられることが怖かったのだ。魔獣に襲われていた彼女を初めて助けたとき、返り血でずぶ塗れたゲオルグを見て、彼女は気を失ってしまったから。
あの日のことを彼女が忘れていたことは、ゲオルグにとって、ある意味救いでもあった。数年の時を経て、彼女が全く同じ状況でユリウスに助けられ、一目惚れしたと知ったときには、流石に苦笑するしかなかったけれど。
はじめはどうでもよかったのだ。八年も前に一度助けただけの幼い少女のことなんて、ゲオルグもすっかり忘れてしまっていたのだから。
けれど、頼れる者がいない宮中で、不治の病とされる疫病への対策を任されて、無謀にもほどがある研究に必死になって取り組む姿を見ていたら。誰にでも分け隔てなく、明るい笑顔で接する彼女を見ていたら、いつのまにか放っておけなくなっていて。気付いたときにはもう、ゲオルグは暇さえあれば彼女のことを考えるようになっていた。監視に託けて部屋を訪ねたり、薬草を届けたり、用事を思い付いては彼女に会いに行くようになっていた。
彼女の部屋で彼女とともに、彼女が淹れたハーブティーを飲む。そのひとときさえあれば、どんなに過酷な任務が続こうと乗り越えられるような気がしていた。今回の、この任務だって。
夜の風が吹き抜けて、まだ勢いの衰えない炎をゆらめかせた。
魔獣の手から救い出したあのとき、血に塗れたゲオルグを見上げ、怯えるでもなく涙を拭い、微笑んだ彼女の顔が頭から離れない。
駆け付けたゲオルグを見て、彼女が一番に口にした名前は誰のものだったか。その名前を思い出して、悔しさにぎりと奥歯を噛み締めた。
——『ユリウス様……?』
彼女が危険な目に合ったとき、一番に助けを求める相手は彼なのだろう。
王都の外れの隔離病棟で、ユリウスがどれほど婚約者を愛しているか、思い知ったはずなのに。どんなに一途に想い続けても、ユリウスは彼女に振り向かない。そう思い知らされたはずなのに。どれだけ可能性のない相手だとわかっていても、彼女の危機に駆けつける白馬の王子は、未だユリウスのままなのだ
ふと、手の内に握り締めた剣の鞘が目に入った。彼女に渡した短剣と同じ紋様が刻まれた、森の魔女の加護を受けた魔獣除けの長剣だ。
彼女に短剣を持たせておいて正解だった。彼女はその短剣で長かった髪を切り捨てて、魔獣の手から逃れることができたのだから。
だが、問題はその後だった。あろうことか彼女は、ゲオルグがいつか贈った髪飾りのために足を止め、ふたたび魔獣に捕らわれてしまった。
愚かな娘だと、きっと誰もが言うのだろう。けれどもあのとき、拾い上げた髪飾りを胸に抱いた彼女を見て、ゲオルグは確かに救われた気がしたのだ。少なくとも彼女にとって、あの髪飾りはそうする価値があるものだったのだ、と。
「期待していいのか……?」
そう独り言ちて。危険な任務の最中に馬鹿なことを考えるものだと自嘲する。すうすうと寝息をたてて、まるくなって眠るロッテを見下ろして、ゲオルグは誓いを立てるように囁いた。
「お前が今、夢に見る相手が誰であろうと構わない。俺が必ずお前を守護る」
——たとえ、この命が果てることになったとしても。
片手に剣を握ったままおもむろに立ち上がると、ゲオルグは足音を殺してロッテの側に腰を下ろした。小柄な身体を包むケープから薔薇色の髪が覗いている。左のこめかみの少し上のあたりで白い花の髪飾りが揺れていた。ゲオルグは躊躇いがちに手を伸ばすと、短くなったロッテの髪に指先をそっと絡ませた。
ロッテをフリッツ達に任せたのは失策だった。多少無理をしてでも自分のそばに置いておくべきだった。例え目に余るほどの残虐な光景を彼女が目の当たりにすることになったとしても、彼女の身に危険が及ぶよりかは遥かにマシだったはずだ。けれど、あのときゲオルグは一番に「見られたくない」と思ってしまった。
ゲオルグの剣は一振りで確実に狙った相手の首を落とす。正確無比なその太刀筋は、国王の近衛騎士隊長を務める父親すらも凌駕する。手負いの獣は危険であること、例え魔獣といえど、傷ついた獣が生き永らえるのは困難なこと、様々な要因を彼なりに考慮して、相手を苦しませずに終わらせるために磨き上げてきた剣の腕だ。
だが、実際に剣を振るうゲオルグを見た人々は口を揃えて言うのだ。「冷酷無比な化け物」と。
当然だと思う。人に害をなすとはいえ、魔獣は生きているのだから。
自分が非難されることで人々が魔獣に怯える生活から解放されて、負傷する仲間の数も減らすことができるなら、それで構わないとゲオルグは思っていた。
けれどもあのとき、彼女にだけは、何十もの魔獣の首を切り落とし、血に塗れた自分の姿を晒したくないと思ってしまった。嫌われることよりも、恐れられることが怖かったのだ。魔獣に襲われていた彼女を初めて助けたとき、返り血でずぶ塗れたゲオルグを見て、彼女は気を失ってしまったから。
あの日のことを彼女が忘れていたことは、ゲオルグにとって、ある意味救いでもあった。数年の時を経て、彼女が全く同じ状況でユリウスに助けられ、一目惚れしたと知ったときには、流石に苦笑するしかなかったけれど。
はじめはどうでもよかったのだ。八年も前に一度助けただけの幼い少女のことなんて、ゲオルグもすっかり忘れてしまっていたのだから。
けれど、頼れる者がいない宮中で、不治の病とされる疫病への対策を任されて、無謀にもほどがある研究に必死になって取り組む姿を見ていたら。誰にでも分け隔てなく、明るい笑顔で接する彼女を見ていたら、いつのまにか放っておけなくなっていて。気付いたときにはもう、ゲオルグは暇さえあれば彼女のことを考えるようになっていた。監視に託けて部屋を訪ねたり、薬草を届けたり、用事を思い付いては彼女に会いに行くようになっていた。
彼女の部屋で彼女とともに、彼女が淹れたハーブティーを飲む。そのひとときさえあれば、どんなに過酷な任務が続こうと乗り越えられるような気がしていた。今回の、この任務だって。
夜の風が吹き抜けて、まだ勢いの衰えない炎をゆらめかせた。
魔獣の手から救い出したあのとき、血に塗れたゲオルグを見上げ、怯えるでもなく涙を拭い、微笑んだ彼女の顔が頭から離れない。
駆け付けたゲオルグを見て、彼女が一番に口にした名前は誰のものだったか。その名前を思い出して、悔しさにぎりと奥歯を噛み締めた。
——『ユリウス様……?』
彼女が危険な目に合ったとき、一番に助けを求める相手は彼なのだろう。
王都の外れの隔離病棟で、ユリウスがどれほど婚約者を愛しているか、思い知ったはずなのに。どんなに一途に想い続けても、ユリウスは彼女に振り向かない。そう思い知らされたはずなのに。どれだけ可能性のない相手だとわかっていても、彼女の危機に駆けつける白馬の王子は、未だユリウスのままなのだ
ふと、手の内に握り締めた剣の鞘が目に入った。彼女に渡した短剣と同じ紋様が刻まれた、森の魔女の加護を受けた魔獣除けの長剣だ。
彼女に短剣を持たせておいて正解だった。彼女はその短剣で長かった髪を切り捨てて、魔獣の手から逃れることができたのだから。
だが、問題はその後だった。あろうことか彼女は、ゲオルグがいつか贈った髪飾りのために足を止め、ふたたび魔獣に捕らわれてしまった。
愚かな娘だと、きっと誰もが言うのだろう。けれどもあのとき、拾い上げた髪飾りを胸に抱いた彼女を見て、ゲオルグは確かに救われた気がしたのだ。少なくとも彼女にとって、あの髪飾りはそうする価値があるものだったのだ、と。
「期待していいのか……?」
そう独り言ちて。危険な任務の最中に馬鹿なことを考えるものだと自嘲する。すうすうと寝息をたてて、まるくなって眠るロッテを見下ろして、ゲオルグは誓いを立てるように囁いた。
「お前が今、夢に見る相手が誰であろうと構わない。俺が必ずお前を守護る」
——たとえ、この命が果てることになったとしても。
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