魔女見習いのロッテ

柴咲もも

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後日譚

元宰相と魔女の呪い①

 フィオラント王国の華やかな王宮の片隅にある一室——数日前まで寂れていたその部屋は今、芳しい花の香りで満たされて、年若い娘たちのはしゃぎ声を響かせていた。
 濃紺色のワンピースドレスに真っ白なエプロンを身に付けた娘たちは皆、この王宮の階下で働く使用人メイドだ。それぞれが好みの花のバスソルトが詰められた小瓶を嬉しそうに手にして、この部屋の主人である小柄な少女を取り囲んでいた。
「本当に良かったです。ロッテさんが無事に戻って来られて」
「ロッテさんは絶対無実だって、私たち信じてましたから」
 栗毛のメイドが口を開くと、力強く頷きながら他のメイドたちが声を揃えた。
「ありがとうございます。わたしも帰って来られて嬉しいです」
 ロッテがはにかんで礼を言うと、背の高い黒髪のメイドが前に進み出て、ずずいとロッテに詰め寄った。声を潜め、随分と真剣な表情で、彼女はおもむろに口を開いた。
「それで、その後アインベルクさんとはどうなんですか?」
 華やかな雰囲気だった室内に沈黙が降りる。一瞬、何を訊かれたのかがわからなくて、ロッテはぱちくりと目を瞬かせた。
「あいん……って、ゲオルグさんですか?」
 ロッテが訊き返すと、メイドたちは揃ってうんうんと頷いた。
「あの人、ロッテさんがいなくなってから階下や城下を駆け回って署名集めたり嘆願書作ったり、とにかく必死だったんですよ。前々からふたりには何かあるんじゃないかって噂はされてましたけど、あの一件で信憑性がぐっと増したっていうか」
「ロッテさんを迎えに行ったのもあの人だって聞きました。でも、アインベルクさんてあの外見だし、ロッテさんとは歳も離れているでしょう? 私たち、いまいち確信が持てなくて」
 メイドたちに口々に答えを迫られて、ロッテは曖昧に笑うことしかできなかった。
 ロッテとゲオルグは正真正銘の恋人同士ではあるものの、そのことを知っているのはふたりの身近にいるごく一部の人物だけだ。ロッテとしては公言してしまっても一向に構わないと思っているけれど、ゲオルグの父親であるアインベルク卿が王と宰相側の立場であったことを考えると、ゲオルグが不在の今、ロッテの一存でそれを公言してしまうのはどうかと思う。
 海辺の街ではまるで蜜月のようなあまい時間を過ごすことができたものの、フィオラントに戻るとすぐに、ゲオルグは魔獣討伐の任務に追われる忙しい毎日に戻ってしまった。ふたりきりで過ごすことが出来る時間も限られた極僅かなもので、ふたたび王宮で暮らすようになってから随分と経っているというのに、ロッテはまだアインベルク卿に挨拶すら出来ていなかった。
 ——言っちゃって、いいのかな。
 好奇心に満ちたメイドたちの視線を一身に受け止めながら、ロッテはふうと息を吐いた。
「ゲオルグさんの気持ちはわかりません。けど、わたしはゲオルグさんのことが好き……です」
 ロッテが答えると、メイドたちは黄色い悲鳴と共に「うそぉ!」「やっぱり?!」と口々にはしゃいだ声をあげた。
「こ、ここだけの話ですから! 他の人たちには内緒ですよ!」
 慌てて口止めをするロッテを尻目に、メイドたちはしばらくのあいだはしゃぎあっていた。そうして壁時計が正午を知らせる頃になると、互いにこくりと頷き合って、満足気な表情でロッテに礼を言って、それぞれの持ち場へと捌けていった。
 皆の背中を見送って、ロッテはほっと一息ついた。
 歳の近い女の子と話をするのは賑やかで楽しいけれど、上手く会話ができているか自分ではいまいちわからない。
 ——また、遊びに来てくれるといいな。
 そんなことを考えて、ロッテが部屋の扉を閉めようとした、その間際、栗毛のメイドがぱたぱたと靴音を響かせて、廊下を駆け戻ってきた。
 忘れ物でもしたのだろうか。ロッテが声を掛けようとしたところで、栗毛のメイドは悪戯っぽく笑い、ロッテの耳元に口を寄せて囁いた。
「そういえば宰しょ……あ、宰相か。近いうちに左遷されるんですって」

 メイドたちが居なくなり、しんと静まり返った研究室で、ロッテは作業台に向かい、ひとつだけ残った小瓶に花飾りをあしらった。小瓶の中には女王の花とも呼ばれるフュリエの花のバスソルトが詰めてある。長いあいだフィオラントを留守にしていたロッテに代わり、この部屋を管理してくれていたお礼にと、ディアナへの感謝の気持ちを込めてロッテがさきほど作ったものだ。
 もうじきディアナも仕事に区切りがつく頃だ。ロッテは手早く作業台の上を片付けながら、ふとその表情を陰らせた。
 栗毛のメイドの去り際の言葉が、ほんの少し気にかかる。ロッテを連れ帰った後、休みなく各地を転々としているゲオルグに、宰相の動向にはくれぐれも注意するように、と顔を合わせるたびに忠告されているからだ。
 ——大丈夫、だよね。
 ロッテにかけられていた嫌疑はリーゼロッテが晴らしてくれた。その上で国王自らが追放処分を取り消したのだから、今更問題なんて起こりようもないはずだ。
 大丈夫、大丈夫。そう自分に言い聞かせて、ディアナの部屋に向かおうとドアノブに手を伸ばしたときだった。ロッテの部屋に、乾いたノック音が響いたのは。

 ランベルト・ヴェルトナーは、代々フィオラント王国の宰相を担ってきた上位貴族ヴェルトナー家の当主であり、今は亡き先代に代わり、二十代半ばという若さで宰相に任ぜられた実力者だ。
 王国各地で魔獣による襲撃が多発していた十年前、辺境の各地に至るまで街道を整備し、王都と主要都市を衛るだけだった王国騎士団から討伐隊を編成し、各地へと派遣する現在の体制を整えたのも彼であり、ファナの森の大規模な魔獣討伐も彼の発案だった。現在のフィオラント王国の平和は、正しく彼の功績があってこそのものであるとも言える。
 冷淡にして冷徹。けれども、その地位と整った風貌、加えて未だ伴侶を持たないことから、上位貴族の婦人たちのあいだでは噂話が絶えない人物でもある。社交の場で語られる彼に纏わる噂のうち最も有名なもの。それが「異常なまでの魔女嫌い」である。
 その男が——魔女嫌いの宰相が今、ロッテの目の前に立っていた。
 氷のように凍て付く視線に晒されて、ロッテはぞくりと身を震わせた。噂をすればなんとやらとも言うけれど、広大な宮廷の片隅の、ロッテの私物と調薬器具の他に何もない小さな部屋に、どうして件の宰相が現れるのかがわからない。
 ロッテはとりあえず見なかったことにして、黙って扉を閉めた。けれど、部屋の境目に素早く靴先を捻じ込まれてしまい、いつかのように渋々扉を開ける羽目になった。
「話がある」
 涼やかな低音が耳を掠める。ロッテは恐る恐る顔を上げて、半年振りに宰相と対峙した。


***


 戸棚からいくつか乾燥ハーブの小瓶を選び、いつものようにお茶を淹れると、ロッテは窓辺に向かい、カウチに掛けて沈黙していた宰相にティーカップを手渡した。
「それで、あの……お話ってなんですか?」
 ロッテがトレイを胸に抱えておずおずと訊ねると、宰相は微かに眉間に皺を寄せて、サイドテーブルにティーカップを置いた。それからおもむろに身を屈め、靴紐を解いてブーツを脱ぐと、ロッテの眼前に素足を突き出した。
「見ろ。悪辣な魔女の呪いだ」
 宰相が忌々しげに吐き捨てる。ロッテは目をまんまるく見開いて宰相の足を凝視した。
 白っぽく変色した爪はひび割れて、指と指のあいだが腐った果実のようにじゅくじゅくしている。足の裏側全面に小さな水泡ができていて、硬質化した踵も乾いた地面のようにひび割れていた。見るからに状態が酷い、この呪いは——。
「あの……どう見ても普通の……ただ症状が悪化しただけの水虫にしか見えないんですけど」
「そんなはずはない。現に宮廷の医師にも薬師にもお手上げだと言われているのだ」
「はぁ、そうですか……」
「あの忌々しい魔女めが言っていた。お前なら解呪の方法がわかるのだろう?」
 宰相に詰め寄られて、ロッテは泣き出したくなった。だって、どう見てもただの水虫なのだ。リーゼロッテらしい嫌がらせではあるけれど、これではロッテまで嫌がらせに巻き込まれたようなものだ。
「……その、わたしも解呪の方法とかよくわからないので、とりあえずお薬を作りますから、しばらく経過観察させてもらってもいいですか?」
 ロッテが差し当たっての妥協案を口にすると、宰相は額に手をあてて深々と溜め息をついた。当てが外れてがっかりしたのか、眉間に刻まれた皺が僅かばかり深くなっている。
 気怠げにカウチに身を沈める宰相を尻目に窓辺を離れると、ロッテは簡易コンロで湯を沸かし、洗面器にぬるま湯を張った。それからふたたび窓辺に向かい、カウチの前に膝をついた。
「失礼します」
 事務的にそう告げて、投げ出された宰相の足を指のあいだまで丁寧に洗う。宰相は一瞬びくりと顔を上げたものの、相変わらず眉間に皺を寄せたままロッテから顔を背けた。
 洗い終えた宰相の足が乾くのを待つあいだ、ロッテは机に向かい、薬学書を開いて水虫の薬のレシピを探した。材料が揃っていた幸運に感謝しながら水虫に効く薬を拵えて、ようやく調薬を終えた頃には、すっかり陽が傾いてしまっていた。
 酷く化膿した患部を丁寧に消毒して、足首まで薬を塗布して。ロッテが手当てをしているあいだ、宰相は黙ってその様子を観察しているようだった。一通りの処置を施し終えてロッテが顔を上げると、酷い仏頂面の宰相と目が合った。その表情が予想外に子供っぽくて、思わずくすりと笑ってしまう。
「粉薬と軟膏を作りました。粉のほうは毎食後、一日三回飲んでください。軟膏はお風呂あがりの清潔な状態で患部に塗ってくださいね。それから、なるべく通気性のいい靴を履くようにしてください。可能ならサンダルのほうがいいです」
 あらかじめサイドテーブルに置いておいた薬の包みを目線で指して説明すると、宰相は意外にも素直にロッテの話を聞き入れて、薬の包みを手に取った。不機嫌なような困惑したような複雑な表情でちらりとロッテを一瞥して、おもむろに口を開き、開いた口をまた閉じて。ぎしりとカウチを軋ませて、ゆっくりと席を立つ。
「あの、薬が効いているか確認したいので、三日後に一度見せにきてください。症状に合わせて薬の成分も細かく調整しますから」
 黙って立ち去ろうとする宰相にロッテは慌てて声を掛けた。けれど、宰相はロッテを振り返ろうともせずに、さっさと部屋を出ていってしまった。

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