魔女見習いのロッテ

柴咲もも

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第1話 王子様との出会い

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 古びた大樹の根の下をくぐり抜け、三つ連なった大岩の上を飛び越えて、ロッテはひょいひょいと森の中を進む。たびたびちらりと後ろを振り返り、ユリウスが難なく後をついて来ていることを確認した。
 魔女の家へ続く道にはちょっとした仕掛けがある。幾つかの場所にまじないが施されていて、全てのポイントを決められた順に通らなければ、魔女の家に辿り着くことができないのだ。

 背の高い茂みの壁が両脇に並ぶ細道を通り抜け、蔓薔薇のアーチのトンネルをくぐると、森がひらけ、目の前にこじんまりとした屋敷が現れた。
 可愛らしい赤い煉瓦屋根とキャンバスのような真っ白な壁。精巧な花柄の細工が施された木製の窓枠には、青々とした蔦植物が枝葉を広げている。屋根の上の風見鶏が樹々のあいだを吹き抜ける風に吹かれ、くるくると踊っていた。
 来客をいざなう踏み石のアプローチを、ロッテは軽い足取りで進んでいく。色の付いたガラス窓が可愛らしい玄関扉の前で立ち止まると、ユリウスがロッテのとなりに並んで立った。
「この家にリーゼロッテ様が……?」
 少し緊張した様子のユリウスに、ロッテはこくりと頷いてみせた。するとユリウスはロッテに向き直り、ロッテの両手を取って、力強く握り締めた。
「ありがとう、ロッテ。私ひとりではきっと辿り着くことが出来なかった。本当に、きみには感謝してもし足りない」
「いいえ、わたしのせいで王子様に大変な思いをさせてしまって、申し訳ないくらいです」
 ロッテが小さく首を振って頭を下げると、ユリウスは「謙遜だよ」と笑って言った。

 ——謙遜でも何でもないのに。
 柔らかに微笑むユリウスを見上げ、ロッテは思った。
 現実として、ロッテが結界の外からここに戻るには険しい道も通らなければならないし、大変な時間がかかる。リーゼロッテ本人であれば、或いは彼女のようなちからがあれば、森の樹々をふたつに別ち、魔女の家に直通する一本道で出入りすることだってできるのに、残念ながらロッテにはそんな大それた魔法のちからはない。それどころか、ロッテは小さな火を点けることすら出来ない、落ちこぼれの魔女見習いだった。
 もしもリーゼロッテのような魔法が使えたら、この優しく美しい王子様の役に立つことだってできるのに。
 ふるふると首を振り、身の程知らずな考えを振り払うと、ロッテは玄関扉のドアノブに手を掛けた。

 リーゼロッテの屋敷の玄関ホールは狭く、奥に見える扉がそのまま広間へと繋がっている。ユリウスを先に中に通すと、ロッテは慌てて足元に敷かれていたドアマットを玄関の外に摘まみ出した。
 今朝は掃除をする前に出掛けたから、ドアマットが砂や埃で汚れたままになっていた。掃除の行き届いていない玄関をユリウスに見られてしまったことが、なぜだかちょっぴり恥ずかしかった。

 奥の広間は隅から隅まで様々な植物で溢れかえっていた。大型の植木鉢に植えられた生い茂る植物は、どれもロッテの顔が隠れるほど背が高く、窓辺に置かれた小さな植木鉢からは、花を咲かせた蔦植物がみずみずしい枝葉を伸ばしている。壁を覆う植物の陰にはマントルピースや飾り棚が覗いており、銀器や陶磁器の置物が見え隠れしていた。天井から吊り下げられた小鉢には花があふれ、奥のカウンターに試験管やフラスコ、蒸留器具などが並んでいる。広間の中央に置かれた丸いガーデンテーブルと椅子のセットは、リーゼロッテが稀の来客に使っているものだった。
「お師匠——リーゼロッテを呼んできます」
 そう言ってロッテが椅子を勧めると、ユリウスは物静かに首を振り、椅子のとなりで姿勢を正した。そのまま室内を眺めはじめたユリウスを横目に、ロッテがそそくさとリーゼロッテを呼びに行こうとした、そのとき、音もなく奥の扉が開かれて、乾いた靴音がこつりと広間に響き渡った。
 抗う術もなく、ロッテは奥の扉へ眼を向けた。
 漆黒のドレスをあでやかに身に纏い、しなやかな黒髪を腰まで伸ばした美しい女性が、物憂げな紫水晶アメジストの瞳で広間を——その中央に立つユリウスをみつめていた。
 ロッテが呼びに行くまでもない。広間に現れた彼女こそが、フィオラント王国第十六代国王の契約の魔女にして人々に畏れ敬われる偉大なる森の魔女、リーゼロッテそのひとだった。


***


「王太子殿下自らがいらっしゃるなんて、いったい何の御用件かしら」
 ユリウスに向かいの席に座るよう目線で示して、金属製のガーデンチェアに腰を下ろすと、リーゼロッテは背もたれに身を預け、すらりと伸びた白い脚を優雅に組んだ。王族であるユリウスに対して無礼とも取れるその振る舞いは、王と対等の立場である契約の魔女ゆえに許されるものだ。ユリウスは恭しく頭を下げて椅子に掛けると、真剣な面持ちで口を開いた。
「突然押し掛けて申し訳ございません。けれど、偉大なる森の魔女のちからがどうしても必要なのです。話を聞いていただけますか」
「よろしくてよ」
 鈴の音に似た心地良い声を響かせて、リーゼロッテの艶のある唇が弧を描く。ユリウスはほんの少し躊躇う素振りをみせて、それからおもむろに話を切り出した。
「リーゼロッテ様はフィオラントの各地で疫病が流行っていることをご存知でしょうか」
「ええ、存じておりますわ。なんでも治療の難しい重い病だとか」
「実は今、父は疫病を患い、とこに臥せっております。宮廷の医師達が日夜治療に明け暮れているものの、未だ成果は出ておりません。止むを得ず、私が父に代わって国政を執っておりますが、未熟者ゆえ疫病対策まで手が回らない状況です。父を……この国を守るために、どうか王都に出向き、貴女様の偉大なちからをお貸しください」

 ユリウスの声は低く落ち着いていたけれど、橄欖石の瞳には強い意思が宿っていた。熱意のこもったその横顔を見ているだけで胸がきゅんと締め付けられるようで、ロッテは胸元で手を結び、リーゼロッテが承諾するのを今か今かと待ち望んだ。けれども、リーゼロッテは首を縦には振らなかった。紫水晶の瞳を物憂げに伏せて、彼女は小首を傾げ、嘲けるようにユリウスに告げた。
「殿下、それは無理な願いというものですわ。ご存知のとおり、私はこの森の結界を維持しなければならぬゆえ、森を離れることができません」
「え……? お師匠様がいなくても結界は維持でき——」
 ロッテは咄嗟に口を挟んだ。けれど、ものすごい形相でリーゼロッテに睨み付けられて、慌てて口を噤んでしまった。黙り込んだロッテを見て満足そうに頷くと、リーゼロッテはさらに一言付け加えた。
「私が森を離れたことで結界が破れ、近隣の村に犠牲が出たとなっては、殿下も不本意でしょう?」

 ——ひどい。
 ロッテは両手を握り、きゅっと唇を噛み締めた。
 昔からリーゼロッテはこの森の結界を理由に王宮に上がるのを拒んでいる。けれど、彼女は以前、酒に酔った勢いでロッテに言ったのだ。この森の結界は数年に一度術をかけ直すだけで維持できる、簡単なものだと。
 ものぐさなリーゼロッテは面倒ごとに巻き込まれたくないだけなのだ。ユリウスは国王である父のために、この国の人々のために真剣に頼んでいるのに、こんなの酷すぎる。
 捨てられっ子だったロッテを育ててくれた人だから、ロッテは今までずっと、リーゼロッテの理不尽な要求にも従ってきた。けれど、多くの命が懸かっているこの状況でも自分のことしか考えない、こんなに冷たい人だったなんて!
 ロッテが言い様のない怒りに震えるそばで、リーゼロッテの話はまだ続いていた。
「私は王と契約した身。他の者に仕えることは出来ません。それは例え王太子である貴方様が相手でも同じこと。ですが、契約者である王をこのまま見捨てるわけにもまいりません」
 つらつらとそう告げると、リーゼロッテは余裕たっぷりの笑みをロッテに向けて、そして言った。
「私の代わりにこの娘、ロッテをお連れください。この娘は私の唯一の弟子。必ずや貴方様の——フィオラントのお役に立ちましょう」

 一瞬、リーゼロッテが何を言ったのか、ロッテは理解できなかった。期待に満ちたユリウスの視線をその一身に受け止めて、ロッテははじめて事の重大さを理解したのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいお師匠様! わたしは……」
「ロッテ」
 あわあわと唇を戦慄かせてリーゼロッテに訴えかけたロッテだったが、その言葉はユリウスの良く通る声に遮られてしまった。頭の中は未だ真っ白なままで、ロッテは恐る恐るユリウスを振り返った。
「私にちからを貸してくれないか」
 橄欖石の瞳が真っ直ぐにロッテを捉えていた。熱いまなざしのその奥に、縋るような想いが込められているのが伝わってくる。胸の奥が、きゅんと切なく締め付けられた。
「は、はい……」
 蚊の鳴くような弱々しい声で、ロッテはつい、首を縦に振ってしまったのだった。

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