魔女見習いのロッテ

柴咲もも

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第1話 王子様との出会い

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 旅支度を理由にユリウスをその場に待たせると、リーゼロッテはロッテを広間から連れ出して、廊下の片隅に乱雑に置かれた荷物の中から大きめの旅行鞄を手渡して、ロッテを奥の階段へと追い立てた。
 ロッテの部屋は屋敷の二階にある。こじんまりとした部屋ではあるけれど、日中は大きめの窓から陽の光があふれて開放的だ。リーゼロッテに手渡された旅行鞄を床に置くと、ロッテは小さく溜め息を吐き、ぐるりと部屋のなかを見渡した。
 綺麗に片付いた部屋の隅には机と椅子とベッドが収まり良く配置されており、物置棚や本棚にはリーゼロッテが使わなくなった書物や道具の数々が並べられている。ベッドの下には箱型の衣装ケースが三つ並べて置いてあった。
 しばらくのあいだ、ロッテは部屋の真ん中に黙って立ち尽くした。

 物心ついてから、ロッテは一度もファナの森を出たことがなかった。だから、旅支度と言っても何が必要なのか、全く思いつきもしなかった。筆記用具と薬草学をまとめたノート、調薬器具一式と、それから最後にお気に入りの木彫りの櫛を手に取って、着替えと一緒に旅行鞄に詰め込んだ。そうこうしているうちに階段をのぼる靴音が聞こえて、ノック音ひとつなく部屋の扉が開け放たれた。
 ロッテの部屋の入り口で、リーゼロッテは腰に手を当てて片脚に重心をのせて立っていた。旅行鞄の前にしゃがみ込むロッテを満足そうに見下ろして、それからずかずかと部屋のなかを横切って、漆黒のドレスのスリットから覗く長い脚を隠そうともせずに、ベッドの上に腰を下ろした。
「準備は出来たか?」
 膝の上に片肘をつき、リーゼロッテが意地悪に笑う。ロッテはぷうっと頬を膨らませると、ちょっぴり不機嫌に愚痴をこぼした。
「ひどいですお師匠様。そうやって、厄介ごとは全部わたしに押し付けるんだから」
「ははは、悪い悪い。でもお前、私の許しなく結界を出ただろう? こうなるのも必然だと思わないか?」
 先ほどの、広間での口調とは打って変わった砕けた物言いで、リーゼロッテがけらけらと笑う。ユリウスの前では猫を被っていたけれど、これが本来のリーゼロッテだ。妖艶な美女の姿をしているが、がさつでぐうたらでものぐさで、ロッテを召使いのようにこき使う。けれども魔法の腕は超が付くほど一流で、国外にまでその名を轟かせている、フィオラント王国の偉大なる森の魔女だ。
「それにしたってひどいです。わたしがこれっぽっちも魔法を使えないこと、知ってるくせに」
 ロッテが不満をあらわにすると、リーゼロッテはベッドの上に後ろ手をついて踏ん反り返り、ロッテの訴えをかるく笑い飛ばした。
「馬鹿かお前は。王子が必要としているのは疫病の特効薬だ。魔法なんて必要ないんだから私が出向くまでもない。お前はただ疫病の感染経路を突き止めて、治療薬を開発すればいいんだ」
他人事ひとごとだと思って簡単に言いますね」
 ロッテの不満は治らなかった。当然だ。リーゼロッテは簡単に言うけれど、それがどれほど難しいことなのか、外の世界を全く知らないロッテにだって理解できる。
 ロッテがいつまでも膨れっ面でいたからだろうか。リーゼロッテはようやく笑うのをやめると、やれやれと肩を竦めて宥めるようにロッテに言った。
「まあそう言うな。私が面倒ごとを嫌うのなんて分かりきったことだろう?」
「その言葉、その態度、ユリウス様にお見せしたいです」
「お前にとっても良いことづくしだろう。お前みたいな娘っ子が王宮に上がれるなんて、そうそう出来ない経験だぞ」
「別に、王宮に興味なんてないですし」
「初恋の王子様に会えるかもしれないじゃないか」
 リーゼロッテに指をさされて、ロッテはハッと顔を上げた。
 そうだった。ユリウスの身のこなしと剣捌きはあのときの——八年前にロッテを助けてくれたあの騎士とそっくりだったのだ。もしかしたら、ユリウスがロッテの初恋の王子様なのかもしれない。
 陰鬱だった思いが晴れやかな思いに塗り替えられていく。ロッテが期待に胸を膨らませていると、その様子をにやにやと眺めていたリーゼロッテがおもむろに腰の後ろに手を回し、何かをロッテに向かって差し出した。
「餞別にくれてやる」
 ぱちくりと目を瞬かせて、ロッテはそれを受け取った。手渡されたのは古びた一冊の本だった。中を見なくてもわかる。それは、ロッテがずっと欲しがっていた、リーゼロッテが大切にしていた、第一言語で書かれた薬草学の学術書だった。
「これっ……この本、ほんとうに良いんですか!?」
「ああ。特効薬を作るなら必要になるだろうし、お前、以前まえからずっと欲しがってただろ」
「ありがとうございますっ!」
 まさか、リーゼロッテがこんな素敵なプレゼントをくれるなんて!
 それまでの不満がひと息に吹き飛んで、ロッテは嬉しくなって学術書をぎゅっと胸に抱きしめた。
 実のところ、リーゼロッテはつい先日、この学術書を現代語に訳し終えて不要になっただけだったのだが、そこは敢えて伏せておき、恩を売るのがリーゼロッテのやり方だ。ロッテはいつも、こうして知らないうちにまんまとリーゼロッテに乗せられてしまうのだ。

「わたし頑張ります! お師匠様の名前に恥じないように、この仕事をやり遂げてみせます!」
 学術書を片腕で抱きしめたまま、ロッテはもう片方の手で拳をぎゅっと握りしめた。そのとき、学術書からひらりと紙切れが舞い落ちた。ロッテはきょとんと目を丸くして、床にしゃがみこみ、紙切れを拾い上げた。紙切れには整然とした文字がびっしりと記されていた。
「なんですかこれ……」
「リーゼロッテ特製ブレンドの媚薬のレシピだ」
「媚薬……?」
「あのクソ真面目な王子に使ってやれ。玉の輿も夢じゃないぞ」
 楽しそうにそう言って、リーゼロッテがにこりと笑う。要するに、既成事実を作って責任を取らせてしまえと言いたいらしい。
 なんてものを寄越すのだろう。せっかく見直しかけていたのに、リーゼロッテは相変わらずいつものリーゼロッテだったようだ。けれどまあ、ユリウスにそんなものを使うつもりはないにしても、せっかくリーゼロッテが師匠らしく弟子ロッテのために用意してくれたのだし。
 紙切れを四つに折りたたんで学術書に挟むと、ロッテは旅行鞄に学術書を詰め込んだ。ぱんぱんになった旅行鞄はずっしりと重く、ロッテはそれを両手で抱えて扉の前でもう一度、部屋の中を振り返った。
「それじゃ、いってきます。ご飯、ちゃんと作って食べてくださいね。掃除も洗濯も、さぼっちゃダメですよ」
「はいはい」
 ベッドの上でくつろぎながら、適当な返事と共にひらひらと手を振るリーゼロッテに見送られて、ロッテはユリウスが待つ広間へと向かったのだった。

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