愛欲の炎に抱かれて

千尋寿依

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出会い

 理人の夫はベータだ。理人たちは政略結婚だった。理人の親は会社を大きくするために、息子を差し出すような親だった。ベータの間に突然生まれたオメガ。父は母の浮気を疑ったこともあったらしい。しかし、理人はれっきとした父の子だった。両親はそんな彼を不気味がって、遠ざけて、ほとんど構いもしなかった。ただ、いい小学校へ、いい中学へ、いい高校へ、いい大学へ、偏差値の高い学校へ行くことを強要して、少しでもレールから外れそうになると、罵倒した。父親はベータながらにそこそこの経営手腕があって、会社もそこそこの規模だった。そんな時に、とある企業との提携の話が持ち上がって、その友好の証として互いの息子を結婚させようという話になったのである。片方の息子はちょうど良くオメガ。跡取りも作れるということで、トントン拍子に話は進んだ。理人がその話を聞いたのは、お前の結婚が決まった、という報告をされた時だった。結婚する気はあるか? という風に尋ねるのではない。結婚が決まったという報告だった。当然反発したが、両親は『不出来なお前にはそれくらいの使い途しかないのだから、結婚しなさい』と言うだけだった。ちょうど大学を卒業したばかりで、とある企業から内定をもらっていたのに、専業主夫になって夫となる息子を支えて欲しいという相手側の要望で、内定を泣く泣く蹴ることになった。今までの人生からして、両親の敷いたレールに沿って歩んできた理人は、両親に逆らうということを諦めていた。何を言っても聞いてもらえない。そんな人生だった。だから、ほとんど逆らえずに、結婚まですることになった。相手の、夫となる人は三十八歳で、理人より十五歳も歳上だった。親同士が仲が良くて、会ったこともある。笑顔が爽やかで清潔感があって端正な顔立ちで、理人の初恋の人だった。彼に恋人が居るというような噂も聞いていたけれど、その恋人との結婚は許されずにこの歳まで独身だったようだ。理人は諦めと初恋の人であることから受け入れたけれど、夫は最初から理人のことが気に入らなかったようだった。仕方なく、親に言われたから結婚した、という態度だった。結婚して三年経ったけれど、夫はほとんど家には帰って来ない。しかし月に一度、家に帰って来て、義務的に理人を抱く。結婚して三年も経って、子供の一人も出来ないというのは世間体が悪いと思っているからのようだった。機械的に腰を動かして、精液を理人の腹の中に出して、一度出してしまえば行為は終わりで、そのまま寝る。しかも理人はどうやら不感症のようで、性行為をして気持ちいいと思ったことがない。感じた様子もない、喘ぎ声の一つも漏らさないこと、夫は気に入らないようで、不機嫌そうに射精して終わる。朝起きるといつも、隣で寝ていた夫は居なくて、夫の両親から与えられたそれなりの規模の屋敷で一人静かに暮らしていた。夫が本当は冷血漢でも、誰のことも愛さないわけでもないことを知っている。結婚して二年ほど経った頃、一度だけ、夫が仕事部屋にしているマンションを訪れたことがある。彼が持っているマスターキーの他に、予備の鍵があったので、それで入った。玄関から入って、廊下を歩いていたら、誰かの声がした。どこかの扉の向こうから聞こえる。誰かと誰かの声。不思議に思って、色々な扉を開けて、気付いた。バスルームから聞こえる二つの声。誰かが二人で風呂に入っている。一つは夫のもの。そしてもう一つの声。バスルームから聞こえるその声は、妙に上擦っていて泣いているようにも聞こえるが、明らかに喘ぎ声だった。夫とその誰かはバスルームで性行為に及んでいた。初めて聞く誰かの喘ぎ声。初めて聞く興奮した夫の声。
(す、すごい……。これが喘ぎ声なんだ……)
「あっ、あっ、んっ、んぅ、もっと! もっと突いて! ああっ、イイッ、そこっ、ああんっ、あんっ」
「ここだろ! イイッ! 俺も、イイ! あっ……くっ、は……、お前のナカは最高だ……!」
 シャワーの水音の隙間から漏れ聞こえる、エコーのかかった二つの喘ぎ声。磨りガラスの向こうに見える二つ重なった蠢く影。パンパンと響くよく分からない音。でもその音がいやらしいことだけは分かる。
「あんっ、ああっ、いいよお! もっと、もっと突いて! ねえ、奥さんより、俺の方がいいでしょ? ねえ、そうでしょ? あっ、あっ、あっ、あんっ」
「当たり前だろ。はっ、あっ、お前が、あんなのと同じなわけない。あれとは会社のために、くっ、結婚しただけだ。妊娠もしない石女だ。あんなのに、用はない。あっ、うっ、イイ……、お前は最高だ、はあ、はあ……!」
「そうでしょ? 奥さんと離婚して、俺と一緒に、なってよ! そうすれば、こうやって隠れて会わなくてもすむのに……、ああっ、気持ちいいっ、あっ、あっ」
「俺も離婚したいよ……。だけど、親が……」
「俺がベータだから、でしょ? いいよね、オメガってだけで、明彦と結婚出来るんだからな……っ。ああっ、でも、明彦が愛してるのは、俺だもんなっ。んっ、んっ、もう、イキそう……、あっ、あっ、イクから、もっと激しくしてっ!」
「ああ、俺が愛してるのは、お前だけだ……! くっ、俺もっ、イきそうだ……! はっ、あっ、くっ……!」
 影の動きが早くなっていく。それに付随するように、パンパンという不思議な音も早まっていく。
「あっ、あっ、あっ、んっ、んっ、ああああ~!」
「くっ、はあ、はあ、あっ、はあっ……!」
 夫の達した時の、あの囁くような声がした。その時、初めての感覚を覚えた。腹の奥が、きゅうと締め付けられるような感覚。
「ん……、ちゅ、んむ、……愛してる、明彦。ねえ、足りない。明彦が足りない。今度はベッドで、しよう……?」
「そうだな……」
 ちゅっちゅっとおそらくお互いの唇を食んでいる音の隙間からする、今度はベッドに行こうという会話。理人は慌てて、リビングの方へ逃げた。リビングに繋がるドアの隙間から見えた二人は裸でほとんど濡れたままで、仮眠室として使っていると聞いていたベッドルームへ。理人思わずもそちらの方へ移動した。ベッドルームのドアは少しだけ開いていて、二人の様子が垣間見えた。夫に寄り添っている男性は、夫が理人と結婚する前から付き合っていると噂に聞いていた男性だった。夫が少し乱暴にベッドに彼を押し倒した。
「あっ……」
「愛してる。お前が欲しい。早くお前に入れたい」
「来て……」
 男性の足が夫の腰に巻き付いて、その勢いのまま夫は彼の孔に怒張を突き入れた。
「ああっ! んっ、イイ! 気持ちいいよっ、あん、あん、あっ、あっ、最高っ!」
「くっ、はっ、はっ、やっぱりお前のナカが一番イイ……!」
 激しく軋むベッド、見たこともない力強い動きをする夫の腰、淫らに揺らめく夫の恋人の足。あのパンパンという謎の音は、夫の睾丸が夫の恋人の尻に当たっている音だった。理人と行為をする時、あんな音が鳴ったことはない。それだけ、恋人に自分の性器を獰猛に打ち付けているということだ。
「あっ、あっ、あんっ、ねえ、愛してるってもう一回言って……? あっ、あっ、ああっ」
「愛してるっ、お前のことを世界で一番愛してるっ、誰よりも愛してるっ! お前だけを愛してる!」
「ああっ、好きっ、俺もお前を一番愛してる! 好きっ、好きっ、あんっ、ああん! すごいっ、激しい! 好きっ! イイッ! もっとぉ!」
 夫は夫の恋人の上に更にのしかかり、彼の孔を上から突き刺すように、性器を出し入れしていた。愛し合っている恋人同士の性行為は、セックスはこんなに激しいものなのか。夫はあんなにも情熱的な男だったのか。理人と夫がしていたのは、性行為ではなかった。理人の腹の奥はどんどん熱くなっていって、彼の性器が履いているズボンの前立てを押し上げているのに気付いた。
(何これ、もしかして、勃起してる?)
 恐る恐るジッパーを下ろして中身を取り出すと、鈴口から先走りをトロトロ漏らして、隆起していた。人生で初めて勃起した。元々性欲が薄く、自慰もしたことがない。ゆっくりと手を伸ばして性器に触ると、とても熱かった。血管が浮いて、ぴくりと動いた。ゆっくり幹を上下にさすると、初めて感じる奇妙な、それでいて強烈な感覚を覚えた。
(これが気持ちいいってこと……?)
 ベッドの上の二人は絶頂へと差し迫っていた。
「あっ、あっ、んっ、んぅ、イッちゃう、イク、イク、あっ、あっ、ああっ、んっ」
「俺もっ、イキそうだっ、あっ、くっ」
(はあ……、はあ……)
 二人の激しい行為から目が離せない。その間も幹を上下に動かす手は止まらない。
「ダメッ、イクッ! ああっ、んっ、んっ、イク~~~! ああああああ~っ!」
「イク……ッ! あ……っ、はあっ!」
(はあ……、あっ)
 二人の絶頂と共に、俺も高みに落ちていった。性器の先から白いものが噴き出した。
(あっ、精液だ……)
 手で精液を受け止めた。生温かい温度に目を瞬いた。夫は絶頂の後、しばらくゆらゆらと腰を動かしてから、パタリと恋人の上にもたれかかった。
「あ……、んっ、明彦、すごかった……。気持ちよかった……、好き……」
「やっぱりお前とするセックスが一番だ。俺もお前が好きだ、愛してる」
 二人は顔を寄せ合ってキスをした。理人は夫とキスをしたことがない。酸素を奪い尽くすような激しい、キスをしていた。次第に二人の体が絡まって、腰を動かし始めた。性器を押し付け合っているのだ。
「あっ、ん、また、勃ってきちゃったね、明彦のエッチ……。んっ、あっ、んむ、あっ、んっ、ちゅっ」
「んっ、む、あ、はっ、お前の体がエロいせいだ……。それにお前に会ったのはいつぶりだと思ってるんだ……、あっ、む……」
「何言ってんの、週に二回も会ってるだろ。結構な頻度でセックスしてるよ……? あっ、んっ、……ちゅ」
「週二じゃ足りない。毎日会って、毎日お前を抱きたい。朝から晩までお前を抱いていたい」
 夫の手が恋人の足を割開いて、その間に腰を捩じ込んだ。
「もう、仕方ないな、明彦は。でも仕事があるっ、んっ、でしょ……? あっ、あっ、あっ……! 入ってくる……、明彦の熱いのが入ってくる……!」
「仕事は仕方ないが、本当は毎日お前を抱きたい。孕ませて、お前は俺のものだって、周りに自慢して歩きたいよ……っ! ああ……、お前のナカがうねって俺を締め付けてくるよ……」
 夫が腰を打ちつけ始めた。
「ベータの俺じゃ、お前の子供は産んであげられないから……! あっ、あんっ、んんっ、すごい、おっきい……!」
「仕方ないからアイツと結婚したのに、妊娠しやしない。早く子供産ませて、離婚して、お前と一緒になりたいのに……!」
「だって、それは明彦も悪いよ。あっ、んっ、……月に一度しか抱かないんでしょ? はあ……、しかも一発だけ。んぅ、俺のことは、何度も何度も抱いて、いつまでも欲望が収まらない、くらいなのに、奥さんにはそれだけだろ。あっ、んっ、それだけじゃ、妊娠しないよ……。あっ、あんっ、んんっ、気持ちいいっ」
「アイツ、抱いても無表情で感じてる様子もない。そんなつまらないやつを抱くより、お前の中で射精する方が何倍も気持ちいい。何より俺はアイツを愛してない。俺が愛してるのは、お前だけだから」
 夫が恋人をひっくり返して、後ろから獣のように突いている。
「あっ、あっ、俺、後ろから突かれるのっ、好きっ、あっ、あああんっ、この体位だと、明彦のが奥まで入る、から……っ! あっ、すごいところまで入ってるよっ、あんっ、あっ、気持ちいいっ」
「俺もっ、あっ、くっ、はあっ、はあっ、すごい締め付けだ……。あっ、はっ、はっ」
 二人が獣のようにまぐわうのを見ながら、理人はひたすら自らの性器を擦っていた。愛し合っている二人を引き裂いているのは、理人だっだ。その背徳感が理人の情欲に火を点ける。初めての射精は、夫の不倫現場だった。

 夫の付き添いで、夫の会社と同じ業界の人々が集まるパーティーに参加することになった。このパーティーは、なぜか配偶者やパートナーがいる場合には、必ず伴わないとならない、パートナー必須のパーティーだった。ほとんどの人がパートナーを連れて参加している。夫もそれを分かっているので、夫婦の実態がほとんどない理人を伴ってパーティーに参加した。この日のために仕立てられた着慣れないパーティースーツを着る羽目になった。パーティー会場に入る前に「お前は何も喋るな」と釘を刺されている。理人はそれを守って、ただ夫の隣で微笑みを浮かべていた。みなしきりに、「美しい奥様ですね」と言うが、夫はそれに心を動かされた様子はない。世間的にも数少ない希少なオメガ。その肩書きだけを見て、パートナーがいるはずの、このパーティーに参加している人々が、好奇の目で、下卑た目で、理人を見る。夫はそれを庇うつもりはないらしい。
(嫌だな……)
 一人きりで家に閉じこもっていたから、久々に感じるこの感覚。いつも、学校の中では唯一のオメガだった。アルファに迫られたり、ベータに妬まれたり、そして二つの性から遠ざけられたりした。そんな状態だったから、友達付き合いもなく、そして恋愛経験もなく結婚してしまった。普通の人たちがする交流というのは、遠くから見るもので、理人にとっては身近なものではなかった。だから、夫の不倫現場が、初めて見る恋愛関係にある人々の姿だった。あれを見た日から、毎日自慰をするようになった。理人のオカズは夫の不倫現場。それから動画配信されている人妻寝取りモノのアダルトビデオ。それでしか興奮できない体になっていた。試しに他のジャンルの映像も見たけれど、全然体が反応しない。夫も帰って来ない、ただ広い屋敷の中で、一人の夜を自分を慰めることに使っていた。夫とその恋人の激しく生々しいセックスを思い出しては、自分の性器を擦り、後ろの孔をバイブで犯した。直腸内にある膣腔の入り口を指でほぐして、とろとろと愛液を漏らした。とても気持ち良くて、とても虚しくて仕方なかった。理人は夫に愛されることはないのだ、と彼らの行為を思い出すたびに、突きつけられるのだから。
「これから、ヤマト・ホールディングスの社長に挨拶してくる。お前はこの辺で待ってなさい」
 夫がそう言って理人を置いて、パーティー会場の中心部に向かっていく。よく見るとそこは妙に人だかりが出来ていて、それは一人の人物を中心に生まれているのが分かった。ヤマト・ホールディングス。この業界でも最大手で、いくつもの企業を傘下に置いていて、様々な分野にも手を広げている、今話題の大企業だ。その企業は最近代替わりして、今は割と年若い代表が率いていると聞き齧ったことがある。なんとなくだが、あの輪の中心に居る背の高そうなあの人が社長だろうか。
(すごい、背が高そう。いくつくらいあるんだろう。きっとアルファなんだろうな……)
 世間的には優れた才能や優れた容姿を持つのはアルファと言われている。アルファもオメガと同様希少な性別だが、アルファには人々を率いたりすることに長けていたり、何かしらの才能を持っていたりして、受け入れられやすい。片や、子供を産むことに特化したオメガ。周りを巻き込む発情期を起こす。オメガは歓迎もされることもあるが、忌避されることも多い。あんな大企業のトップなのだから、きっとアルファなのだろう。なんとなく中心に居る背の高い彼を見つめる。遠目だが、容姿もいいように見える。ふと遠くでその人がこちらの方を見た。なんとなく見ていたはずの体が、ビクリと固まる。目が合った、気がする。目が合ったような気がして、頭が、目が、腹が、スパークする。目の裏にチカチカと光が走ったような気がして、パニックを起こしかけたが、ハッと気付いて、理人は会場を慌てて出た。歩きながら、夫の言い付けを破ってしまったことに気付いたけれど、それどころではなかった。早く、早く人気のないところへ行かなければ。長い通路を歩いて、歩いて、何度も角を曲がったり、階を降りたり上がったりして、あまり人が寄り付かなさそうなトイレへ駆け込んだ。息が乱れている。
(なんだ、この感覚……)
 個室に入って便器に腰掛ける。あの人と目が合ったような気がした時、なにかが繋がったような気がした。そして、腹の奥が熱くなった。この腹の奥が熱くなる感覚はもう知っている。欲情した時の、腹の熱さだ。今も胎の奥で、子宮がきゅうきゅうと切なく疼いているのが分かる。この疼きをなんとかしたいが、どうしたらいいのか分からない。腹が熱くなってもこんなに疼いたことがなくて、いつもは尻を慰めれば済む程度だった。でも、こんなのは後ろの孔を慰めてもどうにかなるレベルではなく、後ろの孔のもっと深くて奥まっているところ、子宮が欲情している。そんなところにまで届く道具はうちにはない。後ろも切なく動いているのが分かるが、その奥がもっと切実だった。
(どうしよう……、どうしよう……)
 コツ、とひとつ音がした。
(えっ、誰か来た……?)
 コツコツと、革靴がリノリウムの床を踏んで歩く音がしている。その音はどんどん近づいて来る。理人が居る個室の前まで。彼が閉じ籠っている個室のドアを誰かがノックした。他の個室は空いているはずなのに、どうして。その足音の人物は、トイレに用があるのではなく、理人に用があるに違いなかった。おそるおそるドアの鍵を開けた。開いたドアの先に居たのは、あのパーティー会場の中心に居た、あの背の高い人だった。理知的な顔立ちに眼鏡をしていて、上品に前髪を後ろに撫で付けている。そして思ったよりも若い。そんな彼が静かに口を開いた。
「……君の名前は」
 美しくて艶のある少し低い声。アルファは声まで魅力的なのか。彼の問いに素直に答えた。
蕗谷ふきや理人です」
「蕗谷……、ああ蕗谷明彦さんのパートナーの方ですか?」
 ハーフリムの眼鏡の奥で、彼の瞳が理人を眺めている。
「はい、おそらく夫がご挨拶したと思います。明彦のパートナーの理人です」
春夏冬あきなしグループのご子息ですよね」
「えっ、うちをご存知なんですか?」
「ええ、もちろん。競合他社はほとんど知っていますし、それにお父上とお話したこともありますから」
(な、なるほど……)
 あんな大企業のトップなのだから、それぐらいは頭に入れていて当然ということなのだろう。急に恥ずかしくなって、顔を俯けた。俯いたまま彼に問うた。
「……あ、あの、それで、俺になんのご用でしょう?」
「さっき、目が、合いましたよね。何か感じませんでしたか」
 何を言っているのだろう。目が合って、何か感じなかったか、とは。確かに感じたが、なぜそれを彼が知っているのだろう?
「……ああ、申し遅れました。喜熨斗きのしひかりです」
「き、きのしさん、何を仰っているのか、サッパリ……」
 突然喜熨斗が理人を押して、個室に侵入して来た。そして後ろ手に鍵を閉めた。
「えっ、喜熨斗さん?!」
 背の高い彼は少しだけ屈んで、理人の耳元で囁いた。
「……ああ、本当にオメガなんですね」
「それが何か……?」
 この人もオメガを好奇の目で見る輩なのだろうか。でも彼の声に頸が粟立って、これは嫌悪感ではなかった。
「蕗谷さんのパートナーがオメガであるという噂は前々から聞いていましたが、まさかここまでとは……」
「何を……」
 彼の冷静な目が理人を見ている。
「あなた、もうすぐヒートでしょう」
「どうして……!」
 ヒートが来る予定はある。でもそれは一週間も後のことだ。なんでそんなことが分かるのだろう。
「あなたからとてもフェロモンを感じます。でも他の誰も気にした様子はない。他にもアルファは居るのに」
「フェロモン……?」
 彼の色白の大きな手が理人の髪に触れた。
(あっ……)
 それだけでなぜか背骨に電流が駆け抜けていった。腰が抜けて、便座に座り込む。
「どうやって、あなたを追いかけて来たと思ってるんですか。フェロモンです。あなたのフェロモンを追って、ここまで来たんですよ」
 便座に座っているので、彼の下半身が必然的に目に入った。上品で仕立てのいいスーツを着ていて、ズボンも当然のように上質なもので、そしてズボンの前立ての部分が膨らんでいた。
「えっ……」
 そしてそれに気付いた時、なぜか後ろの孔がトロリと濡れるのを感じた。
「すみません、はしたないですよね。でもあなたを見たら、あなたと目が合ったら、こうなってしまったんです」
 どういうことだろう。そう言った彼の顔を見上げた。理人は思わず息を呑む。気付いてしまった。喜熨斗の理性を湛えた知的な瞳に、野獣のような激しい欲望の色が混ざっていることに。彼の大きな手のひらが、理人の、彼より小さい手を掴み、自らの隆起しているモノを掴ませて、一緒にさすり始めた。
「あなたはおそらく……、私のオメガなのでしょう。そうでなければ、目が合った途端に欲情などしません。あなたの僅かなフェロモンなど辿れるはずもない」
 さすっているのは理人の方なのに、なぜか自分の息が上がる。興奮し始めている。喜熨斗は切れ長な目を細めて、理人の手を離した。それでも理人の喜熨斗の欲望を擦る手は止まらない。どんどん喜熨斗のモノが熱く硬く、反り返っていく。
「愛らしい人だ」
 理人の手を止めさせて、喜熨斗はトイレの床に膝を着いた。興奮して顔を赤らめている理人の顔を掬い取るように両手で包み込み、そっと唇を理人のそれに押し付けた。
(あっ……)
 柔らかくて少しだけ体温の低い薄い唇が一瞬で離れていく。初めて、キスをした。
「そんな顔をしないで」
 喜熨斗が少し困ったような顔をする。理人は戸惑った。
「……どんな顔ですか」
「寂しそうな顔です。また、したくなる」
 また彼の唇に触れたらどうなるんだろう? 理人は思わず自分の唇に触れていた。
「私はあまりキスが好きではないのですが……。あなた相手だと違うようです」
 また唇が迫ってきて、重なった。離れてくっついて、離れてくっついてを何度も繰り返して、最後にちゅうと下唇を吸われた。
「あっ……」
 胎の奥が疼く。後ろの孔がグネグネと蠢く。
(ああ……、そういうことか……。俺、この人が欲しいんだ……。この人に欲情してる……)
 蕩けきった瞳で喜熨斗を見る。頬を包み込んでいる手の上に自分の手を重ねて、理人は小さな声でそれでも確かに言った。
「あなたが欲しいです。めちゃくちゃにしてください。俺をあなたのオメガにしてください」
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