小鳥遊医局長の恋

月胜 冬

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バレンタインの浮気

秘めた悲しみ

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冬の送別会は後輩が幹事になり、秘密裏に動いた。師長に食事へ行きたいから予定を開けておいて…と言われていた当日、店に行くと、病棟の仲間が待っていた。

「え?なにこれ。」

月性さんお疲れさまです~。

「月性さん言ったら来ないから内緒にしてたんです。」

後輩が笑った。脳外の医者達は小鳥遊を除く全て、OTやPT、レントゲン技師、いつも無理をお願いしていたクラークや、掃除のおばさんまで、仲が良かった他病棟の看護師や、トレードされてしまった新人看護師。

店はぎゅうぎゅう詰めだった。

「貸し切りにしたんですけど、声を掛けたら一杯来ちゃって…すみません。」

後輩が謝った。

…みんな忙しいのに有難う。

「ちょっと何で辞めることを言ってくれなかったの!水臭い。」

皆に言われた。


「月性さん…俺…実は月性さんのこと好きだった。これプレゼント」

いつもはふざけて冬をからかってばかりのPT理学療法士が、真面目な顔で言った。

…え?

「これ受け取って下さい。アメリカへ行ったら絶対必要になると思うから。」

看護師達から、冷やかしの声が湧いた。冬は困惑した。

…嫌だ…ちょっと恥ずかしい。

「今ここで開けても良い?」

冬は、スタッフからのサプライズ・プレゼントに涙を瞳に潤ませていた。

「はいどうぞ…。」

包装を開け、その中の箱を開けながら冬は言った。

「そんな気を使ってくれてどうもありが…。」

…純日本製バイブレーター

月性げっしょうちゃん…使い方わからないかも知れないから教えてあげる♪ほらこうやって使うんだよぉ。」

スイッチをオンにするとウィンウィンと音を立ってながら艶めかしく動いた。それをPTは冬に嬉しそうに手渡した。

「ね?今泉先生と離れちゃうから、絶対必要でしょ?」

呆然とする冬を見て、皆が爆笑した。

…お前ら…最後まで。

「月性ちゃん 良かったねぇ…。」

小峠がいやらしく笑った。

せんせ…マジでキモイ…誰かが冬の言葉を代弁してくれた。

「な?月性ちゃん。これ持って心おきなく、アメリカへ行ってこい!」

あ…一緒に写真撮ろーぜ♪はいチーズ。冬はバイブレーターを持たされたままPTと無理やり写真を取らされた。今日来れなかった奴に見せてやろっと。

「ラインで一斉送信だ♪」

それでも、こんな馬鹿なことを出来る仲間に支えられてきたんだと思うと胸が熱くなった。脳外の医者からは名前入りの新しいステートを貰った。

「病棟の仕事は月性さんに教えて貰ったようなものだから。」

最後だからハグさせて下さい…高橋医師が言った。

…Dr.高橋 あんまり話した覚えは無いけれど、ありがとう。

それぞれと写真を取ったり言葉を交わしたりして落ち着くまでに1時間近く掛かった。後輩たちは泣いていた。

苦楽を共にした仲間たち。2次会からは今泉も参加し、3次会でやっとお開きになった。

PTが今泉に嬉しそうに言った。

「一緒に使えるプレゼントをリハ室の皆から、月性ちゃんにあげときましたら、アメリカ行く前に使って下さい。」

「えー♪一緒に使えるものって何だろう~楽しみだぁ。」

今泉が喜ぶのを見て、また周りが笑った。3次会もそろそろ終わりに近づいた。

「そうだ♪ガクさんに何か差し入れ持ってってあげよう。きっとお腹を空かせているだろうから。」

今泉が言った。小鳥遊は当直だった。他の医者が、当直だったが気を使い交代したらしい。居酒屋で作って貰った梅干しおにぎりと揚げ物を手に、皆と別れた後、今泉とふたりでブラブラと小鳥遊の居る当直室へと向かった。

「ねぇ…PTの人達から貰ったプレゼントって何?」

「これですよ…もう…ふざけ過ぎです。」

袋の中をそっと見せた。

「あ…良いじゃない。ぜひ使おう♪感想も伝えなくっちゃいけないでしょう?楽しみ~。」

…あなた…本気で言っているんですかね?

静かな廊下をふたりで仲良く歩いた。

当直室のドアを ノックをして暫くすると小鳥遊が出てきた。

「ガクさん…差し入れを…あっ…。」

今泉が、小さく声をあげてから、慌てて誤魔化した。

「トウコさん…先生はムンテラ中…でしたね。」

振り返ると冬の顔が凍り付いていた。

冬は見てしまった。

部屋入り口から少し離れたところにある目隠し用の棚の奥に隠れた誰かを。そして小鳥遊のボタンを少し開けたシャツの間から、冬がつけた覚えの無いキスマークが見えた。

小鳥遊は今まで見たことの無い様な驚きの表情を一瞬見せたが、すぐに普段通りになっていた。

確実に冬はそれを目撃したにも関わらずとても冷静だった。

「そうだったんですか…ムンテラ中にごめんなさい。これ差し入れです。それでは…。」

そう言って踵を返した。今泉は怒りを露わにしたが、何も言わず冬を追いかけた。

…これで良かったのかも知れない。

怒りも悲しみも無かった。ただ胸が締め付けられるように痛んだ。その痛みは放散するように体中に広がり、冬を痺れさせた。エレベーターの中で沈黙が流れた。

「トウコさん。今日は泊ってって?」

今泉は動揺を隠しながら冬に聞いた。

「…あ…うん。」

冬はやっとの思いで今泉に返事をした。

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冬は帰ってからも普段通り変わらなかった。小鳥遊のことを何も聞かない冬の様子に、もしかしたら見て無かったのかも知れないと今泉は思うほどだった。

あと数日で有給消化に入るので、最後の数週間は今泉の部屋で過ごすことになっていた。

朝は今泉と一緒に起きて、弁当を作りシャワーを浴びて、病院へ一緒に出勤をした。

昨日の送迎会に参加した人達はほぼ全員が二日酔いで、日勤が始まる前だと言うのに疲れていた。冬は皆にお礼を言い勤務についた。

リハビリに通い、冬を良く知る患者が次々に病棟を訪れプレゼントや花束を渡しに来ていた。お陰で看護師の休憩室の一角には、月性コーナーが設けられ、プレゼントで埋め尽くされていた。

「月性さん凄いですね。」

すっかり独り立ちした新人が、外来患者と嬉しそうに話す冬を見ながら師長に言った。

「ええ。看護師を長くやってるけど、こんなに慕われている看護師は今まで居なかったわね。」

師長は笑った。

夕方になりオペを終えた医者達がぞろぞろと病棟にあがって来た。小鳥遊は冬に声を掛けたそうに見えたが、冬も送りの準備で忙しかった。

背の高い男性が、大きな花束を持ってナースステーションのカウンターの前に現れた。誰もが見上げるその姿に冬は全く気が付かず、空床報告をしていた。

「トーコ!il mio amore。」

…わわっ。

「Oh Dio mio!シモーネ。」

座ってた椅子から冬は飛び上がった。

「あ…ちょっとすいません…。」

冬は慌ててシモーネの所へ行った。

「ちょっと…こんなところで何をしているの?」

誰にも聞き取られない様に物凄い早口でシモーネに話しかけると、いつものように冬を軽々と抱き上げて不必要に長いハグをした。

「Ti amo!」

「ちょっと…おろして!家じゃないんだから。」

シモーネに囁くと、そっと冬をおろした。

「春から聞いたんだよ。アメリカ行くんだって?」

ナースステーションのスタッフ皆が、呆然と見つめる中でシモーネは小鳥遊たかなしを見つけた。

「あ…ガク?Come stai?」

小鳥遊ににこやかに笑うと、近寄っていきそうになった。

…これは、まずいぞ。


「ちょっとあっちへ行こう…ねっ? あっち!ラウンジに行こう。」

冬は慌ててシモーネを引っ張った。冬に握られた手を嬉しそうに握り返し、キスをしながらナースステーションを見た。

「わぁ♪みんな可愛い子が多いねぇ。
Ci vediamo!」

スタッフ達にウィンクをすると、キャッ♪と研修医と若い看護師が声をあげた。

…あっ…馬鹿。

「素敵な人ねぇ誰かしら?」
「今泉先生ピーンチ。」

ナースステーションから笑い声が聞こえた。冬はぐいぐいとシモーネの手を引っ張り、病棟の突き当りにある、ガラス張りのラウンジへと連れて来た。

「もう少しで勤務が終わるから、ここで大人しく待っててくれる?いいわね?」

「トーコ僕と食事に行こう♪」

「わかった!わかったから。30分ぐらい待てる?」

食事の誘いを断られなかったシモーネは満面の笑みを浮かべた。

「うん♪」

冬は慌てて病棟に戻ると皆が何か聞きたそうに見ていた。

「あ…幼馴染です。済みません。」

顔どころか、耳まで真っ赤にして冬は言った。

「へぇ~流石トーコ。知り合いも国際色が豊かねぇ。」「てか…すげーデカいし。モデルみたいじゃね?」「日本語しゃべれるお友達いないかなぁ♪」「素敵ねぇ~。」

冬は皆からの質問を軽く交わしながら、仕事をバタバタと済ませた。

「今泉先生が居るのに、堂々と二股なんて良いご身分ね。」

設楽したらが嫌味を言った。

「あーらモテない人が僻んじゃって見苦しいわぁ。」

同期が何も言わない冬を庇い設楽に言い返した。小鳥遊の視線を背中に痛いほど感じたが、それどころでは無かった。

…シモーネの事だ余計なことを言い出しかねない。

とうこは慌ててラウンジへ向かった。

「ちょっと何でここを知ってるの?」

冬に大きな花束をシモーネは渡した。

「春に聞いたの。」

…もう…なんで教えちゃうかな。

「アメリカ行く前に間に合って良かった♪」

冬の手をしっかりと握った。

「ガクは本当にお医者だったんだね…驚いたよ。」

「うん…それで何かご用?」

「僕もアメリカで暮らすことにした♪」

…え?

「君と♪」

…アナタハナニヲイッテルノ?


「春からトーコが独りで大学へ行くって聞いたから。僕も一緒についていこうと思って。勉強も教えてあげられるし♪」

真っ白な歯を見せて笑った。

「えーっ。」

思わず声をあげた。

「…というのは冗談で、アメリカで仕事があるんだ。1年ほど…だから一緒に居られるなぁと思って♪僕にもやっとチャンスが回ってきたよ。ガクには悪いけど。」

大きな体は、ラウンジの小さな椅子には不釣り合いだった。

「ガクとは色々あって別れたの。病院では彼との関係は誰も知らないから、何か言われると困るの。」

冬は声を潜めて言った。

「トーコ振られちゃったの?」

シモーネは嬉しそうな顔をしていた。

「違うわよ…振ったのよ。だって暫くは結婚なんて出来ないもの。」

「じゃあ 今はトーコはフリーなんだね。」

「彼氏が居るわ。」

「でも付き合い始めたばっかりでしょ?僕にも勝算があるってことだ。」

ラウンジでは患者や他のスタッフの視線が痛かった。

「ここじゃ何だから、食事に行くんでしょう?私着替えて来るわ。10分ぐらい待ってて。」

「…うん♪」

冬は慌てて着替えをしてラウンジへと戻った。

「相変わらずトーコは可愛いね。その洋服とっても似合っているよ♪」

シモーネが褒めるので冬は苦笑した。

「ナースステーションに荷物があるから、それを運ぶの手伝ってくれない?あ…でも余計な事は言わないこと。OK?」

「うん。勿論だよ。」

小鳥遊と目があったシモーネはにっこりと笑った。

「やぁ。僕トーコと一緒にアメリカに行くことになったんだ。僕と居ればトーコには寂しい思いもさせないからね。彼女はやっと僕の良さに気が付いてくれたよ。」

小鳥遊はPCの前に座り、シモーネを無視した。冬が戻って来てふたりの間の微妙な空気を察知した。

「何か余計な事を言わなかったでしょうね?」

「何も。」

シモーネは笑った。

「さぁ行こうか♪gattina mia 」

冬の頭に小鳥遊に見せつけるようにキスをし肩を抱いた。

「日本人は余り外でベタベタしないのよ。知ってるでしょう?」

冬は荷物で両手が塞がっている為に逃げられなかったが、僕が持つよとシモーネが笑った。

「普通のじゃ僕の足が出ちゃうから、ふたりのベッドは大きいのにしようね。」

シモーネは冬にぴったりとくっついて歩いた。

「ねぇ…トーコ。僕なら絶対君に寂しい思いをさせないし、夜だってひとりでなんて寝かせない。」

食事中もずっと手を繋ぎ、見つめられ続け冬は息が詰まりそうだった。

ダンスのペアを組んで居た時に、ほんの1ヶ月程付き合ったことがあった。

子供の頃だったので、キスどまり。ただ、すぐにシモーネはトーナメントで知り合った女の子と浮気をしたので別れた。

…ああ あの頃は純情だったなぁ。今はそのカケラもなけど。

シモーネが女の子に振られたのは後にも先にも冬がひとりだったので、それがどうも後を引いているようだった。

「ねぇシモーネ。私アメリカに勉強をしにいくの。あなたと遊んでる暇は無いわ。卒業したら日本に帰ってまた働きたいから。」

シモーネは冬の小さな細い手を撫でながら

「ねぇ…向こうへ行ったらルームシェアしない?そしたらお互い寂しくないし…。」

…私は一人でも寂しくないんですが。

「嫌よ…。彼氏が居るのに何であなたと私が一緒に住まなきゃいけないのよ?」

冬はため息をついた。

「防犯のためだよ。女の子の独り暮らしは危ないから。」

…いやいやいや…一緒に居る方が危ないでしょ。あなたが鉄砲が効く馬だと言うことは良く分かった。

その彫りの深いワイルドな顔をキスが出来る程に近づけて言った。

…静さん心配してるだろうなぁ。

「今日は僕のマンションに泊っていきなよ。荷物は殆ど無いけど…朝は車で病院へ送って行ってあげるよ♪」

シモーネは無邪気な顔で笑った。

…こういうので女の子は騙されちゃうんだろうな。

「ううん大丈夫。彼氏が迎えに来てくれることになってるの。」

「え?そうなの。」

急に寂しそうな顔になった。

「うん…だってシモーネ私のこと返してくれないと思ったから。じゃ…ちょっと化粧室へ行ってくるわね。」

半分本気混じりで笑って言い、冬は今泉にトイレから電話を掛けた。

「静さん?ごめんね…悪いけど迎えに来てくれない?帰れそうに無いの。駄目なら友達に迎えに来て貰う。」

(お店どこ?迎えに行くからそれまでお店から出ないでね。)

「うん…ありがとう。」

暫くすると今泉が店に来た。

「彼氏が来たわ。じゃあまたね。ここの支払いは済んでるから。」

あれ…君は…。シモーネは今泉の顔を見て何か言いたそうな顔をしていたが、冬は今泉と手を繋いで店を出て、すぐに車に乗った。

「今日は飲んでなかったんですね。」

今泉は笑った。

「シモーネの前では一滴も飲めない。危な過ぎて。」

冬は真面目な顔をして言った。

「無事で良かった。」

今泉は運転しながら手を繋いだ。

「なんか…静さんの車。チョコレートの匂いかする。」

チョコレート独特の甘い香りが漂っていた。

「ああ…バレンタインで貰ったチョコレート乗せてたから。」

…しまったぁ。

「あ…ごめんなさい。私すっかり忘れてた。ずっと彼氏が居なかったからそういうことに疎くなっちゃって。」

「うん。そう思った。」

今泉は笑った。

「遅いけど明日レストラン予約して、お誕生日のお祝いもしましょう。」

冬が申し訳なさそうに言った。

「しなくていいよ。その代わり、来週休み貰ったから、一緒に温泉行ってくれる?」

今泉は冬を一人ぼっちにさせたく無かった。

「ほんと!嬉しい~。」

「医局長が、休みくれたんだ。トウコさんがアメリカ行くって言ったら。」

ね?公にすると良いこともあるでしょう?と嬉しそうに言った。

「へぇ~。」

車を降りてマンションのエントランスへ向かった。部屋に入ると、大きな箱が2つあった。

「ねえこれ全部チョコ?」

「うん。これでも今年はいつもの半分ぐらいかなぁ。」

「じゃあお返しも買いに行かなきゃね。」

「そう言えばお返しあげた事ないや。」

今泉は笑って誤魔化した。

「静さん…師長さんとかね、貰って無くてもホワイトデーにはあげるのよ。そういう細かい気遣いが後々仕事で役立つの。」

「…ねぇトウコさん…今夜したいかも。」

今泉が囁いた。

「じゃあ一緒にお風呂入ろうか?」

冬は笑った。

「うん♪」

椅子に座った冬を後ろから抱きしめた。

「その前に、これ誰から貰ったか分からなくなっちゃう前にリスト作るから教えて。」

…えー明日にしようよ。

「駄目…明日じゃ忘れちゃうでしょ?」

冬は白い今泉の頬に優しくキスをして笑った。

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「今日一緒に夕食を食べませんか?」

小鳥遊からメールが来ていた。今泉は誘いを受けた。いつものラーメン屋で待ち合わせをした。今泉に遅れ小鳥遊が店に入って来た。

「静さん 忙しいところ済みません。」

「いえ。」

今泉の顔には笑顔は無かった。

「僕は、弁解はしません」

小鳥遊が口を開いたが、それには答えず、今泉は話し出した。

「あの日…僕が言ったんです。差し入れをしてあげようって。先生に何の連絡も入れなかった僕も悪いんです。連絡していれば、渡米直前の彼女の心を乱すような事を見せなくて済んだのに。」

今泉は店員が運んできたグラスの水に目を落とした。

「彼女はあなたからのプロポーズを断った時に、覚悟を決めていたんだと思います。ただ…彼女はあの時の事について不自然なほどに一切触れないんです。」

今泉は顔をあげて小鳥遊の眼を見た。

「僕は…あなたを尊敬していました。ただ今回のことは、とても残念で僕はあなたを許すことが出来ません。あなたは“もうトウコさんは必要ない”と言う無言のメッセージを彼女に与えたのです。彼女のことですから、もう2度とあなたの元に戻ることは無いと思います。」

小鳥遊は何も言わず黙って聞いていた。

「あなたは心から愛していると言いつつ、一番酷い形で裏切ったんです。彼女は泣いたり、怒ったりもしないんです。まるであの時何も目撃しなかったかのように振舞って居ます。あなたは罪深い人です。」

今泉は眉間に皺を寄せて言った。

「僕は…あの時…魔が差してしまったんです。」

今泉は小鳥遊の言葉を完全に無視した。

「僕はただ、彼女の悲しんだり苦しんだりする姿を見たくないんです。あなたがどれだけトウコさんに愛されていたのか気が付かなかったんだとすれば…とても…哀れです。」

今泉の言葉は心が刃物で切られたように鋭く痛んだ。

ご注文は?店員がやって来た。

「僕はこれで帰るんで結構です。」

そう言って今泉は席をたった。

「それでは…失礼します。」

今泉は振り返りもせずに店を出た。

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小鳥遊はここ数日イライラしていた。自分でもどうしてあんなことになってしまったのか判らなかった。

…冬が自分の前から手の届かない場所へ行ってしまう寂しさ。

別れていても、今なら毎日冬と一緒に仕事をする事が出来るし、様子も判る。それが出来なくなってしまうことが小鳥遊には辛かった。

たった一度の過ちだった。

明日のオペ準備で揃える必要がある、画像一式を当直室で確認していた小鳥遊だったが、準夜で設楽がそれを取りに来た。

すぐ確認は済むから…と画像を見ていると突然キスをされた。

「君は…今泉先生のことが…。」

小鳥遊は拒む事も出来ないほど驚いた。

「もう…良いんです。月性さんと付き合ってるって言われましたから。」

そう言って強引に唇を重ねてきた。

「私…寂しいんです…慰めて下さい。」

首に腕を回されると冬と同じ香水の香りがして頭の芯が熱くなり、気が付いた時には貪り合っていた。設楽は椅子に座っていた小鳥遊の膝の上に乗った。それは冬の姿と重なった。

無意識のうちに設楽の白衣のボタンを外し、スカートの中に手を入れた。

冬には無い柔らかなアンダーヘア、冬より少し大きな臀部。

設楽は小鳥遊のズボンのベルトを外し、大きくなったそれを、手で乱暴にしごいた。

抑制が既に利かなくなった小鳥遊は、財布からコンドームを取り出し装着した。設楽はストッキングとショーツを自分で脱ぎ、小鳥遊の上に躊躇なく乗り、激しく動いた。

「医局長のオチ●チン…とっても大きい…。」

そう言いながら設楽は、いやらしい声で喘ぎながら、腰を自ら小鳥遊に激しく押し付けた。

お互いの寂しさを埋めるように無心で貪り合った。

「先生…上手で…声が出ちゃう…あぁ 」

設楽の甘い声は、小鳥遊を痺れさせ、下腹部を益々熱くさせた。設楽は小鳥遊の首元に何度も舌を這わせ、キスをした。設楽が先に、そして小鳥遊が果てた。

終わった後に、小鳥遊の中に広がった虚しさと罪悪感…お互いがゆっくり離れ、コンドームを外した時だ。

外で誰かの話声が聞こえた。

…隠れて。

小鳥遊は囁いた。慌てて衣服を整えているとドアがノックされた。設楽はまだ衣服を整えている途中だった。

ドアを開けた時、小鳥遊は凍り付いた。今泉は小鳥遊の背後を見て驚愕した表情を浮かべていたし、そのすぐ後ろからのぞいた冬の一瞬見せた苦痛の表情。

二人が居なくなった後、設楽は泣いていた。小鳥遊は頭を抱えて静かに言った。

「あなたには済まないことをしました。今日は…帰った方が良いでしょう。」

小鳥遊は設楽にそう声を掛けるのがやっとだった。設楽はシャーカステンに挟まったMRIを外し袋に入れ、それを抱えて何も言わずに出て行った。

設楽よりも自分の方が泣き出したい気分だった。顔を洗い、鏡を見た。


ワイシャツの隙間から、真っ赤なキスマークが見えた。

「くそっ!」

小鳥遊は思わずそう呟いた。


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以前は一緒に勤務をしている時に、よく冬と目があった。

処置の時には冬が介助につくことがあったが、例え二人きりでも決してプライベートな話はしなかった。冬の態度は完璧で、徹底していた。

当直室でのあの出来事以来、冬と目が合うことは全く無くなった。

送り迎えには今泉がぴったりと冬についているし、お昼も食堂で一緒に食べている姿を見かけることもあった。

そんな時に今泉と目が合うことはあったが、冬は今泉を見つめて、優しい顔で笑っていた。

小鳥遊とナースステーションで二人きりになると、冬はすっとどこかへ行ってしまった。

それでも用事があると、冬はいつもと変わらず小鳥遊に話しかけてきた。

「小鳥遊先生。小峠先生の患者さんですが、来週手術で、血算生化のオーダーが入ってないみたいなんですけれど、確認して頂けますか?前のデータを確認すると、この人貧血があったようなんですけれど…。」

PCの画面で患者のデーターをチェックしながら小鳥遊は聞いた。

「クロスマッチは出てるの?」

「ええ何故かそれだけは…。それから、心電図も丁度1ヶ月ですが、オーダーしますか?それともこのままで良いですか?」

冬は患者の書類を確認しながら言った。

「折角だからやっておきましょう。オーダー出しておきますから。」

「わかりました。後で検査にも至急と連絡をしておきます。」

冬の態度は全く変わらない。看護師達の無駄話を笑って聞いていたり、PTや患者にからかわれたり、医者達にもいつもの様に接し、それがかえって業務のこと以外では小鳥遊が冬に取りつく島を与えなかった。


日勤が終わる時間になると今泉がどこからともなく現れて、ナースステーションで他の看護師と軽口を言いながら冬を待った。

小鳥遊たかなしを見ると いつもの通り挨拶をした。

「小鳥遊先生 お疲れ様です。」

空いてる椅子に座ると、また月性げっしょうさん待ちですか?とすぐに看護師が声を掛けてた。

「月性さんがアメリカ行っちゃうの寂しいですね。」

若い看護師が言った。

「うん。寂しいね。」

今泉は笑って言った。

「英語ペラペラだし、可愛いから心配じゃないですか?」

3年目の看護師も会話に入った。この男はどこでも、人懐っこく誰とでも話した。小鳥遊はPCで、患者のデーターを確認しながら、聞き耳を立てていた。

「うん…心配かな。日本人よりも外国の人にモテるんだよねぇ。もし、4日休み貰えたら、僕心配だからアメリカに会いに行っちゃう。」

「ひゃー愛されてるんですね。月性さん。そう言えばこの間も、顔の濃い人が会いに来てましたもんね。」

…シモーネのことだ。

「幼馴染の人ならしいけど、彼女の周りには魅力的な男性が多いんだよ。ダンスも上手でモデルをしてたって言ってたかなぁ。」

私も誰か紹介して貰いたい~♪と若い看護師が笑った。

「僕はそれがちょっと心配なんだよねぇ。トウコさんはみんなに優しいから。」

今泉は真面目な顔をして答えた。

「ご馳走様―。」

看護師がキャッキャと騒いだ。

「お粗末様でしたー。」

今泉が笑った。

「ちょっと。今泉先生…若い子の仕事の邪魔しないで下さいな。」

師長に注意されてた。

「はーい…あっそうだ師長さんに聞きたいことがあったんだー♪お勧めの温泉とか知りませんか。」

そう言って今度はステーションの端にあるデスクで師長と話を始めた。

…この男は一事が万事この調子なのだ。

性別に関係なく自然に溶け込んで誰とでも軽口を言えてしまうのだ。

まるで自分の繊細さや思慮深さを隠すように、陽気によくしゃべった。


冬がリハビリから患者と戻ってきた。歩ける患者が通りすがりに

「月性さんの彼氏が、また油売ってるよ。さっき師長さんにも怒られてた。」

と、言って笑った。

「今泉先生。仕事の邪魔になるからここに来ないで下さい。」

冬は耳を真っ赤にしながらも、はっきりと言った。

「だって、トウコさんと一緒に帰りたいんだもん♪」

今泉は悪びれもせずに言った。

「じゃあ先生そんなに暇ならガーゼ畳んで。」

師長に言われ、冬を待つ間 喜んで内職をしていた。

「今泉先生が旦那さんになったら、お家のこと色々とやってくれそうで良いなぁ。」

若い看護師が言った。

「うん。料理するの好きだよ。でも食器洗いの方が好きかも。」

「良いなぁ月性さん。」

「先生とトーコって喧嘩とかしなさそうだよね。」

冬の同期が言った。

「そうだね…したこと無いかも知れない。」

今泉の前には綺麗に畳まれたガーゼの山が出来た。

「トーコがアメリカから帰って来たら結婚するの?」

小鳥遊は少しドキドキとしながら聞いていた。

「うーん…どうだろうね。トウコさん次第かなぁ。でもしたくないって言われそうな気がする。」

「先生、トウコが行き遅れる前に嫁に貰ってあげてね。あの子仕事以外だと無頓着だから。」

同期は笑った。

「うーん。結婚してもしなくても傍に居られれば良いから。」

…傍に居られるだけで良いなんて、不倫をしている女性が言いそうな言葉だ。

冬がステーションに戻って来た。

「私の手伝えること何かある?」

冬はナースステーションにいる看護師達に声を掛けた。

「もう無いかも…私記録だけだから。他の子も大丈夫だと思います。」

後輩が言った。

「あ…トウコさん来た♪」

冬は仕事の進み具合を同僚にも聞いていた。

「あ…じゃあ物品と明日のオペ準備のチェックしとくよ。」

「えーっもう良いよ。先生ずっと待ってるんだからさ。もう帰りなよ。」

同期が慌てて冬に言った。

「今泉先生が居るとみんながこうやって気を使うでしょ?だから来ないで下さい。」

冬はそう言いながら物品の確認をし始めた。あーあ先生また怒られた。看護師達が笑った。

「僕は別にせかして無いけどなぁ。それに今僕もガーゼ畳みに忙しいし…。」

そうね…でもガーゼももう良いわと師長が笑った。オペ室看護師が術前訪問に来た。

「あー!今泉先生 またここで、病棟看護師さん達に迷惑かけてるー。麻酔科医長に言いつけちゃうからねっ。」

今泉の姿を見て、オペ室ナースが言った。

「僕、暇だから、一緒に術前訪問行ってあげるよ♪」

嬉しそうに今泉は言った。

「えー来なくて良いよ…煩いから。話長くなるし…。」

あ...先生振られたと、病棟看護師達が笑った。

「僕はこうやっていつも虐められているんです。」

そう言いつつも、何の人だっけ?と、オペ室看護師の後について行った。

「看護師さんの術前訪問ついたこと無いから、お勉強させて貰おっと♪」

嫌だよー先生が、一緒だと患者さんと世間話とか長そうだもんと話しながら病室へ入って行った。

冬が帰って来た。

…あれ?

「今泉先生 オペ室ナースと術前訪問に行ったよ。」

同期が言った。

「月性さん…ちょっと術後の看護計画のことでお伺いしたいんですが…。」

1年目の看護師が冬に声を掛けた。

「迷った時にはね、術後合併症にはどんなことが考えられるか、どんな治療を継続するのか主治医の先生に確認すればいいのよ。今分らないことは今聞く、それで後で調べたり、勉強すれば良いのよ。この人はね…。」

冬は卒後すぐの看護師達には特に丁寧に自分の仕事の手を止めてでも説明をしていた。他のベテラン看護師には聞きにくいことでも、廊下の隅などで、新人がこっそり冬に何かを聞いている姿を小鳥遊はよく見かけた。

トーコ…じゃあ私先にあがるわね。と言って同期の看護師が挨拶をして帰って行った。冬は傍について1年目看護師と一緒に看護計画を考えていた。

「だから…来なくって良いって言ったのに。世間話するから、時間掛かったじゃない。」

オペ室看護師が今泉に文句を言いながら戻って来た。

「あ…月性さん。有難うございました。あとは大丈夫ですから。」

1年目看護師が言った。明日また日勤で見るから出来るところまで頑張ってねと冬は笑った。


「じゃあ皆さんお邪魔しましたぁ。」「お先に失礼します。」

今泉と冬は皆に挨拶し、肩を並べて帰っていく。その後ろ姿を見ていると、小鳥遊は、酷い疎外感と嫉妬に苦しんだ。


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