小鳥遊医局長の結婚

月胜 冬

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初めての喧嘩

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しずさん。もうどーしてそんなこと言っちゃうのよ!」

とうこは大学から戻り、慌ただしく着替えると、すぐにキッチンへ降りてきた。子供達は、今泉に抱き付き、保育園で作った工作を嬉しそうに見せていた。

「結構、良いヤツだよ。確かに僕と違って女たらしっぽいけど。」

…“無自覚”女ったらしが良く言うわよ。

冬は今泉にイライラしていた。

「何となく夕食に誘ってみた♪」

今泉はのんびりした顔で冬がスーパーから買ってきたばかりのものを冷蔵庫に入れるとリビングへと戻った。

「餌付けしたら、また来るようになっちゃうでしょ?」

一緒に働くようになったネイサンと今泉はいつの間にか仲良くなっていた。以前ここに来ていたこともどうやら話したようで、意気投合したらしい。

「僕が居る時にくるんだから大丈夫だよ。」

ソファに座り華と子供番組を観ながら今泉は笑った。

「確かに人懐こいところは静さんとネイサンは良く似てるけど。」

夏が冬に抱っこをせがみ、片手で抱き上げ、夕食の準備を始めると、今泉が再び戻って来て夏をリビングへと連れて行った。

「ちゃんとネイサンに約束させて、あなたが居ない時にはここに来ないって。」

冬はお腹を空かせた子供たちに、
小さく切ったリンゴを与えた。

「…それより、ガクさんが来ていた時に、救急外来に運ばれたことを聞いたんだけど?」

思わず冬の手が、止まった。

小鳥遊にも内緒にしておいてと頼んだが、ネイサンも居た事をすっかり忘れていた。

「ごめんなさい。あの時は…つい…飲み過ぎてしま…」

今泉が急に強い力で冬を抱きしめた。

「僕を…子供達を置いていかないでね。」

冬は今泉の行動にたじろいだが、
硬く抱きしめられた今泉の胸からそっと離れた。

「静さん…大げさよ。もうだいぶ前の事だし。」

今泉は冬の腕をしっかりと掴んだ。丁度今泉が子供達と実家に帰っている時だった。

折角落ち着いた生活をし始めた矢先に小鳥遊が突然訪れて、やり直したいだの、まだ愛しているだの言われた時だ。

「僕には…わかる。」

それはもう随分前の話のような気がしていた。だが、いつもの優しいおっとりとした笑顔が消えていた。

「静さん…い…痛いよ…。」

それでも今泉は手を緩めることなく冬をしっかりと見つめながら言った。

「どこにも行かないって…今ここで約束して。」

冬は自分でも何故あんなことになってしまったのか、よくわからなかった。

考えたり、悩んだりするのが疲れてしまっていたのかも知れない。

「あれは…混乱してたって…。」

ネイサンと今泉が仲良くなるとは思っても居なかった。

…全く。ネイサンは余計な事ばかりして。

「トウコ…約束して。」

小鳥遊には誤魔化せても、
今泉には見透かされているような気がした。

「ええ…約束するわ。もうあんな馬鹿なことはしないから…心配させてゴメンね。」

今泉は冬を再びしっかりと胸に抱きしめた。

「でも…君は僕に何も言ってくれないんだね。」

冬の事をやっと離すといつもの優しい今泉に戻っていたが、少し寂しそうだった。

「多分、トウコさんがガクさんに、口止めしたんだろうけれど…。」

「それは…折角落ち着いた生活を取り戻したのに、静さんを私の事で心配させたくなかったのよ。それに、今はもう大丈夫でしょう?」

冬は慌てて弁解した。

「それは…結果論だよね?あの時は、君がガクさんの事でとっても落ち込んでいたのが良く判ったし、トウコさんは何でも自分で解決しようとしちゃうんだ。いつも…。」

じっと冬を見据えながら言った。

「それを言うのなら、静さんだって…ガクさんをここによこしたのは静さんでしょう?私がここにひとりで居るから…って。確かに結果論としては良かったけれど。」

…何でこんな言い合いをしているんだろう。

結婚してから冬は一度も今泉とは喧嘩どころか、小鳥遊とはしょっちゅうしている言い合いすらした覚えが無かったからだ。

冬の顔には戸惑いがありありと浮かんでいた。

「藤田先生達には、情報の共有をって言っておいて、結局トーコさんは隠し事をしてるじゃないか!」

今泉がとても心配していることが冬にも判った。ただ、リハビリ施設から退院したばかりで、動揺させたく無かった。

「僕はそのことをネイサンから聞いてとっても驚いたし、残念だった。」

冬が、まさに藤田達に偉そうに語った言葉だった。

夏も華もいつの間にかリンゴを食べ終わり、お腹が空いたと冬に纏わりついていた。

「兎に角、僕は何も知らされて無いことが、哀しかったんだ。ただ君にそれを伝えておきたかったんだ。」

今泉は、さぁ華ちゃんも夏さんもご飯にしようねと、それぞれを椅子に座らせた。

「そうね。待たせてゴメンね。ご飯にしようね。」

子供達の前でふたりの言い争いなど見せたくなかった。

ただ、冬はとても動揺していた。

今泉にそういわれた後でも、あの時伝えなかったのは、今でも最善のことだと思っていた。

「頂きます。」「いただきまーす。」

子供達も、今泉を真似てきちんとお辞儀をしている姿は可愛らしかった。

「はいどうぞ召し上がれ。」

その日の夕食は少し静かだった。今日あったことをそれぞれが話す。

それが日課だった。忙しくても、たとえ、冬と小鳥遊が喧嘩をした後でも、出来るだけ一緒にご飯を食べようと決めたのは今泉だった。

「トウコさん後で一緒にお風呂に入ってくれる?」

今泉が優しく微笑んで言った。

「うん。」

冬は頷いたが、そんな昔の今は解決した些細なことで今泉が語気を荒げるとは思っても居なかったので、動揺していた。

🐈‍⬛♬*.:*¸¸

「トーコ!!久しぶりだねぇ。」

ネイサンはまるで恋人にあげるような大きな花束と、おもちゃを持ってきた。

「はいこれチーズ♪ふたりともワイン飲むって聞いたから♪もうさぁ。びっくりしちゃったよ。シズとトーコが夫婦だったなんて。本当に旦那さんが2人居たんだね。」

ネイサンは冬に押し付けるように、大きな花束とおもちゃを渡した。

「ありがと…ちょっと…。これ大きすぎない?」

まるで肩に担ぐように大きな花束を受けとり、落とさないようにキッチンのシンクに立てかけた。
ネイサンは硬いハグを今泉と済ませると、さっさと靴と靴下を抜いて部屋に入って来てキッチンテーブルの上にチーズを置いた。

「ほんと、世界って思ったよりも狭いんだねぇ。びっくりしちゃったよ。」

そう言いながら、寄って来たかいを抱っこして僕を覚えてるかい?ネイサンおじさんだよと笑った。

…1年近く振りなのに、何この違和感の無さは?

ネイサンは華を抱っこしようとしたが、慌てて今泉の後ろに隠れた。

「ハナは僕のこと忘れちゃったの?女性の中でトーコの次に君のこと好きなのに。」

…なんか…今…余計な事言ったよね?

「華ちゃんは、夏さんに比べてとってもシャイなんだよ。」

今泉が華の事を抱き上げて、ネイサンに挨拶させた。ネイサンはその足でキッチンへと移動した。

「わーっ。今日は僕の好きなものばっかり♪トーコありがとう!」

冬はかわす暇も無く、ネイサンからシモーネ並みの強く長いハグの洗礼を受けた。

…相変わらずむさくるしい。

今泉はふたりの様子をにこにこと笑ってみていた。

「本当に久しぶりだねぇ。トーコ。もう一人の旦那さんはERで見た事があったけど…。まさかシズがねぇ。」

…そのせいで、家庭内微妙な雰囲気なんですけど?

ネイサンは、当たり前のようにキッチンへきて戸棚からコップを1つ掴むと、冷蔵庫からオレンジジュースを勝手に出し注いだ。

それを見ると夏がやって来てジュースを欲しがった。

「友達なのに何にも教えてくれなくて酷いよ。」

…なんでいちいち教えなくちゃならないのよ。

ネイサンは小さなコップにジュースを少し入れて、テーブルの上に置くと、座って飲むんだよと夏に言った。

「だからさ、友達だからって何でも教える訳じゃないわよ。」

相変わらずのネイサンに冬がいらいらし始めたので今泉がふたりの間に入った。

「お腹が空いただろう?トウコさんのご飯はとっても美味しいんだよ。でも子供達を先に食べさせても良いかい?」

今泉は、子供達の食事の準備を始めた。

「ああ。もちろん♪知ってるよ。じゃぁ僕はカイを手伝うよ。」

…何なんだ。この不思議な家族感は。

夏にご飯を食べさせながら、
ネイサンは話を続けた。

「本当に異父二卵性双生児だったんだね…トーコはホントにやることが、クレイジーだよ。」

…クレイジー言うなっ!

「僕もトウコさんには驚かされてばかりだけど、とっても楽しいよ。そんなところも含めて、僕はトウコ愛してるんだ♪」

今泉は、冬を見ながら微笑んだ。

「うんうん。判るよ…僕もだもん♪」

…おいこら。さっきからちょくちょく挟んでくるなよ。

慌てて今泉の顔を見たが、別段気にしている様子は無かった。

この二人の共通するところは、人懐っこいところと、割とフットワークが軽いところだった。

「ハナもカイも凄く大きくなっちゃったね。」

ネイサンは、うんうんと頷く夏を眺めながら、唐揚げを摘まんでいた。

「そういえば…彼女は元気?」

冬はワインセラーからワインを取り出し封を切った。

「彼女ってどの彼女?」

ネイサンは悪びれもせずに、真面目な顔で冬に聞いた。

「ほら…まずいサンドウィッチの弁当を作ってくれた彼女。」

今泉が相変わらずトーコさんは容赦がないねと声を出して笑った。

「ああ…あの子ね。もう随分前に別れちゃったよ。今は、シズとつるんでる方が楽しいからいいや。」

「独身は他の独身者と遊べば良いじゃない。なんで静さんなのよ?」

冬が椅子に座ると、今泉が、冬のグラスにワインを少し注いだ。

「トーコと同じで、シズと一緒に居ると癒されるんだよ。それに相変わらずトーコの弁当が美味しいから。」

今泉は笑ってごまかそうとした。

「いや…だってネイサンが食べたいって言うからさ。ちょっとだけあげるんだよ。」

「人にあげるなら、もう作らないわ。」

冬はネイサンを睨んだ。

…餌付けしちゃ駄目なのよ。

「じゃあもうシズのは欲しがらないから僕にも作ってよ。」

…ほらきた。

ネイサンは、食べ終わった夏を椅子から抱き上げた。

「嫌です。」

夏はリビングへ行くとネイサンから貰ったおもちゃで静かに遊び始めた。

「ねえ今度日本に遊びに行っても良い?」

「駄目!来ないで!!」

今泉は冬とネイサンとのやりとりを笑いながら聞いていた。

「京都とか行きたいな。トーコの家は広いんだろ?僕一人ぐらい大丈夫でしょう?」

…メンドクサイ。

「嫌です。静さんも笑ってる場合じゃないわよ。兎に角日本に来なくて良いから。」

華も食べ終わり、子供たちは静かにリビングで遊んでいた。

「良いじゃない。別に…部屋だって空いてるんだし。夏休みにでも一緒に行く?」

「うん。楽しそうだね。」

…もう…勝手に決めて。

冬はさっさと食べ終わると、夏と華を連れて2階へと上がった。

「ちょっと寝かせてくるから。」

うん判ったよと言いながらもネイサンと今泉は楽しそうに病院の話をしていた。

冬が子供達を風呂に入れ、寝る支度をしていると、時々二人の笑い声が聞こえてきた。

…やれやれ。

冬は大きなため息をついた。

「明日は仕事が無いなら、泊まっていけば?」

今泉が言うと、ネイサンは嬉しそうに頷いた。

「やっぱりこの家は落ち着くんだよなぁ。」

そう言いながら、冬が作った煮物や、
ポテトサラダを摘まんだ。

「もう暫く来なくて良いからね。」

冬が子供達を寝かしつけて、2階から降りてきた。

「シズが、今日はここに泊まって良いってさ。」

「えっ。住み付く気でしょ?」

「そんなことしないさ。でもトーコが望むのなら喜んで♪」

…おい。

「結構です。」

ふたりは食べ終わり、病院の話をしながら後片付けを始めた。

「僕とネイサンでここは片付けるからトーコさんは休んでて♪」

言わなくても動くのは二人に共通していると冬は思っていた。

…こういうところは、マメで良いんだけどな。

「泊めるのは、今夜だけだからね。」

冬はテーブルの上を拭きながら宿泊を勝手に許可した今泉に膨れていた。ふたりとも少々酔っているようだった。

「シズは誰に対しても優しいから、病院でも人気があるんだよ。この間だって、ナースに言い寄られてたじゃないか。」

ネイサンがニヤニヤしながら言った。

「へぇ。そうなの?」

中性的で小綺麗過ぎて、ゲイっぽいと思われて余りモテない気がしていたが、そうでも無かったのかと冬はちょっと驚いた。

「トーコさん心配しなくても大丈夫だからね。」

今泉は家ではそういった類の話は一切しなかった。

「ふーん。」

冬が心配するのを判っていて、話さないことも十分判ってた。

ふたりはワイングラスを持ってリビングへと移動した。

「うん。でも、僕は最初シズはゲイかと思ったの。こざっぱりしてるし、何となく雰囲気がね。」

ネイサンは今泉の肩をガシガシと触った。
冬はその行動に何となく違和感を感じた。

「ねぇ…もしかして、ネイサンってさ…。」

友人にしては距離が近い気がした。

「うん。僕はバイだよ。」

ネイサンはにこにこしながら言った。

えっ?そうだったの?と今泉も初めて聞いたようだった。

…やっぱり。

「トーコも静も僕のタイプだよ♪」

ネイサンは嬉しそうに笑った。

「いちいち言わなくて良いわよ。」

冬は不機嫌になった。

「僕は、トウコさん一筋だから、心配ないよ。」

今泉はにこにこしていた。

…ちょっと笑ってる場合じゃないわよ。

「あーあ。ふたりともに振られちゃった。残念。」

ネイサンはチーズを摘まんで口に入れた。

「ネイサンはガールフレンドもボーイフレンドも居るの?」

「今はどちらも居ないよ。だってシズ狙ってたんだもん。」

…なんでよ。

「残念ながら僕はストレートだ。」

ワインで酔い真っ赤な顔をした今泉は冬を見ながら言った。

「シズにはその素質があるような気がしてるんだけどなぁ。僕と試してみない?」

「ちょっとネイサン何を言ってるのよ。」

…でた。ずうずうしいと言うか、あけっぴろげと言うか。

冬は嫌悪をあらわにした。

「えっ…何を?」

今泉は、にこにこしながら聞いた。

「セックスだよ。そんなの決まってるじゃない。」

冬は飲んでいたワインを咽てゴホゴホと咳をした。

「ネイサン…あなた…馬鹿でしょ?」

今泉は大きな声で笑った。

「シズは男の人と試したことはある?」

冬のことを無視して今泉に話しかけた。

「ないよ…。」

冬のリアクションを見て今泉は、笑っていた。

「試したことも無いのに、判らないじゃないか。」

ネイサンはまるで冬が居ないかのように話を続けていた。

何か言いたくても冬の喉はせき込むのに忙しく、それどころではなかった。

「確かにそうだけど、僕が愛しているのはトウコさんだけだし、君は良いヤツだ。だけど、恋愛対象にはならないよ。」

冬がネイサンにイライラしていたことに気が付いている今泉はそれを見てまた笑った。

「人の旦那を目の前で口説かないでよ。」

冬はゼイゼイ言いながらやっと口を開いた。

「トウコさん。僕が愛しているのは君だけだよ。心配しないで。」

…また同じこと言ってる。危機感なさすぎ。

「それは判ってる…つもりだけど…。」

冬はネイサンと今泉の座る位置が近すぎすることをいまだに気にしていた。

「あなた達座るの近すぎっ!!」

今泉もネイサンも笑っていた。

…それでなくてもボディタッチがネイサンは多いのに。

「判ったよトーコさん。ほら…。」

今泉はワイングラスを持って冬の隣に座った。

「はい♪これで良いでしょう?」

冬の肩を抱いて頭にキスをした。

「何だよ…ちょっとぐらい良いじゃん。」

眠たくなってきていた冬は欠伸を堪えた。

「トーコさん眠いなら寝てきて良いよ。僕たちは大丈夫だから。」

時計は22時を過ぎたばかりだったが、既に随分前から冬は眠かった。

…静さん無防備すぎ。

ただこの状態で冬が目を離すのも、まずい気がした。

「うん…でも。」

「大丈夫だよ。もう寝て来なよ。」

ネイサンは静かに笑っていた。とても悩んだが、冬は寝室へ行きシャワーを浴び、寝室のドアを少し開け、下の様子を暫くベッドで横になって聞いていた。

ふたりの楽しそうな笑い声が微かに聞こえた。その声を聞きながら冬はいつの間にか眠ってしまった。


――― 翌朝。

いつもより早く起きた冬は、隣に今泉が居ないことに気が付くと飛び起きた。

…ほら。やっぱり!

冬は慌てて寝室へと向かった。大きなベッドで下着1枚でふたりは並んで寝ていた。

「だから嫌なのよ。」

冬は思わずゴミ箱の中を覗いたが、中は空っぽでホッとした自分にも腹が立った。

「静さんにはお仕置きが必要だわ。あんなに気を付けなさいよって言ったのに!」

ほっとした気持ちと、イライラを誰かに話したかった。週末だし、起きている筈だと思い。冬は小鳥遊に電話を掛けた。
何コール目かで繋がった。

「はい。小鳥遊です。」

小鳥遊とは違う男性の声だった。

「ん?あのう小鳥遊の妻の冬ですが…。」

冬は一瞬間違い電話をしてしまったのかと慌てたが、聞き覚えのある声だった。

「ああ。奥さん。ご無沙汰しております。藤田隆です。」

その声は弾んだように楽し気で、冬は驚いた。

「隆先生?!」

「今、僕も小鳥遊先生も風呂上がりで一緒に飲んでいたところなんです。ちょっと待ってて下さいね。今、小鳥遊先生はトイレに行ってますので…。」

小鳥遊先生。奥様から電話ですよ…隆が、小鳥遊に声を掛けているのが聞こえた。トーコさんから電話なんて珍しいですねと言いながらガサガサという音がして小鳥遊が出た。

「は~い。ガクさんです。トーコさんどうしたんですか?」

…駄目だ…。こっちもかなり酔ってる…てか出来上がってるじゃない。

冬は大きなため息をついた。

「ううん。何でも無い。ただ声が聞きたかっただけ。」

「そうですか…。」

「で…何で隆先生が居るの?」

「ああ…明日、春さんの家で過ごすことになってるんです。僕は一晩泊まって、こちらに帰って来る予定ですけど。春さんにしつこく誘われて、とうとう隆先生が折れたんです。」

…随分と楽しそうじゃないか。

「そう…判ったわ。ふたりで楽しんでいるところをお邪魔してごめんなさい。」

…全くどいつもこいつも。


冬は自分が何故こんなことで、腹立たしく思うのか分からなかった。

暫くすると子供達が起きてきた。

「ダディーは?」

夏がリビングをみて言った。

「まだネイサンと寝てるから静かにしましょうね。ご飯食べて、今日はお天気だし、どこかにお出かけ行きましょうか?そうだ遊園地に行きましょう。」

「うん。」「うん。」

華も夏も嬉しそうに何度も頷いた。
手早く朝食を作り子供達に食べさせた。

「ダディ…ご飯は?」

いつもなら遅く起きてくる今泉の為に食事を作り、テーブルの上にラップをして置いている為、華が聞いた。

「ダディはきっとネイサンと作って食べるから良いのよ。」

華も夏も上手にフォークを使って食べられるようになっていた。

「ふーん。」

「さぁ。いっぱい食べましょうね。」

(朝昼晩の食事は自分で作って下さい。子供達と遊園地へ出かけて来ます。夜には戻ります。)

今泉にメモを残し、二人の支度を済ませると、冬は車で1時間程のところにある海の傍の遊園地へと向かった。


――― 夜

家に戻ると今泉が、心配していた。

「ダディ。」

「さぁ。遅いからお風呂入りましょうね」

冬はさっさと準備を始め、手際よくふたりをお風呂に入れ寝かしつけた。

…何でイライラするのよ。

冬は自分でも良く判らなかった。

「ああ。もう嫌だ。」

シャワーを浴びながらの独り言だった。

…ガクさんも静さんも自分のこととなると無頓着なんだから。

冬が寝室で寝る準備をしていると、
今泉が静かに部屋に入って来た。

「静さん。」「トーコさん。」

ふたり同時で笑った。

「トーコさんからどうぞ。」

今泉は寝室のドアを静かに閉めた。

「私…嫉妬してたの。ごめんね。」

深いため息をついて、冬はベッドの端に腰かけた。

「うん。判ってる。」

今泉は冬の隣に座った。

「一緒に寝ちゃったけど、何もなかったよ。」

「うん。知ってる…知ってるのに嫉妬しちゃったの。ごめんね静さん。」

「僕をもうちょっと信じてくれても良いのに…。」

今泉は少し悲しそうな顔をしていた。

「だって!あんなベッドで男2人とも下着一枚で寝てるなんて…ガクさんの時も衝撃的だったけど、今回だってびっくりしちゃったのよ。」

冬は静かに呟いた。

「トーコさん…僕はガクさんとは違うよ。」

今泉は冬を真っすぐ見つめた。

…そんなこと判ってる。

「でもネイサンがバイだってカミングアウトした後で、あれを見たら、やっぱりとっても嫌。」

冬の声には苛立ちが混じっていた。

「僕はストレートだよ。」

大きなため息をついた。

「ええ。でも相手がバイで、静さんのことを好きだって言っている以上はそういう事があるかも知れないでしょう?」

今泉は何も言わずにじっと考えていた。

「同性同士のレイプだってあるのよ?静さんもガクさんも私のことを無防備過ぎるって言うけど、静さんだって無防備過ぎて心配なの。」

「ネイサンはそんな奴じゃないよ。」

今泉も今回は引き下がらなかった。

「じゃぁ、私がネイサンの隣で寝たとしても心配じゃ無いのね?」

馬鹿らしいと思っていても、
冬は言わずにはいられなかった。

「それとこれとは違うでしょ?」

今泉は露骨に眉を顰めた。

「だって同じことよ?…わかった。もう良いわ。今日はもうこの話はやめましょう。私は別の部屋で寝るわね。おやすみなさい。」

…静さんとの初めての言い合い。

冬は朝の二人が寝たままのシーツや枕カバーを引き剥がし、新しいものに変え、洗濯機に投げ込んだ。カバーを掛けかえる気力も無かった。

春が来た時に使っている寝室へ行き、羽根布団を頭から被った。歩き疲れていた冬はすぐに寝息を立て始めた。



🐈‍⬛♬*.:*¸¸


「あなたと静さんが喧嘩なんて初めてじゃ無いですか?」

小鳥遊はなんだか嬉しそうだった。

「私に無防備過ぎるって言っておいて、自分の方が無防備じゃない。」

「あなたが心配するのは判りますけれど、でも彼に限って大丈夫じゃないですか?」

「だから、問題は静さんが大丈夫でも相手が大丈夫じゃないって事が問題なのよ。」

…変態エロもか…。

「しかもネイサンはバイで、静さんの事が好きだって言ってるのに。」

「確かあの人はあなたの事を好きだと言っていませんでしたっけ?」

「静さんのことも、私の事も好きなんですって。」

「そうですか…。僕から静さんに話をしてみます。」

そういって電話を切ると朝ごはんの支度を始めた。暫くすると今泉が起きてきた。

「トーコさんおはよう。」

冬にキスはしたものの、いつもおしゃべりな今泉は静かにダイニングの椅子に座り、冬が煎れたコーヒーを飲んでいた。

今日は遅いの?夕飯はどうする?といつもなら予定を聞いてくる今泉が、何も話さないのは居心地が悪かった。子供達を起こし、食事をさせて早めに家を出た。

「行ってきます。」

お互いに何となく距離を置いていた。

「気を付けてね。」

かっちりとしたスーツに着替えた今泉はとても素敵だった。

「うん。」

冬が子供達と保育園から戻ると今泉は既に家に帰って来ていた。

「おかえり。」

華も夏も今泉に抱っこをせがんだ。もう重くなってきたから難しいよ。と笑いながらもふたりを抱っこしてリビングへと向かった。

「ご飯すぐに作るから。」

その間、今泉は子供達と静かに遊んでいた。食事が済み、食後の片づけを冬がしている間に、今泉は子供達を風呂に入れていた。何度も繰り返されてきた分担作業だ。

あっという間に就寝時間が来てしまった。ベッドに先に潜り込んだのは、冬だった。そして暫くして風呂からあがって来た今泉が、冬の隣にそっと潜り込んだ。静かな部屋に衣擦れの音が聞こえた。

「静さん おやすみなさい。」

冬は静かな声で言うと、温かい空気が背中からやって来て、今泉の身体が冬にぴったりとくっついた。

「まだ怒ってるの?」

今泉の声が冬の背中に響いた。

「怒ってなんかいないわ。嫉妬してるだけだから。」

「もうしないから許して。だけど僕の事をもっと信じて欲しいんだ。」

…あの状況で信じても何も…できる筈がないじゃない。

「あの状況じゃ無かったら、信じられるかも知れない…け…ど…。」

冬は振り返り今泉の顔を見つめた。

いつの間にか、今泉の髪にもグレイの髪が混じるようになっていた。

口元にも笑うと浅い皺が出来た。

「判ったよ…。トウコさんは、いつもガクさんを基準に考えてるんだ。」

今泉は悲しそうに目を伏せた。

「どうしたのよ?静さん…何かおかしいわよ?」

冬は布団の中で温まった手で今泉の顔を優しく撫でた。

「僕にも判らない。けれど、トウコさんがいつもガクさんと、子供達を見ているような気がするんだ。」

冬はショックだった。今泉は自分のことを一番理解してくれていると思っていたからだ。

「静さん…ごめんなさい。あなたを不安にさせるようなことをしてたなんて。」

「ネイサンは、僕の友人だし相談相手なんだ。僕は君を一番愛してる。だから…。」

冬は大きなため息をついた。

「あなたを心配させたく無かったら言わなかったけど、ネイサンは、あなたがアメリカに来る前に数週間ここで暮らしていたことがあるの。」

今泉は目を見開いた。その様子からネイサンは何も話して居ないことがみてとれた。

「やっと追い出したのよ。それにその後、ガクさんに私と一緒に暮らしたいって言ったの。冗談で3番目の夫になりたいって。だからネイサンが私たちの間に入り込んでくるのは嫌なの。根が優しい人だってことは判ってる…けど…。」

そうだ今泉が浮気などすることは無いと判っている筈なのに、冬は泣き出しそうになるのを一生懸命堪えていた。

「判ったよ…もうあんなことはしないよ。」

確かに仕事を初めてから、夫婦で過ごす時間も殆ど無いばかりか、ベッドに入っても疲れ果てて、すぐに寝てしまっていた。

「いつも…いつも愛してるわ。それは、昔も今も変わらないわ。私には静さんが必要なの。」

今泉は後ろから冬をギュッと抱きしめた。

「ごめんなさい。ネイサンに嫉妬なんかして馬鹿みたいよね。」

冬は手で目を擦った。

「じゃぁ今夜は、仲直りのエッチしよう♪」

冬は今泉の温かい胸に顔を埋め、ゆっくりと離れるとお互いにTシャツを脱いだ。

今泉は微笑みながら、ベッド・ライトを静かに消し、冬にキスをした。

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