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碌でもない計画
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「わはははは…戦力外通告…トーコさん。流石!」
今泉が日本に一時帰国していた。この休みが終わり、遅くても3月には今泉は戻って来ることになった。
今回の帰国は、院長と再雇用の条件についての話し合い…いわば面接の為だった。
「静さん。酷いです。そんなに笑わなくたって良いじゃないですか。」
今泉は纏わりつく夏と華をふたりとも嬉しそうに抱き寄せていた。
「それに観たかったなぁ。元カレとガクさんの喧嘩。鼻を折るなんて、結構激しかったんですね。」
子供達は今泉の膝の上で押し合いへし合いしていた。
「冗談じゃありませんよ。相手が先に殴り掛かって来たんですから。」
小鳥遊が殴られるほどの激しい喧嘩をしたのは、これが初めてだった。
「喧嘩両成敗ですね。僕だったら殴られた時点で逃げ出してるな。痛いの嫌いだもん。」
小鳥遊の高い鼻は、今は元通りに治っていた。
「僕だって痛いのは嫌いですよ。」
今泉が余りにも面白そうに笑うので、小鳥遊はムッとした。
「でも暫く手術が出来なくて大変でしたね。」
小鳥遊がどんなに手術が好きか、知っている今泉は、少々気の毒に思った。
手術が出来なかったのは1週間ほどだったが、その間は、外来や、診断書などの書類作成、病棟での事務仕事をしていた。
「ええ。師長さんに今回ばかりは、たっぷりと絞られました。」
師長に今まで怒られたことが一度も無かった為、小鳥遊には一番堪えた。
「Detectiveトウコは、どこまで終わってるんですかね?」
今泉は、薬物盗難事件のことについては殆ど知らなかった。
「あなたの帰りをトーコさんは、待ってたんですよ。あなた達ふたりは、禄でも無いことを考えて居るのでは無いでしょうね?」
小鳥遊は、疑うように今泉を見つめた。
冬は、石動とは薬物盗難、
今泉とは、レイプなどについて調べていた。
「わははは…トウコさんがすることは、大抵は碌でも無いことじゃない?」
口の悪い今泉は健在だった。今まで冬の‟碌でも無い”ことで、どれだけ二人が困らされてきたかを考えてみると、ふたりとも笑いが込み上げて止まらなくなった。
「ええ…確かに。」
あらトーコにそんなこと言ったらまた怒るわよと言って、春が笑った。
「きっと全てが終わったら、戦力外通告されたガクさんも真相を教えてくれるんじゃないですかね。」
父親ふたりが笑っているのを見て、
双子も楽しそうに笑いはしゃいだ。
「僕は、あの人が自分を犠牲にして無茶をやらかすんじゃないかとそれだけが心配です。」
小鳥遊は大きなため息をついたので、今泉はそれを静かに笑って聞いていた。
🐈⬛♬*.:*¸¸
「ガクさんはあなたが僕と碌でもないことをするんじゃないかと、言ってましたよ。」
久しぶりに冬は今泉のベッドでともに寝ていた。
「そういう勘だけは鋭いんだから。」
冬は白く温かい今泉の胸の中で笑った。
「それで…いつにしようか?」
「ガクさんが当直の時が良いかなと思ってるの。ガクさんもそれなら焼きもち焼かないでしょう?表向きも納得しやすいと思うの。」
「そうだね。」
「それで…小峠には、ひとりで会いに行くわ。だけど、もしもの事があったら助けに来てほしいの。肉を絶って骨を切る作戦。」
「えっ…どういうこと?」
考えている計画を今泉に簡単に説明した。
「駄目だよ!ホントに何かあったらどうするのっ?」
「ひとりでも何とかなるとは思うけど…。」
「駄目っ。僕はその案に賛成できない。絶対に駄目。」
「決定的な証拠が欲しいのよ。」
「トウコさん!それは誰が考えたって、正真正銘の碌でも無いことだよ。」
「でも…もう時間が無いの。」
今泉は大きなため息をついた。
「いや…その計画には反対だ。お願いだから無茶なことはしないで。証拠はあるんだし、もう十分だよ。そのプランは絶対駄目。だから他の作戦を考えよう。」
冬は静かに何かを考えている様子だった。
🐈⬛♬*.:*¸¸
小峠は、冬から呼びつけられ、とても警戒していた。証拠は無いととぼけてみたもの、冬が笑っていたという事は何かがある筈だ。
しかし、最初の1回は違ったが、それ以降は合意の上だったじゃないか。
「レストランで誰かに見られるのは嫌でしょう?」
小峠が今までやっていたように、冬は皆の居ないところで話をしていた。
「ロビーでもまずいと思うの。だからホテルの部屋を借りますから、そこで話をしたいと思うんです。」
重症患者の個室に入り、小峠と冬は傷の処置をしていた。
「月性ちゃん。僕を騙そうとしてないよね?」
冬は攝子を小峠に渡し、膿盆を傍に手際よく置いた。
「何でですか?私が、あなたを騙したことなんて今までありました?」
冬は少々押しつけがましく言った。小峠をいつも庇ってきたのは確かに冬だ。
小峠は患者のガーゼを外し、膿盆へと置いた。
「いや…無いけどさぁ。」
消毒が沁み込んだ綿球を小峠に渡した。
…さっさと餌に喰いつきやがれ!この禿っ!
「来なきゃ来ないで別に良いんです。」
冬はいつものようにすまして、突き放す様に言った。
「…判ったよ。」
冬からガーゼを受け取り、そっと傷に当てた。
「この界隈のホテルになると思いますので、当日連絡しますね?」
小峠は何も返事をしないまま、部屋を出た。
――― 計画当日。
日勤も普段通りに終わり、小鳥遊が外来へ降りて行ったのを見計らって、冬はメモを小峠の前に静かに置いた。
「うーん。今日は行けるかどうか分からないよ?」
…禿っ。何をいまさら言いやがる。
「…そうですか。それは残念です。でもまぁ取り合えず20時に、ホテルの部屋で待ち合わせという事で。来るも来ないも小峠先生のご自由に。」
冬は定時になると、お疲れさまと言って、マンションへと一度戻り、シャワーを浴びで服を着替えた。
「お母さん。子供達晩宜しくね。」
「ああ…静さんとデートでしょう?判ったわ。ガクさんも当直だし、子供達と簡単に食事を済ませるから。」
「もし病棟の誰かから電話が掛かってきたら…。」
「判ってるわ…お友達の家に泊まりに行ったって言えば良いんでしょ?」
「うん。」
偶然にも今泉と院長との面談が、今夜だったので、急遽夕食デートをしようと今泉の提案だった。
子供も見て貰う事になっていたし、今まで一度だって、家族の約束より、友人を優先したことは無かった。
…さて…どうやって…抜け出そうか。
冬は待ち合わせ場所の近くの寿司屋へと向かった。18時少し前の寿司屋は空いていた。今泉は既に来ていて、冬を見るとこっちと手招きをした。
…ああ。どう抜け出そう。
「ちょっと早いけど、フライングでトーコさんのお誕生日おめでとう♪デートってことで」
今泉は始終にこにこしていた。
「…で、院長は何だって?」
「うん。給料が、結構あがったよ♪アメリカに比べると微々たるものだけどね。」
アメリカから戻ることを早々に麻酔科医局長の藤田に知らせたので、院長に口利きをして貰っていたと今泉は話した。
「そう。それは良かったわ。これでまた皆、同じ病院で働けるってことね。では今日はそのお祝いしなくっちゃね。」
冬は温かいお茶のお代わりを頼みつつも、頭は目まぐるしく動いていた。
…静さんを…騙す方法何て考えられるだろうか?
「うん♪アメリカのアパートを引き払って出来るだけ早く戻ってくることにするよ。」
冬と今泉は寿司屋で楽しく過ごしていると、春から電話が掛かって来た。
「今ね、小峠先生からお電話があってね、ガクさんがオペ中だから21時過ぎまで掛っちゃうってあなたに伝えといてくれって…でも、今日ガクさんは当直だったわよねぇ?」
…やっぱり。禿は偵察の為に電話したな。
何か勘違いしたんじゃないかな?良くあるからと言って冬は笑って電話を切った。
すると、今度は小峠から電話が掛かって来た。今泉が訝しげに冬を見つめていた。
「あ~もしもし?僕だけど、緊急オペ入っちゃってさぁ。今日、月性ちゃんとの約束があったのすっかり忘れて、家に帰って来ちゃったんだよねぇ。ホテルより僕の家の方が近いから、うちに来てくれない?」
…しまった。まずい…計画と違う…が乗り掛かった舟だ。
隣に勘の鋭い今泉が居る以上、早く電話を切りたかった。
「分かりました、では今から伺います。ちょっと、今から病棟行ってくる。」
電話を切ると冬の顔は緊張で強張っていた。
「ねぇ…トウコさん。大丈夫?」
今泉は探るように冬に聞いた。
「管理日誌が見つからないんですって。申し送りの時に無いと困るから。」
今泉は冬を疑っていた。春が子供の面倒を見てくれてると言うのに、時計を時々気にしていたからだ。
今泉が会計を済ませている間、冬は化粧室へと行き、そしてふたりは店の外へと出た。
「一緒に行こうか?」
冬は今泉の眼を見るのが怖かった。
「ううん。大丈夫。静さんと一緒の所を見られたら困るでしょう?」
「僕は別に困らないよ。」
今泉は笑いながら、まだ外気で冷え切らない冬の頬に触れた。
「あとちょっと気になることがあるから。じゃぁまた後でね。」
冬はタクシー乗り場でタクシーに乗った。病院ならこの先の信号で右に曲がる筈だが、タクシーが左にウィンカーを出した。
今泉は慌ててタクシーに乗り込み、あのタクシーの後を追いかけて下さいと運転手に告げた。
🐈⬛♬*.:*¸¸
小鳥遊は緊急オペが終わり、小峠とともに病棟へとあがった。
「すみませんが僕今日人と会う約束をしているんで、申し訳無いのですが、先に帰っても良いですか?」
小峠が小鳥遊に言った。
「ええ。どうぞどうぞ、僕当直ですから、あとはしておきますよ。」
そう言って小峠を帰した。小鳥遊は小峠と微妙な関係を保ちながらも、そこそこうまく付き合っていた。あれ以来、極力干渉しないように努めていた。
…今日は外来も少ないし落ち着いているな。
小鳥遊は、病棟で指示を入力していた。
「せんせ。外線です。」
看護師が受話器を手渡した。こんな時間に珍しいなと電話に出ると、今泉だった。
「ガクさん。そちらにトウコさん行ってませんか?」
「いいえ。何でです?」
「病棟から呼ばれたから病院へ行くって言ってたんだけど、看護師さん達にちょっと聞いてくれない?」
看護師は勤務交代前の時間で、全員ステーションにいて看護記録をかいていた。
「誰か、月性さんを呼びましたか?」
…いいえ。
全員が同時に答えた。
「ガクさん聞こえました。それでは、小峠先生はいらっしゃいますか?」
「ああ…1時間ほど前に、今日は家に人が来るからって帰りましたけど?」
…やっぱりそうか。
今泉は大きなため息をついた。
「小峠先生の家の住所って判りますか?」
…ええちょっと待ってくださいね。
小鳥遊が電話口でごそごそしている物音が聞こえた。
「住宅街にあるブックストアの近くですよ。どうしてですか?」
冬のタクシーを追いかけていたが、見失ってしまった。
「道順を教えて貰えますか?」
今泉は小鳥遊に教えて貰った通りの道順を運転手に伝えた。
「何があったんです?」
今泉の慌て方が、いつもと違う様に思えた。ポケットから手帳を取り出し、小峠の部屋番号を教えた。
「トウコさんが碌でもないことをしようとしてるんです。また後でかけます。あ!危険なので、トウコさんに今は、絶対に連絡しないで下さいね?」
今泉が電話を切りかけたので、では何かあったら、携帯の方に掛けて下さいねと小鳥遊は早口で言った。
今泉は車を見失ってしまい、グルグルと探し回っていたお陰で、だいぶ時間をロスしてしまった。
…駄目だ。早くしなくちゃ。
今泉はとても焦っていた。道路の先の方で、車のテールランプが長く連なっているのが見えた。
暫くすると消防車と救急車がサイレンを鳴らしながらやって来た。
「お客さん…どうやらこの先で事故みたいですよ。」
運転手が言った。
「回り道か何かありませんかね?」
「うーん。あるっちゃあるけど、結構遠回りになるよ?あの辺りはマンションが多いから侵入禁止なんかもいっぱいあるし。」
「ここから歩いて行けますかね?」
「歩くと1時間近く掛っちゃうよ?」
…それでは駄目た。
「回り道だったら、40分ぐらいかなぁ。この渋滞だと回り道が一番早いかも知れません。」
今泉は焦る気持ちを抑えながら、では回り道でお願いしますと運転手に告げた。
🐈⬛♬*.:*¸¸
小峠は、ホテルも密室だが、冬に何か思惑があるような気がしていたので、場所をわざと自宅に変更した。
それでも何も言わないという事は、馬鹿正直にあの時のことを聞きに来るだけなのかも知れない。
「この部屋に来るなんて、月性ちゃんも馬鹿だよなぁ。」
ベッドの傍にビデオカメラを見えないように配置した。
「小鳥遊先生の顔を見るのが楽しみですねぇ。」
クローゼットを開けると、そこには今まで撮りためた沢山のDVDがあった。
「折角、来てくれるんだから一杯楽しませてあげましょうねぇ。」
小峠は病院から帰って来るとシャワーを浴びてその時に備えた。
…そうだ…一応確認しておくか。
小峠は、小鳥遊の自宅に電話をした。冬は、泊まりで出かけると家を出て、まだ帰ってないらしい。
小峠は、これで冬が家に来るかも知れないと小躍りをしそうな気分だった。
「ホントに話し合いだけで帰れると思っているのかぁ…月性ちゃんは、僕を脅すつもりでも、返り討ちにしてあげるよ。」
冬があと10分程で着くと電話を寄こした。
今まで一度も使ったことのなかった、WE●GWO●Dのティーセットとプレートを出し、粉末状の睡眠導入剤をそっと置いた。
冷蔵庫からラム・フルーツ・ケーキを出した。
――― ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。小峠はビデオをセットし玄関へ向かった。
「はぁい どうぞぉ。」
小峠は、落ち着いた様子でドアを開けた。
「月性ちゃん。ホントごめんねぇ。すっかり忘れちゃっててさぁ。寒いから入りなよ。」
冬の顔は少々緊張していた。
男性的でも無く、女性の気配もない綺麗な部屋で、女性をマンションに殆ど呼ばないような印象を冬は受けた。
「夜分遅くに済みません。」
冬は玄関を入りお邪魔しますと言った。
「来てくれてありがとうぅ。今まで何度も月性ちゃんをマンションに誘ったのに一度も居てくれないんだもぉん。」
冬は靴を脱ぐと玄関の端に靴を置いた。
小峠は、冬の靴をシューズボックスの中へと入れようとした。
「あっ…そうだ。ごめんなさい。靴がちょっと濡れちゃったから、暫くこのままでいいですか?」
つま先が確かに少し濡れていた。
「そのまま入れちゃうと、他の靴にも湿気がついちゃうし…。」
冬は静かに言うと、小峠はすぐにティッシュを持ってきた。それを受け取り冬は綺麗に拭いた。
「このまま端に置かせて下さいね。」
…誰かが来た時に、来客中だと知らせるため。
「うん。いいよぉ。そんなの気にしなくて。あっ…手洗うなら、洗面所そっちぃ。」
小峠は風呂場の隣にある洗面所を指さした。
「すみません…。」
冬は手を洗い戻って来た。案内されたのは大きなスタジオタイプの部屋だった。
リビングルームには、座り心地がよさそうなソファに大きなテレビ、部屋の端には、キングサイズのベッドが置かれていて、部屋の家具の色は、統一されていないものの淡い壁紙やカーペット、ベッドのシーツなどから、すっきりしているものの、柔らかな印象を受けた。
ベッドルームはフローリングになっており、大きなデスクの上に医学書が山の様に積まれていた。
…禿も…ちゃんと勉強しているんだね。
冬はゆっくりと大きく呼吸をした。
「月性ちゃん。何飲む?」
「いいえ。私は結構です。」
…これも想定内だ。流石に同じ手は使わないだろう。
「そんなこと言わないでさぁ。僕に付き合ってよぉ。」
冬は何も答えず苦笑した。はいどうぞと出された食器に目がいった。
「ア…アストバリー・ブラック?」
…被害者の振りをしながら禿を騙す。
そんなだいそれた事が出来るか不安だった。
「あーやっぱり気づいちゃった?嬉しいなぁ。」
そのシリーズは、ブランド食器メーカーの中でも高額のものだった。プレートとティーカップやソーサーも全て統一されていた。
冬のバッグは2重底にしてあり弁護士に勧められた通り、小型カメラとマイクを取り付けていた。小峠の玄関のチャイムを押す前から、録音を開始していた。
いつもバッグに入っているもの以外に、見つかっても良いダミーのレコーダーなども持っていた。
「フルーツ・ケーキ。月性ちゃんが好きだって聞いたから。」
…多分。これだ。
温かそうな紅茶からは良い香りが漂っていた。
「ありがとうございます。」
冬は素直に礼を言った。
「で…早速お話し何ですけれど、ビデオというか、動画を返して欲しいんです。」
…落ち着いて冷静に。返してもらうことを前面に押し出すんだ。
冬は背筋をしっかりと伸ばした。
「えーっ。何のこと?そんなこと知らないよ。」
小峠は、いつものへらへらとした口調のままだった。
「ラブホテルに連れ込んだ時のビデオです。それを返してくれたら…私もこのビデオをあなたに渡すと約束します。」
…確証が欲しい。
冬は携帯で撮った動画を見せた。小峠が、待ち合わせをしているところから、細くて若い女性と共にラブホに入り、出てくるところまでだった。小峠はそれを見ても全く表情を替えなかった。
「別に…女の子と遊んでいるだけなんだから良いじゃん♪」
小峠は余裕の表情だった。
「そうですね…成人女性とだったら、遊んでも何ら問題はありませんね。」
小峠の顔に一瞬緊張が走ったのを見逃さなかった。
「はい…では、動画を音声を一緒に聞いてみたらどうでしょうか?」
(…君 いくつぅ?)
駅前の柱の傍にやってきた少女に小峠が声を掛けた。
(…17歳。)
声が小さかったので、小峠は何度か聞きなおしていた。
(…そっか、高校生かぁ…大人っぽいから見えなかったよぉ。じゃぁ行こっか。その前に4枚で良いんだよね?)
小峠が声を潜めたがちゃんと聞き取れた。
(…うん。)
ふたりはゆっくりと歩き出した。小峠の顔色が変わった。小峠は一点を見つめたまま動かなかった。
「これは…そういうプレイだったんですよ。真面目な月性ちゃんは、知らないだろうけれど、高校生の恰好や振りをしてプレイをするんだよぅ。」
小峠は、以前の余裕の表情に戻っていた。
「そうですか~。私はそういう事に疎いもので、全然知りませんでした。」
冬の言葉で、小峠は目に見えて安堵した。
「でもね…。」
冬は学生証の写しを見せた。名前は消してあったが、しっかりと17歳と書いてあった。
…完全なアウト。
冬は小峠の顔を瞬きもせずに見ていた。
…禿…お前だけは絶対許さない。
ふたりとも紅茶もケーキにも全く手を付けて居なかった。
「500万円以下の罰金か懲役…ですね。それは司法処分だけですよね…そして‟医道審議会″に掛けられて医業停止処分。」
冬は大きな茶封筒から、きちんと纏められた書類が出て来た。
…これは、買春に対するものだけだ。レイプは別件。
「年齢確認しちゃってますものね。」
ここまで冬が一人でしゃべっていた。
「判ったよ…。」
今までの舌たらずな話し方とはがらりと変わった。ゆっくりと立ち上がると、クローゼットの中から、一本のDVDを持ってきた。
冬がちらりと見ると、DVDラックの中にはタイトルが書いていない白無地のものが並んでいた。
…きっとあれだ!
何人かの被害者達の話の中で、ビデオの存在を知った。ただそれが本当に存在するのか判らなかった。
今回の目的は、自分のビデオを取り返すことでは無く、存在を確認することだ。
…これで目的の半分は達成だ。
「悪気は無かったんだよ。ただ僕は本当に君が好きだったんだ。」
…今度は泣き落しか。
中身を確認するために再生した。ぐったりとしている冬の上で蠢く小峠の姿があった。
…禿のことだ、マメに記録しているに違いない。
冬は吐き気を催しそうだった。
「確認しました。」
冬は書類や写真を渡し目の前で携帯の動画を消して見せた。小峠はほっとしていた。
「季節限定だから食べて見て♪月性ちゃんに電話してから、さっき買って来たばかりだよ。」
冬は、バッグの中からペットボトルを出して飲んだ。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。」
小峠は紅茶を煎れなおそうとした。
「いいえ…結構です。では、ケーキだけ。」
冬は頂きますとケーキを少しづつ食べた。
「それから…小鳥遊を誑かしたこと…。サキちゃんとハルカちゃんでしたね?」
「そんなことしてないよ。」
小峠は一瞬、何故冬が知っているのだろうと紅茶を煎れる手を止めた。
「自分の事よりも、小鳥遊を陥れようとしたことが、許せないの。」
怒りが沸々と湧いてきて、心臓がドキドキした。
…興奮してはいけない。
冬は何回も言い聞かせなければならなかった。
「…僕はね…月性ちゃんがが学生時代から好きだったんだよ?」
小峠は少し寂しそうな表情をした。
「好きだからって…私は…小峠…せんせの…もの…じゃ…無い。」
…あ。やっぱりこれか。
「最初から好きじゃ無かったって言われてショックだったよ。だから…僕は決めたんだ。君も小鳥遊先生のことも滅茶苦茶にしてやるってね。」
冬は体が重くなってきたのを感じた。
「君は馬鹿正直なんだよ。誰に対しても優しかった…そんなところがとっても好きだった。」
「ちょっ…。」
目の前がグラグラとして、
半分ほど食べたケーキを見つめた。
「アルコールも一緒だからね…やっぱり効き目が早いね。」
小峠は落ち着き冷たい眼で静かに冬を眺めていた。
「こんなこと…繰り返して…許されるわけが無い。」
「ああ…そうか。このビデオがあるから、病院でも断らなかったのか。なんだ…やっぱり悲しいなぁ。僕が脅すとでも思っていたの?」
小峠はため息をついた。
「僕は君に何度も助けられたし、これを使って脅すなんて考えて無かったんだよ?本当だよ?なのに…君は僕を裏切った。」
小峠は、余裕が出て来たのか雄弁だった。
「裏切ったって…あなたはレイプをしたのよ?」
「だって…仕方が無いじゃない。僕の事好きになってくれないんだもの。小鳥遊先生だって今泉先生だって、仕事が出来るしカッコいいし素敵だから当たり前だよね。」
睨みつける冬を、ただじっと観察していた。
「僕じゃ太刀打ち出来ないのよく判ってるよ。でも、君だけは誰にも取られたくなかったんだよ?」
まるで獲物に絡みつついた毒蛇が、毒が回るのを静かに待っているようだった。
「大丈夫。今日はとりあえず、小鳥遊先生にはばれないように後でタクシーで送ってあげるよ。君だけはそんなことしない女だと思っていたのに。本当に残念だよ。」
冬はバッグの中から痴漢撃退用のベルを取り出した。
「これね…アメリカ製なの。120デシベル…だって。」
冬は防犯ベルの小さなキャップを外し、ベッドの下へと投げた。それはフローリングを滑り、ベッドの下の隙間へ滑り込んだ。そして、救急車のサイレンをすぐ傍で聞いているような大音量で、音の高さを替えながら延々と続いた。
――― ピィーーッ。ピィーーッ。ピィーーッ。
小峠が1メートルも離れていないテーブルの反対側から冬に何か叫んだが全く聞こえなかった。
ふらつく体でバッグの中の携帯を掴んだ。容赦ない音は平衡感覚も失わせ頭痛の様に響いた。
壁にぶつかり乍ら玄関へ行き、自分の靴を掴みドアを開け、内側から開けただけでは、見えにくい蝶番辺りに靴を投げた。
大きな音はなり続け、フロア全体に響いていた。目がかすみもう前が見えなかかった。
…逃げちゃいけない。この日の為に全て計画をしてきたんだ。時間稼ぎを…しなくっちゃ。
――― パタン。
だが、冬は静かに玄関のドアを閉めた。
固定電話の受話器を取り110番を押した…が何度も、受話器が手から滑りおちそうになった。受話器を外したまま、そっと置いた。
…警察も特定するまでに時間が掛かる筈。
ゆっくりと壁を伝い洗面所へと戻り、這うようにしてその先にあるトイレに隠れた。
そして防犯ベルから外したキャップをトイレに流した。
…ごめんね…ガクさん…静さん。
足ががくがくとして、崩れるように座り込んだ。冬は、すべきことは全てした。後は…待つだけ。
…もう…こうするしか…無かったの。
冬はバスタブに寄り掛かかるとそのまま意識を失った。
今泉が日本に一時帰国していた。この休みが終わり、遅くても3月には今泉は戻って来ることになった。
今回の帰国は、院長と再雇用の条件についての話し合い…いわば面接の為だった。
「静さん。酷いです。そんなに笑わなくたって良いじゃないですか。」
今泉は纏わりつく夏と華をふたりとも嬉しそうに抱き寄せていた。
「それに観たかったなぁ。元カレとガクさんの喧嘩。鼻を折るなんて、結構激しかったんですね。」
子供達は今泉の膝の上で押し合いへし合いしていた。
「冗談じゃありませんよ。相手が先に殴り掛かって来たんですから。」
小鳥遊が殴られるほどの激しい喧嘩をしたのは、これが初めてだった。
「喧嘩両成敗ですね。僕だったら殴られた時点で逃げ出してるな。痛いの嫌いだもん。」
小鳥遊の高い鼻は、今は元通りに治っていた。
「僕だって痛いのは嫌いですよ。」
今泉が余りにも面白そうに笑うので、小鳥遊はムッとした。
「でも暫く手術が出来なくて大変でしたね。」
小鳥遊がどんなに手術が好きか、知っている今泉は、少々気の毒に思った。
手術が出来なかったのは1週間ほどだったが、その間は、外来や、診断書などの書類作成、病棟での事務仕事をしていた。
「ええ。師長さんに今回ばかりは、たっぷりと絞られました。」
師長に今まで怒られたことが一度も無かった為、小鳥遊には一番堪えた。
「Detectiveトウコは、どこまで終わってるんですかね?」
今泉は、薬物盗難事件のことについては殆ど知らなかった。
「あなたの帰りをトーコさんは、待ってたんですよ。あなた達ふたりは、禄でも無いことを考えて居るのでは無いでしょうね?」
小鳥遊は、疑うように今泉を見つめた。
冬は、石動とは薬物盗難、
今泉とは、レイプなどについて調べていた。
「わははは…トウコさんがすることは、大抵は碌でも無いことじゃない?」
口の悪い今泉は健在だった。今まで冬の‟碌でも無い”ことで、どれだけ二人が困らされてきたかを考えてみると、ふたりとも笑いが込み上げて止まらなくなった。
「ええ…確かに。」
あらトーコにそんなこと言ったらまた怒るわよと言って、春が笑った。
「きっと全てが終わったら、戦力外通告されたガクさんも真相を教えてくれるんじゃないですかね。」
父親ふたりが笑っているのを見て、
双子も楽しそうに笑いはしゃいだ。
「僕は、あの人が自分を犠牲にして無茶をやらかすんじゃないかとそれだけが心配です。」
小鳥遊は大きなため息をついたので、今泉はそれを静かに笑って聞いていた。
🐈⬛♬*.:*¸¸
「ガクさんはあなたが僕と碌でもないことをするんじゃないかと、言ってましたよ。」
久しぶりに冬は今泉のベッドでともに寝ていた。
「そういう勘だけは鋭いんだから。」
冬は白く温かい今泉の胸の中で笑った。
「それで…いつにしようか?」
「ガクさんが当直の時が良いかなと思ってるの。ガクさんもそれなら焼きもち焼かないでしょう?表向きも納得しやすいと思うの。」
「そうだね。」
「それで…小峠には、ひとりで会いに行くわ。だけど、もしもの事があったら助けに来てほしいの。肉を絶って骨を切る作戦。」
「えっ…どういうこと?」
考えている計画を今泉に簡単に説明した。
「駄目だよ!ホントに何かあったらどうするのっ?」
「ひとりでも何とかなるとは思うけど…。」
「駄目っ。僕はその案に賛成できない。絶対に駄目。」
「決定的な証拠が欲しいのよ。」
「トウコさん!それは誰が考えたって、正真正銘の碌でも無いことだよ。」
「でも…もう時間が無いの。」
今泉は大きなため息をついた。
「いや…その計画には反対だ。お願いだから無茶なことはしないで。証拠はあるんだし、もう十分だよ。そのプランは絶対駄目。だから他の作戦を考えよう。」
冬は静かに何かを考えている様子だった。
🐈⬛♬*.:*¸¸
小峠は、冬から呼びつけられ、とても警戒していた。証拠は無いととぼけてみたもの、冬が笑っていたという事は何かがある筈だ。
しかし、最初の1回は違ったが、それ以降は合意の上だったじゃないか。
「レストランで誰かに見られるのは嫌でしょう?」
小峠が今までやっていたように、冬は皆の居ないところで話をしていた。
「ロビーでもまずいと思うの。だからホテルの部屋を借りますから、そこで話をしたいと思うんです。」
重症患者の個室に入り、小峠と冬は傷の処置をしていた。
「月性ちゃん。僕を騙そうとしてないよね?」
冬は攝子を小峠に渡し、膿盆を傍に手際よく置いた。
「何でですか?私が、あなたを騙したことなんて今までありました?」
冬は少々押しつけがましく言った。小峠をいつも庇ってきたのは確かに冬だ。
小峠は患者のガーゼを外し、膿盆へと置いた。
「いや…無いけどさぁ。」
消毒が沁み込んだ綿球を小峠に渡した。
…さっさと餌に喰いつきやがれ!この禿っ!
「来なきゃ来ないで別に良いんです。」
冬はいつものようにすまして、突き放す様に言った。
「…判ったよ。」
冬からガーゼを受け取り、そっと傷に当てた。
「この界隈のホテルになると思いますので、当日連絡しますね?」
小峠は何も返事をしないまま、部屋を出た。
――― 計画当日。
日勤も普段通りに終わり、小鳥遊が外来へ降りて行ったのを見計らって、冬はメモを小峠の前に静かに置いた。
「うーん。今日は行けるかどうか分からないよ?」
…禿っ。何をいまさら言いやがる。
「…そうですか。それは残念です。でもまぁ取り合えず20時に、ホテルの部屋で待ち合わせという事で。来るも来ないも小峠先生のご自由に。」
冬は定時になると、お疲れさまと言って、マンションへと一度戻り、シャワーを浴びで服を着替えた。
「お母さん。子供達晩宜しくね。」
「ああ…静さんとデートでしょう?判ったわ。ガクさんも当直だし、子供達と簡単に食事を済ませるから。」
「もし病棟の誰かから電話が掛かってきたら…。」
「判ってるわ…お友達の家に泊まりに行ったって言えば良いんでしょ?」
「うん。」
偶然にも今泉と院長との面談が、今夜だったので、急遽夕食デートをしようと今泉の提案だった。
子供も見て貰う事になっていたし、今まで一度だって、家族の約束より、友人を優先したことは無かった。
…さて…どうやって…抜け出そうか。
冬は待ち合わせ場所の近くの寿司屋へと向かった。18時少し前の寿司屋は空いていた。今泉は既に来ていて、冬を見るとこっちと手招きをした。
…ああ。どう抜け出そう。
「ちょっと早いけど、フライングでトーコさんのお誕生日おめでとう♪デートってことで」
今泉は始終にこにこしていた。
「…で、院長は何だって?」
「うん。給料が、結構あがったよ♪アメリカに比べると微々たるものだけどね。」
アメリカから戻ることを早々に麻酔科医局長の藤田に知らせたので、院長に口利きをして貰っていたと今泉は話した。
「そう。それは良かったわ。これでまた皆、同じ病院で働けるってことね。では今日はそのお祝いしなくっちゃね。」
冬は温かいお茶のお代わりを頼みつつも、頭は目まぐるしく動いていた。
…静さんを…騙す方法何て考えられるだろうか?
「うん♪アメリカのアパートを引き払って出来るだけ早く戻ってくることにするよ。」
冬と今泉は寿司屋で楽しく過ごしていると、春から電話が掛かって来た。
「今ね、小峠先生からお電話があってね、ガクさんがオペ中だから21時過ぎまで掛っちゃうってあなたに伝えといてくれって…でも、今日ガクさんは当直だったわよねぇ?」
…やっぱり。禿は偵察の為に電話したな。
何か勘違いしたんじゃないかな?良くあるからと言って冬は笑って電話を切った。
すると、今度は小峠から電話が掛かって来た。今泉が訝しげに冬を見つめていた。
「あ~もしもし?僕だけど、緊急オペ入っちゃってさぁ。今日、月性ちゃんとの約束があったのすっかり忘れて、家に帰って来ちゃったんだよねぇ。ホテルより僕の家の方が近いから、うちに来てくれない?」
…しまった。まずい…計画と違う…が乗り掛かった舟だ。
隣に勘の鋭い今泉が居る以上、早く電話を切りたかった。
「分かりました、では今から伺います。ちょっと、今から病棟行ってくる。」
電話を切ると冬の顔は緊張で強張っていた。
「ねぇ…トウコさん。大丈夫?」
今泉は探るように冬に聞いた。
「管理日誌が見つからないんですって。申し送りの時に無いと困るから。」
今泉は冬を疑っていた。春が子供の面倒を見てくれてると言うのに、時計を時々気にしていたからだ。
今泉が会計を済ませている間、冬は化粧室へと行き、そしてふたりは店の外へと出た。
「一緒に行こうか?」
冬は今泉の眼を見るのが怖かった。
「ううん。大丈夫。静さんと一緒の所を見られたら困るでしょう?」
「僕は別に困らないよ。」
今泉は笑いながら、まだ外気で冷え切らない冬の頬に触れた。
「あとちょっと気になることがあるから。じゃぁまた後でね。」
冬はタクシー乗り場でタクシーに乗った。病院ならこの先の信号で右に曲がる筈だが、タクシーが左にウィンカーを出した。
今泉は慌ててタクシーに乗り込み、あのタクシーの後を追いかけて下さいと運転手に告げた。
🐈⬛♬*.:*¸¸
小鳥遊は緊急オペが終わり、小峠とともに病棟へとあがった。
「すみませんが僕今日人と会う約束をしているんで、申し訳無いのですが、先に帰っても良いですか?」
小峠が小鳥遊に言った。
「ええ。どうぞどうぞ、僕当直ですから、あとはしておきますよ。」
そう言って小峠を帰した。小鳥遊は小峠と微妙な関係を保ちながらも、そこそこうまく付き合っていた。あれ以来、極力干渉しないように努めていた。
…今日は外来も少ないし落ち着いているな。
小鳥遊は、病棟で指示を入力していた。
「せんせ。外線です。」
看護師が受話器を手渡した。こんな時間に珍しいなと電話に出ると、今泉だった。
「ガクさん。そちらにトウコさん行ってませんか?」
「いいえ。何でです?」
「病棟から呼ばれたから病院へ行くって言ってたんだけど、看護師さん達にちょっと聞いてくれない?」
看護師は勤務交代前の時間で、全員ステーションにいて看護記録をかいていた。
「誰か、月性さんを呼びましたか?」
…いいえ。
全員が同時に答えた。
「ガクさん聞こえました。それでは、小峠先生はいらっしゃいますか?」
「ああ…1時間ほど前に、今日は家に人が来るからって帰りましたけど?」
…やっぱりそうか。
今泉は大きなため息をついた。
「小峠先生の家の住所って判りますか?」
…ええちょっと待ってくださいね。
小鳥遊が電話口でごそごそしている物音が聞こえた。
「住宅街にあるブックストアの近くですよ。どうしてですか?」
冬のタクシーを追いかけていたが、見失ってしまった。
「道順を教えて貰えますか?」
今泉は小鳥遊に教えて貰った通りの道順を運転手に伝えた。
「何があったんです?」
今泉の慌て方が、いつもと違う様に思えた。ポケットから手帳を取り出し、小峠の部屋番号を教えた。
「トウコさんが碌でもないことをしようとしてるんです。また後でかけます。あ!危険なので、トウコさんに今は、絶対に連絡しないで下さいね?」
今泉が電話を切りかけたので、では何かあったら、携帯の方に掛けて下さいねと小鳥遊は早口で言った。
今泉は車を見失ってしまい、グルグルと探し回っていたお陰で、だいぶ時間をロスしてしまった。
…駄目だ。早くしなくちゃ。
今泉はとても焦っていた。道路の先の方で、車のテールランプが長く連なっているのが見えた。
暫くすると消防車と救急車がサイレンを鳴らしながらやって来た。
「お客さん…どうやらこの先で事故みたいですよ。」
運転手が言った。
「回り道か何かありませんかね?」
「うーん。あるっちゃあるけど、結構遠回りになるよ?あの辺りはマンションが多いから侵入禁止なんかもいっぱいあるし。」
「ここから歩いて行けますかね?」
「歩くと1時間近く掛っちゃうよ?」
…それでは駄目た。
「回り道だったら、40分ぐらいかなぁ。この渋滞だと回り道が一番早いかも知れません。」
今泉は焦る気持ちを抑えながら、では回り道でお願いしますと運転手に告げた。
🐈⬛♬*.:*¸¸
小峠は、ホテルも密室だが、冬に何か思惑があるような気がしていたので、場所をわざと自宅に変更した。
それでも何も言わないという事は、馬鹿正直にあの時のことを聞きに来るだけなのかも知れない。
「この部屋に来るなんて、月性ちゃんも馬鹿だよなぁ。」
ベッドの傍にビデオカメラを見えないように配置した。
「小鳥遊先生の顔を見るのが楽しみですねぇ。」
クローゼットを開けると、そこには今まで撮りためた沢山のDVDがあった。
「折角、来てくれるんだから一杯楽しませてあげましょうねぇ。」
小峠は病院から帰って来るとシャワーを浴びてその時に備えた。
…そうだ…一応確認しておくか。
小峠は、小鳥遊の自宅に電話をした。冬は、泊まりで出かけると家を出て、まだ帰ってないらしい。
小峠は、これで冬が家に来るかも知れないと小躍りをしそうな気分だった。
「ホントに話し合いだけで帰れると思っているのかぁ…月性ちゃんは、僕を脅すつもりでも、返り討ちにしてあげるよ。」
冬があと10分程で着くと電話を寄こした。
今まで一度も使ったことのなかった、WE●GWO●Dのティーセットとプレートを出し、粉末状の睡眠導入剤をそっと置いた。
冷蔵庫からラム・フルーツ・ケーキを出した。
――― ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。小峠はビデオをセットし玄関へ向かった。
「はぁい どうぞぉ。」
小峠は、落ち着いた様子でドアを開けた。
「月性ちゃん。ホントごめんねぇ。すっかり忘れちゃっててさぁ。寒いから入りなよ。」
冬の顔は少々緊張していた。
男性的でも無く、女性の気配もない綺麗な部屋で、女性をマンションに殆ど呼ばないような印象を冬は受けた。
「夜分遅くに済みません。」
冬は玄関を入りお邪魔しますと言った。
「来てくれてありがとうぅ。今まで何度も月性ちゃんをマンションに誘ったのに一度も居てくれないんだもぉん。」
冬は靴を脱ぐと玄関の端に靴を置いた。
小峠は、冬の靴をシューズボックスの中へと入れようとした。
「あっ…そうだ。ごめんなさい。靴がちょっと濡れちゃったから、暫くこのままでいいですか?」
つま先が確かに少し濡れていた。
「そのまま入れちゃうと、他の靴にも湿気がついちゃうし…。」
冬は静かに言うと、小峠はすぐにティッシュを持ってきた。それを受け取り冬は綺麗に拭いた。
「このまま端に置かせて下さいね。」
…誰かが来た時に、来客中だと知らせるため。
「うん。いいよぉ。そんなの気にしなくて。あっ…手洗うなら、洗面所そっちぃ。」
小峠は風呂場の隣にある洗面所を指さした。
「すみません…。」
冬は手を洗い戻って来た。案内されたのは大きなスタジオタイプの部屋だった。
リビングルームには、座り心地がよさそうなソファに大きなテレビ、部屋の端には、キングサイズのベッドが置かれていて、部屋の家具の色は、統一されていないものの淡い壁紙やカーペット、ベッドのシーツなどから、すっきりしているものの、柔らかな印象を受けた。
ベッドルームはフローリングになっており、大きなデスクの上に医学書が山の様に積まれていた。
…禿も…ちゃんと勉強しているんだね。
冬はゆっくりと大きく呼吸をした。
「月性ちゃん。何飲む?」
「いいえ。私は結構です。」
…これも想定内だ。流石に同じ手は使わないだろう。
「そんなこと言わないでさぁ。僕に付き合ってよぉ。」
冬は何も答えず苦笑した。はいどうぞと出された食器に目がいった。
「ア…アストバリー・ブラック?」
…被害者の振りをしながら禿を騙す。
そんなだいそれた事が出来るか不安だった。
「あーやっぱり気づいちゃった?嬉しいなぁ。」
そのシリーズは、ブランド食器メーカーの中でも高額のものだった。プレートとティーカップやソーサーも全て統一されていた。
冬のバッグは2重底にしてあり弁護士に勧められた通り、小型カメラとマイクを取り付けていた。小峠の玄関のチャイムを押す前から、録音を開始していた。
いつもバッグに入っているもの以外に、見つかっても良いダミーのレコーダーなども持っていた。
「フルーツ・ケーキ。月性ちゃんが好きだって聞いたから。」
…多分。これだ。
温かそうな紅茶からは良い香りが漂っていた。
「ありがとうございます。」
冬は素直に礼を言った。
「で…早速お話し何ですけれど、ビデオというか、動画を返して欲しいんです。」
…落ち着いて冷静に。返してもらうことを前面に押し出すんだ。
冬は背筋をしっかりと伸ばした。
「えーっ。何のこと?そんなこと知らないよ。」
小峠は、いつものへらへらとした口調のままだった。
「ラブホテルに連れ込んだ時のビデオです。それを返してくれたら…私もこのビデオをあなたに渡すと約束します。」
…確証が欲しい。
冬は携帯で撮った動画を見せた。小峠が、待ち合わせをしているところから、細くて若い女性と共にラブホに入り、出てくるところまでだった。小峠はそれを見ても全く表情を替えなかった。
「別に…女の子と遊んでいるだけなんだから良いじゃん♪」
小峠は余裕の表情だった。
「そうですね…成人女性とだったら、遊んでも何ら問題はありませんね。」
小峠の顔に一瞬緊張が走ったのを見逃さなかった。
「はい…では、動画を音声を一緒に聞いてみたらどうでしょうか?」
(…君 いくつぅ?)
駅前の柱の傍にやってきた少女に小峠が声を掛けた。
(…17歳。)
声が小さかったので、小峠は何度か聞きなおしていた。
(…そっか、高校生かぁ…大人っぽいから見えなかったよぉ。じゃぁ行こっか。その前に4枚で良いんだよね?)
小峠が声を潜めたがちゃんと聞き取れた。
(…うん。)
ふたりはゆっくりと歩き出した。小峠の顔色が変わった。小峠は一点を見つめたまま動かなかった。
「これは…そういうプレイだったんですよ。真面目な月性ちゃんは、知らないだろうけれど、高校生の恰好や振りをしてプレイをするんだよぅ。」
小峠は、以前の余裕の表情に戻っていた。
「そうですか~。私はそういう事に疎いもので、全然知りませんでした。」
冬の言葉で、小峠は目に見えて安堵した。
「でもね…。」
冬は学生証の写しを見せた。名前は消してあったが、しっかりと17歳と書いてあった。
…完全なアウト。
冬は小峠の顔を瞬きもせずに見ていた。
…禿…お前だけは絶対許さない。
ふたりとも紅茶もケーキにも全く手を付けて居なかった。
「500万円以下の罰金か懲役…ですね。それは司法処分だけですよね…そして‟医道審議会″に掛けられて医業停止処分。」
冬は大きな茶封筒から、きちんと纏められた書類が出て来た。
…これは、買春に対するものだけだ。レイプは別件。
「年齢確認しちゃってますものね。」
ここまで冬が一人でしゃべっていた。
「判ったよ…。」
今までの舌たらずな話し方とはがらりと変わった。ゆっくりと立ち上がると、クローゼットの中から、一本のDVDを持ってきた。
冬がちらりと見ると、DVDラックの中にはタイトルが書いていない白無地のものが並んでいた。
…きっとあれだ!
何人かの被害者達の話の中で、ビデオの存在を知った。ただそれが本当に存在するのか判らなかった。
今回の目的は、自分のビデオを取り返すことでは無く、存在を確認することだ。
…これで目的の半分は達成だ。
「悪気は無かったんだよ。ただ僕は本当に君が好きだったんだ。」
…今度は泣き落しか。
中身を確認するために再生した。ぐったりとしている冬の上で蠢く小峠の姿があった。
…禿のことだ、マメに記録しているに違いない。
冬は吐き気を催しそうだった。
「確認しました。」
冬は書類や写真を渡し目の前で携帯の動画を消して見せた。小峠はほっとしていた。
「季節限定だから食べて見て♪月性ちゃんに電話してから、さっき買って来たばかりだよ。」
冬は、バッグの中からペットボトルを出して飲んだ。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。」
小峠は紅茶を煎れなおそうとした。
「いいえ…結構です。では、ケーキだけ。」
冬は頂きますとケーキを少しづつ食べた。
「それから…小鳥遊を誑かしたこと…。サキちゃんとハルカちゃんでしたね?」
「そんなことしてないよ。」
小峠は一瞬、何故冬が知っているのだろうと紅茶を煎れる手を止めた。
「自分の事よりも、小鳥遊を陥れようとしたことが、許せないの。」
怒りが沸々と湧いてきて、心臓がドキドキした。
…興奮してはいけない。
冬は何回も言い聞かせなければならなかった。
「…僕はね…月性ちゃんがが学生時代から好きだったんだよ?」
小峠は少し寂しそうな表情をした。
「好きだからって…私は…小峠…せんせの…もの…じゃ…無い。」
…あ。やっぱりこれか。
「最初から好きじゃ無かったって言われてショックだったよ。だから…僕は決めたんだ。君も小鳥遊先生のことも滅茶苦茶にしてやるってね。」
冬は体が重くなってきたのを感じた。
「君は馬鹿正直なんだよ。誰に対しても優しかった…そんなところがとっても好きだった。」
「ちょっ…。」
目の前がグラグラとして、
半分ほど食べたケーキを見つめた。
「アルコールも一緒だからね…やっぱり効き目が早いね。」
小峠は落ち着き冷たい眼で静かに冬を眺めていた。
「こんなこと…繰り返して…許されるわけが無い。」
「ああ…そうか。このビデオがあるから、病院でも断らなかったのか。なんだ…やっぱり悲しいなぁ。僕が脅すとでも思っていたの?」
小峠はため息をついた。
「僕は君に何度も助けられたし、これを使って脅すなんて考えて無かったんだよ?本当だよ?なのに…君は僕を裏切った。」
小峠は、余裕が出て来たのか雄弁だった。
「裏切ったって…あなたはレイプをしたのよ?」
「だって…仕方が無いじゃない。僕の事好きになってくれないんだもの。小鳥遊先生だって今泉先生だって、仕事が出来るしカッコいいし素敵だから当たり前だよね。」
睨みつける冬を、ただじっと観察していた。
「僕じゃ太刀打ち出来ないのよく判ってるよ。でも、君だけは誰にも取られたくなかったんだよ?」
まるで獲物に絡みつついた毒蛇が、毒が回るのを静かに待っているようだった。
「大丈夫。今日はとりあえず、小鳥遊先生にはばれないように後でタクシーで送ってあげるよ。君だけはそんなことしない女だと思っていたのに。本当に残念だよ。」
冬はバッグの中から痴漢撃退用のベルを取り出した。
「これね…アメリカ製なの。120デシベル…だって。」
冬は防犯ベルの小さなキャップを外し、ベッドの下へと投げた。それはフローリングを滑り、ベッドの下の隙間へ滑り込んだ。そして、救急車のサイレンをすぐ傍で聞いているような大音量で、音の高さを替えながら延々と続いた。
――― ピィーーッ。ピィーーッ。ピィーーッ。
小峠が1メートルも離れていないテーブルの反対側から冬に何か叫んだが全く聞こえなかった。
ふらつく体でバッグの中の携帯を掴んだ。容赦ない音は平衡感覚も失わせ頭痛の様に響いた。
壁にぶつかり乍ら玄関へ行き、自分の靴を掴みドアを開け、内側から開けただけでは、見えにくい蝶番辺りに靴を投げた。
大きな音はなり続け、フロア全体に響いていた。目がかすみもう前が見えなかかった。
…逃げちゃいけない。この日の為に全て計画をしてきたんだ。時間稼ぎを…しなくっちゃ。
――― パタン。
だが、冬は静かに玄関のドアを閉めた。
固定電話の受話器を取り110番を押した…が何度も、受話器が手から滑りおちそうになった。受話器を外したまま、そっと置いた。
…警察も特定するまでに時間が掛かる筈。
ゆっくりと壁を伝い洗面所へと戻り、這うようにしてその先にあるトイレに隠れた。
そして防犯ベルから外したキャップをトイレに流した。
…ごめんね…ガクさん…静さん。
足ががくがくとして、崩れるように座り込んだ。冬は、すべきことは全てした。後は…待つだけ。
…もう…こうするしか…無かったの。
冬はバスタブに寄り掛かかるとそのまま意識を失った。
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