小鳥遊医局長の結婚

月胜 冬

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Happily Ever After

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院長の辞任が突然決まった。事件の後の残務整理もほぼ全て終わり、落ち着いたので、責任を取って辞任することとなった。

次の院長は、藤田麻酔科医局長となり、
藤田の強い希望で小鳥遊が副院長となった。

「これから先、病院内の改革をしなければなりませんね。」

藤田院長は微笑んだ。小鳥遊は副院長と医局長を兼任、外科の医局長に藤田隆、麻酔科医局長にアメリカから帰って来たばかりの今泉が就任し、管理者の年齢が大幅に若返った。

「これからは、看護師も医師も留学出来る様なシステムを積極的に作ろうと思っています。」

看護部長は反対したが、前院長、現院長、そして脳外病棟師長の強い希望で、冬が異例の速さで師長に就任することとなった。

そして週に一度大学で講師として働くことになり、3人とも忙しい日々を過ごしていた。

「今度トーコさんと週末二人で出かけたいんだけど良いかな?」

春と小鳥遊に今泉は突然聞いた。
ふたりとも顔を見合わせたが、了承した。

…冬は今度どうするのか、
まだ聞いていなかったのか。

小鳥遊は今泉と冬の関係を心配していた。
会話は普通にするが、今泉が戻って来てから、一度も一緒の寝室で寝ていない。

流石に独占欲が強いことを自覚している小鳥遊でも、心配になってきた。

「静さんに誘われたの。怖いの。」

冬は今までに無く緊張していた。

「怖くても、きちんと話さなければいけませんよ?」

何か自分にも出来ることは無いかと思っていたが、ガクさんは、動かないで見守っていた方が良いわと春に念を押された。

「あのふたりは僕よりも強く繋がっているのに、それが壊れてしまいそうになっているのを見て居られません。」

小鳥遊は大きなため息をついた。

「夫婦なんですもの、きっとふたりで何とかするでしょう。兎に角私たちは見守るしか無いわ。」

春も少し寂しそうに言った。

ふたりは1泊2日で、初めてふたりで止まった温泉旅館に来ていた。

「とっても懐かしいね。」

以前と全く変わらなかった。

「うんそうね。」

…あれから8年近く経つのか。

よく8年間も続いたものだと冬は今更ながら思っていた。

「あの時のトーコさんは、傷だらけで正直驚いたよ。」

今泉はあの日の事を思い出しているようだった。

辛い時にも、いつも傍に居たのは今泉だったし、緊迫した状態の時にでも、少々的外れなことを言ったり、茶化したりして、小鳥遊を呆れさせるのも今泉だった。

家族の緊張や誰かの暴走を上手に取り除いたり、調整している役割をしていることも、小鳥遊も冬も感謝していたし、尊敬もしていた。

「そんなこともあったわね。」

夕食をゆっくり食べながら、冬の気持ちはどんどんと沈んだ。

大きな深呼吸を一つすると、
冬は覚悟を決めたように話し出した。

「静さんがこの関係を解消したいのなら、それに従うわ。私は自分勝手に動いてしまったから。」

旬はとっくに過ぎたというのに、
あの時と同じ合鴨の鍋だった。

「僕は、ずっと考えてる。トーコさんが、あそこまで…自分を犠牲にする必要があったのかって。」

…そうだよね。

冬は当然だと思った。

「でも…トウコさんが葉山に帰っている時に、毎日沢山の人が家に来たんだよ。情報を共有しようと、やってきたんだ。」

今泉の柔らかなウェーブが掛かった髪には、いつしか小鳥遊と同じようにグレイの色味が少しづつ増えていた。

丁度、冬が出会った頃の小鳥遊に
近い年齢に今泉もなっていた。

「…。」

「他の方法は無かったのかと、長い間随分と考えてみたけど、あれ以外に全てを明らかにする方法は無かったように思う。」

いつの間にはふたりは箸を置き、
お互いの顔を見つめていた。

「殺してやりたいと思う程の憎しみをアイツに感じた。それに同時に自分の命を危険に晒したトウコさんにも、酷く怒りを感じた。」

今泉の眉間に皺が、
今も苦しんでいることを物語っていた。

「トウコさんは、僕と同じで愛する人を無くす気持ちを良く分かってる筈なのに…。」

今泉は妊娠中の恋人を自殺で、冬は事故でエリックを亡くしていた。

「僕は、君の生死の境を2度も見て来たんだよ?」

1度目は出産の時、そして今回の時だ。

「今回の事は、自己犠牲も良いところだよ全く‼︎」

今泉は、今までに見た事が無いぐらい怒っていた。眼を真っ赤にし、涙がとめどなく溢れていた。

「…判ったわ…静さん。」

冬は涙を堪えるのに必死だった。

そして長い沈黙が流れた。

「トーコさんは本当にそれで良いの?」

今泉は、冬を真っ直ぐに見つめた。

「良いわけ無いじゃない!!あなたを愛してる!」

冬の言葉は涙と混じり、一気にあふれ出た。

「でも…私の大切な家族のあなたやガクさんを貶める様なヤツだけは、絶対に許せなかったのよっ‼︎」

冬は、悔しさと悲しさで声をあげて泣いた。

「トウコさん…僕は、やっぱりそれでも君を心から愛してるし、離れることなんて出来ないんだよ。」

今泉は困ったような顔をしていた。

「だから、僕はこれから先もずっとトウコさんの傍に居たい。」

「本当に…ごめんなさい。あなたを傷つけてしまって…本当にごめんなさい。」

冬は両手で顔を覆って、長い間泣いていた。

「さぁ。ご飯を食べて露天風呂に一緒に行こう。」

今泉が静かに言うと、冬が顔をティッシュで拭きながら頷いた。

ふたりは、初めてお風呂に行く時の様に、しっかりと手を繋いでいた。

部屋に戻って来ると、布団が2枚くっついて敷いてあった。

「あの時みたいに手を繋いで寝よう。」

同じ部屋で同じ食事。冬はやっと気が付いた。

「ねぇ。食事も部屋も静さんが頼んだの?」

ふたりとも布団に潜り込み手を繋いだ。

「うん。合鴨は時期じゃないって断られたけど、無理を言ったんだ。」

「みんな同じにしてみようと思ったの。」

今泉は冬の手を引っ張り、抱き寄せた。

「あの時も、こんな感じだったなぁ。女の子と居て、あんなにドキドキしたのは、初めてだったよ。」

女の子って歳でも無かったけど…と冬は微笑んだ。

「ここからは、私も覚えてる。」

今泉の方を振り返った。

「トウコさんが僕にキスをしたんだ。」

冬は今泉の胸に顔を埋めて大きく息を吸った。甘い懐かし香りがいっぱいに広がった。

「そうだっけ?静さんが優しいキスをしてくれて、私がその後キスを返したのよ。」

「違うよ!トウコさんが僕にキスをしたんだよ…嫌だなぁ忘れちゃったの?」

…そうだったっけ?

「でも…それって朝起きてからの話じゃ無かったっけ?」

冬の腰に回した今泉の手は細く冷たかった。

「うん。そうだよ。僕のカッコよさに、トウコさんが見惚れてたの。」

冬は布団を首元までしっかり挙げた。

…ナルシストは健在だな。

冬は、くすくすと笑った。

「うん…それは覚えてる。あの時はこんな三角関係がいつまで続くのか判らなかったわ。」

「僕はずっと続くと思っていたよ。
トウコさんが嫌にならない限り。」

「…いつもずっと愛してる。」

「僕もだよ。」

今泉はしっかりと冬を胸に引き寄せた。あの時のフローラルの甘い香りに胸が熱くなった。暫く沈黙が続いた。

「トーコさん?まだ起きてる?」

「ええ…。」

「あの時は朝キスをしたけど、僕は朝まで我慢出来そうに無い…や。」

冬は今泉の硬いものが、背中に当たるのを感じて微笑んだ。

「あら…キスだけなの?」

冬はゆっくり今泉の方を向き直った。

「私は、キス以上のことが静さんと…今したい。」

硬く勃起したそれにそっと手で触れた。
今泉は冬の浴衣の細帯を布団の中で解いた。

「僕は君をとても愛してるだ...。もう離したくないし、あんな風に誰にも君を触れさせたくない。」

冬は頷いた。

「今も僕には判らないんだ…あの時に感じた気持ちが。まだ整理がつかないでいるけれど、でも君を愛してる…それだけは確かだよ?」

今泉は冬の唇を貪るように激しく求めた。

カサカサと衣擦れの音と冬の甘い喘ぎ声が静かな部屋に響いた。


🐈‍⬛♬*.:*¸¸


「よう。月性師長。」

冬はスタッフの代わりに緊急で処方された薬を薬剤部へ取りに来ていた。

「旦那さん達は元気かい?」

冬をちらりと見ながら、石動は薬棚の前で忙しく手を動かしていた。

ちょっと待って、これが終わったら君の所の薬を作るからと笑った。

「ええ。お陰様で。」

他の薬剤師と確認をしながら薬を袋に入れた。

「凄いね、君の家族がみんな昇進だ。」

石動は、他の薬剤師に声を掛けると薬局から出て調剤したばかりの薬袋を冬に渡した。

「今度うちの実家で、昇進祝いのパーティーがあるのよ。ミズキちゃんも連れて来てくれない?葉山だから少し遠いけど、1泊2日でうちに泊まれば良いわ。」

うん判ったよ必ず行くよと言いながらも栄一郎は、処方箋から目を離さなかった。

「栄一郎さんも本当に凄かったわ。数カ月前のことなのに、もう随分昔の気がするの。」

「そうだね。ふたりでだいぶ突っ走っちゃったからね。」

調剤し終えた、薬を病棟ごとにカートに乗せた。

「トーコには本当に感謝しているよ。それから僕は、大学病院の薬剤部に転勤になるんだ。もうすぐ発表されると思うけど。」

「えっ…。」

栄一郎の顔をじっと見た。

「もともと調査の為に雇われたようなものだからね。今度は大学病院の薬剤部部長だ。」

栄一郎はにっこりと笑った。

「凄いじゃない!!昇進ね。」

「うん。それから大学の薬剤部の臨時講師もすることに決まったんだ。」

「そうなの!おめでとう!!本当におめでとう。」

冬は栄一郎に、しっかりときついハグをして、自分のことの様に喜んだ。

「おいおい…。見られたらまた噂になるぞ。」

そう言いながらも、
栄一郎は暫く冬を離さなかった。


「君から抱き付いてくれることなんて無いからな。これはチャンスだ。」

…本当におめでとう。

「これでちゃんと諦められそうだよ。本当に俺こそ君にお礼をいわなくっちゃいけない。」

冬の髪に顔を埋めて栄一郎は大きな深呼吸をした。

「あー…石動さん。副院長が…。」

薬剤師が慌てて声を掛けた。

冬が振り向くと小鳥遊が、
ふたりを眺めていた。

冬は慌てて栄一郎から離れようとしたが、栄一郎は、しっかりと冬を抱きしめたままだった。

「最後だし、これぐらい副院長は許してくれるさ。」

栄一郎が、少し意地悪く笑った。

薬剤部のスタッフが戦々恐々を見守るなか、ふたりは静かに対峙していた。

「ええ…でも石動部長。僕には一発あなたに借りがあることをお忘れのようですね。」

小鳥遊は、静かに栄一郎に言った。

「あの一発は、トーコからの一発ですから、借りは無い筈ですよ?」

冬がやっとの思いで栄一郎から離れた。

ふたりはゆっくりと近づくと、硬いハグと握手を交わした。

「あなたには僕も、トーコさんもお世話になりっぱなしで、なんとお礼を申し上げて良いのか分かりません。」

小鳥遊は静かに笑った。

「ええ…あなたの奥様は、本当に人使いが荒くて大変でしたよ。でもとても楽しい半年間でした。」

栄一郎は冬の肩をバシバシと叩いた。

…なんかの恨みが籠ってるぐらい痛いんですが?

冬はじろりと見たが、栄一郎は知らぬふりで小鳥遊と話し続けた。

「身内だけのパーティーですので、お子さんも連れてぜひお越しください。」

小鳥遊は冬を見ながら静かに笑った。

「ええ。必ず伺います。」

「では…失礼します。初めての師長・医局長会議に遅れないで下さいね。」

小鳥遊は冬に声を掛けて去っていった。

「あんまり旦那を困らせる様なことをするなよ。するなよって言ってもやっちゃうのが、君だけどな。」

栄一郎は笑って、薬局へと戻った。

🐈‍⬛♬*.:*¸¸

冬は設楽を面談室に呼び出していた。

「どうぞ そこに座って。」

設楽は、気怠そうに椅子に腰かけた。

「あなたにお話があるの。」

冬が椅子に座り静かに言うと、設楽はすぐさまイライラした様子で言った。

「移動の話ですか?今度はどこでしょう?外科?耳鼻科?せめて外科系にして欲しいです。」

設楽は以前に比べ病棟スタッフの間でも、ぶっきらぼうなだけで、仕事はできる人だと認知されてきていた。ただし、冬との軋轢は未だに多かった。

冬は設楽の顔をじっと見ていた。

「いいえ違うの。」

冬に対して二言目には
喧嘩腰の口調になってしまう。

「じゃぁ何ですか?これから午後の検温なんで早くしてくれますか?」

「あなたにここの主任になって欲しいの。」

…えっ。

設楽は、状況がよく飲み込めない様子だった。

「私のことを嫌っているのは判るわ。でも仕事はきっちりしてるし、後輩の面倒見も良いことも知ってる。いつも表情に出さないからとっつきにくい人だと思われているけど。」

冬も歯に衣着せずはっきりと設楽に告げた。

「…なので、突然で悪いんだけど、3月末の主任試験を受けて欲しいの。数日考えてからの返事で良いので。話はそれだけです。どうぞ業務に戻って下さい。」

冬はゆっくりと席を立ち面談室を出ようとした。

「月性さんッ!!どうして私なんですか?どうしてあなたと仲の良い、友田さんや榎木さんじゃ無いんですか?」

設楽は慌てて冬の背中に声を掛けた。
友田も榎木も冬と同期で、ベテランだ。

どちらが主任になってもおかしくない年齢だし、冬との信頼関係も既に出来ている。

「私に、はっきりと文句を言える人じゃないと主任は勤まらないと思ったから。」

冬は振り向いて静かに笑みを浮かべた。

「それにね…前師長もあなたのことを推してたの。多分、あなたじゃないと、ここの主任は勤まらないの。」

設楽は、前師長が主任候補に自分を推していたと聞いて更に驚いた。

「あ…それと…この話をあなたが断ったとしても、あなたを他の部署に移動させる気は全く無いわ。」

再び冬が面接室を出ようとすると、
設楽はまた言った。

「あなたが嫌いです。本当に大嫌い。仕事が出来るし、人望も厚い。あんなことがあったのに、それでも平気で仕事を続けてる、神経の図太さも!」

…そっか、平気に見えるのね。

「でも…アイツをやっつけてくれて、ホントに清々したわ。」

冬はまさか設楽からそんな言葉が聞けるとは思ってもみなかった。

「そう…。」

冬は、なんと返して良いのか分からず面談室を出た。

🐈‍⬛♬*.:*¸¸

――― 3月末。

就・退任式が、新入の医師や看護師などの紹介も行われた。

2000人以上が集まる大きなパーティーだった。前師長や前院長も来ていた。

新職員の紹介は、院長、副院長、医師、薬剤師、看護師長、看護主任の順で行われた。

その中には、蓮と隆、小鳥遊、今泉の姿もあった。次々に新職員が紹介され、今泉の順番となると、中堅看護師達から黄色い声が上がり、会場から笑いが零れた。

…そっか、あの時新人で、今泉の事をキャーキャー言ってた子達も、今は中堅になってたのよね。

冬は看護師長として一番若く、
最後に紹介され壇上にあがった。

「よっ!月性看護師長!!」
「お帰り月性ちゃん!」
「待ってましたっ!」

変な掛け声があがり、そちらを見ると理学療法士や作業療法士達だった。

大きな笑いが起こったが、看護師達からもおかえりなさいと大きな拍手が起こった。

壇上に居た看護部長が眉を顰めた。

…あいつら…絶対許さない。

理学療法士達に。にらみをきかせながら、挨拶が無事に終わり、立食パーティーとなった。

冬はそれぞれの部署のテーブルに挨拶に回った。ほぼどこの部署にも冬の同期や一緒に働いたことがあるスタッフがおり、歓迎された。

「おいおいおい…月性ちゃん。なぁんで俺らのところに一番に挨拶に来ないの?」

「偉くなっちゃったからなぁ。」

理学療法士達のテーブルだった。

「ちょっと…変な掛け声を掛けないで下さいよ。お陰で看護部長に睨まれちゃったじゃないですか。」

「さてと、まずは石動部長とのことと、禿の話を聞かせてくれ。」

冬より少し歳上の理学療法士が冬の肩に腕を乗せて椅子に座らせた。

「話すことなんて無いですよ。」

兎に角ゴシップが大好物なスタッフ達は、
聞き耳を立てていた。
  
「またまたぁ~そりゃ無いぜトーコちゃん」

こうしてズバズバと聞いてくる友人達は、
腫れ物に触るように扱われるよりは、逆に良かった。

冬がそう思ったのもつかの間、

「なぁ。Rape-axeってさ、どこで手に入れたの?」

「あれマジで痛ぇのかな?」

…直球勝負過ぎるのもどうかと思うが…。

「ググれば良いでしょう?なんでわざわざ私に聞くんですか。私あの時記憶が無かったのよ。」

冬は小さな声で言った。

「ERで凄かったらしいな。禿大騒ぎ。」
「それも自分の病院に運ばれてきちゃうなんて俺マジ笑ったわ。」
「まぁ色々聞きたいことは山ほどあるから、4月の新人歓迎会に絶対参加してくれよ。」

…絶対行きたくない。

「設楽主任が行くと思うわ。大抵主任がどこの部署も代表で行くでしょう?」

理学療法士もちらほら冬が顔を知らない若い子達が居た。

「えーっつ。設楽さん怖ぇんだもん。嫌だよ、月性ちゃんが来てよ」

皆が大げさに嘆いた。

「嫌です…だって、悪ふざけしすぎるんだもん。設楽さんに行って貰う。もう決定。」

「じゃぁこれ副院長に見せちゃおっかなぁ。」

退職した時の、バイブレーターを持たされた動画だった。

「なんでそんなのまだ持ってるのよ!」

「俺たち物持ちが良いもんでさぁ。」

「そんなん見せたら、全部、病棟患者のリハを病室訪問リハでオーダー出して貰うからねっ!」

…駄目だ…。

上手いタイミングで元師長に声を掛けられた。

「月性さんおめでとう。」

「師長さん。お疲れさまでした。」

冬は深々と頭を下げた。退職後は、老人介護施設の所長として働くと聞いた。

退職先としては悪くない。

「他の師長達は癖があって大変だろうけれど、あなたならきっと出来るわ。困ったことがあったらいつでも相談しなさいね。」

冬はぽろぽろと涙を零した。

夫婦揃って師長に助けられてきたようなものだった。

「もう。みっともないから泣くの止めなさいよ。」

師長はそう言いつつも、自分も泣いていた。

師長にお世話になった看護師達が集まりそれぞれがお礼の言葉を述べて名残惜しんでいた。

「あなた、元院長先生ところにご挨拶に行ったの?」

感慨に耽っている冬に師長が言った。

「いえ…まだです。」

冬は緊張した。

「全くあなたって人は…さっさとご挨拶していらっしゃい。」

師長が困ったように言った。

「でも…人がいっぱいいて…お話しが…。」

元院長の周りには新旧医局長達が集まっていた。

「こういうことは、気持ちが大切なの!周りに医者が居ようが関係ないわ。出しゃばってきちんと挨拶してくるのっ。」

師長が眉を顰めた。

…そんなこと言ったって。

理学療法士達がまた怒られてるとニヤニヤして冬を見ていたので、睨み返した。

「ほーらっ!今すぐにですっ!」

冬は背中で皆の笑い声を聞きながら、慌てて元院長の所へと向かった。

元院長は、医師たちに囲まれてとても冬が声を掛けて話せる状況では無かった。

周りをウロウロしている冬を見かねた小鳥遊が、院長の元へと連れて行った。

「おお月性君。」

「今回の事は何と申し上げて良いのやら。」

「数年退職が早まっただけだよ。医師・看護師の留学の件も数年先には何とかしようと思っていたが、藤田先生が引き継いでくれるという事で安心したよ。」

冬は嬉しそうな顔をしたが、これからは頭の硬い看護部長とも話し合いが必要であると感じた。

「石動さんと君には、本当にお世話になったよ。僕の力…と言っても退職の身だから何も出来ないが、いつでも相談に乗るよ。君の様にガッツがある看護師が増えることを願ってる。」

元院長は、
冬と固く握手をすると大きく手を広げた。

「僕にはハグをしてくれないのかい?」

冬は笑いながらしっかりとハグをし、ありがとうございましたとお礼を告げた。

医者の間を通り抜け、今度は新院長の所へ小鳥遊と一緒に向かった。

「月性さん。」

藤田 蓮院長は、にこにこと笑っていた。

「院長就任おめで…と…」

「いいよいいよ。堅苦しい挨拶は面倒だから。春さんは元気?」

はい元気ですと言い、小鳥遊が今度内輪だけのパーティーがあるのでぜひ奥様や子供さんを連れておいでくださいと言った。

「勿論、春さんの美味しいご飯が食べられるのなら、行きたいよ。やっと君のところも、家族が皆一緒に暮らせることになったんだね。」

蓮は、看護師達に取り囲まれている今泉を眺めながら言った。

「子供さんも大きくなったでしょう?」

小鳥遊が子供の話を振ると蓮は嬉しそうに話し始めた。

「小さな子供って良いですね。見てるだけで元気貰えますから。」

蓮は嬉しそうに写真を見せた。

「隆も休みの日は抱っこして歩いて、僕と奪い合いですよ。」

「藤田外科医局長にもご挨拶に行ってきます。」

冬は二人が話している時にそっと離れた。
隆は他から少し離れて会場を眺めていた。

「藤田外科医局長。就任おめでとうございます。」

冬の顔を見ると、微笑んだ。

「やあ。月性さんもおめでとう。」

ありがとうございますと冬は頭を下げた。

「体調は如何ですか?」

「ええお陰様で大丈夫です。」

「復帰後すぐに色々あって大変だとお聞きしました。」

「月性さんも…大丈夫ですか?」

隆は冬をじっと見つめた。

「ええ…ふたりとも私の勝手な行動で、
今度こそ駄目かと思いました。」

冬は静かに言った。

「そうだったんですね…小鳥遊副院長も、あなたの事が心配なんですよ。」

そう言いながら、隆は小鳥遊の方をみると、ちょうどこちらをみており冬と眼が合った。

「少し遠いのですが、葉山の実家でパーティーをするので、先生にもぜひ来ていただきたいのですが…。」

隆は、蓮をちらりと見ていた。

「既に蓮先生にはお伝えしています。」

「ええ勿論です。ところで春さんはお元気ですか?」

冬は少し唇を尖らせてみた。

「もう…隆先生まで。さっきも藤田院長に同じように母のことを聞かれたんです。」

隆は笑った。

「あの人からは、不思議と元気を貰えるんです。ご飯も美味しいですし。」

もう母ばっかり目立ってしまってと、
冬が困った顔をするのを見て再び笑った。

「あなたと同じですよ。
一緒に居ると気分が軽くなるんです。」

他の外科の医者がやってきてたので、冬は慌ててではまたと、そっと隆から離れた。




🐈‍⬛🐈‍⬛🐈‍⬛՞•・•՞🐾

――― お花見

家族5人で、家の近くの公園で少し早いお花見をしていた。冬が作ったお弁当を食べながら、ゆったりと過ごしていた。

「もうだいぶ前になりますね。あなたと場所取りをしたお花見。」

小鳥遊は梅干しのおにぎりを美味しそうに頬張りながら、言った。

「ああ…ありましたね。そんなことも…。」

冬は子供達と追いかけっこをしながら遊ぶ今泉を眼で追っていた。まだ少し冷たい風の中でふたりは隣同士で座っていた。

「あの時には、こんな風に家族で過ごせるなんて思ってもみませんでした。」

冬は笑った。

「一度別れてた時でしたもんね。」

二人ともあれからもう、
随分と経った気がしていた。

「何の話をしているの?」

遊び疲れた今泉と子供達が戻って来た。

「まだ付き合ってた頃の話。」

冬が夏の手を拭きながら笑った。

「色々あったからねぇ。まぁ全体的に見れば、僕は楽しかったけど。」

今泉は華に唐揚げを渡しながら言った。

「そりゃ…あなたは良いですよ。春さんと僕たちを観察して楽しんでいるんですから。巻き込まれる身にもなって下さいよ。」

小鳥遊が呆れた。

「巻き込まれるって…何よ。まるで私が全部悪いみたいじゃない?」

冬が慌てた。

「だってそうでしょう?」「そうだもん。」

今泉と小鳥遊が同時に答えた。

「信じられない。ふたりともそんな風に思ってたなんて。」

少し怒った冬に、夏が手づかみでどうぞと言って、にこにこしながら卵焼きを差し出した。

「トーコさんの自覚の無い無鉄砲さも…僕は好きですけどね。」

今泉がおかしそうに笑った。

「Thanks,Honey.静さんって時々酷いコト言うわよね…but,still love you .」

冬は笑いながら、お手拭きを今泉に投げた。

「こうして家族皆で、いつまでも笑って暮らせると良いですね。」

冬がしみじみすると、今泉も小鳥遊も声を出して笑った。

「ちょっと何で笑うのよ?」

冬は、ふたりの顔を交互に見て眉を顰めた。

「あなたが問題を起こさなきゃ、いつまでも笑って暮らせますよ?」

小鳥遊が真面目な顔で言うと、今泉が再び笑った。

「あっ!そうだ…皆さんにお知らせがあります!」

今泉と小鳥遊はギョッとして見つめあった。

「今年の夏は、ひとりでアメリカに行って来ようと思います。」

冬がニコニコしながら言った。

「えっ?」

ふたりは、驚いたまま暫くの間、絶句していた。

「トーコさん。いい加減にして下さいよ。今さっき問題を起こさないで欲しいと僕は言ったばかりじゃないですか?」

小鳥遊の顔が険しくなった。

「トウコさん役職付になったばかりなのに、今度はアメリカで何をするって言うの?折角皆で暮らせるようになったのに。」

今泉も今回ばかりは嫌な顔をした。

「あなたはそうやって勝手な事ばかりして…。」

「僕は嫌だよ…。」

二人は口々に文句を言い、真剣な顔つきで話す大人達を心配そうに子供達は眺めていたが、それでも冬は優しい微笑みを湛えて黙ってそれを聞いていた。

「トーコさん笑っている場合じゃありませんよ?今度という今度は、僕は絶対反対です!」

小鳥遊がきっぱりと冬に告げた。

「実はね…もうチケットも用意しちゃったの♪Ta-da!」

冬がバッグからチケットを取り出した。
ふたりとも大きなため息をついた。

「だって…ふたりとも赤ちゃんが、欲しいって言ってたじゃ無い?!」

小鳥遊と今泉はきょとんとしていた。

「調整はこちらでして、あちらで2週間滞在している間に、して来ようと思っているの。」

‼︎‼︎

ふたりの顔がみるみる緩んだ。

「でも…結果は私の年齢からすると、判らないわよ?」

冬は二人を交互に見ながら静かに言った。確率的には、かなり低い気がした。

「僕もそれに合わせて休みを取るよ♪」
「僕も調整します。」

ふたりとも興奮気味に言った。

「別にあなた達は来なくても、前回保存してるから大丈夫なの。たまには一人旅ぐらいさせて頂戴。」

「…えっ。」

小鳥遊が寂しそうな顔をした。

…ああ…面倒臭い。

「僕かガクさんがついていくよ。だってまたアメリカに残りたいとか言い出しそうだから。」

今泉が真面目な顔で言った。

「もうそんなことしないわよ。でも…CRNA麻酔看護師とか面白そうよね。それも良いかも…。」

「駄目です!」「いけません!」

ふたりとも慌てて同時に叫んだ。

「なぁんて冗談よ。」

ふたりとも冬の顔をじっと見つめたまま暫く沈黙が続いた。

「やっぱり僕か、静さんが一緒に同行します。しっかり捕まえておかないと、またどこかに行っちゃいそうですから。」

小鳥遊は真剣な顔つきで、今泉に向かって言うと,今泉も静かに頷いた。

「そんなに信用無いかなぁ。」

冬も苦笑するしかなかった。一人で動いた方が、楽だし色々心配されたり、駄目だった時の残念感も増してしまう様な気がしたからだ。

「ええ。」「ありませんね。」

ふたりは躊躇無く答えた。

その隙を見て、今泉が冬が手に持っていたチケットをさっと取り上げた。

「あっ…ちょっと。」

中を確認して、ポケットにさっさとしまった。

「これは預かっておきます。僕がホテルやレンタカー、病院の手配をするので、トウコさんは何もしなくて良いですから。」

今泉が意地悪く笑った。

「それからパスポートは、随分前からですが、僕が保管していますから。」

今泉は、冬の顔を見て微笑むと小鳥遊が頷いた。

…ふたりともグルだったのか。

「どーりで探しても無いわけだ。」

冬が残念そうにいうと、小鳥遊が呆れて言った。

「ほらね?油断も隙もありゃしませんよ。」

「兎に角、トーコさんは体調管理だけ注意して下さい。後は僕たちで手配しますから。」

今泉がきっぱりと言った。

「判ったわよ…。」

冬は大きな溜息を二人の前でついて見せた。そして、食べるのに飽きて公園へと走り出した夏を慌てて捕まえに走った。

「ああ…怒っちゃった。でも、まだまだ気が抜けませんね。」

今泉はそれを見て笑った。

「ええ。いつも突拍子も無いコトしますからね。あの人は…。」

今泉と小鳥遊は肩を並べて静かに逃げる夏を追いかける冬の背中を見つめていた。

「やはり僕たちは三人で丁度良かったのかも知れません。」

冷たい風が吹くと、桜の花びらが気まぐれに、ひらひらと枝から落ちてきた。

今泉も小鳥遊もそれを静かに眺めていた。

「ええ。あの人の面倒は一人じゃ到底無理でしょうから。」

二人で声を出して笑うと、
華が真似して嬉しそうに笑った。

「ママは、君らよりも手が掛かるよ。」

今泉が華の頭を優しく撫でた。
華は髪が伸びて、前髪をピンで止めていた。

良く動く大きな目が、今泉と小鳥遊の顔を交互に見つめた。この奇妙な三角関係では、お互いの力が拮抗しバランスが上手く保たれていると誰もが感じていたし、3人ならば、これから先も何があっても今迄の様に乗り越えられるような気がした。

「…そうですよ。大きくなったら、僕たちの苦労が、あなたにもきっと判りますから。あなたは、あの人みたいにお転婆になって、お父さん達を困らせたりしないで下さいね。」

小鳥遊が、目を細めて華を見つめた。
うんうんと頷きながら小鳥遊の膝に座る華を見て、二人はまた笑った。


(小鳥遊医局長の結婚生活 おわり)
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