Blue Rose 2度目の恋 最後の愛

月胜 冬

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新しい人生

優しい世界

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――― 退院。

「忙しいのにありがとう。」

理紗は、隆とともに家へと戻ってきた。検査データーも正常値に戻ったが、レッスンやアルバイトも、CD収録なども休養の為、休む事にした。

「あなたは、暫くゆっくりすると良いよ。僕も出来るだけ早く帰る様にするから。」

コンスタンティー二は、理紗が入院して数日後に、ひっそりとアメリカへと帰って行った。隆は通訳を介して離婚の話を強硬に進めて貰う事にした。

…どんなことがあっても、僕が理紗を守る。

「ちょっとお風呂に入ってくるわね。」

隆は理紗がバスタオルとローブを持ってバスルームへ行く背中を眺めていた。

「僕も付き添うよ。」

隆が理紗に声を掛けた。裸になった理紗は随分と痩せていた。シャワーを背中に浴びようと少し前に頭を傾けると首の骨が浮かんで見えた。

「随分とあなたは、痩せてしまったね。」

真っ白で細い首筋を隆は大きな手のひらで撫でた。

「病院じゃつまみ食いも出来ないでしょう?だからダイエットに丁度良かったわ♪…どうせまたすぐに太っちゃうもの。」

理紗は微笑んで、隆の大きな胸にシャワーを当てた。隆は、理紗の鎖骨のくぼみに溜った湯を眺めていた。顔をあげた理紗と隆は目が合った。

「あなたが生きていてくれて本当に良かった。」

隆が優しく理紗の肩に触れた。

「隆さんったら、大げさね。」

理紗はくすくすと笑った。隆は突然、理紗をしっかりと抱きしめた。

「理紗…愛してる…。僕はこれからもあなたを守るよ。一生あなたの傍に僕は居るよ。」

隆は声を押し殺して泣いていた。

「隆さん?どうしちゃったの?大丈夫?」

理紗は、シャワーの下で隆の背中を優しく撫で続けた。

――― 1月。

隆は、理紗の弁護士から、イヴァンが離婚に応じたと聞いた。慰謝料などは、何も要らないと言ったものの、多額の小切手が書類と一緒に送られていた。

…理紗は、イヴァンと結婚していた事だって覚えていない。

「あなたへ手紙…珍しいわね。どなたから?」

国際郵便の書類を読んでいる隆にピアノのレッスンを終えた、理紗が生徒と一緒に部屋から出て来た。

「理紗先生さようなら。」

大きなレッスンバッグを持った子供が挨拶をして玄関へと歩いて行くと、理紗もそれについて行った。
隆は、ビリビリとその書類を小切手と共に破いて、燃え盛る暖炉にくべた。ちりちりと小さく縮み青い火を放ちながら、あっという間に真っ黒に燃え尽きた。

「理紗?今日はふたりで外で食事をしないか?」

玄関から戻って来た理紗に隆が声を掛けた。

「どうしたの?突然。」

隆は微笑みながら、理紗をその場で抱き上げると、くるくると回った。

「ちょ…ちょっと…隆さんっ。危ないわよっ!」

理紗は隆にしがみ付いた。

「とっても嬉しいことがあったんだ。今年は良い年になりそうだよ。」

理紗をそっと下すと、優しくキスをした。

「でも…その前に…あなたを抱きたい。」

再びひょいと理紗を抱えた。

「きゃっ…ちょっと…待て…。」

「ははは…待てない。」

慌てる理紗に隆は満面の笑みを浮かべなら言った。

「今…あなたをとっても…愛したい気分なんだ。」

理紗の顔が真っ赤になった。隆がこんなにはっきりと言ったことが今まで無かったからだ。

「隆さん…今日のあなたは、少しおかしいわよ。」

理紗は隆の首に腕を絡めながら笑った。

「僕は、暇さえあれば、あなたを愛したいよ?知らなかったの?」

「だって…。」

何となくそんな雰囲気になって愛を交わすことはあったものの、隆がこんなにも欲情していることに驚いていた。

「酷いなぁ。僕は、あなたのことをこんなに愛しているのに…ちょっと傷ついた。」

隆はわざと悲しそうな表情を作った。理紗はくすりと笑った。

「わたしだって…あなたを愛してるわ。とても…。」

隆は理紗をそっとベッドの上におろした。

「もっと…言って?…僕を…愛してるって…言って?」

隆は、ブラウスのボタンを外し、理紗のスカートを脱がせた。

熱を持った隆の顔に優しく触れながら、理紗は微笑んだ。

「隆さん…愛してるわ…誰よりも…愛してる。」

理紗の冷たい指は火照った隆の顔にひやりとして気持ちが良かった。

「もっと…聞きたい…。」

理紗のふっくらとした唇に触れながら、囁いた。

「今日の隆さんは、少し甘えん坊ね…。」

隆は理紗の髪に顔を埋めて深呼吸をした。

…甘く優しい理紗の香り。

「うん…そうかも知れない。それに…あなたをとっても虐めたい気分。」

むくむくと情動が膨れ始めた。

理紗はブラウスを脱いで、黒い上下の下着姿になった。

「僕は…毎日でもあなたとしたいよ。」

理紗の耳元で囁くと、濃厚な口づけを何度も交わした。

「あなたの全てを愛してる…唇が好き…眼も…そして心も…。」

隆は胸の谷間に唇を這わせた。

「あぁ…。」

温かい唇は、ブラの縁を辿っていく。

「あなたの喘ぎ声が聞ける。」

そして正中からゆっくりと下へと降り始めた。

「あ…恥ずかしい。」

ゆるゆると脇の下から、唇の後を追うようにして、隆の大きな手があばらのアーチを越えて腰へと滑り出した。

「これから先もあなたとずっと一緒に居たい。」

ショーツのウエスト部分を辿り始めた唇は、腸骨の上を何度も行き来した。その度に、ぞくぞくとした快感が下腹部へと伝わり、潤いが増していった。

「くすぐったいわ…。」

同時に隆の指が、ショーツの上から花弁の間を這い始めた。

「あっ…。」

何度も擦られて、ショーツに、じわじわと染みが広がった。隆の指先に蕾が少し膨れて来るのが判った。

「ここが…こんなになってる。」

隆自身もむくむくと立ち上がり、欲望の存在を示した。

「あっ…嫌…。」

――― くちゅ…くちゅ。

濡れてショーツの上からでも双丘の形がくっきりと判った。

――― ぐっ…。

隆の指は、濡れた布を挟んで蜜壺へとじらすように入り込んだ。

「はぁん…。」

ブラを外し、乳輪と先端を人差し指でふるふると弄んだ。

「あぁ…。」

休みなく蠢く双丘の間の指の動きが大胆になっていく。

「隆さん…愛してる…。」

ひくひくと理紗の身体が不随意に小さく跳ねた。

「ショーツがあなたの液でぐっしょりと濡れてしまったよ。」

「言わないで…恥ずかしい。」

「気持ちが良いかい?」

理紗は静かに頷いた。

「ほら…先端も…こんなに尖ってる。」

隆はきゅっと胸の先端をつまみ上げた。

「あぁん。」

甘く鋭い刺激が下腹部へと伝播していく。

「どうして欲しい?」

理紗の腰は、隆の指の動きに合わせて動き始めていた。

「いや…恥ずかしい…。」

「言わないとこのままだよ?」

隆は意地悪く微笑んだ。

「じらしちゃ…嫌。」

ひくひくと襞が隆を求め疼き始めていた。

「どうして欲しい?言って。」

理紗の身体は熱を帯びてピンク色に変化した。

「わたしを…もっと触って…わたしに触れて。」

上擦った声で理紗が囁いた。

「触れるだけで良いの?」

指で先端を摘ままれ、反対は舌で甚振られ、同時に双丘の指は蕾と蜜壺の間をリズミカルに動いていた。

「そんな…同時に…されたら…。」

「言わなきゃ…。」

理紗は、3点を同時に責められ、焦らされて、身体は快感をもっと欲しがり始めていた。

「ああん…。直接…ふ…触れて…欲しいの。」

隆は、理紗をうつ伏せにすると、腰をぐいっと引き上げた。理紗に覆いかぶさる様に片手で胸を揉みし抱きながら、背中に唇を這わせた。

「いやぁぁ…駄目…。」

理紗の胸の先端が益々硬くなり、舌の先の皮膚がざらざらとし始めた。もう片方の手を理紗の下着の中へと滑り込ませ、徐に中指を潤い過ぎている蜜壺の中へとずぶりと挿した。

「あぁ…駄目…背中駄目ぇ…。」

―――ぬちゃ…ぬっちゃ…。

指が動くたびにいやらしい音を立てた。

「あなたのここは…もうこんなになってるよ…。」

指は理紗の中でざらざらとした部分を執拗に擦りあげた。蕩けそうな意識の中で、隆の瞳をじっと見つめていた。

「あぁ…感じる…。」

「自分で動いてみて。」

隆は後ろから理紗に囁いた。

「あぁん。意地悪しない…で…ちゃんと…愛して。」

理紗の腰はくねくねと動き始めた。

「あぁ…理紗…いやらしくて…素敵だよ。」

快感を求めて蠢く腰を隆は欲望に満ちた男の眼で見つめていた。

「ほら…もっと動かしてごらん?ちゃんと出来たら、あなたを蕩けさせてあげるよ。」

――― くちゅくちゅくちゅ。

「あぁん…ううぅ…隆さんが…欲しい…。」

理紗の腰が益々激しく動き始めた。動かすたびに、出番を待つ隆の熱く硬い男根が、お尻に当たった。

「理紗…もっと…声を聞かせて…。」

指がぐいぐいと締め付けられた。

「お願い…いき…そう…。はあ…もう…動けない…。」

――― ぐちゅっ。

隆は指を2本に増やし、せわしなく動かし始めた。

「あっ…それ…駄目…いっ…ちゃう。」

ひくひくと蠢く膣壁を感じながら、隆は、快感と戯れている理紗のいやらしい姿を眺めた。理紗が隆の唇を求めて、顔を引き寄せた。隆は優しく微笑み、それに答えた。絡みつく舌、荒い息、理紗の髪の香り、そしてその時が来ると小さく啼いた。

――― ひくっ…ひくっ。

理紗の腰が大きく動き身体から力が一気に抜けるのが判った。隆は、愛液でたっぷりと濡れた理紗の中に男根を沈めた。

「あんっ…。」

挿入の刺激が、再び快感の糸を手繰り寄せた。

「はぁ…理紗…。」

拍動するその中は、とても熱かった。大きく動き始めた隆の腰に、理紗の足が絡みつき、ぐっと力が入ると、理紗の中へと深く入った。

「うっ…。」

突然の甘い刺激に隆の声をあげた。動くたびに隆が小さく喘いだ。

「あぁ…気持が良いよ…締め付けられて…吸い付いてくるよ。」

動きは一定の速度を保ち、理紗の高まりを待っているようだった。理紗の腰が再び無意識に動き始めると、少しづつ早まる速度、浅く深くをランダムに繰り返していた。

「あぁ…いぃ…ふぅ…。」

深く挿しぐりぐりと押し付けながら中を大きくかき混ぜた。

――― ぷちゅっ…ぷちゅっ。

甘い絡まり合う芳しい音が、ふたりを欲望の頂点へと押し上げていく。

「理紗…愛してる…。」

理紗の腰を両腕で持ち上げるようにして抱えた。

「あぁ…駄目…また…感じるぅ…。」

深く浅くを繰り返しながら、ふたりが嬌声をあげた。

「うぅ…。」「い…く…。」

隆は理紗を強く抱きしめたまま、暫く動かなかった。
ドクドクとした感触が接続部からふたりへと伝わる。

「理紗…結婚しよう…僕の子供を…産んでほしい。」

それは、2度目のプロポーズ。

「はい…。」

幸せを噛み締めながら,隆に微笑んだ。


「妊娠?」

理紗と隆は夕食を食べていた。

「ええ。もうすぐ4カ月ですって♪今日病院へ行ってきたの。」

理紗はとても嬉しそうだった。

「本当かい!」

隆も思わず声をあげた。

「こんなに早く出来ると思って無かったから嬉しくて。」

…4カ月。

イヴァンのあの事件のことがふと頭に過った。

…もしかしたらあの時の子供の可能性もあるのか。

「夏には家族が増えるのよ…まだ信じられないわ。」

理紗はおかわりのご飯を隆の前に置いてお腹を撫でた。

…たったの一度…可能性は低い。

理紗とは入院中を除き、2-3日に一度は愛し合っていた。

「隆さん?」

何かを考えて居る隆を見て理紗が声を掛けた。

「あ…ごめん。今日はちょっと疲れてしまって。」

慌てて理紗に微笑んだ。

「あら…それはいけないわね。早く寝ないと。」

そう言いながら、隆の額に手で触れて熱が無いかを確かめていた。

「そうだ。早く理紗のご両親に挨拶に行かなくっちゃ。」

「うちは…良いわ。勘当されたの。」

理紗は暗い顔をした。

「どうして?何が原因だったの。」

勘当されるなんてよっぽどのことだ。

「5年程前になるんだけど…何故か理由が…思い出せなくって…なんだったかしら。」

理紗は一生懸命に考えて居たが思い出せないようだった。

…もしやイヴァンに関係することで勘当されたのか?

隆はふと、学生時代から理紗と仲が良かったピアニストの伏見の事を思い出していた。

…伏見さんに聞けば判るかも知れない。

「ああ…大切なことなのに忘れちゃうなんて…。」

理紗は少しイライラとした口調で言った。

「無理しなくて良いよ。」

「隆さんのご両親にも挨拶にいかないといけないわね。そちらの方が大変そうだわ。緊張しそう。」

理紗は心配そうに言った。

「うちは大丈夫だよ。あなたが素敵だからきっと驚くと思うよ。」


🐈‍⬛

CDデビュー準備は着々と進められていた。

「赤ちゃんのこともありますし、体調に合わせましょう。」

マネージャーの白河と真啓が家に再びやって来た。

曲の選択や、事務所の希望などをじっくりと話し合った。

真啓とコラボレーションで、2台のピアノで、ショスタコーヴィチの組曲、
シューマンのアンダンテと変奏曲、
ブラームスのハイドンの主題による変奏曲などの複数曲の中から1曲選ぶことになった。

「僕も君と一緒に弾けて嬉しいよ。」

真啓まひろは少年のような笑顔を浮かべた。隆は、記憶喪失や失声症について事前に知らせていた。真啓は、それでも真実を本人に伝えた方が良いのではと言ったが、隆にはどうしてもそれが出来なかった。

「ええ。学生時代を思い出すわね。」

理紗はとてもリラックスして真啓と楽しそうに話をしていた。真啓の伝手で大きなホールを借りることが出来たとマネージャーが言った。

「何から何まで本当にお世話になります。」

理紗は真啓に深々と頭を下げた。

「嫌だな…理紗…そんなことしないでよ。」

理紗は、紅茶のお代りを煎れに立ち上がった。それを眼で追いながら真啓は小さな声で隆に言った。

「隆さん…あなたが居れば理紗はもう大丈夫ですね。本当に良かった。」

「イヴァンに関連することを全て忘れてしまって…真啓さんは理紗のご両親のことを何か聞いてますか?」

ケーキをお出しするのを忘れてたわと言って、理紗はキッチンでケーキを切り始めた。

「理紗のご両親はとても厳格な方で…イヴァンとの結婚を大反対されていたんです。歳が20歳近く離れてますし、女性のことなど噂で聞いていたようで…。」

「そうだったんですね。」

真啓は理紗には内緒で、理紗の実家の住所を教えて貰った。

「子供が生まれて落ち着いたら式をあげようと思っています。その時にはぜひお二人とも来てください。」

真啓もマネージャーも勿論ですと言って笑った。



🐈‍⬛

――― 週末。

隆と理紗は、早速隆の実家へと挨拶に向かった。結婚と孫が出来た事の報告だった。

両親とも大変喜び歓迎された。隆の母は小学校の教師、父親は中学の教師をしていて、今は定年退職していた。

「もうね…彼女も連れて来ないし、一生独身だと思ってたんだけどねぇ。本当に隆なんかでええんかい?」

「こんなべっぴんさんで、ピアニストかい…いやぁ驚いた。」

記憶喪失や失声症だったことを話しているが、細かいことは両親に言ったとしても心配するだけなので、隆は敢えて黙っていた。親戚中が集まりお祭り騒ぎだった。

両親が殊の外喜んで、皆に声を掛けたので、大人数となってしまったと隆は理紗に話した。緊張気味の理紗に隆はずっと寄り添っていて、皆に冷やかされた。

「悪いね…うちの家族はどうも品が無くて…。」

隆は恥ずかしそうに理紗に笑った。

「いいえ…ご両親とも、気さくで優しそうな方でほっとしたわ。親戚の方達も楽しい方ばかりで…。」

皆がわいわいと食べたり飲んだりしながら大きな声で話しているのを眺めながら理紗は言った。

「楽しい…と言うより、煩い…だね。」

皆に御酌をされて、隆は少し酔っていたが、とても嬉しそうで理紗はそれを見ているだけで、とても幸せな気分になった。皆に見えないテーブルの下で繋いだ理紗の左手には婚約指輪がはめられていた。



🐈‍⬛

「ただいま。」

理紗のお腹は順調に大きくなり、隆は理紗を気遣って仕事から毎日早く帰ってきていた。

ベビー用品をそろえ始めた理紗に隆は優しく微笑んだ。

「はい頼まれていたもの。」

スーパーから買ってきたグレープフルーツを理紗に渡した。

「今日は何をしていたんだい?」

重いものは必ず隆が買ってきてくれた。

「洋服を買いに行っていたの。今ご飯にするわね。」

「良いよ。僕がするよ。」

理紗をテーブルに座らせると、隆はふたりぶんの食事の準備をした。妊娠してからますます美しくなった理紗を眺めた。

「あら…なぁに?」

隆にじっと見つめられていることに気が付いた理紗は笑った。

「あなたは、ますます綺麗になったよ。」

後ろから抱きしめ、理紗の髪の香りを嗅いだ。

「そんなこと言われると恥ずかしいわね。」

隆はどんなことがあっても理紗に悲しい思いをさせたく無いと思っていたし、少なくとも子供が無事に生まれるまでは何としても秘密にしておきたかった。

…この子が誰の子供であろうと、ふたりの子供に違いない。

微笑みながら、膨らんだお腹を優しく撫でている、すっかり母親の顔になった理紗を隆は愛おしそうに眺めていた。

「いつか、あなたのご両親に挨拶に行こう。」

隆に言われて理紗は少し戸惑った表情を見せた。

勘当同然で家を飛び出してからの記憶が曖昧だったと言われてから、詳しい事は余り聞かなかった。

「そうね…。」

理紗の気の無い返事をすると、夕食の準備を始めた。


🐈‍⬛

事務所のマネージャーの白河と理紗は、コンサートホールの下見へと来ていた。

「こんな素敵なホールで弾けるんですか?」

真啓は、仕事の都合で来れなかったが、中規模とはいえ、音響も整って居るようだった。

「伏見さんとの録音は、まだ少し先になりそうですが、日本でのデビュー作になりますので、時間を掛けて作り上げたいと思っています。」

白河は大人しいが良く気が付く男だった。体調が良い時を見て収録は週1回程度だった。

この仕事を受けた時には、理紗は不安で一杯だったが、自分のペースでできている。

「リハーサルの時にはスチール撮影を入れる予定です。ドレスなどもスタイリストと相談して決めようと思っています。」

広いステージを見回している理紗に言った。

「伏見さんとの写真も撮影する予定です。」

「あら♪そうなんですか。」

真啓と一緒の撮影があると言われるだけでわくわくしていた。

…青く淡い恋の想い出。

ふとそんな時に男性ものトワレの香りが漂ってきたような気がした。

前を通り過ぎる白河のものかと思いきや違った。懐かしくとても胸を締め付けられるような感覚に襲われた。

「理紗さん?」

白河に声を掛けられてハッとした。

「大丈夫ですか?」

「えっ…ええ。あの…こんな素敵なホールで出来るとは思って居なかったので…。」

理紗は慌てて誤魔化した。

…幻嗅?

それはとても不思議な感覚だった。


🐈‍⬛

「時間が取れそうなんだ。一緒に食事をしないかい?」

理紗は真啓から連絡が来て、行きつけのレストランで待ち合わせをしていた。

「白河さんに学生時代の写真を持って来るようにと言われてね。君と相談してくって。」

真啓は理紗の表情を伺いながら優しい笑みを浮かべた。

「ごめんなさいね…忙しいのに。」

席につきメニューを渡された。

「良いんだよ。僕も久しぶりに君と昔の話をしたくなってね。僕と君の対談を入れたりするって言うから。」

「…若い頃の悪戯を露見させないように口裏合わせってことね?あの頃の真啓はモテていたものね。」

理紗は屈託のない笑顔を見せた。その笑顔をみていると、伏見はホッとした。

「そんなことは無いよ…。」

真啓は相変わらずの優しい笑顔を見せた。

「でも…大丈夫かしら?私、学生時代のことってうろ覚えなのよ。」

理紗の顔からふっと笑顔が消えた。隆からイヴァンに関連する記憶を全く思い出す様子が無いと聞かされていた。

…コンスタンティー二教授と付きっ切りだったからか。

「虚血性の発作で記憶がなくなることなんてあるのかしらね?お医者様のあなたに聞きたいと思ってたのよ。確かに貧血と低血圧は酷かったけれど…ここ最近は倒れることも無かったのに。」

真啓は、言葉に気を付け乍ら理紗に言った。

「ははは…僕は専門じゃ無いからね…判らないよ。」

今はピアニストとして活動しているが、外科医の真啓は、同じく外科医の父親が経営する病院で臨時職員として時々手伝っていると聞いていた。

「あら…そうなの?」

理紗は少しがっかりした。


「今は専門分野が細分化されてるからね。」

運ばれてきたサラダを伏見は食べながら笑った。いつみても大きな手にフォークは似合わなかった。理紗はそれを見て笑った。

「何?」

「あなたの手…。」

「もうそろそろやめてよ…お箸でもフォークでも僕が持つと笑って。初めて君と会った時に笑ってばかりでちょっと嫌な子だなと思ったよ。」

真啓は笑いながら言った。

学生時代、日本人生徒が居るとピアノ科教授にレストランで紹介された時も理紗は何故か笑ってしまい、まともに会話が出来なかった。

「…懐かしいわね。」

ふたりとも学生時代のことを思い出していた。
理紗は地味で大人しいので目立た無かったが、ピアノ科の教授と、教会で弾くボランティアの生徒の中の1人だった。

「あなたの手はヨウキンにぴったりよね。そんなに大きな手なのに、フォークやナイフを器用に使うのが姿を見て居たら、何だか可笑しくって…あの時は、本当にごめんなさいね。」

理紗が日本語で真啓に声を掛けて来て微笑んだ。いつも厚底黒縁眼鏡の印象の理紗と学院の交流が少なかったのは、お互いがライバル視することで無理をさせてしまうのでは…という教授の計らいもあった様だ。

ふたりとも、学院始まって以来の将来を期待されていたピアニストだった。

「ヨウキン?」

「洋琴。祖母がねピアノのことをそう呼ぶの。それで、わたしにいつも“お前の手は大きいから洋琴を弾くのにぴったりね”って会うたびに言ってたんだけど、私よりも大きな手の人を見た事が無かったから。」

理紗は自分の大きな手を見せて笑った。女性にしてはとても大きく、力強く情熱的にピアノを弾く手だった。それ以来、真啓と理紗は仲良きライバルとして切磋琢磨していた。


「そんな下らないことはよく覚えているのに…可笑しいわよね私。」

その笑顔は、学生当時のままの理紗で、やつれて、影を纏っていた以前とは全く違っていた。

「焦らずにゆっくり思い出せば良いよ。」

「ええ…主治医の先生も同じことを仰るんだけど、何か大切なものを忘れてしまっているような気がして…ぽっかりと開いた空白が怖い時があるの。」

特に学院2年目後半の出来事が全く思い出せなかった。その時期は、既にイヴァンと半同棲生活をしていたので、指揮科で教えるイヴァンと、ピアノ科の理紗は、音楽学院では別々の校舎で過ごしていた。なので、学院での生活は覚えて居ても、プライベートの生活が思い出せないんだと真啓は思った。

…その怖さは、コンスタンティー二教授との結婚生活が、影響しているのだろうか?

少し不安げな理紗を見つめていた。

「今…君は幸せかい?」

優しい微笑みを湛え乍ら理紗に聞いた。

「ええ…とっても。」

理紗は、恥ずかしそうに、しかしはっきりと答えた。

「そう…それは良かった。」

静かにクラッシックが流れるレストランで、ふたりの柔らかで懐かしい思い出の時間は淀むことなく流れた。

「あのう…ピアニストの伏見真啓さん…ですよね?」

トイレに立った一人の女性が、通りすがりに真啓に聞いた。

「あの…もし良かったら…サイン…頂けませんか?」

ウェイターが慌てて女性に近づいた。

「お客様…そのようなことは…。」

「いえ…良いですよ。」

真啓は嫌な顔をせずに優しく微笑んで、女性の小さな手帳にサインを書いた。女性は嬉しそうに去って行った。

「伏見様。大変申しわけありません。」

真啓はよくこのレストランを使っているらしい。ウェイターは深々と真啓と理紗に頭を下げた。

「いいえ…大丈夫ですから。」

真啓はにこにこと笑顔を崩さなかった。

「世界の伏見真啓はやっぱり違うわね。」

去って行くウェイターの後姿を見ながら理紗は笑った。

「理紗やめてよ…サインを強請られることなんて殆ど無いよ。たまたまだよ。」

いつも紳士的で怒ったり、不機嫌な顔など一度も見た事が無い真啓は、居心地が良い雰囲気を作ることがとても上手で、有名無名に関わらず皆に同じように丁寧に接するので一緒に仕事をするオーケストラの楽団員などからも評判が良かった。

「今日は想い出話が君と出来て本当に楽しかったよ。」

「ええ。わたしも。」

食事が済み、真啓は身重な理紗をいたわる様に傍を歩いた。

駅で別れようとした理紗を心配だからとタクシーに乗り家まできちんと送り届け、お茶を勧める隆にもう遅いですからと言って真啓は去った。





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