一陣茜の短編集【ムーンバレット】

一陣茜

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230 泣きつかれて眠るまで

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    日付は10月6日。場所はアメリカ上空、飛行機の中である。クルーズ・ツアーが始まる前、淵神ふちがみ利栄子りえこ牧野まきの明菜あきなと並んで座り、作戦会議をしていた。

    離瀬夜りせや京次きょうじの紹介で利栄子は元アッシュジョーカーズの結城ゆうきあおいと知り合えた。 しかし知り合った当日、会話は盛り上がったものの、終始音楽の話題ばかりだった。深いところまでは踏み込めなかった。

「ねぇあっきー。あっきーなら、あの難攻不落の砦をどう攻め落とす?」

    そうじゃのう、と軍師明菜は顎を撫でながら思案を巡らす。

「こないだ飲んだ感じを見ると、酒も相当強い。判断力が鈍ることはないじゃろ。雰囲気だけでは持っていけない。音楽の話題に触れたところで、前と同じてつを踏むだけっちゃね」

「つまり?」

「打つ手なし!」

    はあ、と利栄子はうなだれる。それはそうだよな、と思う。結城は引く手あまたのサポートミュージシャン。その気になれば若い子をつかまえられる。なにを好き好んで売れ残り歳上お姉さんの相手をしなければならないというのか。

    そうよ、私はカッパ巻き。まわりにマグロやイクラやウニがあるというのに、誰が選ぶというのだろうかーーいや、カッパ巻きってそもそも、シャリにキュウリ差し込んで海苔で巻いただけなんて言おうものなら、岩手県には遠野とおのと言うきゅうりの名産地があり、そこには昔から河童かっぱが住んでいると言われていて、河童は川や池に住んでいるため常に体が湿った状態らしく、そのため陸に上がると皮膚が乾燥し、頭頂部のお皿が割れて力を失ったり体温が上昇してしまったりする為、きゅうりを体中に巻き付けていたと言われていてーー冬野菜は体を温め、きゅうりなどの夏野菜は体を冷やす効果があるらしいーー河童がきゅうりを体に巻いていたことから、きゅうり巻きは「かっぱ巻き」と呼ばれるようになったーーそう力説してくる人がいるかもしれない。河童の伝説を信じてきゅうりを侮るなかれと意気揚々と殴り込んでくる人がいるかもしれない。

    たしかに言われてみれば、寿司のチェイサーと考えれば、河童巻きはとても優秀だ、大トロなどの脂っこいネタの後などに食べれば、口の中をリセットし、新たな新鮮なネタを新鮮な気持ちで新鮮に食べることができる。しかし、やはりそれは主役とは言いがたい。影の主役は主役ではない。影は影。見ている人は見ているよと励まされたところで、だったらその見ている人が見ていますと言って欲しいと思うのは、私の欲深さなのかしら?

「おーい、リエコぉ。かえってこんか」

「……はっ。私はいままで何を?」

「河童ときゅうりがどーのこーのブツブツゆうとった」

     明菜に呼び戻されて、利栄子は思考の檻から解き放たれた。利栄子は明菜の肩に頭を乗っけた。

「私もあっきーみたいな鉄火てっか巻きになりたいよ」

「どーゆー意味じゃ?」

「いつまでも愛されるって感じ?」

「そのわしを押さえてミスコン1位にもなって、音楽事務所からもスカウトされたのはどこの誰じゃったかのう?」

「いつの話よ?」

「にじゅうーー」

「やっぱ言わないで。時の流れが押し寄せて私を排水溝まで追いやろうとしてくるから」

    私はいつの間にか河童巻きよ、と利栄子はぼやく。

     河童巻きになってしまった利栄子を想像して、明菜は可笑しくなった。海苔で巻かれて身動きできず、助けてあっきーと叫んでいる利栄子の姿が思い浮かぶ。

「リエコは仕事に全振りしてきたからのう。ミュージシャンとしては、いつまでも愛されちょる。女としてはーー」

「サボり過ぎたよねぇ……」

「わしも結婚したのは40過ぎてからじゃからわかる。10代、20代の恋愛経験が、30代あたりにリセットされて、それまで培ったはずの経験がまるで通用しなくなる。合コンがあれば、戦力外通告された野球選手がトライアウトに挑むような精神で頑張ってきたけんね」

「それで契約までこぎ着けちゃうあっきーは凄いよね」

     利栄子は明菜に感心する。よく考えたら、離瀬夜りせや京次きょうじ五十嵐いがらし勇輝ゆうきといった若い世代の男性とも臆面なく話している。グイグイいっている。お互いにパートナーがいなければ、もしかしたらもしかするんじゃないかくらいのイイ雰囲気をつくれている。

「あっきーは男性と話すとき、いつもどうしてる?」

「どうもせんようにしちょる」

「どゆこと?」

「虚勢を張らずにいつも通りの自分を見せる。どうせ長く付き合えば本性なんてバレるんじゃ、一時騙しきっても無駄じゃとわしは思うけん、最初からわしはこういう人間じゃからってゆうとく」

    どうせなら飾らない自分を好きになってもらったほうがあとあと楽じゃ、と明菜は清々しく微笑む。

「そうかもね。だからかな、いつも誰にも飾らないまりっぺは一番結婚早かったもんね」

    利栄子は悪友四天王のひとりで漫画家の鈴木すずき真理まりーーペンネームは旧姓の水嶋みずしまを使っているーーを思い出す。真理は誰かに合わせるなんてことはしないし、常に自分の心に正直だ。常に真っ直ぐでいたい利栄子ですら、異性が絡むと少し格好良く見せようとする自分がいる。情けない自分を偽ってしまう。

    嫌われたくないし、好きになってもらいたいからこそ。

     明菜は利栄子に言う。

「リエコの場合、長年ラジオパーソナリティーをしてきた弊害へいがいもあるかもしれん。みんな、リエコをエリーとして知っている。みんなが心の中に、それぞれ理想のエリーを抱えている。常にリスナーに寄り添い、励ましてきた完璧なエリーと、恋に臆病なリエコは別人だと知らんもん」

「なっさけないよねー。人の恋は散々応援してきたくせに、自分は連敗続きだもん」

「今回のクルーズ・ツアーは絶好の機会じゃ。自分らしく、いつものリエコでおればええ」

    わかった、と呟いて利栄子はリラックスして眠りについた。


ーー◇◇◇◇◇◇◇ーー


    日付は10月9日。クルーズ・ツアー3日目の夜。

     利栄子は結城と一緒に船内のバーで飲んでいた。お互いミュージシャンなので、ひとたびマニアックな機材の話になれば盛り上がり、あれは使いにくい、あれ使ってる人いないでしょ、え、いるんですか、へぇ、そういう使い方あるんだ知らなかったと利栄子はお酒がすすむ。そして気づく。あれ、この感じループしてるな。前回もこんな感じで何も進展しないまま終わったな、と。

     利栄子は意を決して結城に切り込もうとした瞬間ーー

「あの、淵神さん。大事なお話があります」

    結城のほうから切り込んできた。利栄子はピシッと姿勢を正して、声をうわずらせながら応える。

「は、はい。なんでしょうか?」

「先月末、もんじゃ焼き屋さんで俺たち一緒に飲んだじゃないですか?」

「ええ。とても楽しかったです」

「俺も久しぶりに楽しかった。あんなに笑ったのは何年ぶりかっていうくらい」

「よかった。急にお誘いしてしまったので心配してました」

「いえいえ。本当の本当に楽しかったんです。そこで、お聞きしたいのですがーー」

    結城は真剣な目で利栄子を見つめた。利栄子もまた、結城の情熱的な眼差しを受け止める。

    結城は言う。

今井いまいさきさんには、お付き合いされている方がいるのでしょうか?」

      利栄子は前歯をちょっと出してリスみたいな顔になる。

「……さきりん、ですか?     いえ、彼女は特に誰ともーー」

    利栄子が皆まで言う前に、結城は渾身のガッツポーズをして「よかったあ……」と喜びをあらわにしていた。

「実は店に入った瞬間、雷に打たれましたよ。大げさに言えば、運命を感じました。俺はこの人に会うために生まれてきたんだって」

    饒舌じょうぜつに語り出す結城の声は、利栄子の耳に半分も届いていない。右の耳から入って左の耳に抜けて、もう一周して右から入ってきたのをかろうじて鼓膜が捕まえる。 

    結城は腕時計を見て、利栄子に謝る。

「すみません。俺はこのへんで。キョージとも久しぶりに飲もうって約束していて」

「いいんですいいんです。どうぞお構い無く。ハハ……ハハハ……」

    何度も頭を下げながら去っていく結城を尻目に、利栄子は頭を抱えた。うっそだろ、と。こうならないように、南野みなみの恭子きょうこに協力を仰いで、咲に劇団リリカルリリックの金田かねだ幸之助こうのすけを紹介しようとしていたのに。

    なにせ、あの狡猾な恭子のことだ。必ず上手く事を運んでくれるだろう。

「……あれ?    私、さきりんに三角関係を仕向けてない?」

     利栄子は敬愛するプロレスラー武藤敬司に並んで好きなプロレスラー、黒のカリスマ蝶野正洋の如く「ガッデム!」と叫びテキーラを飲み続けた。


ーー◇◇◇◇◇◇◇ーー


     日付は10月11日。クルーズ・ツアー最終日、下船前に最上階デッキにて行われたアポロニオスのライブは非常に好評だった。

    AQ - servantこと水無口みなぐちゆめがビヨンセの「Crazy  In  Love  ft.  JAYZ」を披露して観客を熱狂の渦に巻き込んだのだ。3日目のライブにはなかったダンスのキレに、あの鏡セアラも舌を巻いたほどである。たった1日経っただけで、まるで別人のように超絶スキルを連発し、卓越した歌唱力まで発揮した。

    しかしそんなことがどうでもよくなるくらいに利栄子の目は死んでいて、帰りの飛行機の中でもシャンパンを飲み続けた。

    今から間に合うかわからないが、利栄子は鏡セアラのラジオ番組に曲をリクエストしようと決めた。

    曲はもちろん、河島英五の「酒と泪と男と女」である。



【泣きつかれて眠るまで・了】 
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