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234 長いため息のように
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五十嵐勇輝は美原典久の自宅を訪れていた。
典久は勇輝の元恋人、美原梨紗の父親で、職業は気象予報士。夕方のニュース番組でお天気キャスターを務めている。
今日は別になんの意味も持たない日。梨紗の命日じゃない。だが勇輝は典久から連絡をもらい、久しぶりに会いたいと言われたのだ。
「すまなかったね。忙しいところを」
「いえ。俺もそろそろ挨拶に伺わないといけないと思ってました」
梨紗を殺めた犯人の極刑が執行されてからというもの、勇輝は典久と何かしら言葉を交わさないといけないと思っていた。
けれどもしかし。
典久になんと言葉をかけていいか、勇輝にはわからなかった。
抱き合って喜ぶほどの歓喜は疾うになく、抱き合って流すほどの悲哀は枯れ果てた。
ただ飛ぶ鳥を眺めるが如く、届かぬ距離を憂いていた。
「この度は……なんと言っていいか……ともあれ、長かったですね。この5年は……」
「そうだね。とても長かった」
典久はお茶を出してくれたが、勇輝はまだひとくちも手をつけていなかった。立ちのぼる湯気だけが揚々と揺れていた。
典久は口角を無理やりあげて、勇輝に尋ねる。
「新しい恋人ができたんだって?」
「……はい」
「前に進めそうかい?」
「俺はそのつもりです」
勇輝の表情は晴々とはいえないまでも、曇りはなかった。これからだって、雨は降りそうにない。良い出会いに恵まれたのだな、と典久は寂しく思った。
「そうか……じゃあ邪魔するわけにはいかないね」
「……邪魔? 何をですか?」
典久は、申し訳なさそうに切り出す。
「梨紗の妹、まだ覚えてるかい?」
「もちろんです。綾香ちゃんですよね? 今年から大学生でしたっけ?」
「ああ、そうだ。大学の近くにアパートを借りたんだが、いまは母親と二人で暮らしてる。梨紗の件があってから、妻はほとんど綾香から離れず、片時もひとりにさせないんだ」
典久の妻は、綾香が何処へ行くにも車での送迎はかかさず、1時間に1回は安否確認をしたがるらしい。
それを、この5年間ずっとである。
「奥様の気持ちはわからなくもないですが、綾香ちゃんは……窮屈かもしれませんね」
「いい加減うんざりして、最近ではアパートに帰りたがらず、友だちの家を転々とすることもある。だからたまに勇輝くんが綾香を外に連れ出してくれたらいいと思ってたんだが、恋人を不安にさせてもいけない。忘れてくれ」
「そこまで聞いたら、もう無理ですよ。ちょっと話を聞くくらいなら構いませんよ」
「ほんとかい? もう私たち親の言うことには耳をかさなくてね、勇輝くんなら何とかしてくれるかもしれないって、淡い希望を抱いていたんだ」
典久は安堵したのか、やっと笑顔らしい笑顔を見せてくれた。
ーー◆◆◆◆◆◆◆ーー
美原綾香の日課は駅のコインロッカーにスマホを投げ込むところから始まる。母親のGPS監視を逃れるためだ。
結構乱暴に投げているのに、全然壊れてくれない。マジで日本の技術力が恨めしい。海外で暴動があったとき、ボコボコにされた車のエンジンがかかって車種を確認したら日本車だった、みたいな驚きと感動と衝撃を嫌でも味わされている。
しかも、毎日。
もう、うんざり。
そう思っているのに、帰り際しっかりスマホを回収して持って帰るあたり、反抗に徹しきれない軟弱な自分がとても嫌になる。
着信音は5年間無音。また画面が光っている。1日1回出てあげれば、母親の発作も治まる。
綾香は仕方なく電話に出る。
「生きてる。まだ殺されてないよ」
「ならよかった。どっか行こうぜ」
はっとして、綾香はスマホを耳元から離して画面を見る。知らない番号。男性の声。怖くなって、周りを見回す。すぐ近くにこちらを見ている男がいた。深くキャップをかぶって、手を振っている。
「……チャラ兄?」
「いい加減ユーキと呼んでくれ。それにいまはもう、そんなにチャラくない」
坊主頭だしな、と一瞬だけキャップを外し、五十嵐勇輝は綾香を安心させる。綾香は少しだけ歯を見せて、すぐに隠す。
「ずいぶん丸くなったらしいね。態度も頭も女のタイプも」
「そっちは中学生から成長してないな。誰彼かまわず噛みついてると、誰も寄り付かなくなるぞ」
「経験談?」
「俺は誰にだって優しいって評判なんだ」
「私にだけ優しくない」
「優しさはうんざりなんだろ?」
む、と綾香は口をつぐむ。自己矛盾に気づいて、それでも親の過剰な心配は優しさではなく、加虐に等しい行為だと、綾香は自分に言い聞かせた。
「あんなの優しさじゃない。毎日地震や火事に脅えて生きてるだけよ、あのひとたちは」
「地面が揺れて、炎に包まれたとき、笑って消える覚悟が、綾香にはあるのか?」
勇輝は怒っていない。だけど綾香は叱られたみたいで不快だった。
「チャラ兄が一緒なら笑えるよ、私」
「そんな優しさは持ってないよ、俺は」
今度は完全に叱られたと、綾香は思った。地面が揺れて炎に包まれていたら、他の人間だって苦しむ羽目になる。そんな状況で笑えるような人間とは一緒に居たくないーーそう言われたような気分だった。
「……ごめん」
「いーよ、べつに。恨みを言いたい人間はどっちもいない。綾香がむしゃくしゃすんのはわかる」
「どうしたらいい?」
「母親への返事は全部AIにやらせろ。いいアプリを知ってる」
「電話も?」
「ああ。声を聞かせて1日学習させれば、親だって誤魔化せる」
「……なんか悪い気がする」
「悪いのは、親。そう決めたら、自分の正義を徹底して貫けよ。中途半端に情けをかけるから、性懲りもなく付きまとわれる。良い人間であり続けるから愛されてしまう。そんな疲れる役をやるな。捨てろ。誰に演じろと言われたワケじゃあるまいし」
「だってお母さん、可哀想だから」
「5年前は可哀想だったかもしれない。だが、もう可哀想じゃない。可哀想でいたくて、必要以上に、過剰に暗い過去を咀嚼しているだけだ」
「お姉ちゃん、死んだんだよ? 殺されたんだよ?」
「そうだ。そんな嫌な想いを、そんな苦しい事実を、遺された娘に5年もずっと忘れさせないようにしている人間は、可哀想じゃない。愚かなだけだ。大馬鹿だ。目を覚ましてよく私を見て、って言うんだ。私は梨紗じゃなくて、綾香だよって、綾香の口から、綾香の言葉で伝えるんだ。でも急にはムズいだろうから、とりあえずはAIで時間稼ぎだ」
「……いいのかな?」
「いいんだよ。それで気づかないようなら、結局監視したいのは誰でもいいって証明にもなる」
だろ、と勇輝は笑顔を見せて。
だね、と綾香は微笑んだ。
「むかしからチャラ兄はズル賢いよね」
「ズルズルズルズルズルくね? でお馴染みのアイアンメンマだからな。それとチャラ兄じゃなくてユーキ」
「呼び捨てちゃっていいの?」
「いいんだよ。本人が許可してるんだから」
「彼女は?」
「……それは、わからん」
「倉持里子ってキレるとメチャクチャ怖いらしいよ」
「なんで綾香がそんなこと知ってるんだよ?」
「だって私、Moon Vip入ってるし。倉持里子は陰キャの星みたいなトコあるじゃん。凄い美人じゃないけど、南野歌奈や朝丘恵と並んでもなぜか見劣りしないんだよね」
「そんな言うほど暗くないけどな。見劣りしないのはリコも美人だからだ」
「モーモク」
「俺以外の男がリコを好きになる必要は一切ないから、それでいいんだよ」
「……よかったね、また好きな人ができて」
「綾香だって、そのうちすぐできるさ」
「そんな簡単には上手くいかないよ。それよりさ、さっき言ったよね? どっか行こうぜって」
「言ったよ。行きたい場所、何処でも連れてってやる。ご要望は?」
「カラオケ行きたい」
「……なんで? いつでも行けるだろ?」
「フライドポテトが食べたいんだ」
「それこそ、そのへんの店でどこでも食べられる」
「カラオケで出てくるのがいいの。こっちの健康とか摂取カロリーとかお構い無しで出してくる、ジャガイモ分厚く切って揚げたやつ。ひとりじゃ頼みづらいから。それにーー」
「コーラフロートもつけて?」
「うん。よく覚えてたね」
「覚えてたんじゃない。忘れなかっただけだ」
「どう違うの?」
「捨てなきゃいけない思い出じゃなかった。5年前の記憶で唯一心を傷つけなかった思い出だった。ただ綾香がアイスクリーム食べてる記憶に、俺も救われてた。だから」
誰も助けられなかったなんて、絶対に思うなよ。
勇輝に言われて、綾香は鼻の奥が熱くなった。
「さ、行こうぜ。カラオケ」
ーー◇◇◇◇◇◇◇ーー
the brilliant green
長いため息のように
「今明けてゆく空にーー誓った/どんな悲しみもーーこの手に受けて/強い気持ちで/感じてゆく事をーー」
「夢は現実よりもーー時には/残酷の様でーー目覚めて少し/切なくて泣いた/悲しい夢だったーー」
「時々/この世の何もかもが/いまいましくて/後悔に埋もれた/私の言葉/吐き捨てる場所/見つけーー出せたらーー」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mind/幸福の星をーー流して」
「「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mindーー」
「長い/ため息のようにーーーー」
「数秒前の過去にーー脅えて/訳も分からずにーー自分を責めた/何て無益な/苦しみなんでしょうーー」
「あなたがくれた本をーー開いて/ここから逃げ出そう/今や明日や現実よりも/少しはマシだからーー」
「いつの/日も私の答は/定まらなくて/迷いに迷って/遠回りして/たどり着く場所/そこで待っていてーー」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mind/真実が闇の中ならーー」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mindーー」
「いっそ消していってよーーah ah ah……」
「銀の月の下ーー影を落とす/静かにーー」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mind/幸福の星をーー流して」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mindーー」
「長い/ため息のように」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mindーー」
「長い/ため息のよう/にーーーー」
ーー綾香は歌い終わり、マイクを置く。テーブルを挟んで離れて座る勇輝に尋ねた。
「勇輝が私と付き合ってくれたら、私も前に進める気がするんだけど、ダメ?」
「ダメ」
「なんで?」
「恋を脅しに使うとロクなことにならない。実力で惚れさせてみろ」
「まだ子どもにしか見えない?」
もうお姉ちゃんより歳上になっちゃった、と綾香は冗談半分に嘆く。勇輝は半分切なくて、半分無理して笑った。
「子どもでいてくれたなら、俺は隣に座ってやれた。安心しろ、ちゃんと魅力的な大人になってる」
「……わかった。ユーキは歌わないの?」
「今日はずっと聴いていたい。そんな気分なんだ」
ユーキはコーラに浮かぶアイスクリームをスプーンですくい、綾香の口元まで運ぶ。綾香は頬を膨らましてむっとした。
「やっぱり子ども扱い」
だけど口を大きく開けて、アイスだけはしっかり食べた。
【長いため息のように・了】
典久は勇輝の元恋人、美原梨紗の父親で、職業は気象予報士。夕方のニュース番組でお天気キャスターを務めている。
今日は別になんの意味も持たない日。梨紗の命日じゃない。だが勇輝は典久から連絡をもらい、久しぶりに会いたいと言われたのだ。
「すまなかったね。忙しいところを」
「いえ。俺もそろそろ挨拶に伺わないといけないと思ってました」
梨紗を殺めた犯人の極刑が執行されてからというもの、勇輝は典久と何かしら言葉を交わさないといけないと思っていた。
けれどもしかし。
典久になんと言葉をかけていいか、勇輝にはわからなかった。
抱き合って喜ぶほどの歓喜は疾うになく、抱き合って流すほどの悲哀は枯れ果てた。
ただ飛ぶ鳥を眺めるが如く、届かぬ距離を憂いていた。
「この度は……なんと言っていいか……ともあれ、長かったですね。この5年は……」
「そうだね。とても長かった」
典久はお茶を出してくれたが、勇輝はまだひとくちも手をつけていなかった。立ちのぼる湯気だけが揚々と揺れていた。
典久は口角を無理やりあげて、勇輝に尋ねる。
「新しい恋人ができたんだって?」
「……はい」
「前に進めそうかい?」
「俺はそのつもりです」
勇輝の表情は晴々とはいえないまでも、曇りはなかった。これからだって、雨は降りそうにない。良い出会いに恵まれたのだな、と典久は寂しく思った。
「そうか……じゃあ邪魔するわけにはいかないね」
「……邪魔? 何をですか?」
典久は、申し訳なさそうに切り出す。
「梨紗の妹、まだ覚えてるかい?」
「もちろんです。綾香ちゃんですよね? 今年から大学生でしたっけ?」
「ああ、そうだ。大学の近くにアパートを借りたんだが、いまは母親と二人で暮らしてる。梨紗の件があってから、妻はほとんど綾香から離れず、片時もひとりにさせないんだ」
典久の妻は、綾香が何処へ行くにも車での送迎はかかさず、1時間に1回は安否確認をしたがるらしい。
それを、この5年間ずっとである。
「奥様の気持ちはわからなくもないですが、綾香ちゃんは……窮屈かもしれませんね」
「いい加減うんざりして、最近ではアパートに帰りたがらず、友だちの家を転々とすることもある。だからたまに勇輝くんが綾香を外に連れ出してくれたらいいと思ってたんだが、恋人を不安にさせてもいけない。忘れてくれ」
「そこまで聞いたら、もう無理ですよ。ちょっと話を聞くくらいなら構いませんよ」
「ほんとかい? もう私たち親の言うことには耳をかさなくてね、勇輝くんなら何とかしてくれるかもしれないって、淡い希望を抱いていたんだ」
典久は安堵したのか、やっと笑顔らしい笑顔を見せてくれた。
ーー◆◆◆◆◆◆◆ーー
美原綾香の日課は駅のコインロッカーにスマホを投げ込むところから始まる。母親のGPS監視を逃れるためだ。
結構乱暴に投げているのに、全然壊れてくれない。マジで日本の技術力が恨めしい。海外で暴動があったとき、ボコボコにされた車のエンジンがかかって車種を確認したら日本車だった、みたいな驚きと感動と衝撃を嫌でも味わされている。
しかも、毎日。
もう、うんざり。
そう思っているのに、帰り際しっかりスマホを回収して持って帰るあたり、反抗に徹しきれない軟弱な自分がとても嫌になる。
着信音は5年間無音。また画面が光っている。1日1回出てあげれば、母親の発作も治まる。
綾香は仕方なく電話に出る。
「生きてる。まだ殺されてないよ」
「ならよかった。どっか行こうぜ」
はっとして、綾香はスマホを耳元から離して画面を見る。知らない番号。男性の声。怖くなって、周りを見回す。すぐ近くにこちらを見ている男がいた。深くキャップをかぶって、手を振っている。
「……チャラ兄?」
「いい加減ユーキと呼んでくれ。それにいまはもう、そんなにチャラくない」
坊主頭だしな、と一瞬だけキャップを外し、五十嵐勇輝は綾香を安心させる。綾香は少しだけ歯を見せて、すぐに隠す。
「ずいぶん丸くなったらしいね。態度も頭も女のタイプも」
「そっちは中学生から成長してないな。誰彼かまわず噛みついてると、誰も寄り付かなくなるぞ」
「経験談?」
「俺は誰にだって優しいって評判なんだ」
「私にだけ優しくない」
「優しさはうんざりなんだろ?」
む、と綾香は口をつぐむ。自己矛盾に気づいて、それでも親の過剰な心配は優しさではなく、加虐に等しい行為だと、綾香は自分に言い聞かせた。
「あんなの優しさじゃない。毎日地震や火事に脅えて生きてるだけよ、あのひとたちは」
「地面が揺れて、炎に包まれたとき、笑って消える覚悟が、綾香にはあるのか?」
勇輝は怒っていない。だけど綾香は叱られたみたいで不快だった。
「チャラ兄が一緒なら笑えるよ、私」
「そんな優しさは持ってないよ、俺は」
今度は完全に叱られたと、綾香は思った。地面が揺れて炎に包まれていたら、他の人間だって苦しむ羽目になる。そんな状況で笑えるような人間とは一緒に居たくないーーそう言われたような気分だった。
「……ごめん」
「いーよ、べつに。恨みを言いたい人間はどっちもいない。綾香がむしゃくしゃすんのはわかる」
「どうしたらいい?」
「母親への返事は全部AIにやらせろ。いいアプリを知ってる」
「電話も?」
「ああ。声を聞かせて1日学習させれば、親だって誤魔化せる」
「……なんか悪い気がする」
「悪いのは、親。そう決めたら、自分の正義を徹底して貫けよ。中途半端に情けをかけるから、性懲りもなく付きまとわれる。良い人間であり続けるから愛されてしまう。そんな疲れる役をやるな。捨てろ。誰に演じろと言われたワケじゃあるまいし」
「だってお母さん、可哀想だから」
「5年前は可哀想だったかもしれない。だが、もう可哀想じゃない。可哀想でいたくて、必要以上に、過剰に暗い過去を咀嚼しているだけだ」
「お姉ちゃん、死んだんだよ? 殺されたんだよ?」
「そうだ。そんな嫌な想いを、そんな苦しい事実を、遺された娘に5年もずっと忘れさせないようにしている人間は、可哀想じゃない。愚かなだけだ。大馬鹿だ。目を覚ましてよく私を見て、って言うんだ。私は梨紗じゃなくて、綾香だよって、綾香の口から、綾香の言葉で伝えるんだ。でも急にはムズいだろうから、とりあえずはAIで時間稼ぎだ」
「……いいのかな?」
「いいんだよ。それで気づかないようなら、結局監視したいのは誰でもいいって証明にもなる」
だろ、と勇輝は笑顔を見せて。
だね、と綾香は微笑んだ。
「むかしからチャラ兄はズル賢いよね」
「ズルズルズルズルズルくね? でお馴染みのアイアンメンマだからな。それとチャラ兄じゃなくてユーキ」
「呼び捨てちゃっていいの?」
「いいんだよ。本人が許可してるんだから」
「彼女は?」
「……それは、わからん」
「倉持里子ってキレるとメチャクチャ怖いらしいよ」
「なんで綾香がそんなこと知ってるんだよ?」
「だって私、Moon Vip入ってるし。倉持里子は陰キャの星みたいなトコあるじゃん。凄い美人じゃないけど、南野歌奈や朝丘恵と並んでもなぜか見劣りしないんだよね」
「そんな言うほど暗くないけどな。見劣りしないのはリコも美人だからだ」
「モーモク」
「俺以外の男がリコを好きになる必要は一切ないから、それでいいんだよ」
「……よかったね、また好きな人ができて」
「綾香だって、そのうちすぐできるさ」
「そんな簡単には上手くいかないよ。それよりさ、さっき言ったよね? どっか行こうぜって」
「言ったよ。行きたい場所、何処でも連れてってやる。ご要望は?」
「カラオケ行きたい」
「……なんで? いつでも行けるだろ?」
「フライドポテトが食べたいんだ」
「それこそ、そのへんの店でどこでも食べられる」
「カラオケで出てくるのがいいの。こっちの健康とか摂取カロリーとかお構い無しで出してくる、ジャガイモ分厚く切って揚げたやつ。ひとりじゃ頼みづらいから。それにーー」
「コーラフロートもつけて?」
「うん。よく覚えてたね」
「覚えてたんじゃない。忘れなかっただけだ」
「どう違うの?」
「捨てなきゃいけない思い出じゃなかった。5年前の記憶で唯一心を傷つけなかった思い出だった。ただ綾香がアイスクリーム食べてる記憶に、俺も救われてた。だから」
誰も助けられなかったなんて、絶対に思うなよ。
勇輝に言われて、綾香は鼻の奥が熱くなった。
「さ、行こうぜ。カラオケ」
ーー◇◇◇◇◇◇◇ーー
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「今明けてゆく空にーー誓った/どんな悲しみもーーこの手に受けて/強い気持ちで/感じてゆく事をーー」
「夢は現実よりもーー時には/残酷の様でーー目覚めて少し/切なくて泣いた/悲しい夢だったーー」
「時々/この世の何もかもが/いまいましくて/後悔に埋もれた/私の言葉/吐き捨てる場所/見つけーー出せたらーー」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mind/幸福の星をーー流して」
「「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mindーー」
「長い/ため息のようにーーーー」
「数秒前の過去にーー脅えて/訳も分からずにーー自分を責めた/何て無益な/苦しみなんでしょうーー」
「あなたがくれた本をーー開いて/ここから逃げ出そう/今や明日や現実よりも/少しはマシだからーー」
「いつの/日も私の答は/定まらなくて/迷いに迷って/遠回りして/たどり着く場所/そこで待っていてーー」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mind/真実が闇の中ならーー」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mindーー」
「いっそ消していってよーーah ah ah……」
「銀の月の下ーー影を落とす/静かにーー」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mind/幸福の星をーー流して」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mindーー」
「長い/ため息のように」
「I will be happy in your dream/I'll be happy in my mindーー」
「長い/ため息のよう/にーーーー」
ーー綾香は歌い終わり、マイクを置く。テーブルを挟んで離れて座る勇輝に尋ねた。
「勇輝が私と付き合ってくれたら、私も前に進める気がするんだけど、ダメ?」
「ダメ」
「なんで?」
「恋を脅しに使うとロクなことにならない。実力で惚れさせてみろ」
「まだ子どもにしか見えない?」
もうお姉ちゃんより歳上になっちゃった、と綾香は冗談半分に嘆く。勇輝は半分切なくて、半分無理して笑った。
「子どもでいてくれたなら、俺は隣に座ってやれた。安心しろ、ちゃんと魅力的な大人になってる」
「……わかった。ユーキは歌わないの?」
「今日はずっと聴いていたい。そんな気分なんだ」
ユーキはコーラに浮かぶアイスクリームをスプーンですくい、綾香の口元まで運ぶ。綾香は頬を膨らましてむっとした。
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