一陣茜の短編集【ムーンバレット】

一陣茜

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032 忠臣蔵アウトレイジ

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 事の発端ほったんは、職員室前の廊下だった。

 赤穂あこう高校野球部主将浅野拓海あさのたくみは金属バットを持って、野球部顧問吉良公介きらこうすけに殴りかかった。

 そばにいた教員たちがすぐに浅野を取り押さえ、吉良は一切の怪我なく事なきを得た。浅野は野球部を退部及び退学処分に。またSNSには、浅野の暴行に及ぶ動画が拡散され、「すぐにキレる若者の実態」とフィーチャーされ、ニュースなどでも取り上げられた。

 赤穂高校野球部は活動停止処分を命じられ、部室も没収された。

 現在、部活動再開の目処めどは立っていない。

 すっかり日も暮れ、辺りは闇に包まれている。体育館裏では、小さなランタンを抱える47人の野球部員の姿があった。 

 その中心にいるのは副主将の大石おおいしだ。

「お前ら、本当にやる気なんか?」

 大石は誰にともなく尋ねる。部員の一人は鼻息を荒くして言った。

「当然です。なんで浅野主将だけがあんな目に遭わなきゃならんのです。そもそも先に体罰をしていたのは吉良じゃないですか?」

 部員たちは袖をまくりあげる。白球を追いかけているだけでは決してできないアザだった。明らかに暴力による青アザが部員たちの腕に刻まれていた。

 大石はなんとか皆をなだめようと、落ち着きを払って対応する。

「だが吉良の体罰が明らかになれば、どのみち俺らはしばらく野球ができん。新しく顧問を探すのにも時間がかかる。だから主将はせめてもの意趣返しとして自分一人が悪者になる覚悟をした」

 いまならまだ夏の大会に間に合うかもしれない、と大石は皆の大事にしている信念に訴えかけた。

 部員たちが押し黙る中、野球部のエース堀部ほりべは大石に詰め寄った。

「大石、知っとるか?  吉良は理事長の息子だって」

「ああ、そんなん、皆知っとる」

「なら、来年校舎を建て直すっちゅう話も知っとるか?」

 大石は虚をつかれて、怪訝に思う。

「……どういうこっちゃ?」

「建て直しには、えれぇ金がかかる。だから吉良は金食い虫の野球部を廃部に追い込もうと、俺らを痛ぶっとったんや」

 赤穂高校野球部は全国区の強豪だった。それゆえに施設の管理費や遠征費は他校の数倍をかけている。理事長である吉良の父親は、それに反対。スポーツよりも進学校として名声を得ようとしていたのだ。

 大石は皆をなだめるために、理性を保ち続けた。ここで自分が折れたら、部員全員が一生を棒に振る。落ち着けや、と大石は両手を皆に見せた。

「それがほんまやとして、ここでお前らが吉良のところに殴り込みでもしてみぃ。相手の思うツボやろが」

「ほんなら、浅野の無念はどないすんのや?  浅野が体罰を訴えても学校はもみ消した。この辺の弁護士はみんな理事長の友だちや。警察に行っても証拠がないって門前払い。街に味方はいない」

「ほんで全員で金属バットで吉良をタコ殴りにするんか?  凶器準備集合罪に傷害罪、下手すりゃ殺人罪やぞ。何年も少年院か刑務所に入って、親は一生後ろ指さされるんや」

 それでええんか、と大石は部員たち一人一人の顔を見ながら、覚悟の是非を問う。半数以上の部員が意気消沈していた。正義は確かにある。しかし正義を振りかざしても失うものが大きすぎる。メリットとデメリットが釣り合わない。 

 堀部は大石の胸ぐらを掴んだ。

「おとなしくしちょって野球部が活動再開できる保証はあるんか?  大石、お前は悔しゅうないんか?  浅野とはリトルリーグからの付き合いやろ」

 大石は堀部の胸ぐらを掴み返す。

「悔しいに決まっとるやろ。アイツはもう何処の学校に転校したって、野球はできん。せやけど、その野球を捨ててでも俺らのために吉良に立ち向かったんや。その心意気を、男としての矜持を汲んでやってくれんか。なあ……堀部」

 堀部は大石の胸ぐらから手を放した、大石は堀部の肩に手を置く。

「野球を続けていこうや、堀部。いまは草野球でもええやないか。大学生や社会人になっても続けていこうや。お前なら絶対にドラフトにかかる。プロ野球選手になれる。いつかヒーローインタビューで言ってやるんや。浅野は悪うない。ほんまの悪党は吉良やったんやって」 

 堀部の目には込み上げるものがあった。大石は堀部を抱き締めた。

「お前のお父ちゃんやお母ちゃん、泣かせたらアカンって、これでわかったやろ。まだなんもしてないのに、こんなに苦しいんや。お前が悪者になったら、たまらんて」

「……すまん、大石。すまんて、浅野にも言わなあかんな」

「ええて」

 大石は堀部の背を軽く叩く。堀部が泣き止むのを大石は待った。

 大石は改めて部員全員に声をかけた。

「本日をもって、赤穂高校野球部は解散する。みんな、いままでよう浅野や俺についてきてくれた。ほんま、ありがとうな」

 部員たちのむせび泣く声を、大石はただ黙って聴いていた。いままでの思い出を振り返って、全ての思い出が終わり、いまに繋がったとき、大石は叫んだ。

「解散!  あざっしたッ!」

「あざっした!」

 名残惜しさを滲ませながら、部員たちは体育館裏から立ち去る。大石はその中で一年生部員の寺坂てらさかに声をかけた。

「寺坂、ちょっといいか?」

「なんでしょう?」

「お前、中学のときボクシングやってたよな?」

 寺坂は一度頷いてから、すぐに首を横に振った。

「あ、いや、僕はレフェリーでした。ボクシングは好きやけど、殴り合いは苦手で」

「じゃあ、見極めができるな?」

「へ?」

 大石の相貌そうぼうには憎悪が張り付いていた。眼光は鋭く、まっすぐ寺坂を見つめていた。

「これ以上人を殴ったら死ぬって境界線、わかるよな?」

 寺坂は大石の有無を言わせない迫力に後ずさる。大石は厳めしい顔をやめて、表情を柔らかくした。

「寺坂、後生や。俺に力を貸してくれ。万が一俺が捕まっても、お前のことは絶対に売らん。頼む」

 寺坂は、頷いた。むしろ自分が頷かなければ、大石は吉良と刺し違えるつもりだと悟ったからだ。これほど人情に熱い男を、人殺しにさせてはならない。また逆に、死なせてもいけない。

「わかりました。おかしいと思っとったんです。部員全員を呼び出すなんて、どう考えてもおかしい、て」

「そりゃそうやろ。47人もいたらすぐ目立つし、野球部員の人数だってすぐにバレる。最初から俺だけでやるつもりやった。けど、俺だって人殺しになるつもりはない。ほんで、お前の経歴に目をつけたんや」

 大石は決意した。寺坂がいれば、吉良を殺さずにとっちめられる、と。

 大石はニットの目出し帽を寺坂に渡して、同じものを自分も被る。

「ほな、いこか」

「はい、先輩」

 そこで、寺坂は足を強く踏みしめて、ボディブローを放った。油断をした大石の鳩尾みぞおちに。大石は自分が何をされたのかわからないままに気を失った。

「すんません、先輩」

 寺坂は大石の頭から目出し帽をひったくった。

「先輩が浅野主将に忠義立てするように、俺らも大石先輩が好きなんですわ。ひとりで背負わすワケにはいかんのです」

 寺坂は「お前ら」と誰もいなくなった体育館裏に声を発した。すると物陰から野球部員六人が出てきた。全員が一年だった。

「お前ら、先輩らが俺らに強くあたった日が一度でもあったか?  いや、ない!  玉拾いもグローブ磨きもグラウンドならしも全部先輩たちが率先してやってくれた!  お前らここでおとこみせな、いつ恩義に報いるつもりや?  俺らで吉良の首とったろうやないか!」

 おおー、っと声をあげた瞬間、寺坂と六人の一年生は強い衝撃を感じて、その場に倒れた。

 その後ろには木製バットを持った三年生たちがいた。寺坂を気絶させたのは、堀部だった。

「馬鹿野郎が。若いモンは血の気が多くていけねぇ……」

 堀部はバットをかついで、嘆息した。

「すっかり興が削がれちまった。この世に神様がいるっちゅうなら、そのうち吉良に天罰がくだるやろーーったく。いまは、皆で愉快に野球がしてぇや」

 こうして赤穂高校野球部の歴史に刻まれる「討ち入りそうで討ち入らない忠臣蔵事件」は幕を閉じたのである。

 赤穂高校野球部は活動休止期間を見事に耐え抜いて、大石新主将のもと一丸になり、夏の大会に出場を決めた。

 野球場のスタンドには、目頭を押さえる元主将、浅野の姿もあったという。

 その直前、顧問の吉良は体罰とは別に不祥事が露見し、父の理事長もろとも退陣を迫られるのだがーー

 誠に心苦しいのであるがーー

 それはまた、別の物語である。



忠臣蔵ちゅうしんぐらアウトレイジ・了】
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