一陣茜の短編集【ムーンバレット】

一陣茜

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152 ラ・トリニーテ

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    1本で、一目惚れ。

    3本で、愛しています。

    5本で、あなたに会えたことの心からの喜び。

    9本で、いつもあなたを想っています。

    11本で、最愛。

    12本で、私の妻になってください。

    33本で、3回生まれ変わっても、あなたのことを愛します。

    100本で、100パーセントの愛。

    108本で、結婚してください。

    薔薇は贈る本数で花言葉が変わる。主にプロポーズで使われるのは、108本の赤い薔薇。 明智あけち広明ひろあきはタクシーの後部座席に座りながら、横に置いてある花束ーー108本の赤い薔薇を見て、大きく息を吐き出した。

    目的地は、銀座。

    川本かわもと夕夏ゆうかの待つ高級クラブ「Ginza  Club  Sokrates」である。

    7月26日は、夕夏の誕生日。元から明智は祝う予定だったし、花束も贈るつもりだった。毎年続けているし、欠かしたことは1度もない。

    雲行きが怪しくなったのは、演劇部時代の友人、南野みなみの恭子きょうこから謎のラインメッセージが届いてからだ。

「作戦は動き始めている。7月26日の午後8時までに夕夏の店に赴き、108本の薔薇を持参すること。ミッションはシンプル。あなたの想いの丈を夕夏に伝えなさい。なお、このメッセージは自動的に消去される」

    明智は自分のスマホから煙が出るんじゃないかと怯えたが、ただメッセージが取り消されたのみだった。

   学生時代から演技は不得意な明智。高校卒業後、自分で劇団を立ち上げても興行は成功しなかった。けれどそんな明智でも、物語の文脈を読み解くのは得意だった。

    28年間隠し続けていた自分の恋心が夕夏に露見し、なおかつ「もうそろそろ正直に生きなさい」と恭子に発破をかけられたと明智は理解した。

    タクシーが止まる。明智は料金を払いーー保険をかけてしまった。薔薇を何本か引き抜き、運転手に渡す。

「すみません。申し訳ないのですが、これを受け取ってください。持ち帰るなり、捨てるなりして結構ですから」

    運転手は戸惑いながらも、承諾。明智の赤い薔薇は100本以下になった。

    午後8時。少しだけ軽くなった花束を持って、明智は夕夏の店に到着した。

「あら、明智くん。わざわざ来てくれたの?」

    いつもは和装の夕夏だが、今日は久しぶりにドレス姿。袖のない白のロングドレス。誕生日ということもあり、頭にはティアラを乗っけていた。

「毎年来てるじゃないか。ほら、これ。少し派手過ぎるかもしれないけれど」

    恐る恐る、明智は夕夏に薔薇の花束を渡す。とにかく夕夏は数字の計算が速い。眼球の中にある黒目が高速で動く。薔薇の本数を瞬時に計測する。

「88本ーーなんの花言葉もないじゃない」

    がっかり、とまではいかないが、夕夏はしょんぼりする。期待外れよと、夕夏は冗談めかして明智に言う。

「……ほら、俺たちの最高観客動員数だよ。キャパ200人の劇場で半分以上スカスカだったときの」

「ああ、あったねぇ、そんなときもーー50人超えて喜んでたのに、いまじゃあかねがキャパ数百人の箱を一瞬で埋めちゃうんだから、やってらんないわよね」

「そうだな……俺たちの中にもスターがいればな」

「そのスターの座から逃げた女ならビップラウンジで待ってる」

    ねぇ、と夕夏は手を挙げて、黒服の男性を捕まえる。

「お客様をビップラウンジに案内して」

「かしこまりました」

    黒服に案内され、明智はピップラウンジに到着した。扉を開ければ、ワニ革の高級シートに座りながら足を組み、グラスを傾けている南野恭子がいた。

   グラスの中身は赤ワイン。ただワイングラスを持っているだけなのに、恭子は大女優の貫禄だった。

    明智はすぐに恭子の隣に座り、小声で話しかける。

「急に変な指令を送らないでくれ。こっちにも……心の準備があるんだよ」

「嘘おっしゃい。あなた墓場どころか骨壷に入るまで隠し続けるつもりだったでしょうに。で、は持ってきたんでしょうね?」

「ああ……持ってはきたが」

    少しだけ日和ひよったことは黙っておこう、と明智は口を閉じるーーしかし。

    ビッブラウンジの扉が開くなり、秘密はすぐに暴露された。

「ちょっと聞いてよ、恭子。明智くんたら赤い薔薇くれたのに、88本しかないの。これどーゆー意味?    末広がり?    お正月的な、めでたさ?    私だけひとり無限に生きてろって意味?    ひどくない?」

    あけすけに言う夕夏。それを聞いて恭子は横目で明智を睨む。

「ーーいくじなし」

    そう恭子に囁かれ、明智は必死に弁解をする。

「……ち、違うって。その……広瀬ひろせの歳の数だけ持ってきたんだよ。今日は44歳の誕生日だろ?」

    それを聞いて、夕夏は口を尖らせる。

「私、88歳じゃないんだけど?」

    明智は手で顔を覆った。やがて何かを決意したように手を離して、顔を晒した。

「二人ぶん。俺と川本の」

    川本かわもと竜馬りょうま

    夕夏の夫で、明智の親友。

    亡くなってもなお、見知らぬ誰かのために心臓を捧げた正義の味方。

    またの名を、大根役者2号。

「まだ……義理立てしてくれてるの?」

    夕夏は明智に問う。躊躇いがちに、申し訳なさそうに、だけどやっぱりーーありがたそうに。

    明智は苦悶の表情を浮かべる。

「わからない。後悔してるのかもな。川本の時間を、もっと広瀬に使ってあげられるようにすればよかったって……」

    残りの寿命がわかっていれば、演劇の世界に引き戻さなかった。結局売れない役者として人生を終わらせてしまった。もっと家族と過ごす時間を与えてあげたかった。

    それはーー川本だけじゃなくて、夕夏にも。

    恭子は黙ってワインを飲み続ける。夕夏は沈黙したまま。明智も同様。

    もう少し場を温めておきたかったが、仕方ない。恭子は店の従業員と取引をし、ビップラウンジのコントロールパネルを入手していた。

    クラブの常連客に「どうしてもカラオケがしたい」と注文を受けて以来、夕夏はビップラウンジにカラオケの機械を搬入した。

    しかし、普段からモニターを出しておくとラウンジの雰囲気が壊れてしまう。スナック感が出てしまう。そこで夕夏はモニターを棚に埋め込み、電動でスライド上昇するように仕掛けを施した。

    恭子は背中に隠していたリモコンを押す。

    ラウンジの棚から55インチのモニターが出てくる。

    モニターに映し出されたのは、カラオケのメニュー画面ではなく、ミュージシャンのライブ映像。しかも生配信。

    恭子の娘、歌奈かながリーダーを務めるロックバンド。

    ムーンバレットの映像だった。

「Moon  Bulletーー全国47都道府県ツアー2025~月の弾丸をブッ放せ!    届かねぇから、届かせるんだ!~」

   ムーンバレットの新潟ホール公演。

   会場は新潟テルサ。キャパ1500。

    画面の中で、歌奈は観客に声をかけていた。

「今日はね、ちょっとだけ、みんなにアタシのワガママに付き合って欲しいんだ」

    なーにー?    と観客に訊かれて、歌奈は続ける。

「小さい頃、アタシはさ、ママと二人暮らしだったでしょ。だからママが仕事に出てる間とか、夜帰るのが遅いときは知り合いの家ーーほら、みんなもよく知ってる赤村あかむら朱人あけひとのママに預けられてたんだよねーー」

    たぶんママよりアタシのオムツ変えてるね、と歌奈は観客の笑いを誘う。

「んで、今日はその朱人ママの誕生日なんだ。その人のために、歌をプレゼントしたいんだ。たぶん、今頃配信を観てくれているだろうから……いい?」

    いーよ、と観客は快く許してくれた。歌奈は安堵して、微笑む。

「朱人ママの一番好きな曲、やるからね。アタシをここまでママと一緒に育ててくれてありがとう。誕生日おめでとう。そしてーーできればーー」

    んーん、と歌奈は首を横に振った。その言葉は自分が言うべきではないと判断して。

「毎日を笑って過ごしてね」

    GLAY.

    BELOVED.

    イントロを聴いただけで夕夏の時間が巻き戻る。巻き込まれるようにして、明智も28年前に飛ばされる。恭子はワイングラスを誰もいない場所に高く掲げた。

    川本への乾杯だった。

「もうどれくらい/歩いてきたのか?/街角に夏を/飾る向日葵ーー」 

    高校1年、16歳。

    演劇部に入部した、明智広明、川本竜馬、広瀬夕夏、南野恭子。

「面倒な恋を/投げ出した過去/想い出すたびに/切なさ募るーー」

    川本は恭子を好きになり、夕夏は川本を好きになり、明智は夕夏を好きになり、恭子は誰かを好きになる余裕などなかった。

「忙しい毎日に溺れて素直になれぬ中でーー忘れてた大切な何かに/優しい灯がともるーー」

    それから28年。

    明智は芸能プロダクションの社長。夕夏は銀座高級クラブのオーナーママ。恭子はHDCグループの常務取締役。

    誰も俳優にはなれなかったが、充実した毎日を過ごしている。

「やがて来るーーそれぞれのーー交差点を/迷いの中/立ち止まるけど/それでも人はまた歩き出すーー」

    川本と夕夏の仲人なこうどを務めた明智は、これでいいと思った。自分の好きなひとを好きでいてくれるのが親友で、その親友は夕夏の一番好きなひとだ。

   自分よりも夕夏を幸せにできる。これでいい、そう思っていたのにーー。

「巡り合うーー恋心ーーどんな時も/自分らしくーー生きていくのにーーあなたがそばにいてくれたらーー」

    親友は別れの挨拶もしないまま、空に旅立った。片道のチケットしか買わないで、行ってしまった。遺された夕夏。そして息子の茜。慌ただしくて、直情的で、物忘れが激しいにしても、絶対に置いてきぼりにしちゃいけないものがあるだろう。

    明智は川本がいなくなって、初めて川本を嫌いになった。

「AHーー夢から覚めた/これからもあなたを愛してるーー」

    だというのに。

    息子の茜を俳優にするために力を注ぎ、明智は父親の代わりを買って出た。演技は下手だったけど、川本の熱い心と真っ直ぐな想いは、誰かに継承させなきゃいけないと強く信じていた。

   愛と命を失うならば、親友の夢だけは必ず叶えてやる。

    そうして茜は、明智の指導を受けて俳優として、赤村朱人として見事デビューした。

    父の叶えられなかった夢を叶えた。

「単純な心のやりとりを/失くした時代ときの中で/3度目の季節は泡沫うたかたの恋を愛だと呼んだーー」

    明智広明は熱愛エロスよりも友愛ピリアを選んだ。

    相手が良いものを手にするために、その人のために望み、またその人のために行動していくと決めた。

    なぜならーー

「いつの日もーーさりげないーー暮らしの中ーーはぐくんだ/愛の木立こだち/微笑みも涙も受け止めてーー」

    一番好きな広瀬夕夏以上に、好きになれるひとなど、この世界には存在しないのだから。

「遠ざかるーー懐かしきーー友の声をーー胸に抱いてーー想いを寄せたーー」

    明智は川本に問いかける。

「いくつかの出会いーー」

    お前の名前を。

「いくつかの別れーー」

    川本という名字を。

「繰り返す日々は続いてゆく」

    夕夏から外してもいいだろうか。

「やがて来るーーそれぞれのーー交差点をーー迷いの中/立ち止まるけど/それでも人はまた歩き出すーー」

    明智は席から立ち上がる。夕夏の前まで歩いていく。

「巡り合うーー恋心ーーどんな/とき/もぉーーーー自分らしくぅーー生きてゆくのにぃーー」

    明智は、ひざまずいた。

    ジャケットのポケットから四角い箱を取り出して、貝殻のように蓋を開ける。

    20年前、親友の給料では買えなかった「婚約指輪」をみせる。

「あなたがそばにいてくれたらーー」

    明智は言う。

    川本夕夏さん。色々と手続きが面倒なのは知っています。

    もう一度、結婚を考えてくれませんか。

    必ず、幸せにします。

「AHーー夢から覚めた/これからもあなたを愛してる」

    明智が買ったのは、Milk  &  Strawberryの「ラ・トリニーテ」の婚約指輪。

    

   メンズリングと合わせて。

「三位一体」の意味を宿す、愛の指輪。

「AHーー夢から覚めた/今以上あなたを愛してるぅぅーーーゥゥゥーーーー********」

    夕夏は何も言わなかった。

    黙って左手を差し出した。

    明智は夕夏の薬指に、指輪をはめていく。

    20年の時を経て、ピンクのメレダイヤが光るシルバーリングに、ハート形の王冠がついに重なる。

 


    夕夏は明智に身を預けて、明智は優しく夕夏を抱き止めた。

「明智くん。夕夏。ふたりとも結婚おめでとう」

    恭子は一人で拍手をした。一人で充分だった。モニターの中から、娘の歌を聴き終わった観客たちも惜しみない拍手を送っていたからである。

    防音の効いたビップラウンジ。

    響き渡る祝福の音は外に一切もれず、愛し合うふたりのために贈られた。



【ラ・トリニーテ・了】
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