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剣の落ちた日
どうして皆には秘密なの?
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チェルの自室に辿り着くと、カイナはすぐさま傷の観察を始めた。
「口を開けてみろ」
「……あ」
チェルを椅子に座らせ、血に塗れた顔に近づいて傷の具合を見るカイナ。頬や鼻などを触診しながら、チェルの反応から傷の程度を計っていく。
「口の中を切ってるな……鼻も中が傷ついているだろうが……それだけだな。骨は無事だし、精々が内出血だろう。これなら痕も残らないだろうな」
ダズのような鍛え上げた兵士に好き放題に殴られれば、チェルでなくとも普通は無事では済まない。虚弱なチェルであれば尚のこと、骨が折れ致命傷を負っていても不思議ではない。
それならばなぜ今のチェルは鼻血程度で済んでいるのか。それは、ダズが満身創痍だったからに他ならない。
磔により、手首から先には満足に血が流れていない時間が長かった。前日からの酷い拷問により、満足に歩くことも難しいほどに痛めつけられていた。身体の感覚も禄にわからないまま、ダズは激情と使命感だけを頼りにチェルに殴りかかっていたのだろう。
チェルの身体を赤く塗り潰していたのはその殆どがダズ自身の血液であり、チェルの出血は鼻血程度でしかなかった。尤も、食生活が偏っているせいで常時貧血気味なチェルでは、その鼻血すらも致命傷になりかねない怖さがあるが。
「まずは鼻の治療だな。顔の血を拭くから、少し顔を上げてくれ」
カイナは右手に温めた濡れタオルを持ち、左手をチェルの顎に添える。
「ん……」
チェルは目を瞑り、されるがままに顔を上げる。その頬を、カイナはタオルで優しく拭ってやった。
瞼の上から弱くタオルを押し当て、まつ毛に付着した血液を拭う。指先をタオルでくるみ、耳の溝に沿ってこびりついた血をこそぎ落とす。眉間から鼻の先端までをなぞりあげ、小鼻と人中も含めてタオルで覆って指先で擦る。
「……今からすることは、誰にも言うんじゃないぞ」
「? 何かするの?」
疑問には応えず、カイナはチェルの鼻から下を覆うようにタオルを被せた。そして掌でチェルの小さな鼻を覆うと、目を瞑って集中し始めた。
カイナの掌が淡く緑色の光を放つと、チェルの鼻から流れ出ていた血は次第にその勢いを弱め、やがて完全に出血が止まった。
「……これ、魔法? カイナ兄、魔法使えたの?」
「転んだ子供の膝に貼ってやる、ガーゼの代わりくらいにしかならないけどな」
自嘲するように呟くカイナに対し、実際に回復魔法を受けたチェルは不思議そうな瞳を向けた。
「どうして皆には秘密なの?」
「……どうしてもだ。次は口を治療するから、もう一回口を開けろ」
「あ……んっ」
大きく開けたチェルの口に左手の人差し指と中指を差し込むカイナ。チェルは傷口に指が触れた瞬間には痛みに喘ぎ顔を歪ませたが、指先が淡い光を放つにつれてその表情も和らいでいった。
「……これで血は大方止まったな」
引き抜いた指から糸を引く唾液をタオルで拭うと、カイナは聖剣を手に持った。
「チェル、動かせるか?」
「……動かない」
カイナの持つ聖剣をじっと見つめたまま、チェルはそう呟いた。瞬きもせずに一心に見つめてはいるが、聖剣がカイナの手元から離れる様子はなかった。
「自分の手で持ってみろ」
聖剣の刃を指で挟んで持ち、チェルに柄を向けるカイナ。チェルは少しだけ躊躇った後に、両手で聖剣を持った。
「どうだ? 何か違いはあるか?」
「……わかんない。違うのかも、同じなのかも……なんもわかんない……」
聖剣をくるくると回し、刃を表と裏から眺めるチェル。彫られた紋様の一つ一つを丁寧に目で追ってはいるが、チェルの表情は芳しくない。
やがてチェルは指で聖剣の至る所を触り出し――
「いたっ!」
チェルの細い指に赤い線が引かれ、ぷっくりと血玉が滲み出す。
6歳で加護を得てからこの6年間、常に聖剣を身に帯びていたチェル。そのチェルが初めて聖剣によって傷を負ったという事実が、何よりも現実を詳細に表していた。
「……指を出せ」
指を咥えて血を舐め取るチェルの手を取り、カイナはできたばかりの切傷を治療する。そして赤い線が消えると同時に、チェルの手から聖剣を取り上げた。
「あ……」
「後のことはメイドに任せる。今日の所は休め」
「持って行っちゃうの……?」
聖剣を持ったまま扉へと向かうカイナの背にかけられた声は、何とも弱々しいものだった。無感情とは程遠い、まるで風邪を引いた子供のような声を受け、カイナは振り返らないままに応えた。
「聖剣をここに置いていっても、また指を怪我するだけだろう」
「触らないから……だめ……?」
「…………わかった」
一つため息を吐いてから、カイナはテーブルの上に聖剣を置いた。
「余計なことは考えず、とにかく体を休めることだけ考えておくんだ。いつものようにメイドに世話を任せ、眠くなくてもベッドで大人しくしておけ」
「……治るよね?」
それは質問ではなく、懇願であった。少なくとも、カイナにはそう聞こえた。
「……俺が知るわけないだろう」
それだけ言うと、カイナは早足でチェルの部屋を出て行った。
「…………」
まだ夜でも無いのに薄暗い室内。振り出した雨音を聴きながら、チェルはテーブルの上で微動だにしない聖剣を一心に見つめ続けた。
「口を開けてみろ」
「……あ」
チェルを椅子に座らせ、血に塗れた顔に近づいて傷の具合を見るカイナ。頬や鼻などを触診しながら、チェルの反応から傷の程度を計っていく。
「口の中を切ってるな……鼻も中が傷ついているだろうが……それだけだな。骨は無事だし、精々が内出血だろう。これなら痕も残らないだろうな」
ダズのような鍛え上げた兵士に好き放題に殴られれば、チェルでなくとも普通は無事では済まない。虚弱なチェルであれば尚のこと、骨が折れ致命傷を負っていても不思議ではない。
それならばなぜ今のチェルは鼻血程度で済んでいるのか。それは、ダズが満身創痍だったからに他ならない。
磔により、手首から先には満足に血が流れていない時間が長かった。前日からの酷い拷問により、満足に歩くことも難しいほどに痛めつけられていた。身体の感覚も禄にわからないまま、ダズは激情と使命感だけを頼りにチェルに殴りかかっていたのだろう。
チェルの身体を赤く塗り潰していたのはその殆どがダズ自身の血液であり、チェルの出血は鼻血程度でしかなかった。尤も、食生活が偏っているせいで常時貧血気味なチェルでは、その鼻血すらも致命傷になりかねない怖さがあるが。
「まずは鼻の治療だな。顔の血を拭くから、少し顔を上げてくれ」
カイナは右手に温めた濡れタオルを持ち、左手をチェルの顎に添える。
「ん……」
チェルは目を瞑り、されるがままに顔を上げる。その頬を、カイナはタオルで優しく拭ってやった。
瞼の上から弱くタオルを押し当て、まつ毛に付着した血液を拭う。指先をタオルでくるみ、耳の溝に沿ってこびりついた血をこそぎ落とす。眉間から鼻の先端までをなぞりあげ、小鼻と人中も含めてタオルで覆って指先で擦る。
「……今からすることは、誰にも言うんじゃないぞ」
「? 何かするの?」
疑問には応えず、カイナはチェルの鼻から下を覆うようにタオルを被せた。そして掌でチェルの小さな鼻を覆うと、目を瞑って集中し始めた。
カイナの掌が淡く緑色の光を放つと、チェルの鼻から流れ出ていた血は次第にその勢いを弱め、やがて完全に出血が止まった。
「……これ、魔法? カイナ兄、魔法使えたの?」
「転んだ子供の膝に貼ってやる、ガーゼの代わりくらいにしかならないけどな」
自嘲するように呟くカイナに対し、実際に回復魔法を受けたチェルは不思議そうな瞳を向けた。
「どうして皆には秘密なの?」
「……どうしてもだ。次は口を治療するから、もう一回口を開けろ」
「あ……んっ」
大きく開けたチェルの口に左手の人差し指と中指を差し込むカイナ。チェルは傷口に指が触れた瞬間には痛みに喘ぎ顔を歪ませたが、指先が淡い光を放つにつれてその表情も和らいでいった。
「……これで血は大方止まったな」
引き抜いた指から糸を引く唾液をタオルで拭うと、カイナは聖剣を手に持った。
「チェル、動かせるか?」
「……動かない」
カイナの持つ聖剣をじっと見つめたまま、チェルはそう呟いた。瞬きもせずに一心に見つめてはいるが、聖剣がカイナの手元から離れる様子はなかった。
「自分の手で持ってみろ」
聖剣の刃を指で挟んで持ち、チェルに柄を向けるカイナ。チェルは少しだけ躊躇った後に、両手で聖剣を持った。
「どうだ? 何か違いはあるか?」
「……わかんない。違うのかも、同じなのかも……なんもわかんない……」
聖剣をくるくると回し、刃を表と裏から眺めるチェル。彫られた紋様の一つ一つを丁寧に目で追ってはいるが、チェルの表情は芳しくない。
やがてチェルは指で聖剣の至る所を触り出し――
「いたっ!」
チェルの細い指に赤い線が引かれ、ぷっくりと血玉が滲み出す。
6歳で加護を得てからこの6年間、常に聖剣を身に帯びていたチェル。そのチェルが初めて聖剣によって傷を負ったという事実が、何よりも現実を詳細に表していた。
「……指を出せ」
指を咥えて血を舐め取るチェルの手を取り、カイナはできたばかりの切傷を治療する。そして赤い線が消えると同時に、チェルの手から聖剣を取り上げた。
「あ……」
「後のことはメイドに任せる。今日の所は休め」
「持って行っちゃうの……?」
聖剣を持ったまま扉へと向かうカイナの背にかけられた声は、何とも弱々しいものだった。無感情とは程遠い、まるで風邪を引いた子供のような声を受け、カイナは振り返らないままに応えた。
「聖剣をここに置いていっても、また指を怪我するだけだろう」
「触らないから……だめ……?」
「…………わかった」
一つため息を吐いてから、カイナはテーブルの上に聖剣を置いた。
「余計なことは考えず、とにかく体を休めることだけ考えておくんだ。いつものようにメイドに世話を任せ、眠くなくてもベッドで大人しくしておけ」
「……治るよね?」
それは質問ではなく、懇願であった。少なくとも、カイナにはそう聞こえた。
「……俺が知るわけないだろう」
それだけ言うと、カイナは早足でチェルの部屋を出て行った。
「…………」
まだ夜でも無いのに薄暗い室内。振り出した雨音を聴きながら、チェルはテーブルの上で微動だにしない聖剣を一心に見つめ続けた。
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