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第五夜
義弟は会話する
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「こんにちは」
扉がノックされたかと思えば、今度は女性の声が部屋の中に響いてきた。間違いなくケン君の友達だ。あの女性がオレの部屋を訪ねてきたんだ。
「カオルくん、でいいんだよね。鹿島くん……えっと、お義兄さんから名前を教えてもらったの」
外見を知っているからか、声まで透き通っているように感じてしまう。耳の中にスッと入ってくるような、程よい高音。鼓膜を震わせる幼さの残っていない声。大人の女性の声。
何もかもが妬ましい。
「……えっと、中にいるんだよね?」
こちらから返事をしていないせいだろう。勝手に勘違いしている様は少し面白い。
「あ、あれー? いなかったらちょっと私恥ずかしいんだけど……ただでさえ一人で話してる状態なのに。でも、なんか物音してたからいるんだよね?」
どうやらベッドで暴れていた音は廊下までは漏れていて、女性には聞かれてしまっていたらしい。
それでもオレは返事をする気はなかった。知らない人と話したくないし、勝手に一人芝居をしている状態なのはいい気味だ。ケン君には後で寝ていたとか音楽を聴いていたとか、なんとでも言える。
「……おかしいなー。鹿島くーん?」
「っ⁉ ま、待って!」
「やっぱりいたんだー。良かったー、危うく恥ずかしい人になるところだったよー」
つい、声を出して呼び止めてしまった。女性がまたケン君とふたりきりになると思った途端に声が出てしまった。
自分の事ながら、なんて幼い嫉妬心。女性とは話したくない。そして女性とケン君がいっしょになるのも嫌なんて。
「そうだよね、いきなり知らない人に話かけられて返事するなんて難しいよね。扉越しで顔も見えないし、警戒して当然だったね。ごめんね、気が付かなくて」
「っ……べ、別に、そんなんじゃ、ないです」
「ん? 何か言った? やっぱり扉越しだと聞き取り辛くて」
「えとっ……うっ……」
久しぶりのケン君以外の人との会話に体は緊張してしまっていた。舌の動きは硬くて、喉が渇いて声が出しづらい。昔から人見知りをする方だという自覚はあったが、悪化しているような気さえする。
「あっ、自己紹介してなかったね。一条夕美です。鹿島くんと同じ大学に通ってて、同期なんだよ」
「……」
「……えっと、あなたは鹿島くんの義弟さんで、カオルくんでいいんだよね? まさか別人だったりしないよね?」
「……」
「……え? 別人? もしかして兄弟ってカオルくんだけじゃなかったの?」
「っち、ちがっくて……っ、な、なんの用っ、ですか?」
「お土産にケーキ買ってきたから、いっしょに食べない?」
先ほどテーブルに乗せられていた白いケーキのことだろう。やはり女性が買ってきた物だったみたいだ。
「あのね、鹿島くんからカオルくんが甘党さんだって聞いてて、だから話してみたいなって思ったの。私も結構な甘党なんだよ。昨日のエッグタルトも私が鹿島くんにオススメしたの」
「え……?」
「昨日駅でばったり鹿島くんと会ってね。お土産に悩んでるってことだったから、ちょこっと口出しさせてもらったの。エッグタルト美味しかったでしょ」
初耳だ。エッグタルトについてはどうでもいい。ケン君がすでに昨日、この女性と外で出会っていたなんて。
「今日のケーキも私のオススメだから、きっと気に入ってくれると思うんだ。全体の甘さは控えめなんだけど、凝縮された甘みが堪らなくて、さっぱりと食べれるのに濃厚で、口当たりがまた柔らかいのが――」
「いっ、いりません……っ!」
「……えっ?」
「た、食べません、ケーキ……」
胸中でぐつぐつとした感情が渦を巻く。昨日のエッグタルトを食べてしまったことが。夢中になってしまったことが。この女性がオススメした物を、ケン君に対して笑顔で美味しいと言ってしまったことが。
美味しかったという感情が、そのまま大きな後悔へと変わっていく。
「えーっとー……。理由を訊いてもいい?」
「……っ、ち、チーズって嫌いなんです」
出まかせだけれど、チーズが好きというわけでもない。ケン君だってオレがチーズを好きなのか嫌いなのかは知らないはずだから、女性にはバレないだろう。
「チーズ……? えっと、入ってないから大丈夫だよ?」
「? ……っ!」
テーブルで見た白いケーキをレアチーズケーキだと勝手に思い込んでいたことに気づく。そもそも、オレはケーキがどんな種類なのか知らないはずなのだから好き嫌いで断ること自体がおかしかった。
「あっ、えとっ……っ!」
このままでは部屋を覗いていたことがバレてしまう。この女性に、情けない行動を知られてしまう。しかし焦ったところで妙案は思い浮かんではくれなくて、舌が空回りするばかりだ。
「……そんなに焦らなくて大丈夫だよ」
鼓膜を優しく撫でるような声が、扉の向こうから聞こえてきた。
少しだけ、ほんの一瞬だけ、お母さんが脳裏をよぎった。
「よくわからないけど、カオルくんが嫌なら無理強いはしないよ。今食べたくなかったらあとで食べてくれたらいいし、どうしても食べられなかったら鹿島くんがきっと食べちゃうから。だから、私に気を遣ったり取り繕ったりしなくていいよ。私はカオルくんにイジワルしたいわけじゃないから」
嫉妬に狂っていた心が大人しくなっていく。ナイフで突き刺されてしまったから。白くてキレイな刃渡りで深く、優しく。
勝手に敵対心を抱いて、嘘まで吐いて。それなのに女性はどこまでも優しくて。
自分のことが惨めで仕方ない。
「ごめんね、急に色々話しかけられてもビックリしちゃうよね。私はそろそろ戻るから。安心してくれていいから」
「っあ、あの……!」
「どうかした?」
「……け、ケン君をっ、と、取らないでください……」
どうしてこんなことを言ってしまったのか。後から振り返ってもわからなかった。
扉がノックされたかと思えば、今度は女性の声が部屋の中に響いてきた。間違いなくケン君の友達だ。あの女性がオレの部屋を訪ねてきたんだ。
「カオルくん、でいいんだよね。鹿島くん……えっと、お義兄さんから名前を教えてもらったの」
外見を知っているからか、声まで透き通っているように感じてしまう。耳の中にスッと入ってくるような、程よい高音。鼓膜を震わせる幼さの残っていない声。大人の女性の声。
何もかもが妬ましい。
「……えっと、中にいるんだよね?」
こちらから返事をしていないせいだろう。勝手に勘違いしている様は少し面白い。
「あ、あれー? いなかったらちょっと私恥ずかしいんだけど……ただでさえ一人で話してる状態なのに。でも、なんか物音してたからいるんだよね?」
どうやらベッドで暴れていた音は廊下までは漏れていて、女性には聞かれてしまっていたらしい。
それでもオレは返事をする気はなかった。知らない人と話したくないし、勝手に一人芝居をしている状態なのはいい気味だ。ケン君には後で寝ていたとか音楽を聴いていたとか、なんとでも言える。
「……おかしいなー。鹿島くーん?」
「っ⁉ ま、待って!」
「やっぱりいたんだー。良かったー、危うく恥ずかしい人になるところだったよー」
つい、声を出して呼び止めてしまった。女性がまたケン君とふたりきりになると思った途端に声が出てしまった。
自分の事ながら、なんて幼い嫉妬心。女性とは話したくない。そして女性とケン君がいっしょになるのも嫌なんて。
「そうだよね、いきなり知らない人に話かけられて返事するなんて難しいよね。扉越しで顔も見えないし、警戒して当然だったね。ごめんね、気が付かなくて」
「っ……べ、別に、そんなんじゃ、ないです」
「ん? 何か言った? やっぱり扉越しだと聞き取り辛くて」
「えとっ……うっ……」
久しぶりのケン君以外の人との会話に体は緊張してしまっていた。舌の動きは硬くて、喉が渇いて声が出しづらい。昔から人見知りをする方だという自覚はあったが、悪化しているような気さえする。
「あっ、自己紹介してなかったね。一条夕美です。鹿島くんと同じ大学に通ってて、同期なんだよ」
「……」
「……えっと、あなたは鹿島くんの義弟さんで、カオルくんでいいんだよね? まさか別人だったりしないよね?」
「……」
「……え? 別人? もしかして兄弟ってカオルくんだけじゃなかったの?」
「っち、ちがっくて……っ、な、なんの用っ、ですか?」
「お土産にケーキ買ってきたから、いっしょに食べない?」
先ほどテーブルに乗せられていた白いケーキのことだろう。やはり女性が買ってきた物だったみたいだ。
「あのね、鹿島くんからカオルくんが甘党さんだって聞いてて、だから話してみたいなって思ったの。私も結構な甘党なんだよ。昨日のエッグタルトも私が鹿島くんにオススメしたの」
「え……?」
「昨日駅でばったり鹿島くんと会ってね。お土産に悩んでるってことだったから、ちょこっと口出しさせてもらったの。エッグタルト美味しかったでしょ」
初耳だ。エッグタルトについてはどうでもいい。ケン君がすでに昨日、この女性と外で出会っていたなんて。
「今日のケーキも私のオススメだから、きっと気に入ってくれると思うんだ。全体の甘さは控えめなんだけど、凝縮された甘みが堪らなくて、さっぱりと食べれるのに濃厚で、口当たりがまた柔らかいのが――」
「いっ、いりません……っ!」
「……えっ?」
「た、食べません、ケーキ……」
胸中でぐつぐつとした感情が渦を巻く。昨日のエッグタルトを食べてしまったことが。夢中になってしまったことが。この女性がオススメした物を、ケン君に対して笑顔で美味しいと言ってしまったことが。
美味しかったという感情が、そのまま大きな後悔へと変わっていく。
「えーっとー……。理由を訊いてもいい?」
「……っ、ち、チーズって嫌いなんです」
出まかせだけれど、チーズが好きというわけでもない。ケン君だってオレがチーズを好きなのか嫌いなのかは知らないはずだから、女性にはバレないだろう。
「チーズ……? えっと、入ってないから大丈夫だよ?」
「? ……っ!」
テーブルで見た白いケーキをレアチーズケーキだと勝手に思い込んでいたことに気づく。そもそも、オレはケーキがどんな種類なのか知らないはずなのだから好き嫌いで断ること自体がおかしかった。
「あっ、えとっ……っ!」
このままでは部屋を覗いていたことがバレてしまう。この女性に、情けない行動を知られてしまう。しかし焦ったところで妙案は思い浮かんではくれなくて、舌が空回りするばかりだ。
「……そんなに焦らなくて大丈夫だよ」
鼓膜を優しく撫でるような声が、扉の向こうから聞こえてきた。
少しだけ、ほんの一瞬だけ、お母さんが脳裏をよぎった。
「よくわからないけど、カオルくんが嫌なら無理強いはしないよ。今食べたくなかったらあとで食べてくれたらいいし、どうしても食べられなかったら鹿島くんがきっと食べちゃうから。だから、私に気を遣ったり取り繕ったりしなくていいよ。私はカオルくんにイジワルしたいわけじゃないから」
嫉妬に狂っていた心が大人しくなっていく。ナイフで突き刺されてしまったから。白くてキレイな刃渡りで深く、優しく。
勝手に敵対心を抱いて、嘘まで吐いて。それなのに女性はどこまでも優しくて。
自分のことが惨めで仕方ない。
「ごめんね、急に色々話しかけられてもビックリしちゃうよね。私はそろそろ戻るから。安心してくれていいから」
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「どうかした?」
「……け、ケン君をっ、と、取らないでください……」
どうしてこんなことを言ってしまったのか。後から振り返ってもわからなかった。
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