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若き武神

荊州の若き武神 3

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 四苦八苦しながら呂布は少女をなだめ、呂布と少女は四阿にある席につく。

 よほど怖かったのか、少女は呂布にぴったりくっついて、高順に対して怯えている。

「ははは、高さん、よほどヒゲが怖かったみたいですよ?」

「うるせーぞ、文遠。わざわざ嫌われ役を買って出た俺の事を褒めろ」

 高順はそう言って自分で持って来た酒を手酌してあおり、さらに別の盃に酒を注ぐとそれぞれのところに置く。

「で、奉先。紹介してくれないのか? 俺は待ってるんだがなぁ」

「そうせっつくな」

 少女はまだまだ怖がっているのだが、恐慌状態からは脱したと見える。

「そこの怖い髭面が高順、その隣の一見大人しそうに見えても怒ると俺でも手に負えなくなるのが張遼。どちらも俺の友だ」

「……え?」

 きょとんとして、少女は呂布と高順を見比べる。

「え? こう、じゅん? えっと、どちら様ですか?」

「俺が聞きたいよ」

 少女の想定外の質問に、高順の方が呆れて言う。

「あの……、呂布様……では?」

「奉先はそいつ」

 高順は、少女が頼りきっている人物を指差して言う。

「え? あ……、え?」

 少女は一瞬悲鳴を上げそうになったのだが、目をぱちくりさせながら呂布と高順を見比べている。

「……え?」

「俺が呂布奉先だよ。一応会ってるし、紹介もされてたんだけど、覚えてない?」

 呂布は確認してみるが、あの時は極限の緊張状態だった彼女なので何も見えても聞こえてもいなかったらしい。

「え? それじゃ、貴方が呂布様?」

 ビクッと肩を震わせて、少女が呂布を見る。

「そうなんだけど、どうしてそんなに怖がられてるんだ?」

「俺も気になりますね。どんな形であれ、将軍の名が徐州に轟いているわけですから」

 張遼は少し方向性が違うものの、興味津々である。

 が、少女の方は困って泣きそうになっている。

「まあまあ、まずは飲もうじゃないか。けっこう良いヤツだから、ほらほら、ぐいっといって」

 高順はそう言って、少女に盃を勧める。

 少女は遠慮勝ちな上に高順に怯えながら、おずおずと盃を手に取る。

 緊張のせいで喉が渇いていたのか、すぐに盃を空にした。

「お。イケる口だねぇ。奉先、お前より強いんじゃねえか?」

「調子に乗って飲ませ過ぎるなよ」

 高順は調子に乗り過ぎるところがあるので、呂布は早めに釘を刺す。

 相手が並外れた美少女と言う事もあるので、高順が調子に乗るのは目に見えている。

「奉先は堅いよな? 嫁になるって女なんだから、酔って酔わせて勢いに任せてだなぁ」

「高さんならそれでも良いかもしれませんけど、将軍は荊州を代表するような武将ですよ? 悪い評判がついたら、そう簡単に消せないんですから」

「へぇ、奉先は大変だなぁ」

 高順は笑いながら言う。

 ふと気が付くと、随分と酔いが回ってきたのか頬を赤く染め、トロンとした目を呂布に向けている。

「……呂布将軍って、話で聞くより全然素敵ですよね」

「お、いよいよ本題か? 嬢ちゃん、奉先の事はどう聞いてたんだ?」

「私にはこうって名前があるんですぅ」

 と言って高順を睨むと、むくれる。

 あれだけ怖がっていた高順が睨めるくらいなのだから、もうだいぶ酔っ払っているみたいだ。

「ごめんごめん、で、香ちゃん」

「こう言う時には姫を付けるんですよ。もしくは氏を付けるか。曹氏でいいんですか?」

「私、養女だから曹じゃないですよ? 姓はげんです。だから、呂布様のところに嫁いだら厳氏ですね。やだぁ、何言ってるんですかぁ!」

 美少女、香は呂布の腕を思いっきり叩く。

 面白い酔っ払い方だ。

 見た目には氷の様な美貌なのだが、この酔っ払い方はその外見からは分かりにくい砕け方である。

「でも、荊州の呂布将軍は凄いですよぁ」

 酔っ払った香は、けたけたと笑いながら言う。

「なんでも素手で熊を殴り殺したとか、道具を使わずに虎を捕まえて頭からバリバリ食べちゃったとか……」

「それは酷いな」

 大爆笑する高順と張遼に対し、呂布でさえ苦笑いするしかない。

「いくらなんでも、それは無茶苦茶だ」

「奉先なら熊を素手で殺れるだろ?」

「無理だって」

「それだけじゃ無いですよぉ?」

 香が笑いながら言う。

「お城には翼の生えた虎とか、捕まえた龍を飼ってて、荊州の罪人は食べられるって言われてますけど、本当ですか?」

「嘘に決まってるだろう」

「呂布将軍も一緒に罪人食べてるって聞いてますけど、食べるんですか?」

「……俺、徐州には行けないなぁ」

 呂布が真剣に呟くと、高順、張遼、香は楽しげに笑っていた。





 翌日。

「おはよう、お寝坊さん」

 呂布はようやく目を覚ました香に対し、笑いながら声をかける。

 香は慌てて起きようとしたのだが、急激な頭痛に襲われたのか呻き声を上げて、倒れこむ。

「ははは、二日酔いだね。昨日は飲まされてたからなぁ」

 呂布は鎧を身に付けながら、香に向かっていう。

 この部屋には呂布と香以外にも、呂布の鎧を身につけているのを手伝っている女官が二名いた。

「あ、あ、あああああの、りょ、呂布様……」

「どうした? 水か?」

「あの、あ、わた、その……」

「ちょっと一回落ち着こうか」

 香は寝台の上で、掛け布を引き寄せる。

「呂布様、私、何で着物を脱いで呂布様の寝台で寝ているのですか? 何か粗相しませんでしたか?」

「どっちが?」

 真っ赤になって慌てている香に、呂布は笑いながら尋ねる。

「まあ、昨日の記憶は残ってないだろうね。飲まされてたもんなぁ」

 昨夜は香が呂布評を散々話した後、突然怒り出したり笑い出したりしながら呂布に絡んでいたのだが、それから突然暑いと言い出して着物を脱ごうとしたので呂布と張遼は慌てて止めていた。

 呂布と張遼が必死で止めていた途中で香が半裸の状態で眠ってしまい、高順は大喜びだったが、呂布と張遼は慌てて女官を呼び、最終的にこう言う事になった。

「と言う訳で、途中からは俺もいらない子だったわけで、姫様の着物は女官が置いてるから、着替える時には言えば良いよ」

「……ありがとうございます。呂布様は、お優しいのですね」

「高順からは変人呼ばわりされてるけどね。さて、この部屋には見ての通り虎も龍もいないから、安心してゆっくり休んでいるといいよ」

 呂布は鎧を付け終えると、部屋を出る。

 鎧を付けると言っても合戦をする訳ではなく、武将としての正装のようなモノと、よそ者である李粛や曹豹に侮られないようにとの配慮らしい。

 呂布にはよくわからないのだが、丁原がそういうのだからそれに従うしかない。

 しかし、朝食の時に鎧姿と言うのは、どう考えてもやり過ぎだと思う。

 食べづらくて仕方が無い。

「やあ、奉先。起こしに行っていたのだけれど、その必要も無かったみたいだね」

「ああ、李粛か。そっちこそ早いじゃないか」

「丁原様に言われて、奉先を起こしに行くところだったんだよ。朝食を一緒にと言う事だったからね」

 李粛は爽やかに言う。

 昨日は鎧姿だった李粛ではあるが、今朝は鎧はまとっていない。

 当たり前と言えば、当たり前である。

 李粛や曹豹は威圧しに来た訳ではないし、それに効果が無い事も分かっている。

 こんな事で侮られないようになどと考えるのは、よほど余裕が無いか、丁原並みに見栄っ張りしかいないだろう。

「義父上が朝食を一緒に? まだまだ冬は遠いのに雪でも降るんじゃないか?」

 おどけて言うが、香の事だと言う事は高順から頭を使えと笑われる呂布にでも分かった。

 李粛はわざわざこの役割を買って出て、点数稼ぎをしているのだろう。

 ここまでは、昨夜張遼が予想した通りである。

 あまりにもその通りになっているので、意外と軍師としてもやっていけるのではないかとも思うのだが、それにはちょっと好戦的過ぎるので、張遼は武将向きであると呂布は一人で考えていた。

 後はどこまで張遼の予想通りになるかだが、呂布が言うのもなんだが、丁原はそこまで行動に深みが無いし、李粛や曹豹もこちらの裏を読もうとするような人物ではないので、最後まで張遼の思惑通りに進むかも知れない。

 李粛に連れられて来たのは、やはり昨日の四阿であった。

 どれだけ客人に自慢したいのかはわからないが、呂布の方が恥ずかしくなってしまう。

 そこには既に丁原と曹豹がいて、数人の女官が豪勢な食事を運んでいた。

 あまりに豪華な食事に、呂布は眉を寄せる。

 荊州は豊かだとは言え、こう言う事を露骨に行っているから太平道などが流行すると言う事を理解していないのか、と考えてしまう。

「奉先、曹豹殿の娘はどうであった?」

 その質問の仕方はどうなんだと言わんばかりの直球で、丁原が呂布に言う。

「ええ、昨日はゆっくり話し合いました。意外と話が合いましたよ。あ、そうそう、一つ曹豹殿にお尋ねしたい事がありました」

「私にですか?」

 よほど意外だったのか、曹豹が驚いている。

「いえね、何故わざわざこんな遠くの俺のところに、あれほど美しい娘さんを嫁に出そうと思ったか、気になるんですよ。俺でも知ってる若手がいるでしょう? 例えば四世三公の袁紹えんしょう袁術えんじゅつ、長沙の海賊狩りの孫堅そんけんとか、そっちの方が良いんじゃないですか? それらを上回るほど、俺って評判なんですか?」

「え? あ、そ、それはもう」

 曹豹は引き攣りながら言う。

「へえ、どんな感じで伝わってるんです?」

 ごく自然な感じで呂布は尋ねるが、それに対して曹豹は答えようとせずに困ったように李粛をチラチラと見て、助けを求めている。

 酔っ払った状態ではあったといっても、香が知っていた話である。曹豹が知らないはずはないが、本人を前にあの話は出来ないだろうと呂布は思う。

 どう考えても若手武将を一本釣りするつもりなら、呂布より将来有望な人物はいくらでもいるはずで、それこそ四世三公の袁紹、孔子こうしの子孫の孔融こうゆう、古の兵法家である孫子そんしの末裔で海賊狩りの孫堅など、その手の情報に詳しくない呂布でさえ候補を挙げられる。

 だが、それらを釣り上げるにしては、いかに美しいと言っても無名の曹豹の娘では、まず釣り合わない。

 そこで名前が上がったのが呂布奉先と言うわけだ。

 香の話が一般的に徐州に広まっているのなら、どう考えても嫁がもらえるはずもない。それでも人並み外れた武力を誇る人物は欲しい。

 そういう訳で嫁と言うより生贄に選ばれたのが、曹豹の家で育てられる美しい養女である香だったと言うわけだ。

 曹豹の態度から、その話を持ちかけたのは李粛だと思われる。

 しかし選ばれた香も、不名誉と言えば不名誉な話だ。

「僕が聞いたのは、戟を持たせれば天下一品、国士無双の剛勇でありながら女人に縁がないと言う事かな」

 李粛が曹豹に助け舟を出す。

「確かに奉先は女に縁が無いからな。文遠はともかく、あの高順と言うゴロツキと一緒にいるのは問題なのではないか?」

「いえ、義父上。高順はアレで女性からは好かれていますよ。見た目より律儀なところとか、何気なく気配りが出来ると言う事で、評判は良いですから。むしろ文遠の方が堅苦しいとか言われて……」

 呂布が丁原に話していると、身支度を整えた香がやって来る。

 こうして身支度を綺麗にしていると、片田舎の無名武将の養女とは思えない美貌であり、素性を隠せばそれこそ袁紹なども釣り上げられそうな美女である。

 もっとも、酔っ払ったりして素が出たりすると簡単に化けの皮を剥がされるが。

「遅れてしまい、大変申し訳ございません」

 香は詫びの言葉を入れて、優雅な仕草で頭を下げる。

 昨日は極限の緊張状態だったが、今朝は余裕があるので目を疑うほどの別人ぶりだ。

 呂布ですら戸惑ってしまう。

 ここに来るまでにどこかに隠れていたはずの張遼と高順から色々と話は聞いているはずだが、香に澄まし顔でいられるとそれを読み取る事は簡単ではない。

 丁原や李粛はもちろん、養父の曹豹にすら読み取れないかもしれない。

「昨夜は奉先と語らったそうだが、どうだったかな?」

「お話で聞くより、はるかに立派なお方で驚きました。呂将軍のようなお方は、私の周りはもちろん、漢の国土の中に二人とおられないでしょう」

 香は昨日と違って、余裕のある受け答えをしている。

 昨日の酒が残っているのか、と呂布はあらぬ心配をしてしまう。

「この私がそれほどのお方の妻になど、恐れ多くて務まらないでしょう」

 香は、笑顔でとんでもない事を言う。

 あまりの衝撃発言に、呂布込みで言葉を失っている。

「……奉先?」

 李粛が呂布を睨みつけてくる。

「どういうつもりなんだ?」

「え? 俺なの?」

 李粛に恨み言まがいに言われ、呂布は驚いて声を上げる。

「昨夜、呂将軍と遅くまでお話させていただいたのですが、私は呂将軍の事を何も知らず、呂将軍も私の事を何も知らない。そのような状態で、私を妻に迎える事は出来ないと言われました」

 にこやかかつ軽やかに言う香だが、その言葉を聞いた丁原と李粛は呂布を睨み、曹豹は娘と呂布と丁原を見てあたふたしている。

「えっと、俺、そんな事言ったっけ?」

「はい。ですから、私を傍に置きたいと言って下さいました。お互い、もっと知り合おう、と」

 香は、頬を紅く染めながら微笑む。

 花も恥じらうとは、まさにこの事だと思わされる美しさである。

「あ、ああ、そう。確かに言った。いきなり嫁だの結婚だのと言うのもアレだから、もう少しお互いを知る事から始めてみようかなって話なんですよ。それで、こう、然るべき段階を踏んでから……」

「……奉先。僕には奉先の考えてる事がさっぱり分からないよ」

 李粛が呆れ返って呟いていた。
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