新説 呂布奉先伝 異伝

元精肉鮮魚店

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其れは連なる環の如く

流血の都へ 7

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 曹操は身辺警護としてただ一人、従兄弟の曹洪そうこうだけを連れて逃げ出していた。

 曹仁の策は非情に思えるところもあったが、曹操も上手くいくと思っていた為、兵力は残しておいた方が良いと言う判断でもある。

 だが、呂布が他の武将と違って武勲にこだわらない事は曹操も知っていたが、自分の手柄を他人に与えるほどの無欲でお人好しだとは、曹操ですら思わなかった。

 しかも呂布はただ武勲を誰かに譲る為に動いていた訳ではなく、どうしても呂布を避けたい曹操にとって、退路に選ばざるを得なくなったのは董卓軍でも集団戦に定評のある徐栄の軍の方へ誘導してきた。

 個人の武勇を武勲の誉れとしている李傕や郭汜であれば隙は大きかったのだが、徐栄はその隙が極めて小さい人物である。

 諸将から借り受けた精鋭達も、曹操が私財で集めた兵達も個々に戦い、撤退と言うより敗走を始めていた。

 李粛軍に深く入っていた徐州軍は、そこをさらに削るようにして逃げていたみたいだが、それ以外がどうなったのかを曹操が確認する事は出来なかった。

 曹操と曹洪の二人は、それぞれに剣を手に敵兵を切り倒しながら逃げる。

 日中に始まった董卓軍との戦いは、日暮れ前には追撃軍の瓦解によって敗北し、曹操と曹洪は全力で逃げ続けた。

 二人はなりふり構わず逃げ続けたので乱戦を抜け出す事には成功していたが、その代償として馬を失ってしまった。

 その事を知った徐栄軍はすぐさま反転して、追撃軍の掃討より曹操の捜索に全力を傾ける。

「孟徳、何をしている」

 曹洪は突然足を止めた曹操に対して、首を傾げて言う。

「まさか疲れたとか言わないよな?」

「もう少しで夜ですから、夜を待って逃げた方が良いのでは、と思うのですが」

 曹操は茂みに隠れて言う。

 確かに夜の闇に紛れる事は曹操達の有利になる。

 捜索隊は灯りを持って移動する事になるので、曹操達はそれを目印にして逃げていけば済む。

 しかし、時間をかければその分捜索隊の包囲展開を許す事になり、そうなるとそこを突破して逃げると言うのは非常に難しくなる。

「どちらにしても賭けと言う事になるが、それでも良いのか?」

「ここで走って逃げるのも賭けですよ」

 曹操の言葉に曹洪は頷くと、夜を待つ為に身を隠す。

「孟徳、夜を待って逃げると言う賭けに乗る事にはしたが、それだけか? 他に何か策はあるのか?」

「策と言えるほどのモノではありませんが、捜索範囲を広くしようとすると、当然少人数の班単位での行動となるはず。そこで新たに馬を手に入れて逃げようと思っていますが」

「うっかり呂布に出くわしたりしないよな?」

 曹洪の言葉に、曹操は首を振る。

「呂布将軍も呂布軍も捜索には加わりませんよ。根拠は無いんですけど、まず間違いないでしょう」

 絶対とは言えないものの、曹操には確信があった。

 おそらく呂布はすでに戦場から離れ、董卓の警護と言う本来の役割に戻っているはずだ。

 そうでなければ呂布が自ら曹操を追っていたはずだし、わざわざ徐栄の方に曹操を誘導する様な事は無いだろう。

 だが、もし呂布が捜索隊に加わっているとすると、相当厄介な事にもなる。

 人には向き不向きがあり、呂布の素晴らしく目立つ外見や性格を考えると捜索などには向いていないのではないかと思いたいのだが、極端に真面目な張遼は徐栄以上の脅威になりかねない。

 張遼だけが捜索隊に加わると言う事も考えられなくはないが、張遼は呂布に心酔しているところがある。

 呂布が個人的に命令しない限り、張遼は捜索隊に参加する事も無いはずだし、呂布は曹操の捜索より董卓の身辺警護を優先するだろう。

 希望的観測に過ぎる事は曹操も認めるところだが、呂布と言う人物の事を考えると敵を倒す事より対象を守るはずだ。

「……まあ、そう言われるとそれっぽくは聞こえるが」

 曹洪は複雑な表情で言う。

「俺は呂布の事はよく知らないが、孟徳が言うならそうなんだろう。で、馬を奪うとすると、どこの奴を狙う?」

「おそらく出てくると思われる、李粛の部隊ですよ。李粛は先の防衛戦でも、ここの迎撃戦でも良いトコ無しですから、何が何でも武勲を上げたいはず。董卓軍の武将の中で、突出して隙の多い凡将ですからね」

「それには全面的に賛成だな。アレと呂布がつるんでる理由が分からないくらいだ」

「なんでも同郷の幼馴染なんだとか。張遼がぼやいてましたよ。アレはいらないって」

「ああ、俺でもそう思う。あいつからは金の匂いがしない」

 曹洪の言葉に、曹操は苦笑いする。

 曹洪は曹操軍の中でもっとも商才に長け、高齢の呂伯奢に代わって金銭管理を勤めてもいる。

 呂伯奢が言うには非常に筋が良いと言う事だったが、余りにも金銭にこだわる為に多少の反感も買っているのも事実だった。

 二人は隠れた状態でそんな話をしていたが、それは精神的な余裕の無さから来ている事を自覚していたからこそ、落ち着こうとしての行動である。

 曹操に対する捜索隊がどれほどの規模で展開するかは予想が難しいところであるが、董卓軍の武将達はともかく、董卓と李儒が曹操を警戒していないはずがない。

 その二人が命じれば、董卓軍の全軍が曹操一人を狙ってくると言う事も、極端な例ではあっても有り得ないとは言えないのだ。

 その捜索隊から逃げ切るには、まず何をおいても馬が必要になる。

 捜索隊は暗くなってくると灯りを持って移動となるが、曹操と曹洪は身を隠しながらその灯りを目で追う。

 董卓軍は呂布の直轄軍ほど勤勉では無いので隙は多いと曹操は考えていたが、よほど警戒されているのか、灯りはそれなりの数が固まって動いている。

 灯りの数はおおよそ五から十程度であり、歩兵が中心でありながら騎馬と思われる灯りの高さのモノもちらほらと見える。

「孟徳、お前色々やりすぎたんじゃないのか?」

「私も今になって反省してます」

 勤勉とは言えない董卓軍のはずが、かなりの数で曹操の捜索を真剣に行っている。

 董卓軍の兵士が全員曹操を警戒していると言う事はないのだが、おそらくこれだけの人間をやる気にさせる報奨が約束されていると言う事だ。

 それだけ董卓や李儒は、曹操だけは逃がすなと徹底しているのだろう。

「おかしいですね。私は暗殺に失敗した時には暗殺に来た事自体を上手く誤魔化したはずだし、今回の事も代表は袁紹のはずなんですけど」

「でも、暗殺に失敗した後、凄い疾さで手配書が回ってたよな?」

「……はい。おっしゃる通りです」

 気を取り直して曹操と曹洪は、追っ手に気付かれないように移動を始める。

 夜の闇が深くなるほど向こうは精神的負担が大きくなる上に、集中力も途切れていく。

 しかし、あまり時間をかけすぎると逃げる時にこちらの体力が心配になってくるので、出来る事なら早く仕掛けたい。

 曹操がそう思っていると、さっそく捜索に飽きてきたのか隊列の乱れが目立ち始めた。

 しかも騎馬に乗っていると言う事はそれなりの身分であるはずなのだが、そこから崩れ始めてはその下の歩兵達も真面目に捜索しようと言う気にならなくなっても仕方が無い。

 曹操と曹洪は狙いを定めると、忍び寄る。

 その一隊は捜索に対して一切やる気が無かったらしく、持ってきていた酒や食糧でちょっとした宴会を始めていた。

 李粛の軍が他の董卓軍の武将より戦いやすいと思っていたのだが、ここまでどうしようもないとまでは考えていなかったので、逆に警戒してしまう。

 だが、これは千載一遇の好機である事も間違いない。

 曹操は曹洪の方を見ると、特に何も言わなくても分かったらしく曹洪は頷く。

 今、曹操が狙っているのは五人組であり、馬も一頭いる。

 問題があるとすれば馬の数が足りないと言う事と、火を囲んで座っているのでどこから近づいても発見される恐れがあると言う事くらいだが、緊張感もなく弛緩しきっているところを見ても、これ以上の好条件は揃いそうにない。

 ある程度近づいたところで、曹操と曹洪はだらけた李粛軍の一隊に斬りかかる。

 切れ者の印象の強い曹操なので周りからは軍師や文官とも思われがちなのだが、若い頃には絶技の域の武芸とまで言われたほどの武芸者でもある。

 曹洪も同じく最近では商人の印象ばかりが強くなっているが、夏侯兄弟や曹操と共に戦場を駆け回った人物であり、二人は瞬く間にそれぞれ一人ずつを切り伏せた。

 曹操はすぐに二人目にかかり、曹洪は馬を押さえる。

 だが、李粛が武将として劣っていたと言っても、この兵士達が並外れて怠惰であったとしても、そこは勇猛果敢な董卓軍の兵である。

 単純な戦闘能力で言えば、西涼兵を中心とした董卓軍は呂布の荊州兵や孫堅の率いる江東兵より上で、特に乱戦時にその能力を発揮する。

 先手を取られた事によって三人を切られたが、残る二人はすぐさま剣を抜いて刺客である曹操に立ち向かう。

 これは混乱から立ち直るのが早いと言うより、敵に対する報復行為に移るのが早いと言うべきなのだが、曹操としては計算違いでもあった。

 もう少し狼狽えているか、慌てて逃げ出すと言うのがごく一般的な反応だと思っていたのだが、相手がこちらの考える一般的な行動を常に取るとは限らない。

 それでも曹操は焦る事なく、手近な所に立っていた董卓兵に斬りかかる。

 この兵士達は捜索を怠ける為にここへやって来たのだから、他の隊や班と連携を取っているはずもない。

 それはつまり、近くに他の捜索隊はいないという事である。

 ここさえ乗り越えてしまえば、九割方逃げ切れる算段がつくと曹操は考えていた。

 この逃避行自体は計算外だったが、それでも逃走計画通りに事は運んでいた。

 しかし、先の董卓暗殺の時と同じく、ほとんど全てが曹操の思い通りに行っていたにも関わらず、最後の最後でツキに見放された。

 どこにでも怠ける者はいるのだが、全員がそうである事は極めて稀な事である。

 突然連絡や連携が取れなくなった班があった場合、それを気にする者も董卓軍内にも当然存在していた。

 曹操が手間取りながらも一人の兵士を切り倒し残り一人となった時、十数人分の灯りが近付いてくるのが見える。

「曹操だ! ここに曹操がいるぞ!」

 曹洪が後ろから馬に乗って兵士の頭をかち割ったのだが、数瞬の遅れで兵士にそう叫ばれてしまった。

「孟徳、乗れ!」

 曹洪は曹操の元へ馬を走らせる。

 先ほどの兵士の命を懸けた叫びを聞きつけたのか、灯りはこちらに近づいてくるのが見えるので、今すぐ馬に乗って逃げなければならないが、さすがに二人乗りでは厳しい。

 とはいえ迷っている場合ではないので、曹操は馬の方を見る。

 その時、切り伏せた兵士の一人が手に持った剣で曹操の足を切り付ける。

「何?」

 痛みよりも先に驚きがあったが、その一太刀を最期にその兵士は絶命する。

 兵士の死を確認した後、曹操は切られた足に激痛を感じた。

「孟徳! 無理してでも乗れ! 逃げ遅れるぞ!」

 曹洪は曹操の腕を掴むと、強引に馬の上に引き上げる。

「うぐっ!」

「我慢しろ! 死ぬよりはマシだ!」

 曹洪はそう言うと馬を反転させて走り出す。

 が、追手の包囲は曹操達の予想を上回って早く広がっていた。

「こうなっては、怪我をした私は足手まといなだけです。子廉しれん一人であれば逃げ切れるでしょう」

「寝惚けた事を言うな、孟徳! ここでお前がいなくなったら、誰が俺に給料を払うんだ!」

「……そこ?」

「それ以外に何がある」

 そう言うと、曹洪は馬を降りる。

「子廉?」

「行け、孟徳! ここで俺が死んでも悲しむのは俺の家族くらいだが、ここでお前が死んで俺が生き残ったら、妙才や惇兄達から何を言われるかわからんからな!」

 曹洪は徒歩で剣を手に殿軍を買って出る。

 曹操は言葉を飲み込んで馬を走らせようとしたが、その方向から灯りを最低限に絞った漆黒の騎馬隊が走り込んできた。

「……ここまでか」

 曹操にしても、曹洪にしてもこの騎馬隊との遭遇は致命的だった。
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