新説 呂布奉先伝 異伝

元精肉鮮魚店

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その大地、徐州

徐州入り 3

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 呂布軍が小沛の城に入った直後、とてつもない情報が二つほぼ同時に入って来た。

 一つは李傕、郭汜の政変に巻き込まれる事を恐れた帝が国舅である董承とうしょうの一団と共に長安を脱出、苦難の末に曹操に洛陽で保護されたと言う事。

 もう一つは、その曹操軍が数万の大軍を率いてこの小沛へ攻め込んでくると言うのである。

「洛陽と徐州では正反対だ。虚報を掴まされたのではないか?」

 魏続がさっそく陳宮に言うが、陳宮は相変わらず魏続の存在を認識していないかのように無視して、何か考え込んでいる。

「陳宮殿?」

「あるいは、曹操であれば可能かもしれない」

 呂布が尋ねたと同時に、陳宮が呟く。

「何を馬鹿な事を! 呂布将軍の赤兎馬であったとしても、洛陽に向かいながら徐州へ攻め込む事など出来るはずはないではないか!」

「……影武者、か」

 そう呟いたのは高順だった。

「以前、洛陽で聞いた事がある。曹操は若い頃に北門を守る職に就いていたが、その時から北門を守りながら南門に現れたとか、あの広い洛陽の東西南北の門に一日のうちに全ての場所で曹操を見かけたとか言われていた。それもあって洛陽の治安は劇的に改善されたらしい」

「私も県令をやっていた時、董卓暗殺に失敗した曹操を捕らえようとした事がありましたが、曹操に似た者を拘留する様に命じた際には数十人にも及び、一日で全員を調べる事が出来ないと言う事になりました」

 陳宮や高順の言う事は、呂布にも納得出来た。

 とにかく曹操と言う人物は、驚く程外見に特徴が無い。

 場合によっては目が三つあるとか口が耳まで裂けているとか言われていたりもするが、曹操と言う人物を知らない者が勝手に広めた印象である。

 今にして思えば、それも曹操が自らの正体を隠す為に流した噂なのかもしれないとさえ思える。

「つまり、どちらかが影武者で、どちらかが本物の曹操と言う訳か」

「事はそれほど単純ではないのだが、考え方はさほど間違ってはいないか」

 高順が言う事は聞こえているらしく、陳宮は難しい表情ながら頷いている。。

「軍師殿、どう言う事ですか?」

 質問したのは張遼だったが、呂布を含むほぼ全員が思っていた事である。

「どちらが影武者であるかはこの際置いておくとして、今の我々に曹操軍の大軍と戦うだけの戦力は無い。しかし、もしこちらに攻めてきたのが曹操本人であった場合には、この窮地を一手で覆す事が出来ると言う事だ」

 と、言われてもまだ分からない。

「とにかく、早急に徐州城へ援軍を要請。我々は一先ず泰山の麓に兵を伏せ、徐州軍本隊が到着するのを待って、曹操軍へ当たる事とする」

 陳宮はそう言うと、何かと重用している宋憲に徐州軍への援軍の要請を任せる。

 非常に重要な役割である為、陳宮は何か宋憲に事細かく指示を出していた。

「泰山にはかなり強力な賊の集団がいるらしいが、それは良いのか?」

 情報通な高順はすでに徐州の賊の事まで知っていたが、それは軍師である陳宮も同じだった。

「曹操の大軍を相手にする事を考えると、利用出来るものは何でも利用する。場合によっては徐州軍が来るまで時間を稼ぐ為にも、泰山の賊を先に曹操軍にぶつける事も出来る。その為に泰山の伏せるのだ」

 見事だとは思うのだが、僅か千人の兵を率いて二十万を称する兵のいる東阿を落とそうとした陳宮にしては消極的な戦い方ではないかと呂布は感じたが、今回は状況が違う事もあっての事だろうと判断した。

「では早速撤退の準備を始めましょう。私と高順、張遼が殿軍として残りますので、呂布将軍は泰山の麓に兵を伏せて下さい」

「あ? 俺も残るのか?」

 陳宮に指名されて、高順が眉を寄せている。

「適材適所と言うものだ。急ごう。今回の曹操軍は疾いぞ」

 陳宮はそう言うと、各人に細かく指示を出す。

 仮に曹操自身が率いていなくても、今回の徐州攻めはすでに地ならしが済んでいるので充分な速度を持って進軍してくる。

 東阿攻略の際は蝗にも足止めされたが、あの時には曹操陣営に所属していた陳宮でさえ読み違えるほどの疾さを見せた。

 呂布は陳宮の指示に従って軍の大半を率いて小沛を出て、そのまま近くの泰山の麓へ移動する。

 呂布には詳しく分からないものの、この泰山には賊がいるらしいので刺激しないように気をつけながら兵を麓の林の中に集める。

「呂布将軍、あの陳宮って女は信用出来るんですか?」

 魏続だけではなく、侯成や成廉も一緒にやって来て呂布に尋ねる。

「よくやってくれていると思うが、何か問題でもあるのか?」

「あの女は元々曹操の配下。俺達の事を曹操に売るつもりではないでしょうね」

 魏続は陳宮を疑っている。

「それは無いだろう。曹操であれば、わざわざ陳宮を送り込む事なく我々を打倒する事くらい可能なはず」

「しかし、あの女は曹操を諌める為に張邈をそそのかしたはず。今の状況になっては最早無意味。曹操の元に戻るのが筋なのではないかと思うのですが」

 成廉が言う。

 そう言われてみると陳宮の目的が分からないところもあるが、だからと言って今のところ陳宮にはっきりした疑惑がある訳でも無い。

「陳宮殿は軍師として相当な人物であると思います」

 自然と呂布の元に武将達が集まってきたが、その中で曹性が呂布に向かっていう。

「壮大な戦略や緻密な戦術、おそらく袁術軍の参謀に加わっていたとしても最上位の人物であると思われます。陳宮殿は曹操に決定的な敗北感を与え、謙虚さを取り戻させようとしているはず。それを行える人物を呂布将軍に選んだのでしょう」

「私もそう思う」

 言葉少なく郝萌も賛同する。

 呂布も陳宮を疑っている訳ではない。

 よくよく考えてみると、不可解な行動が多いのは陳宮より郝萌の方である。

 例えば徐州城に援軍を要請に行った宋憲は袁紹軍に戻る事も出来ず、呂布と行動を共にせざるを得ない状況だった。

 成廉にしても、魏続や侯成にしてもそれは大差無い。

 しかし、郝萌はれっきとした袁術軍の武将なのである。

 最早袁術からの援軍を率いている訳でも無いのに、何故か郝萌は呂布軍に留まり続けている。

 同じように袁術軍所属の曹性は、呂布軍では一隊を、兵数さえ揃えば一軍を率いる事も出来る様になったが、袁術軍に戻った場合それは叶わなくなる。

 自身の立身を考えれば、曹性は呂布軍に残った方が得られるモノは多い。

 が、郝萌は違う。

 とはいえ、だからといって郝萌が何かしら呂布に不利益をもたらしている訳でもないので、今まで深く考えていなかった。

「おや、都合よく全員集まっていますね」

 殿軍だった陳宮と張遼、高順と僅かな兵士達も呂布と合流する。

「文遠、何をしてきたんだ?」

 魏続が尋ねるが、張遼も高順も難しい表情で陳宮を見ている。

「いや、それが……」

「特に何もしてねぇよ」

 困る張遼の代わりに、高順が吐き捨てる様に言う。

「はぁ? 軍師と一緒に、何か曹操を撃退する策を仕込んできた訳ではないのか?」

「いや、小沛の住人に『曹操が来るぞ』と伝えて避難させたくらいで……」

 張遼も答えに困っている。

 小沛の城は、城として見た場合にはさほど規模が大きいとは言えない程度の城ではあるが、それでも住人は住んでいた。

 しかし、以前の曹操の襲撃によって多大な被害を受け、その住人の大半がその時に犠牲になり、生き残った者も小沛の地を捨てた者も多いために、今となっては小沛の住人と言ってもかなり少数だった。

 陳宮、張遼、高順はそれぞれに手分けして住人に避難勧告を出して回ったのである。

 わざわざ城に残った殿軍の部隊が行った事はそれだけであり、曹操の大軍に対する策を講じるような事はしていないと言う事でもあった。

「軍師が聞いて呆れるな」

「一先ず休むとしましょう」

 魏続の事は完全無視を徹底している陳宮は、呂布に提案する。

「日が暮れてから詳しい説明を行いますので、まずは全員休んでおく事です」

 呂布が口を開くより早く陳宮はそう言うと、本当に疲れていたのかすぐにこの場を離れていった。

「……まあ、そう言う事だから、皆も休んでくれ」

「将軍、軍師の言いなりですか?」

 魏続はとことん陳宮の事が気に入らないらしい。

「言いなりも何も、陳宮殿の言っている事自体は正しいだろう? 我々は徐州の居候であり、曹操の脅威にさらされているわけだ。しかも兵数が違うからまともにぶつかっても、まず勝てない。であれば、徐州軍本隊との連携は必須。その為に今こうやって兵を伏せている事も、いざと言う時の為に休んでおく事も間違っていないと思うのだが」

 呂布は思っている事を正直に言う。

 確かに陳宮が何を考えているのかは分からないのだが、だからといって陳宮の行動それ自体が不可解かと言えば、そうでもない。

 口調が呂布と魏続では露骨に違う事や、本人に誤解を招く言動が多く、しかもそれを弁明しない事にも大きな問題はあるが、それでも陳宮は彼女なりに呂布軍の事をしっかりと考えてくれている。

 それが分かる以上、呂布も陳宮を疑わずにその言葉に従っているのだ。

「だが、奉先。軍師から口止めされていると言うわけでもなく、本当に小沛の城では策や罠といった何かを講じている様子は無かったぞ? 正直に言えば、徐州軍との連携の前にここを曹操軍に見つけられて全滅させられる恐れすらあるが、軍師はそれを意識していないみたいだ」

「切れる方なので、何も考えていないとは思えないのですが……」

 陳宮に不信感を持っている高順だけでなく、支持派であるはずの張遼ですら不安を感じているようだった。

「軍師殿は日が暮れてから説明すると言っていたのだ。その言葉を信じてみようではないか」

 呂布がそう言うと、呂布軍の諸将は不承不承ではあるものの解散してそれぞれで休む事にした。





 そして日暮れ時。

 呂布や陳宮が招集をかけるまでもなく、全員が呂布の元へ集まってくる。

 何をどう言ったところで、行動指針は陳宮が打ち立てている事が証明されたようなものではあるのだが、おそらく呂布軍の武将の半数はそれを認めないだろう。

「皆、充分な休養は取ったか?」

 陳宮が集まった武将達に尋ねる。

「これより、曹操軍を撃退に向かう」

「はぁ? 何を寝ボケた事を言っている。こちらは数千、向こうは数万。しかも小城とはいえ向こうは篭城も出来るんだぞ?」

 魏続は噛み付くが、陳宮は鼻で笑う。

「戦において最も重要なのは、兵数でも将の優劣でも良質な装備でも無い。『勝機』を逃さないだ。策も大軍も優秀な将軍、装備も、全ては『勝機』を掴む為のものでしかない」

「今が勝機だと言うのか?」

 高順の質問に、陳宮は頷く。

「全て説明しよう。まず、どれほど厳しく取り締まったところで、この呂布軍の中にも曹操の間者は潜んでいる事だろう。それは私が曹操だけでなく、諸将の元へ間者を送り込んでいる事からも予想出来る事だ。私に出来て、曹操軍の参謀達に出来ない事ではない。だから、あえて情報を流したのだ」

 小沛の城を捨てる事や、宋憲に徐州軍への援軍を要請した事。その到着を待って、曹操軍へ攻撃を始める事などを早々と決めて行動に移ったのは、すべてやって来る曹操軍へ伝える為の策だったと言う。

「では、俺達の殿軍は? 特に何も策を講じた様子は無かったですが」

「それこそが狙い」

 張遼に向かって、陳宮が言う。

「我々が何もしなかった、あるいは出来なかったと言う事を曹操に伝えてもらわなければ、あの警戒心の強い曹操の事。たとえ強行軍を続けていたとしても、露骨に明け渡された城には罠があると読んで城を素通りしてしまう恐れがあった。だからこそ、呂布軍の中でも古参で信用のある張遼と高順が、実際に何の策も講じなかったと証明する事が大切なのだ」

 例えば、陳宮一人が殿軍として城の住人に避難勧告をして回ったとしても、それはあからさまに策を講じているとしか見られないので、当然警戒される。

 一緒にいたのが陳宮を支持している宋憲や郝萌であった場合にも、単純に口裏を合わせているだけと思われる。

 しかし、充分な武勲や実績のある張遼や、呂布軍最古参の一人であり呂布の家族を守る役割を与えられるほど信頼があり、尚且つ陳宮の事を認めていない高順の二人が不安そうに何も策を講じなかったと言うのだから、それは本当に何の罠も無いという事を曹操に伝える事が出来るのだ。

 だが、実は違う。

 陳宮が数少ない住人の元を回ったのは、空家の荒れ具合を確認する為だった。

 打ち捨てられた空家は荒れ果て、埃も溜まっている。

 また、準備された引越しなどではなく、ある日突然空家になったと言う事もあり家の外には薪なども放置してあった。

「曹操軍の疾さは脅威ですが、それは歩兵の体力に支えられたものでもあります。曹操が進撃路を整えるのも、兵に充分な休息を与えやすくする為。急遽捨てられ、何ら策を講じた様子もない空城ほど兵に休息させやすい場所は無い。曹操軍が五万だろうが十万だろうが、今こそ最大の好機。これを逃しては曹操撃退の機会は訪れまい。全軍をもって、小沛城の曹操軍撃退に向かう。臆する者はここに残っても構わないが、魏続、どうするのだ?」

 陳宮に挑発され、魏続はカッと頭に血を昇らせる。

「ふざけるな、女の分際で!」

「では、将軍。ご命令を」

 陳宮はそう言うと呂布に言う。

 呂布自身はそこまで曹操との戦いを望んでいる訳ではないが、先の徐州攻めの際には見るも無残な惨劇が繰り広げられた。

 今回もそれが行われないとは限らず、徐州城にまで攻め入られればその被害者の中には妻や娘も含まれるかもしれない。

 そうならない為にも、この小沛で曹操軍を撃退する必要がある事は呂布にも分かっていた。

「皆、行くぞ」

 呂布は静かに、だが相応の覚悟を持ってただ一言を発した。
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