生命の花

元精肉鮮魚店

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第一章 世界の果てに咲く花

収容所 6

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「ねえ、貴女、本当の名前は?」

 部屋には灯りが無いので、日が暮れると同時に夜の闇が訪れる。

 魔術を使える者であれば光源の確保など造作も無い事ではあるが、それで自身の担当官から目を付けられて、『教育』の口実を与える事を亜人達は恐れているので、暗闇の中で囁き合うのが寮での数少ない娯楽らしい。

 新人となれば、なおの事なのだろう。

 もっとも、この収容所では十一、十二の様に一定の距離を保ち、出来るだけ不必要な接触を避けるのが一般的であり、四の少女の様な年相応の好奇心を持ち続けている方が希少である。

「私は四番って番号付けられてるけど、ホントはモーリスって言う名前なのよ」

「四番さん、名前を名乗ると罰を受けますよ」

 心配になったのか、十一の少女が四の少女に注意を促す。

「大丈夫よ。ここ、壁は薄いけど声は外に漏れない様にしてるから」

「でも、魔力で監視盗聴されてるかも知れないじゃないですか」

 十一の少女は強い警戒心から、四の少女に言う。

 そこまでやるのは効率の面からもあまり意味が無さそうではあるが、この収容所の徹底振りを見る限りではあり得る事として警戒するべきだと六の少女も思う。

「名前、か。私には名前が無いのよ」

 警戒してはいるが、この話自体は続けた所で罰せられる理由が無い。

 まあ、罰を与えるのに理由が必要かどうかは別問題ではあるのだが。

「え? 名前が無いの?」

 意外な事に食いついてきたのは十一の少女だった。

「別に珍しくは無いでしょ? 私の周りには何人かいたよ?」

 単独行動の多かった六の少女だが、時には集団に合流して逃げ隠れしていたが、少数だったとはいえ、名前を持っていなかったのは六の少女だけではなかった。

「何でこの収容所で名前を奪うか、分かる?」

 四の少女が尋ねると、六の少女は首を振る。

「姉さん、もう止めた方が良いです。話を止めて下さい」

 泣きそうな声で十二の少女が言う。

「待って。これは寮のルールに関する事だから、新人には説明した方が良いのは確かなのよ。何かあったら、貴女は止めようとしたって言いなさい」

 十一の少女が十二の少女に優しく言う。

 今の発言から、何か違反があった場合、連帯責任として同部屋内の亜人全員が罰を受ける事もある様だ。

「名前には存在を示す力があるって言われてるわ。その人の中に眠る真の力の一端が名前であって、それを奪う事で力を封印するの。だから、この収容所で自分の名前を名乗る事は、力を行使して反逆の意思有りとされるのよ」

 十一の少女が説明する。

「でも、六番さんに名前が無いって事は、貴女は自分の力を発現する最初の一歩さえまだ踏み出せてないって事なのよ」

 四の少女が心配そうに言うが、六の少女としては苦笑いしか出来ない。

 この地域が迷信深い事は、この亜人収容所や不死王伝説を信じている事でも分かるのだが、名前と言うモノにもそう言う信仰めいたモノがあるとは知らなかった。

 六の少女はまったく信じていなかったが、あれほど警戒心の強かった十一の少女が話に参加してきたり、収容所のルールの中に名前を名乗る事を禁じている旨が記載されているところを見ると、根深く信じられているのだろう。

「私達で名前を考えてあげようか?」

 四の少女がそう言うが、六の少女は首を振る。

「気持ちはありがたいけど、名乗れない名前はもらっても意味が無いわ。気持ちだけもらっておく事にするから」

「そうよ、四番さん。六番さんの言う通り。下手に名前を与えても、ここでは意味が無いし、それで罰を受ける事になったら六番さんも可哀想よ」

 十一の少女に諭されて、四の少女も納得したように頷く。

「そうね。与えられるべき時に与えられるのが真名らしいから、私じゃその責任は背負えないわ」

 四の少女は苦笑いする。

(へえ、名前ってそんなに重要だったのか)

 生きる上で必要とは思えなかったので、ソレに関して持っていない事を特に負い目には思っていなかった。せいぜい呼ばれる時に特徴で呼ばれるくらいであった。

(名前、か)

 メルディスやルーディール、所員であるスパードなど、この収容所では役職のある者だけが名前を名乗る事が出来る。所長も名前の信仰者と言う事が分かる。

 もっとも、固有名詞より番号の方が管理しやすいという、収容所ならではの理由もある。

「名前の事は良いわ。これまで街で生活してたのよね? 何か面白い事あった?」

 四の少女は尋ねてくるが、六の少女は首を振る。

 少女の街での生活は毎日を生きる事に必死で、何かを楽しむ様な余裕のある日々では無かった。

 毎日の寝床と食料の確保に追われ、亜人を捕らえようとする者達に怯える毎日。夏の季節ならまだしも、短い春や秋であっても凍死の危険性はついてまわる。

 冬になるとまともな食料は手に入らず、何より凍死の危険性も跳ね上がる。

 そんな中で生き延びる事だけを考えてきた少女である。年相応の楽しみや娯楽とは縁遠い生き方を強いられてきた。

 食べ物の好き嫌いの話にもなったが、六の少女はまともな料理とはまったく縁が無かったので、答えようが無かった。

 基本的には捨てられている残飯が主食であり、腐った果物の腐っていない部分や、夏には川魚や獣を獲って他の亜人達と食べたり、冬は木の皮を剥いで飢えをしのいでいた。

 どうしてもの場合にはそのままかじる事の出来る野菜や果物を盗む事もあった。

「何か、私達ってまだ恵まれてたのかも」

 六の少女の生い立ちの話を聞いていた十一の少女が、唖然として呟いた。

 警戒心の強かった十一、十二の少女も相当厳しい生き方を強いられていた様だが、それでも六の少女の生き方は想像を超えていた。

「私も死にたくなる事はたくさんあったけど、上には上がいるのね」

「そうなの? 私の周りはそんな人達ばっかりだから、亜人種は皆同じ様な生活をしてると思ってたけど」

 六の少女は首を傾げる。

 だが、納得出来る部分もあった。

 六の少女とその周りにいた亜人達は全力で生きる事だけを考え、追手から逃れ捕まらない様に生きてきた。そこに余裕は無かったが、だからこそ逃げ続ける事が出来たのだ。

 ここに囚われている亜人達はそうでは無かったらしく、常に安全な生活があり、明日も当然今日と同じ日が来ると思っていたのだろう。

 六の少女はそれを幻想だと知っている。

 ただ生きる事、それだけの事がどれほど過酷かを、この収容所の亜人達は大して知らなかったという事だ。

 六の少女の心配はこの亜人収容所の生活それ自体より、この気楽な亜人達との集団生活が、とても上手く行きそうにない事の方が大きくなっていた。
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