生命の花

元精肉鮮魚店

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第一章 世界の果てに咲く花

終わりを待つ日々 19

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 サラーマは先頭を飛び、その後ろを彼女が、さらにその後ろからイリーズとウェンディーがついて来る。

「ねえ、サラーマ」

 彼女は後ろの二人に聞こえない様に、サラーマに声をかける。

「あん? どうしたよ。飯なら美味い所知ってるから、心配すんな。しかもイリーズの名前と顔を出したらさらに安くなるだろうし」

「そんな事じゃないわよ。イリーズって本当に町の人から恨まれてないの?」

 彼女はそこが心配だった。

 人の恨みが呪いとなっていた場合、もはやその人がどうとかいう問題すら消えてしまう。ただ、手近な犯人を見つけ、その人物に全てを押し付けようとするものだ。

 それが収容所に渦巻く悪意の正体であり、壁の向こう側で亜人が敵視されている原因でもある。

 壁を挟んだだけで、それが完全に消えるモノなのだろうか。

「恨まれてねーよ。って言うか、恨まれる原因がねーよ。悪いのは宮廷魔術師であって、もし子孫にも罪が及ぶというのならその一族だろ? イリーズの一族は呪いを解くとか封印するとかで働いてんだから、感謝こそされても恨まれる事はねーよ」

 それはそうだが、人の悪意はそんなに理知的なモノではない。

 だが、確かに今の服屋の女性などもイリーズに敵意を向けている様な事は無く、その連れである彼女にも敵意や猜疑心を向けたりしなかった。

(ここが呪われた大地? 生きる事を許さない呪いって、何?)

 冬の寒さは、壁の向こうもコチラも何も変わらない。身を切る様な寒さは、彼女にとって辛くてかなわないはずだが、それでもここは心地良い空間であり、寒さが和らいでいるわけでもないのに過ごしやすい。

 西に広がるのは生きる事を許さない、呪われた大地だったはずなのだが、ここと比べると壁の向こうの収容所の方が遥かに生きる事を許さない、敵意と悪意と殺意の渦巻く呪われた空間だと言えた。

「凄いわね、王族って」

「いや、凄いのはイリーズやその先祖。それにこの大地を収める面々さ。皆で痛みを共有しながら、それでもそれぞれが自分の足で立つべきだと言う事を知ってるんだよ。誰かのせいにして自分を正当化したところで前には進めないからな」

「へえ、あんたでもまともなこと言えるのね」

「そりゃ、俺はこれでも天空の騎士に名を連ねる者の一人だからな」

 サラーマは胸を張っていう。

「そう言えばあんた、城でもそんな事言ってたけど、天空の騎士って実在してるの? 幾つかの本でその名前って見た事あるんだけど」

「疑ってるのかよ。俺がいるんだから、天空の騎士ってのはいるんだよ」

 まったく信用出来ない。

 本物であればそんなにアピールしてくるとは思えない。露骨にアピールしてくると言う事は、自称しているか、本当に天空の騎士という謎の存在は存在していて、サラーマはそれを知っているというところだろう。

「イリーズ、こいつが俺を天空の騎士って認めてくれないんだが、お前から言ってくれよ」

「天空の騎士?」

 イリーズが首を傾げている。

「ぅおーい、イリーズ。そこはちゃんと答えてくれよ」

「イリーズ様、ほっといて良いですから」

 ウェンディーがそう言うと、サラーマを睨み倒している。

「ほ、本当だよ?」

「何か、急に弱気になったわね」

「いや、俺、本当に天空の騎士だったんだよ? それを降りてイリーズに仕えているんだよ、ホントだよ?」

 縋る様なサラーマを、彼女は面倒そうに手で払う。

「ほら、何か質問とかないか? 俺が答えてやるぞ?」

「それを正しいと証明出来ないんだったら、あんまり聞いても意味が無いと思うんだけど、その辺りはどうなの?」

「ちぇっ、もういいよ」

 サラーマが拗ねて言う。

 こう言う子供っぽい仕草を見せられて、目の前の妖精が天空の騎士と言われても信じられない。

 彼女が書物で読んだ天空の騎士は、不死王四天王との戦いや巨大な竜との戦いで大活躍した英雄だった。卓越した戦闘技術と、壮絶な魔術とその力を帯びた武具を操って戦う者達。

 しかし、サラーマは魔力は相当な高さを感じるが所長の様に禍々しい程の力は無い。見たところ魔力を帯びた武具どころか、武器らしい武器は持っているように見えない。

 武器の方はあの城に置いているのかもしれないが、体から流れる魔力の方は誤魔化しが難しい。

 極限まで抑えているかもしれないが、やはり所長と比べるとサラーマより所長の方が得体が知れない。

 そんな他愛も無い会話を続けていると、サラーマの勧めていた宿にたどり着いた。

「いらっしゃいませー」

 宿の受付にはイリーズと同い年くらいの少女がいて、彼女達に満面の笑みを浮かべて迎え入れる。

「あら、イリーズ様。珍しいですね。一泊されるんですか?」

「ええ、そのつもりです。でも、僕は宿を利用した事がありませんので、最初の手続きとかを教えていただけますか?」

「お待ち下さい、イリーズ様。宿の手配は私とサラーマで行いますので、先に夕食をとって休んでいて下さい。今日はもうお疲れでしょう?」

「おう、ガキども。俺達に任せておけ」

 サラーマだけなら不安も大きいところだが、しっかり者のウェンディーもいれば特に問題にはならないのではないか、と彼女も思った。

「それじゃ、お任せしましょうか」

 イリーズは二人の、特にウェンディーの好意に甘える事にして、彼女と共に一階奥にある大衆食堂の方へ移動する。

 食堂の方は夕飯時と言う事もあり、広い食堂の七割くらいの客入りだった。

 それが多いのか少ないのかを彼女には判断出来なかったが、広い食堂がガラガラのスカスカと言う事は無いし、人でごった返しているわけではないので、標準的なのではないかと考えていた。

 彼女はイリーズに誘われるままに、入口近くの席に付く。

 店の様子を見ると、客には亜人も多い。

「本当に亜人が多いんですね」

「多い、というよりこの地域では人間と亜人という分け方が古い考え方なんですよ。同じ大地に住む者同士、という事ですね。もちろん完全に理解し合えていると言う訳ではありませんが、それでも亜人が亜人種であるというだけで迫害の対象にはなりません」

 イリーズはコートを脱ぎながら言う。

 室内は暖かいので、確かにコートは必要無さそうだと彼女も思って、イリーズを真似る。

「室内では帽子も取った方が良いですよ」

 イリーズに言われるがままに、彼女は帽子を脱ぐ。

 こう言うモノは本の中にしか存在しないと思っていたので、彼女としてはこれまでの経験がまったく役に立っていない。

 食堂に居た客の数人が、イリーズ達に気付く。

「イリーズ様? イリーズ様じゃないですか!」

 一人がそう言うと、ほどほどの入りだった客の全てが一斉にイリーズの所へ来る。

「うわっと」

 彼女は人の波に押しのけられる。

 収容所では恐怖と畏怖の象徴とも言えた彼女の金色の瞳だが、この地ではちょっと珍しい程度の亜人であり、彼女の金色の瞳よりイリーズと一緒にいると言う事の方が珍しがられていた。

 しかし、それも大した時間ではなく、集まってきた面々が最初はイリーズの体調を心配して、そこからはそれぞれが心配事をイリーズに相談している。

(ちょっとメルディスに似てるかな)

 困っている面々を放っておけない辺りも、その一つ一つに親身になって相談に乗っているのも、メルディスと同じ様な雰囲気があった。

 どう見ても頼りにならなさそうなのに、身近にいるとこれ以上頼りになる人物もいない。このイリーズに相談する人々も同じ様に、あるいは彼女以上にイリーズを頼りにしている。収容所のメルディスとは相談の内容は違うだろうが、このやり取りには同じ何かを感じた。
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