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番外編
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股は開かない、歩く時はしなやかに、その乱暴な物言いはいけません。雪で遊んだりしませんと、先生に教えられたことを詰め込んで、今日も「雪久様の妻」として気合いを入れる。
「やっぱり、跡になってる」
鏡で改めて見ると額には擦り傷が残っていた。
毎朝ちゃんとしなくてはと意気込んでも、庭先で転んでいるようでは意味がない。
粗相を繰り返してしまう原因、どうしてもしなやかに美しく見せようとすると動きが硬くなってしまうことだ。では自由奔放に歩いてみては思うが、ここではそうはいかない。自身の動き一つがこの家の評価となってくる。
額は前髪で隠すとして、汚れてしまった着物は隠すことは出来ないので脱ぐことにした。
ーーー使用人に見られなくて良かった。こんな無様な格好を見せては、この家の妻としても立てないところだった。
どれにしようか。帯を解いて肌襦袢のままどの着物をするか悩んでいると姿見に全身が映る。
綺麗に整えたはずの赤黒い髪の毛は、転んだ衝撃であちこち先が跳ねていて、櫛を通して再び整えなくてはいけない。
面倒だな。いっそ、この長たらしい髪の毛を切って逃げてしまおうかと、人生で何度考えたことか。
それでも、耐えてこの場所にいて良かったと旦那様に出会ってやっと思えた。
初めてお会いした時から心を強く掴まれるように雪久様に惹かれた。
無垢な白い髪なのに、真っ黒な瞳を持ち、傷一つない陶器のような肌に整った顔。そして宝石のような硬く強い意志。私とは違うものを持っている。
色々言いながら惹かれたのは見た目が良かったからだと言われれば、そうなのかもしれない。
結局は自身も有象無象の一人という事だ。
せっかく、掴んだ細い糸を離すわけいかない。嫌われないように頑張らないと……
あれ、襟足のところ赤くなってないか。
寝てる間に掻きむしってたのではと、襟を広げて肩まで下ろし、後ろ髪を持ち上げようとした瞬間に後ろの障子が開いた。
「あっ……」
「ひっ」
後ろを見てみれば、旦那様がちょうど帰ってきていたようで、最悪の格好を見られてしまった。
お互い目が合った時は硬直してしまったが、すぐに下ろしていた襟を引っ張り上げた。
「すまない、そんなつもりじゃなかった」
「いえ、変なところ見せて申し訳ありませんっ……」
悩んでいた着物は一番近くにあるものを選び、形だけでも取り繕う。
「どうっ、どうされたのですか。お帰りは夜とお聞きしましたが」
「忘れ物をして帰ってきた。この後、すぐに出るつもりだ」
「そうですか。忘れ物はありましたか」
「ああ、あった」
旦那様は頷くけれど、忘れ物があったのならここには用がないはず。
と思っていたら、旦那様の片腕の服がパックリと縦に切り裂かれ、少し動くたびに隙間から傷と血が見えて、ーーー全身が冷えた。
「どっ、どっ、どうされたんですか。その傷」
足を畳で滑らせながら旦那に近づく。
「これか。仕事で一悶着の結果だ。相手が小刀を持っていたとは知らなくて、少し切っただけだ」
少し? 血がシャツに滲み出ている時点で何を言っているのか。
「手当しましょう」
「これくらい平気だ。着替えたら、すぐに行かないといけない」
「駄目です。逃しません」
旦那様の片腕を取り、逃さぬよう腕と胸で囲む。
「私がここにいなければ、そのまま隠して行こうとしましたね」
と言うとあからさまに顔を背けては黙る。
「こういうのが後々、ひどい怪我になったりしますから。大人しくしないと医者呼びますよ」
「……、わかった」
逃げられないと悟ったのか、苦虫をすり潰したような顔をして両手を上げる。
とりあえず、上の服を脱いでもらい旦那様を部屋の真ん中に座らせてから救急箱を探す。この部屋には備えていたはずなので、自身の背ほどある棚の上をのぞいてみれば案の定、木で出来た四角い箱が置いてあった。
手を伸ばしてみたけれど、箱の角を指で触るだけだったので、つま先を立て、背を伸ばしてやっと箱を掴んだ。
よし、取れたと喜んでいる内に自分を覆うくらいの大きな影が出来ていた。
背中に感じる人の気配。振り返らずとも、旦那様だという事はわかっていたから救急箱を持ち直し「どうされましたか」と訊く。
「その、後ろ……くびが」
「くび、がどうされたのですか」
「……首のところ、跡になっている。椿も薬を塗らないといけないな」
「やっぱり、そうなんですね! さっき、虫刺されのように赤く腫れているのが見えたので」
「虫刺されというか……」
言葉を詰まらせ、口を片手で覆い、なぜか目線を横にずらす旦那様。
「?」
「いや、なんでもない。救急箱は取れたか」
「はい。これで治療して、どうぞ仕事に行ってください」
無事、治療することが出来た。血を拭き取った後で傷に薬を塗り、また熱を出されても困るから丁寧に包帯を巻いていく。それをみて、不思議そうな顔をする旦那様。
「随分、手慣れているな」
「それは、昔よく木登りとかしてよく怪我していましたから慣れてーーー」
「木登りしたのか」
「……していません」
「最初と言っていることが違うが」
「私はキノボリはしません。いっ、今は関係ない話ですから。はい、出来ました。これで仕事行けますから、行ってください」
話を無理矢理終わらせて、新しいシャツを着させる。
「椿も塗らないと」
「私は後で塗りますから大丈夫です。それに、そんなことしていたら遅刻します」
新しい上着を着せて後は見送るだけ。軽く背中を押して急かす。
「はい、行ってらっしゃい」
「分かった」
すると、旦那様は私の前髪をかきあげては額に軽く口付けた。
「なっ」
「夜、帰ってきたらみるからな」
ゆっくりと唇が離れていくと、目に映るのは口角を緩く上げる綺麗な顔。
「行ってきます」
旦那様は立ち上がり障子を再び開けては、放心状態の私を置いて仕事に行ってしまった。
一人残された部屋で、私は伏せるように丸くなり、少しの間現実に帰って来ることができなかった。
額の痛みが吹き飛ぶくらいに、あの人が色々こわい。
「やっぱり、跡になってる」
鏡で改めて見ると額には擦り傷が残っていた。
毎朝ちゃんとしなくてはと意気込んでも、庭先で転んでいるようでは意味がない。
粗相を繰り返してしまう原因、どうしてもしなやかに美しく見せようとすると動きが硬くなってしまうことだ。では自由奔放に歩いてみては思うが、ここではそうはいかない。自身の動き一つがこの家の評価となってくる。
額は前髪で隠すとして、汚れてしまった着物は隠すことは出来ないので脱ぐことにした。
ーーー使用人に見られなくて良かった。こんな無様な格好を見せては、この家の妻としても立てないところだった。
どれにしようか。帯を解いて肌襦袢のままどの着物をするか悩んでいると姿見に全身が映る。
綺麗に整えたはずの赤黒い髪の毛は、転んだ衝撃であちこち先が跳ねていて、櫛を通して再び整えなくてはいけない。
面倒だな。いっそ、この長たらしい髪の毛を切って逃げてしまおうかと、人生で何度考えたことか。
それでも、耐えてこの場所にいて良かったと旦那様に出会ってやっと思えた。
初めてお会いした時から心を強く掴まれるように雪久様に惹かれた。
無垢な白い髪なのに、真っ黒な瞳を持ち、傷一つない陶器のような肌に整った顔。そして宝石のような硬く強い意志。私とは違うものを持っている。
色々言いながら惹かれたのは見た目が良かったからだと言われれば、そうなのかもしれない。
結局は自身も有象無象の一人という事だ。
せっかく、掴んだ細い糸を離すわけいかない。嫌われないように頑張らないと……
あれ、襟足のところ赤くなってないか。
寝てる間に掻きむしってたのではと、襟を広げて肩まで下ろし、後ろ髪を持ち上げようとした瞬間に後ろの障子が開いた。
「あっ……」
「ひっ」
後ろを見てみれば、旦那様がちょうど帰ってきていたようで、最悪の格好を見られてしまった。
お互い目が合った時は硬直してしまったが、すぐに下ろしていた襟を引っ張り上げた。
「すまない、そんなつもりじゃなかった」
「いえ、変なところ見せて申し訳ありませんっ……」
悩んでいた着物は一番近くにあるものを選び、形だけでも取り繕う。
「どうっ、どうされたのですか。お帰りは夜とお聞きしましたが」
「忘れ物をして帰ってきた。この後、すぐに出るつもりだ」
「そうですか。忘れ物はありましたか」
「ああ、あった」
旦那様は頷くけれど、忘れ物があったのならここには用がないはず。
と思っていたら、旦那様の片腕の服がパックリと縦に切り裂かれ、少し動くたびに隙間から傷と血が見えて、ーーー全身が冷えた。
「どっ、どっ、どうされたんですか。その傷」
足を畳で滑らせながら旦那に近づく。
「これか。仕事で一悶着の結果だ。相手が小刀を持っていたとは知らなくて、少し切っただけだ」
少し? 血がシャツに滲み出ている時点で何を言っているのか。
「手当しましょう」
「これくらい平気だ。着替えたら、すぐに行かないといけない」
「駄目です。逃しません」
旦那様の片腕を取り、逃さぬよう腕と胸で囲む。
「私がここにいなければ、そのまま隠して行こうとしましたね」
と言うとあからさまに顔を背けては黙る。
「こういうのが後々、ひどい怪我になったりしますから。大人しくしないと医者呼びますよ」
「……、わかった」
逃げられないと悟ったのか、苦虫をすり潰したような顔をして両手を上げる。
とりあえず、上の服を脱いでもらい旦那様を部屋の真ん中に座らせてから救急箱を探す。この部屋には備えていたはずなので、自身の背ほどある棚の上をのぞいてみれば案の定、木で出来た四角い箱が置いてあった。
手を伸ばしてみたけれど、箱の角を指で触るだけだったので、つま先を立て、背を伸ばしてやっと箱を掴んだ。
よし、取れたと喜んでいる内に自分を覆うくらいの大きな影が出来ていた。
背中に感じる人の気配。振り返らずとも、旦那様だという事はわかっていたから救急箱を持ち直し「どうされましたか」と訊く。
「その、後ろ……くびが」
「くび、がどうされたのですか」
「……首のところ、跡になっている。椿も薬を塗らないといけないな」
「やっぱり、そうなんですね! さっき、虫刺されのように赤く腫れているのが見えたので」
「虫刺されというか……」
言葉を詰まらせ、口を片手で覆い、なぜか目線を横にずらす旦那様。
「?」
「いや、なんでもない。救急箱は取れたか」
「はい。これで治療して、どうぞ仕事に行ってください」
無事、治療することが出来た。血を拭き取った後で傷に薬を塗り、また熱を出されても困るから丁寧に包帯を巻いていく。それをみて、不思議そうな顔をする旦那様。
「随分、手慣れているな」
「それは、昔よく木登りとかしてよく怪我していましたから慣れてーーー」
「木登りしたのか」
「……していません」
「最初と言っていることが違うが」
「私はキノボリはしません。いっ、今は関係ない話ですから。はい、出来ました。これで仕事行けますから、行ってください」
話を無理矢理終わらせて、新しいシャツを着させる。
「椿も塗らないと」
「私は後で塗りますから大丈夫です。それに、そんなことしていたら遅刻します」
新しい上着を着せて後は見送るだけ。軽く背中を押して急かす。
「はい、行ってらっしゃい」
「分かった」
すると、旦那様は私の前髪をかきあげては額に軽く口付けた。
「なっ」
「夜、帰ってきたらみるからな」
ゆっくりと唇が離れていくと、目に映るのは口角を緩く上げる綺麗な顔。
「行ってきます」
旦那様は立ち上がり障子を再び開けては、放心状態の私を置いて仕事に行ってしまった。
一人残された部屋で、私は伏せるように丸くなり、少しの間現実に帰って来ることができなかった。
額の痛みが吹き飛ぶくらいに、あの人が色々こわい。
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