TEAM【完結】

Lucas

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第86話

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「ロビン?」
 美術室を出て廊下を曲がる。階段の下の方に座っているロビン。壁に寄りかかって、眠っているように見えたからそっと近づいた。
 もう一度声をかけようとして、顔を覗いた。そこにあったのは涙の跡。
「ん? うわっ! ビックリした!」
「あ、ご、ごめん」
 慌てて立ち上がったロビンはそのまま背を向けて涙を服で拭った。
「驚かすなよな……。もう話は終わったのか?」
「う、うん……」
 再びこっちを向いたロビンは、いつもと変わらぬ表情で。
「そっか。あ、それ持つよ」
「ん? 大丈夫だよ」
「手怪我してるんだから無理するなって」
 いつもと変わらぬ声でそういって、おれからキャンバスと画材を受け取る。触れない方がいいのかな。迷いながらロビンの後ろをついて行く。
「あの人ってさ」
「え?」
「元から知り合い?」
「ああ、先輩のこと? まあ、知り合いというか……その、絵を教えてくれたんだ」
「へー」
 沈黙再来。多分ロビンも沈黙に耐えかねて振っただけの話みたいだった。足音だけが響く長い廊下を歩き続ける。結局、寮の部屋につくまでそのままで。
 部屋に入ったロビンは、ライトをつけっぱなしだった机の上にキャンバスと画材を置いた。
「カラスって絵上手いんだな」
「そ? 初めて描いたからあんまり自信なかったんだけど」
「僕は小等部の授業で描いたっきりだな。それも、何を描いたか覚えてないし」
 とりとめのない会話が続く。
「えっと……ロビンは読書感想文順調?」
 部屋に戻る気配はなく、おれはベッドに座って話を続けてみた。ロビンは立ったままおれの絵を眺めている。
「んー、中々読み終わらないな。ヒバリが貸してくれた本、退屈でさ」
「そうなの? どんな内容?」
「『猫と死体のワルツ』って本。なんか、死体が動く話」
「こ、怖そうだね」
「怖くはない話だよ。ジャンルはファンタジーっぽいし。でも、僕にはよく分からない。大体、死体が動くなんてありえないし」
 そこから否定なのか。ロビンにはファンタジーとか向かなさそうだな。おれからしたら『魔法使い』の方がファンタジーだけどな。
「……僕には、想像力が足りないのかも知れない」
「何かあった?」
「さっき」
「さっき?」
「カラスがいったこと」
 おれは首を傾げて、ロビンの横顔を見た。表情が読めない。おれがいったこと?
「僕は、他人の気持ちを想像するのが苦手だ。読書感想文なんて柄にもないことやって、余計に自覚することになった……」
「他人の気持ちなんて……おれにも分からないよ」
 そうはいったものの、ロビンのいわんとしていることは分かっていた。
「僕は特にそうだよ。そんな自分に嫌気が差して、なのに、また繰り返してた」
「……繰り返してたって?」
「自分の気持ちだけ押しつけてた。それで、肝心な時に役に立たなくて」
「……」
「なのに、ありがとな。すげー嬉しかった……」
「…………」
「…………」
 あれ? 話終わっちゃった? 何かあったように見えたけど、もう自分の中で解決してるっぽい。
 サギの件にしろ、ヒバリのことにしても、ロビンは少し鈍感で、魔法使いが故の無神経さもあった。他人の気持ちが分からないっていうのは、多分その辺りのことだ。それを自覚したロビンは落ち込んでいたみたいだったけど。だけど、さっきおれがいったことでそれが解決された? さっき、何ていったっけ……?
「あ」
「ん? どした?」
「え、いや、ううん……」
『ロビンがいてくれて良かったよ』
 美術室に入る前に、おれはそういった。
「……どういたしまして?」
「何で疑問形?」
「いや、だって、おれはただロビンに頼りっぱなしだし……」
「いやそんなことないと思うけど」
 早口にそういって、やっぱり目線はキャンバスに向けたままのロビン。照れ方が分かりやすい。
「おれの方こそありがとね」
「……うん」
 やっとこっちを向いたロビンの目は赤くて。
『元々、弱いですから。ロビンは』
 ヒバリの言葉にさらに納得。そんなロビンから、たまに逃げるようなことをしてしまって、ちょっと悪かったかなって思った。ロビンも、薄々気づいていたからさっきみたいなことを言い出したんだろうな。
「何か……カラスのおかげで吹っ切れたかも」
「え?」
「そろそろ、僕も正直にいおうかな」
「何を?」
 ロビンは椅子を引いて座ると、おれの方を向いた。
「いるっていっただろ?」
「いる?」
「好きな人」
「あ……」
 そうだった。前は、はぐらかされて、おれ自身も、何だか聞く勇気がなかったんだ。でも……今なら大丈夫だ。ちゃんと、聞ける。 
「誰にもいうなよ?」
「うん」
「『サギ』。僕さ、サギのことが好きなんだ」
「うん」
 予想通りの答えに、もう胸は痛まなかった。きちんと、心から応援できる。
「サギは、その、他に好きなやついるけどさ。僕はトラより、全然弱いし、それどころか、サギよりも弱いし」
「サギはそんなの気にしないよ」
「……そうか?」
「うん、おれ応援するよ」
「……ありがとな」
 やっと見せてくれたロビンの笑顔は、あの写真のものと同じだった。それを見て、嬉しくなった反面、とんでもないことに気づき血の気が引いた。やばい。おれ、ヒバリ先生にぶちのめされますね。

 
『本当に泣き虫だな、カラスは』
 そういって、兄ちゃんがおれの背中を撫でる。たったそれだけの短い夢。これじゃ何も思い出せていないのと同じだ。だけど、優しくて、心地いい夢だった。
「カラス」
 名前を呼ばれて、目を覚ます。目の前にいたのは、つぶらな瞳のプチカラス。
「……ぬいぐるみが喋った?」
「寝ぼけてます?」
 プチカラスが視界から消える。代わりに現れたのはヒバリだった。
「ヒバリ?」
「おはようございます。修理が完了しましたよ」
 そういって、ヒバリはプチカラスを枕元に置いてくれた。
「本当に直してくれたんだ……ありがとね」
「私にかかればこれくらい朝飯前ですよ。それより、具合はどうですか?」
「え? 大丈夫だけど……」
 ベッドから体を起こす。少しだるくて頭が痛い。部屋にいたのはヒバリだけだった。ヒバリが堂々とおれの部屋にいることに関してはもう何も思わない。ヒバリは手を伸ばして、絆創膏を避けておれの額に触れる。
「下がったみたいですね」
「下がった?」
「ひどい熱でしたよ。声をかけてもまったく反応がないですし、保健室の先生が解熱剤を持ってきてくれたんです。それが効いたみたいですね」
 ヒバリは机に置いてあったペットボトルをおれに差し出す。
「あ、ありがと……」
 おれは素直に受け取って少し口に含んだ。だけど、途端に止まらなくなって一気に全部飲み干す。喉の渇きが癒えた直後、体が別の物を求めだした。『飴玉』。おれは渇望をかき消すように頭を振る。落ち着け。大丈夫だ。まだ、大丈夫だ。
「カラス? どうしました?」
「ううん……もう大丈夫」
「そうですか。結局今日もほとんど寝ていましたね」
「え? ……って、もう五時?」
「ええ。夕べはずっとロビンと一緒だったんですね。今朝あなたの様子にすぐに気づいてくれて、さっきまでここで看病してましたよ」
 昨日……そうだ、ロビンと話をしていて……いつ眠ったか覚えてないけど、それから夕方までずっと眠っていたのか。飴玉の影響は、思ったより深刻だ。明後日まで飴玉は食べられない。こんな状態が続くのかな。
「さすがにロビンも付きっきりでは心配ですので、今サギが食堂へ連れて行きましたよ」
「そうなんだ……何か心配かけてごめんね」
「私より、ティトがかなり心配してました」
「ティトが?」
 ティトもこの部屋にきたのかな。いや、ジェイが許すはずないか。
「ええ、良かったですね。ヒューヒュー」
「な、何かヒバリテンション高いね……」
「そうですか?」
 ヒバリはニコニコ笑ってベッドに座った。
「何かいいことあった?」
 ロビンとは絶対に進展なさそうなのに、どうしたんだろう。
「いいことなら今」
「今?」
「あなたがちゃんと目覚めたことですよ。もう顔色もいいみたいですし、安心しました」
「あ、ありがと……」
「いいえ。でも昨日から何も食べてないでしょう? 少しは何か食べた方がいいですよ?」
「うん……けどいいや。それより、外の空気が吸いたいな」
「霞を食べて生きてる仙人ですか、あなたは。最近さらに痩せたようですし、もっとちゃんと食べなさい」
「う、うん。分かった……じゃあ、後で食べる」
 それを聞いて、ヒバリは満足したように立ち上がって窓を開ける。そういう意味じゃなくて外に出たいってことだったんだけど。
「ちょっとその辺散歩してきていい? 気分転換に……」
「ですが、怪我が痛むのでは?」
「大丈夫だよ、ずっと寝てたせいで背中痛いし、ちょっと動きたいかも……」
「仕方ないですね」
 ヒバリはベッドに上がると、耳元に口を近づけた。
「ティトならスイカ畑ですよ」
 どこだそれ。
「中庭です」
 ヒバリがおれの表情を見てクスクス笑う。
「ありがと。あ、大丈夫だよ。一人で行けるから」
 差し伸べられた手を見て、慌ててそういうと、無理やり手を掴まれた。
「あなたから目を離さないようロビンからいわれているので。安心してください、近くまでついて行くだけですから」
「いや、でも……さすがに今日は大丈夫じゃない? みんなおれなんかに構ってる余裕ないだろうし」
「私が気をつけろといわれたのは『ジェイ』ですよ」
「え?」
「詳しくは教えてくれませんでしたが、あなたにジェイを近づけるなと」
「えっと、ジェイは今どこに?」
「『反省室』です」
「反省室? え? 何で?」
「………ティトに、怪我をさせたんです」
 半信半疑で、おれは中庭に向かった。ヒバリの話では、あれから荒れまくっていたジェイがティトが口論になり、食堂で他の生徒まで巻き込む騒ぎになったらしい。だけど、どんなに興奮していようが、あのジェイがティトに怪我をさせるとは思えない。ヒバリ達が駆けつけた時には、すでに数人の生徒がジェイにより怪我を負わされていた。
「あのシスコン男、ティトに怪我をさせたことがさすがにショックだったみたいで、今は反省室で大人しくしてますよ」
 隣を歩くヒバリは、腕を組んだまま口を尖らせた。
「今回ばかりは私も許せません」
「でも、ヒバリ達は途中からしか話を聞いてなかったんでしょ?」
「ジェイを庇うんですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
 そうこうしている間に、おれ達は中庭へ続く扉の前までやってきた。
「えっと」
「分かってます。私はここで待機しています。盗み聞きしたりなんかしないので安心して下さい」
「……ごめんね。じゃあ、行ってくる」
 おれは扉を開けて中庭へ。夕陽に照らされた景色が広がっていた。周りは校舎と寮に囲まれ、吹き抜けとなっている中庭は、想像以上に広々としていた。四方は花壇で囲まれているが、どこにも花は咲いていない。遠くを見渡していたおれは、視線を自分の左右へ戻す。
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