TEAM【完結】

Lucas

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第87話

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「あ」
 右を見て、左。そこで思わず声を出してしまった。ティトはおれのすぐそばに立っていた。向こうも驚いているようで、小さなジョウロを持ったままぽかんと口を開けている。
「カラス……。何でここに?」
「あの……ヒバリからここにいるって聞いて」
 素早く視線を動かすと、目に止まったのはジョウロを持つ手。左手の人差し指に巻かれた絆創膏。おれの視線を見て気づいたのか、ティトはジョウロを下に置いてその指を隠した。
「怪我って、それ?」
「聞いたんだね」
「うん」
「本当にたいした事ないんだよ。割れたコップでちょっと切っちゃっただけなんだから……」
「でも……ジェイがやったんでしょ?」
「わたしが悪いんだよ。それより、キミの方こそ出歩いたりして大丈夫なの? 熱は?」
「平気だよ」
 おれは両手を広げて大丈夫だとアピールして見せる。だけど、ティトの表情は暗く沈んだまま。
「ティト、あのね」
「ごめんなさい……わたしのせいで」
「謝るのはおれの方だよ。ティトの力を利用するような真似して傷つけた。本当にごめん」
 おれ達の距離は縮まらない。誰もいない静かな中庭で、手を伸ばしても届かない距離を保ち向かい合う。二つの真っ黒な影が、何もない花壇に落ちていた。
「わたしのせいだよ」
「おれのせいだよ」
「違う」
「違わない。だって、あの作戦を考えたのはおれだ。結局、失敗だったのも、おれの考えが甘かったから」
「失敗したのは……」
 胸の前で、隠すように重ねていたティトの手が動く。細い指で、その長い髪を耳にかける。
「やっぱり、わたしのせいだよ。だって、わたし知ってた。失敗するって」
 おれは眉をひそめる。失敗する作戦だったといわれたことに対してじゃない。ティトのいっていることがまったく分からなかったから。
「どういうこと?」
「わたし、あの時モズの心も読んでた。ずっと」
 続きを聞くのが怖い。だけど、止めることすらできず。
「モズは知ってた。全部、分かってた。キミがスズメさんの振りを始めた時から、ずっと」
「……バレバレだったってこと?」
 それは、おれも少しは考えた。だけど、前半は確実にうまくいってたはずだ。だから、記憶を見せることにも成功したんだ。
「キミが自分のしようとしていることを、止めようとしてるのも、モズは分かってた。分かった上で、あの作戦に乗った……。最初から、やめる気なんてなかった。それでも、騙された振りをしたのは、キミの気持ちが嬉しかったから」
「…………」
「止めようとしてくれてることが嬉しかったんだよ、モズは。死ぬ前に、キミと話がしたかっただけ。なのに、わたしは、それを知った上で、止めなかった。キミが止めたがってることが、止まらないって分かってたのに……」
 どうして、という言葉を飲み込む。ティトのことを責めたいわけではない。でも、どうしても考えてしまう。あの時点でそれを教えてくれたら、他の方法を選べば……。
「……わたしは、最低だよ。その結末を望んでた。だから、キミに教えなかった」
「え?」
「教えたら、キミは他の作戦を考えたよね?」
「当たり前だよ……だって」
「わたしは、そうなると困るから。わたしはあくまでその人が今現在考えていることしか分からない。未来までは予想できない」
 ドクドクと心臓が脈打つ。ティトが何をいおうとしているのか、考えれば考えるほど怖くなっていく。だんだんと見えてきた答えに、どういう反応を示せばいいのか。おれの頭はすでにそんなことを考え始めている。
「キミが、新しく考え出した答えに、モズがどんな反応をするかまでは分からない。モズが今決断していることを変えてしまうかもしれない。その矛先が、別のものに向けられるかもしれない。そう思ったら……モズを見殺しにするしかなかった。わたしは、みんなが、ううん……キミが殺されるのだけは嫌だった。キミさえ助かれば、モズどころか他の人達もどうでも良かった。だから、わざと止めなかった。モズの背中を押したのは……わたしだよ」
「…………」
 何かをいいかけて、やめた。蝉の声が聞こえた気がした。何だっけ。確かヒグラシだっけ。そんなどうでもいいことが頭を過る。その間も、おれ達の目はしっかりと合ったまま。何かいってよと、ティトの目がいう。おれの作戦を読んで、モズの心を読んで、ティトは誘導した。だけど、それはおれの為で。
「……さすがに、嫌いになったよね」
「ならないよ!」
 反射的に出た言葉に嘘はないけど、ためらいが生まれたのも事実だ。ジェイがいったことを無視しておれのところへきたのも、おれを助ける為なら、おれにティトを責める資格なんかない。作戦を考えたのは紛れもなくおれだってことも、もし作戦を変更していても助けられる保障がなかったことも、すべて事実だ。 
「ティトは何で……」
 何が正しかったのか、分からない。
「何でおれをそこまで……」
「そんなの、決まってるじゃない」
「決まってる……?」
「キミが」
 心の準備ができていない。だけど、もう止まらない。
「キミが、好きだからだよ」
 気がついたら、おれはティトを抱きしめていた。強く掴んで離さない。ティトがおれの心をそうしたように。
「カラス……」
 ティトの手は、背中の傷を気にしてか、おれの服を掴む。ティトは、優しい。でも、残酷だ。おれが、そうさせてしまった。
「好きだよ、カラス」
「…………」
 何で、おれも好きだよっていえないんだろう。 
「何で?」
 かろうじて出た言葉はまた疑問で、この後の流れをティトに委ねているのに嫌気が差す。抱きしめて離さないのは自分の癖に。
「ずっと好きだった。本当は、初めて会った時から、キミに惹かれてた」
「でも、ジェイは?」
「聞いたんでしょ? ジェイとわたしは兄妹なんだよ」
 妙に落ち着いたティトの声。おれは、鼓動が伝わってしまいそうで落ち着かない。
「でも、同じ歳なのに?」
「うん」
「ただの兄妹には見えないよ……」
「血が」
「え?」
「血が、繋がってないの。わたし達」
 その言葉で、おれの中では話が繋がった。ジェイの態度に納得した。ジェイは、やっぱりティトが好きなんだ。
 一人の女の子として。 
「親の再婚でね……。わたしは、ジェイがいてくれたから、チームDに入ることができた」
「そうなの?」
 ティトが頷いたのが肩越しに伝わる。
「ジェイには、すごく感謝してる。いつも、いつもわたしを守ってくれた。どんな時も」
「……うん」
「けどね、今回のことで、ジェイはすごく怒った。もう、キミには近づくなっていわれた」
 服を掴む手に力が入った。
「絶対に、それだけは嫌だった。だから、初めて喧嘩しちゃった……」
「……仲直りは?」
「できるかな? わたし、キミと離れたくない」
 死ぬほど嬉しい言葉だ。なのに、素直に喜べない。
「ティトは」
「うん?」
「話し方が、ジェイと違うね」
「……ジェイが、そうしろって。周りには兄妹だって思わせない方がいいからって」
「どうして?」
「守りやすいから。変な虫もつきにくいからっていわれたけど……」
 なるほど。おれみたいなやつのことか。
「スイカ」
「スイカ?」
「まだ芽が出ないね」
「……うん」
 関係のない話題ばかりで会話を無理やり繋げる。おれの『返事』を引き延ばしている。抱きしめたまま離さないのも、迷っている表情を読まれないようにする為。そんなの、心を読まれたらそこまでだってのに。
「チームDって」
「……」
 往生際の悪いおれは、さらに別の話を振る。だけど、これは重要な質問だ。
「壁があるよね」
「……そう?」
「ティトとジェイとサギの三人と、ヒバリとロビンの二人。この間に、見えない壁がある」 
「…………」
 ゴクリと唾を飲む音が聞こえた。核心をついた。
「コマちゃんのことまでヒバリとロビンに伏せたのは、何で?」
「…………」
「『飴中毒』を知ってるのも、この三人だよね」
「今はそんな話したくない」
 予想通り突っぱねられる。それは、『話せない』ような内容だといっているようなものだ。この三人は、学校側の秘密を知っている。
「大事な話だよ」
「今大事なのは、キミの……カラスの気持ちだよ」
「え?」
「カラスは、わたしのこと、嫌い?」
「……読んでみる?」
「カラスの口から聞きたい」
 細い体を、包むように抱きしめ直す。
「ティト、おれはね……」
「うん……」
「おれは…………」
 ガチャン、と。遠くで扉が開く音がした。おれ達は慌てて離れる。寮側にある扉が開き生徒が中庭を横断して行った。おれ達を一瞥し、ヒバリが待機している方の扉を開けて校舎内へ入る。すると、ヒバリが顔を覗かせた。
「あ……ごめんなさい。まだお話の途中ですよね」
「ううん、大丈夫!」
 再び引っ込もうとしたヒバリを呼び止める。どこまでヘタレなんだ、おれは。先延ばしにしてどうなるんだよ。背中に刺さるティトの視線が痛い。
「そうですか。ティトも、いいんですか?」
「うん、もう『終わった』よ」
 温度のないティトの声。おれとの話は終わってない。その『終わった』は、スイカの世話が? それとも『おれ達』が? 
 おれはまた、選択を間違ったのか。このままでいいはずはない。ティトを好きな気持ちは本物だし、ためらう必要はなかった。だけど、ティトがおれを好きだったというのが予想外すぎた。
「わたし、ジョウロ返してくるね」
 ティトだけが廊下を曲がる。
「分かりました。では、私達は部屋に戻りましょうか? それとも、ロビン達のところに行きます?」
「…………」
 今できることからやらないと。自分の気持ちを正直に伝えて、絵をちゃんと完成させて。
 でも、いいのか? もし、モズが利用されていたとして、おれの考えが正しければ、時間が経てば経つほど不利になる。
 コマちゃんを助けたい。だけど、結局おれじゃ力も情報も不足している。サギの力に頼らないとすれば、必要なのはジェイが持っている情報。戦略の事に関しても、話をするならジェイが適任なはず。なのに、そのジェイとは話ができる状態じゃない。おれとティトが進展すれば、ますます関係は悪化する。その結果、サギに頼らざるをえなくなる。
「……あ」
「どうしました?」
「え? ううん、何でもない」
 この状況は今のジェイが一番望んでいなかったはずだ。おれとティトが二人で話をすること。本人から釘をさされたばかりだ。なのに、あっさりと叶ってしまった。
「カラス?」
 本気で止めたいなら、反省室を脱走してでもティトのそばから離れないはず。ティトの怪我は不測の事態とはいえ、そのことがショックで反省室にこもるなんてジェイならしない。
 怪我はさせるつもりじゃなかった。でも、『反省室』に入ることが計算のうちだったら、わざわざ食堂で騒ぎを起こした理由や、脱走しない理由も説明がつく。
「カラス、さっきからどうしたんですか?」
「え?」
「部屋に戻りましょう。もう少し休みなさい」
「うん……」
 ヒバリは寮への道を歩き出した。これ以上心配かけるのは良くない。考え事は後回しだ。また誰かが付きっきりになったら困る。
 ジェイは多分『待ってる』んだ。
 今晩ロビンが寝た後に、反省室へ行こう。そこなら完全に『二人』になれる。
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